第21章: 海
バイト中のスタンドにやってきた「先生」へ、レシートの裏に愛の言葉を書いて渡すなるか。仕事終わりを待っていてくれた彼と、その勢いのまま夜の海へとドライブへ繰り出す甘い夜を描く。
「いらっしゃいませ!」
ユニフォームの重みを忘れるくらい軽やかな足取りで、私はその車の窓へと近づいた。引きつる頬を隠そうともせず、照れくさい笑みを張り付けたまま声をかける。
「おっ、なるかのそのツナギ姿、めちゃくちゃ新鮮だな」
「ねえ……かわいい?」
我ながらあざといと思いつつ、思考のブレーキを踏む間もなくその言葉が口からこぼれていた。
「うん、めっちゃ可愛いよ」
予想通りの、でも一瞬で心臓を跳ねさせる直球の返答に、私は思わずその場で両手で顔を覆いたくなるほど思いっきり照れてしまった。
「ハイオク満タンでお願いします!」
「わかった!」
私の足取りはまるで地面から数センチ浮いているみたいに軽快で、普段はめんどくさいだけの給油作業も、今の私にとっては世界で一番楽しい遊園地のアトラクションのようだった。ノズルを差し込み、メーターの数字が上がっていくのを見つめながら、私の頭の中で急に鋭いひらめきが走る。
『あ、そうだ……!! レシートの裏に、なんかメッセージ書いて渡してやろう』
これぞ映画のワンシーンみたいな、ちょっとベタだけど最高にドキドキするイタズラ。機械から吐き出されたばかりの白いレシートを素早くひっくり返し、私はボールペンを走らせた。
――『せんせ、ありがとう! 愛してる』
書き殴った文字が少し恥ずかしかったけれど、私はそれを綺麗に折りたたむ暇もなく、表側の見えない裏面をわざと上に向けて、窓を開けた先生の手にひらりと差し出した。
レシートの裏に殴り書きしたたった数文字の告白を、先生は斜めから差し出されたその小さな紙きれを指先でつまみ上げ、じっと見つめた。それから、誰にも見せたくないような、でも隠しきれない少年みたいな笑みをふっと浮かべる。
「……なるか、バイトって何時に終わるの?」
「えっとね、二十一時に上がって、それから締め作業したら終わりだよ」
「そっか。じゃあ、終わるの待ってるわ」
「えっ……!? ほんとに? 待っててくれるの!?」
心臓の裏側をいきなり引っ掴まれたような衝撃に、私は思わず素っ頓狂な声を上げた。仕事終わりの夜道に、あの人が私のために車を停めて待っていてくれる。そんな不意打ちの特等席を与えられた私は、もう残りの業務なんてどうでもよくなるくらい、天にも昇るようなふわふわとした浮遊感のなかで残り時間を駆け抜けた。
二十一時になり、慌ただしい締め作業をどうにか終わらせた私は、ユニフォームのままでも構わずにスタンドの隣にあるコンビニの駐車場へと小走りで駆け出した。見覚えのある車がアイドリング音を響かせてぽつんと停まっているのを見つけた瞬間、私の足取りはさらに軽くなる。
助手席のドアを開けて飛び乗るやいなや、私は息を弾ませて宣言した。
「せんせ、お待たせ!……ねえ、せんせ、海行こうよ!」
「えっ、今から……!?」
先生は目を丸くして、ハンドルに置いた手をぴたりと止めた。夜の九時を過ぎてから海へ向かうなんて、大人の常識からすれば確かにちょっと頭がおかしい。
「うん! 私、すごくいいところ知ってるんだよね」
それは、将来への焦りで頭がおかしくなりそうなときも、逆に世界がやけに美しく見えて機嫌がいいときも、私がいつも一人で車を走らせて逃げ込んでいた秘密の工業団地から見える海だった。自分の内側のぐちゃぐちゃした感情をすべて飲み込んでくれるその場所を、今日ばかりは、一番知られたくないけれど一番知ってほしいあの人と共有したくてたまらなかった。




