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天井裏のウロボロス  作者: 夙多史
Volume-03
128/228

Section-End エピローグ

 どうにかこうにか、年に一度の鷺嶋神社で行われる祭――鷺嶋霊祭は無事に開催された。

 死線を潜り抜けた紘也は丸一日くらい眠ってなお体はボロボロのガックガクだったが、自分たちも準備を手伝った祭に参加しないわけにはいかない。筋肉痛で悲鳴を上げる全身に鞭を打って出店という出店を片っ端から回っていく。

「紘也くん紘也くん! チョコバナナがありますよチョコヴャナナ! このウロボロスさんがペロペロチュパっといやらしく食べるので是非興奮してください!」

 やはり慣れない肉体強化などするべきではなかった。一歩足を進めるごとに痛みが全身を駆け巡る。今度使う時までにはもう少し慣れておかなければ。いや、二度と使いたくはないのだが……。

「紘也くん紘也くん! フランクフルトがありますよフリャンクフルト! このウロボロスさんがウンウンハムチュっと艶めかしく食べるので是非興奮してください!」

 紘也と同じようにぶっ倒れたはずのウロボロスはご覧の通り、あの戦いの疲労などなかったかのようにはっちゃけている。魔力ドーピングの重ね掛けや負担の大きそうな技を連発しておきながら、一晩寝たら完全回復とかどこのRPGだ。今さら驚きはしないが。

「紘也くん紘也くん! 唐揚げ棒が」

「あー、こいつに棒状のエサを与えないでください。ヘンタイになるので」

「さっきからスルーしまくった挙句に酷くないですかっ!? でも残念でしたね。このウロボロスさんにかかれば焼きそばでもたこ焼きでもエロっぽく食べられます!」

「もうお前祭来んな!」

 片腕一杯に食べ物を抱え、戦隊物のお面を被ってヨーヨーをバインバインさせているウロはこれでもかと祭を楽しんでいた。纏っている黄色の浴衣は派手過ぎない色合いで好感を持てそうだと思いきや、なぜか『∞』のマークがビッシリ描かれているためお世辞にも可愛いとは思えない。本人は大変気に入っているようだが。

「……マスター、ビー玉が取れません」

 そう言ってくいくいと紘也の袖を引っ張ってきたのはラムネの瓶を持ったウェルシュだった。ミニスカートのように丈の短い真っ赤な浴衣を着た彼女は、蓋をしているビー玉の外し方がわからず飲めないでいるらしい。

「蓋のところに栓みたいなのがついてただろ? アレでビー玉を押し込むんだよ」

「これですか? やってみます」

 ウェルシュは捨てずに持っていた玉押しをビー玉にあて、なにかに挑むようにゴクリと小さく喉を鳴らす。

「すぐに離したらラムネが零れるから、泡が消えるまで押したままにするのがコツだ」

「了解で――」

 プシュッ。ブシャァアアアッ!

 瓶の口から白く泡立ったラムネが火山の噴火よろしく噴き出し、ウェルシュ本人だけじゃなく近くにいた紘也も見事にとばっちりを受けてしまった。

「……」

「……」

「振ったな?」

「振りました」

 当然の結果である。紘也は深く溜息をついてから、取り出したハンカチでウェルシュの顔を拭ってやった。

「ん……マスター、勿体ないので舐めてください」

「舐めるか!?」

「ではマスターのはウェルシュが舐めます」

「舐めんでいい!?」

 紘也はさっと自分の顔も拭った。最近、ウェルシュの受ける悪影響がどんどん加速している気がする。誰のせいか? ウロボロスだ。

「ひっ!? なんか紘也くんが物凄く怖い顔でこっち見てる気がします!?」

 そこの射的屋で身を乗り出すようにして銃を構えているウロの背中を睨んでやると、彼女はブルッと震えて思いっ切り的を外していた。

「まったく――うん?」

 ふと、その辺りをチョコチョコと動き回っている青い和服の幼女が目に入った。

《うぇへへ。最近の人間の雌は浴衣でも露出が高くて大変よろしいぞ。おお。あの人間の雌も大胆に太股を! けしからん! けしからんがよろしい! げへへじゅるり。なんだここは吾の天国か!》

「……」

 あの変態はまあ、置いておこう。

「そういや、ヴィーヴルは結局来なかったんだな」

 紘也は変態オヤジ幼女など見なかったことにして、少し気になっていた疑問をウェルシュに訊ねた。

「人が多いところには行きたくないそうです」

「……本当に引き籠りなんだな、あいつ」

 ヴィーヴルは一応紘也の家で預かっている。元々父親の契約幻獣なのだから不自然はないし、その父親からも保護を頼まれていたから仕方ない。片目を完全に失ってしまったショックで寝込むか暴れるかと思っていたが、なんか完全に吹っ切れた様子で紘也たちが家を出るまでウェルシュやウロとTVゲーム(主にモンバロ)に興じていた。

 彼女もどうせなら一緒に来ればよかったのだが、人ごみが苦手なら来てもストレスが溜まるだけだろう。ちなみにユニコーンは葛木家が監視している。いずれは連盟に引き渡すのだとか。敵側にいたけど悪い奴じゃないから、問答無用で殺されることはないと思いたい。

「あ、いたいた。おーい、紘也! そろそろ愛沙の舞が始まるぜ!」

 人ごみの向こうで孝一が手を振っている。本来は合流してから出店を回る予定だったのだが、ウロたちが待ち切れず先に行ってしまったのだ。

「悪い、すぐ行く。ほらお前ら、さっさと切り上げないと愛沙の晴れ舞台を見逃すぞ」

「むむ、それはマズイですね。あたしが最前列に陣取ってしっかり盛り上げなければ」

《金髪。貴様は隅っこにでもいるがよい。愛沙の応援は吾が全力でやる故心配はいらん》

「ライブじゃないんだから演舞中は静かにしとけよお前ら」

 鷺嶋霊祭の『巫女の舞』は賑やかな催しとは違うのだ。この馬鹿どもが騒ぎ始めたら首根っこ引っ掴んで会場から放り出そうと心に決める紘也だった。

 とりあえず紘也たちは孝一と合流し、舞が行われる神社の境内へと急ぐ。

「にしても紘也たちが無事でホントによかったぜ。誰か一人でも欠けたら、オレは紘也を殴る話になってたからなぁ」

「ああ、殴られなくて済んでほっとしてる」

「けど今度はオレも連れてってくれよ? 一人だけ待たされるなんて本気で心臓に悪いんだからな?」

 冗談ぽく笑いながら孝一が言う。死地へ赴いた友人をただ待つことしかできなかった孝一の気持ちは、紘也にもわからないでもない。逆の立場だった不安で押し潰されそうだし、無事だとわかれば心の底から安堵する。

「てか今度ってなんだよ。もうこんなことあってたまるか」

「わかんないぜ? 紘也の親父さんはほら、いろんなとこで恨み買ってそうじゃないか」

「う、そりゃそうだけど……」

 実際問題、リベカ・シャドレーヌの行方がわからない以上、いつまたあのエセ神官に命を狙われるかわかったものじゃない。しばらくは安眠できない日々が続きそうで気分が落ちていく紘也である。

「……………………まあ、なにが来ようとオレたちが守ってやるけどな」

「ん? 孝一、今なんか言ったか?」

「いや、ウロやウェルシュがいるんだからそこまで心配することもないかと思っただけ」

「オゥ! わかってますね孝一くん! イエスですよ! あたしがいる限り二度と紘也くんを殺させません!」

「……ウェルシュももっと精進します」

「あとほら、オレもいるし?」

「いえ孝一くんはいらないです」

「酷い!?」

《むぅ。人間の雄などどうでもよいが。吾が除け者になっているのは面白くない……》

 そんな具合にワイワイと喋っているうちに境内へと辿り着いた。ライトアップされた簡易な舞台の上に巫女服を纏った黒髪の少女が立っている。

 綺麗に化粧をし、美人度の増した愛沙がゆっくりと丁寧にお辞儀をする。どうやら丁度始まるところだったらしい。最前列は無理だったが、紘也たちは適当に見易い位置へと移動する。

 鷺嶋神社伝統の『巫女の舞』は、元々は降霊術の類だったと聞いている。先祖の霊を降ろすとかそういうのではなく、世界に存在する神霊の言葉を聞き伝える術。その予知・予言は決して外れることはなかったとさえ言われていた。

 元魔術師だった紘也からしても胡散臭い話ではあるが、こうやって愛沙の神秘的な舞を見る度に本当だったんじゃないかと思い直される。

「練習の時よりもずっと綺麗ね、鷺嶋さん」

 舞に見入っていた紘也の隣にいつの間にか葛木香雅里が立っていた。彼女も普段の制服や戦闘服ではなく浴衣を着ている。夜の闇に溶けそうな黒い生地に金魚の刺繍が施されている高そうな浴衣だ。髪も後ろで一つに纏めており、まさに和風美人といった感じでとてもよく似合っていた。

「……なによ?」

 つい見惚れていると不機嫌そうなジト目で睨まれてしまった。

「いや、葛木もそういう格好するんだなと思って」

「に、似合ってないなら似合ってないってハッキリ言いなさい」

「似合い過ぎてるから驚いたんだけど……」

「えっ?」

 素直な感想を言うと、香雅里はきょとんと目を見開いてからサッと体を紘也からそむけた。やや俯いているためうなじがはっきり見え、心なしか耳が赤くなっている気がする。

「葛木?」

「……なんでもないわ。それよりあなたに伝えておくことがあるの」

 そう言って振り返った香雅里はいつも通りの平然とした顔だった。

「リベカ・シャドレーヌだけど、捕まったらしいわ」

「本当か!」

「ええ、連盟の方で捕縛に成功したみたい」

 紘也にとってはとても素晴らしい朗報だった。これで今日から安心して夜眠ることができ…………るかどうかは怪しいが(ウロがたまに部屋に侵入してくるから油断ならない)、少なくともあの憎悪を再び向けられることはあるまい。

「そこ! なぁに二人の空間作ってイチャついてんですかあたしも混ぜてください!」

 香雅里と話しているところを鬱陶しい蛇に見つかってしまった。

「イチャついてなんかないわよ!」

「そうですか? 普段よりかがりんのほっぺが二割増しで緩んでる気がするんですが」

「なっ! そ、そんなことないわ! 普通よふ つ う! あとかがりん言うのはやめなさい!」

 喚くウロと香雅里に周りの人々からイラッとした視線が浴びせられる。おかげで二人も大人しくなってくれたが、真ん中にいる紘也はとばっちりもいいところだった。「あのリア充が爆死しろマジで」って感じの視線がやたら痛かった。

 香雅里が落ち着くように息を吐いてから話を元に戻す。

「リベカ・シェドレーヌは捕まえたけれど、〝先導者〟ヨハネの行方は掴めてないわ。これから先、あなたも無関係ではいられなくなるかもしれない」

「かもな……」

 紘也の父親が一度潰した組織『朝明けの福音』。これほどの復活劇を用意していた彼女たちの残党は、本当にリベカ・シャドレーヌの『黎明の兆』だけなのだろうか? 根拠はないが、紘也はどうしても安直にそう考えることができない。たとえ残党がいなくても、新興した『朝明けの福音』が真っ先に紘也を狙って来ることも充分にありえる。

 だから香雅里の言いたいことには察しがついている。『黎明の兆』がそうだったように、これから先も紘也だけじゃなくその周囲も巻き込まれる可能性は高い。

 そうなると――

「今回はどうにかなったけれど、いつまでも私や幻獣たちに頼りっぱなしにはできないと思うわ」

 香雅里はそこで紘也の顔をまっすぐ見て訊ねる。


「秋幡紘也、魔術師に戻る気はないの?」


「……」

 紘也は沈黙を返す。捨てた物をもう一度拾うことはしたくない。だが、ただの一般人でこれから訪れるかもしれない危険を乗り越えられる気はしない。

 考えてはいる。

 紘也なりに纏まってもいる。

 でもそれにはどうしても、やらなければならないことがある。

「そうだな……」

 紘也は舞台の上で華麗に美しく舞う愛沙を見る。もう二度と、今回のような事件を起こしてはならない。

 意志が固まる。

 もう逃げない。

「決めたよ。俺は――」

 紘也が決意を言葉にしようとしたその時、境内が一気にざわめき始めた。

「なんだ?」

 見ると、曲が終わっていないのにも関わらず、愛沙が舞を止め、どこか虚ろな目で境内に集まった人々を見回していた。

 そして――



「……………………やがて、この世は白に染まる……………………」



 なにかを、抑揚のない声で呟いた。

 境内の沈黙は一瞬。

 すぐに愛沙はハッと我に返り、慌てて舞の続きを踊り始めた。

「なんですか、今の愛沙ちゃん?」

「幽霊にでも取り憑かれたみたいだったな」

 ウロと孝一が舞台を眺めながら不思議そうに言う。紘也も今のがなんだったのかはわからない。練習の時にあんな台詞はなかったはずだ。

 ――まさか、神霊が降りた?

 馬鹿な、と思う。愛沙には魔力もなければ霊感もない。そういうことは今までだって一度もなかったのだ。

 ――白に染まる、か。

 もし今のが神霊の未来予知だったならば……………………紘也の決意が、さらに揺るぎない物へと変わる。

 紘也は携帯を取り出した。

「ちょっと、親父に電話してくる」


        ∞


 鷺嶋神社の裏手にある丘に彼女は来ていた。

 前は賑やかな祭の景色、後ろは暗く不気味になった夜の天然ビーチが広がっている。本当は彼女もウェルシュたちと祭を回りたかった。あと三分の二くらい人が少なければ今からでも行っている。

「やっほー、お待た」

 軽い口調で彼女――ヴィーヴルに声がかけられた。

「遅いよ、ボス」

 ヴィーヴルは覚悟を決めていた。留守番をしていた秋幡家にかかってきた電話で呼び出された場所がここだ。勝手に暴れて勝手にいなくなった自分を罰するにはもってこい……とは言い難い場所だが、贅沢は言えない。

「さあ、早く私を殺して息子さんにでも会いに行けばいいよ」

 ヴィーヴルの覚悟の決まった、もとい全てを諦めた言葉を聞いて彼女の契約者――秋幡辰久は告げる。


「え? なんで?」


 と。

「は? いや、ボス、私を裁きに来たんじゃないの?」

 予想外の反応にヴィーヴルは慌てて確認を取る。

「うんにゃ、そんなことは全く考えてなかったけど? てかなに? おっさんってミスった部下を冷酷に惨殺するような悪の親玉だと思われてるわけ? 傷つくわー」

 ローブの袖を目にやってわざとらしくシクシクと泣く辰久。さっきまでの覚悟を決めた自分が非常に恥ずかしくなってきたヴィーヴルである。

「じゃあなんでこんなところに呼び出したのさ!?」

「これをお前さんに渡そうと思ってね」

 ぽいっとなにかの箱を投げ渡される。意を決して開けてみると、そこには見たことないほど大粒なダイヤモンドが入っていた。

「ボス……これ……」

「あー、気にしないでいいよ。おっさんの給料がっつり持って行かれたけど、これも大事な契約幻獣のためだし」

「奥さんに悪いから、ボスの愛人になんかならんよ? てか普通に嫌だし」

「って違ぁあああああああああああああああう!?」

 なんかいい歳したおっさんが涙目で叫んでいた。

「それ、目! 目だから!」

「目?」

「ほら、片目なくなったでしょ? 義眼に使えそうな宝石探すの苦労したのよおっさん!」

 首を傾げていたヴィーヴルはそこで得心がいった。確かにこの大粒のダイヤモンドから凄まじい魔力を感じる。本物の〈ヴィーヴルの瞳〉に匹敵、とまではいかなくとも、それに近い力が秘められているのだろう。

「本当はルビーかガーネットがよかったんだけど、それしか見つけられなくて済まんね」

「いや……いいよこれで……全然、いい」

 もう完全に諦めていた。目の前で粉々になったのだから諦めるしかなかった。大好きなゲームで気を紛らせていれば無理やり吹っ切れることもできた。

 なのにここで、本物に限りなく近い義眼。

 嬉しくないわけがない。

 ヴィーヴルは早速、右眼の眼帯を外してダイヤモンドをそこに押しあてる。すると僅かな輝きが発生し、ダイヤモンドはヴィーヴルの手から消え、灰色がかった瞳が右眼に収まっていた。

「赤と灰のオッドアイとは……予想以上にカッコよくなっちゃってまあ」

「見える……ボス、右眼が見えるよ!」

 義眼だが、〈ヴィーヴルの瞳〉はそもそもが取り外し可能な宝石である。それなりの魔力が籠った宝石であれば本物と同じように機能しても不思議はない。

「ありがとう、ボス……一生ついていきます」

 涙が零れる。まだ右目は馴染んでいないせいか、零れたのは左目からだけだった。

「や、だからって愛人になるとか言わんといてね? おっさんが殺される」

「あ、それは絶対に間違ってもありえないから安心しなよ、ボス」

「あれ? なんかちょっとショック?」

 がっくりと項垂れる辰久に、ヴィーヴルはいつもの調子を取り戻してケラケラと笑った。もう一度こんな風に無理せず笑える日が来るとは思っていなかった。

「ねえ、ボスっていつからこっちにいたわけ? 昨日目が覚めた時にはもうこっち来てるって感覚でわかってたけど」

「うん? あー、実は一昨日の夜には蒼谷市に入ってたんだよね。けどまあ、ユニコーンの引き取りとかいろいろと別件があってこっち来るのが遅くなったんよ」

 そのいろいろも全て『黎明の兆』関係であることは間違いないだろう。ここで詳しく話さないならヴィーヴルから訊くことはしない。代わりに別の話を切り出す。

「息子さんには会わなくていいの?」

「いいよ、ここで顔を見れたし。ていうか顔見るためにこの場所選んだわけだし」

「会ってくりゃいいじゃん」

「いやぁ、今おっさんが紘也少年に会ったら」

「会ったら?」

「殴られる」

「あー」

 つい納得してしまった。そりゃもう殴るだろう。もしヴィーヴルが息子なら今ここで全力だった自信がある。

 とその時、辰久のローブの中から携帯の着信音が響いた。

「やだ、紘也少年からだよどうしよーねーどうしよー!?」

「乙女か!?」

 バシンと主の後頭部をしばいてツッコミするヴィーヴルだった。

「もしもし? おっさんだよおっさん」

『親父、ちょっと聞きたいことがあるんだけど』

 ヴィーヴルもちゃっかり聞こえる距離に耳を寄せていたのだが、開幕のボケを見事にスルーするとは流石過ぎると思った。

「なにかね? お父様にできることならなんでも言ってごらん」

『俺が夏休みの間って、どっかで時間取れる?』

「まあ、できないこともない」

 辰久が答えると、電話の向こうで少し迷うような沈黙があり、やがて決意の込められた声が届く。


『近いうち、できれば夏休み中にイギリスそっちに行くから』


 辰久の口元が綻ぶのをヴィーヴルは見た。

 それは安堵に似たなにかで、待ち望んでいたとばかりの嬉しくも優しい微笑みだった。


 秋幡辰久の息子がイギリス――ロンドンに旅立つ。

 たとえ目的は全く違うことだとしても、それは避けられない。避けてはならないし、辰久が避けさせないだろう。

 それは秋幡紘也もわかっている。わかっているから覚悟を決めている。

 母親と再会する、覚悟を――。


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