乙女ゲームのモブ令嬢に転生したかもしれないけど、気にしないことにしました。
階段から落ちて頭を打ち、前世の記憶を思い出した。
日本の平凡な女子大生だったわたしは、トラックに轢かれて異世界転生したらしい。
よくあるやつ過ぎる。でもな――
ここが何の世界なのか、わからないんだよな。
乙女ゲームとかだったらどうしよう……と思ったけど、そもそも乙女ゲームをやったことがなかったわたしには、どの世界であれどうしようもないことに気づく。
なので、とりあえず気にしないことにした。
目を覚ましたのは、病院のベッドの上だった。
「お嬢様! 目が覚めたんですか!? よかった!」
涙目で覗き込んでいるのは、赤い髪に茶色い瞳の、かわいいメイドだった。
「……えーっと、マリー? わたしは……」
「学院の階段から落ちて、丸一日、意識を失っていたんです! 本当に、どうなることかと……」
涙を拭うをメイドは、実家からついて来ているマリーだ。……そう、現世の記憶もちゃんとある。
わたしが目覚めたことを知らせれば、すぐにお医者様がやってきた。
白を基調にしているけれど白衣ではなく、縁取りと模様が入ったケープ付きのローブを着ている。この世界の医療者はみな、治癒魔法の使い手だからだ。
目の前に指を二本立てて、何本に見えますか? と聞かれたので、素直に二本と答えれば、うんうんと頷き、額に手をかざす。ぽわんと淡い光が出て、内心、おおっと思う。
見慣れているはずだが、前世の記憶を思い出した今となっては、少しばかり感動してしまう。
「大きな問題はなさそうですね。念のために明日一日は様子を見ますが……」
かなり高い位置から落ちて、頭と背中を打ち付けている。打ち身や外傷は治癒魔法ですでに治っているが、後遺症が出ないか慎重に見極めるらしい。
「今晩、目覚めなければ心配なところでした。無事に目が覚めてよかった」
お医者様が何やら魔導カルテに書き込んでいると、病室に茶色い髪の青年が駆け込んできた。
「ミア! 目が覚めたって!?」
「お兄様!」
「クリス坊ちゃま!」
わたしとメイドのマリーが同時に言い、 医者が注意する。
「病室では静かにね。面会は一時間だけ認めます」
「ありがとうございます!」
兄クリスがわたしと同じ茶色の髪を振って、医者に向かって頭を下げた。
現世のわたしの名は、ミア・ローゼン。伯爵家の娘で十六歳、王立学院の二年生だ。二歳上の兄クリスがいて、婚約者はまだいない。ローゼン伯爵家はまあ普通の、中堅どころの貴族家だ。そしてわたしも平々凡々な伯爵令嬢。
茶色い髪に、緑の瞳。顔はまあ、普通?
いや、前世日本人の目線でいけば、十分かわいいと思うんだけど、この世界では普通の顔だ。
そう、つまり――
ヒロインでも悪役令嬢でもなさそうな、モブ顔っていうのかな。
名前にも思い当たるフシがない。たぶん、断罪されたりはなさそうだなと、少しほっとする。
「本当に驚いたよ。無事に目が覚めてよかった!」
茶色い髪に緑の瞳のお兄様は、誰が見ても血縁者だとわかるくらい、わたしにそっくりだった。そして、白いパイピング付きの紺のブレザーにチェックのズボンの制服姿で、心配そうにわたしを覗き込んだ。
「心配かけてごめんなさい。そんなに長く眠っていたなんて」
わたしが詫びれば、お兄様がホッとしたように微笑んだ。
「階段から落ちて意識がなかったら、そりゃ、心配するよ。……アンジェラ・グリフィス男爵令嬢と接触したって話だけど、何があったの」
「えーと……」
お兄様に問われ、わたしは階段から落ちた状況を思い出そうとする。
学院の中央広場と講堂を繋ぐ大階段を、わたしは午後の授業の教室に向かうために登っていた。美術の授業だったので、両手に画材と、描きかけの絵を抱えていた。
ちょうど上から、アンジェラ・グリフィス男爵令嬢が、誰かと話しながら下りてくるところだった。わたしはぶつからないように横に避けたんだけど、アンジェラ嬢は誰かと揉めているのか、予想したよりも大きく軌道を越えて近づいてきたと思ったら、わたしのすぐそばでバランスを崩し、ぶつかったきた。それでわたしは――
「アンジェラ嬢は大丈夫だったのですか?」
お兄様に尋ねれば、露骨に眉を顰めてみせた。
「それがさ、足首を軽くひねって、あとはお尻を打ったくらいなんだけど、大げさに痛がった挙句、突き落とされた、って騒いでいるんだ」
「えええ?」
わたしが目を瞠った。
「……わたしの方が階段の下にいたわよ? 両手も塞がっていたし、突き落とすのは無理じゃないかしら?」
お兄様も頷く。
「お前は後頭部と背中を打っているんだぞ? そもそも、突き落とす理由があるか?」
わたしは首を傾げた。
アンジェラ嬢は隣のクラスの有名人だから顔は知っているけれど、口をきいたこともない。
「どうして、わたしが突き落としたなんて、ウソを?」
「……おそらく、お前が意識を失って病院に運ばれたからだ。自分のせいじゃないって主張したかったんじゃないか?」
お兄様はそう言うけれど、まったく腑に落ちない。
「目撃者もいたでしょう? あの時、アンジェラ嬢は誰かと話しながら降りてきたもの。その人は何と?」
「……それは、カミーラ・エルドリッジ公爵令嬢だと思うが、何も知らないと言って寮の部屋から出てこない。おかげで、アンジェラの話を鵜呑みにしたラファエル殿下が、傷害事件にすると言って息巻いていて……」
「えええ……」
わたしは思わずお兄様を見た。
お兄様もウンザリした様子で、両てのひらを上に向け、肩をすくめて見せる。
「でも、被害者のはずのアンジェラはかすり傷で、加害者のミアが意識不明の重症なんて、おかしいだろう? ミカエル殿下がラファエル殿下を諫め、先生がたも学院も、ひとまずミアの回復を待ってからってことになった」
わたしが眠っている間、なんだか厄介なことになっていたらしい。
二学年上のお兄様は第一王子のミカエル殿下とは同級生で、わたしが階段から落ちたという報せを受けた時は、同じ授業に出ていた。
救護隊とともに駆け付けると、ラファエル殿下は意識のないわたしには目もくれず、足を挫いたと騒ぐアンジェラ嬢の手当てを先にしろと言い出して、常識人のミカエル殿下が怒鳴りつけたんだとか。
というかちょっと待って。
階段落ちと言えば、乙女ゲームの定番イベントじゃない?
え? わたし、それに巻き込まれている?
わたしは慌てて頭の中で状況を整理する。
アンジェラ・グリフィス男爵令嬢。隣のクラスの人で、第二王子ラファエル殿下のお気に入りの女生徒だ。
たしか、元は男爵の庶子なんだけど、魔力が強いので本邸に引き取られたと噂の……
わたしは階段を降りてくるアンジェラ嬢の姿を想い出してみる。
ふわふわの、肩につくくらいのピンクブロンドの髪に、青い瞳。小動物系の庇護欲をそそるタイプで、ラファエル王子以下、学院の男子生徒のアイドルだ。
そして彼女の後ろにいたのは、銀色の髪に赤い瞳の、ややきつい顔立ちの女子生徒。よく見えなかったけど、たぶんカミーラ・エルドリッジ公爵令嬢だ。
彼女はミカエル王子の婚約者のはずだけど、最近、アンジェラ嬢と虐めているという不穏な噂を聞いたことが――
男爵令嬢のアンジェラと、第一王子ミカエル殿下、第二王子ラファエル王子、公爵令嬢のカミーラ……
そこまで考えて、わたしは思い出した。
これ、前世で死ぬ前に妹が言っていた乙女ゲームだ!
何で覚えているかって言えば、しつこく勧誘されたからだ!
でも、前世のわたしは飽きっぽい性格で、ちまちま攻略するゲームなんて面倒くさそうで、話半分に聞いていた。
ただアンジェラとかミカエルとかラファエルとか、やたら天使の名前が出てくるなとは思っていた。
えーっとたしか……タイトルにも天使がついてたような気がする……
わたしは前世の妹がやたら勧めてきたスマホのアプリゲームのことを必死に思い出そうとするが、本当に興味がなかったので、まったくと言っていいほど思い出せなかった。
前世のわたし、無課金のパズルゲームしかしなかったんだよな……
思い出せないものはしゃーなしである。妹の話にミア・ローゼンなんて名前、出てこなかったと思うから、やっぱり間違いなくモブなんだろう。
だったら、気にしなくてもいいよね?
「ミア? どうした? 大丈夫か?」
考え込んでしまったわたしの様子を見て、お兄様が問いかける。
「あ、えっと……その、ラファエル殿下は、わたしが彼女を突き落としたと信じていらっしゃるんですか?」
「あの人はほら……アンジェラ嬢が絡むとまともな判断ができなくなるからさ。ミカエル殿下も呆れていらっしゃるよ」
わたしは昨日のことを思い返しながら言った。
「アンジェラ嬢の後ろにいたのは、たぶんカミーラ様です。わたしは下から両手に画材を抱えていたし、よく見てなかったから……でもアンジェラ嬢にぶつかられてそこで……」
「うん……ミカエル殿下がカミーラ嬢に確認するっておっしゃってたし、たぶん、他にも目撃者がいると思う。ミアが突き飛ばす理由はないし、どのみち、アンジェラ嬢はかすり傷だから……」
お兄様はそう言うと、もう一度、わたしが無事に目を覚ましてよかった、と繰り返して病室を辞去した。
わたしは翌日に退院し、学院の寮に戻った。外傷は治療魔法ですでに完治しているので、頭を打った影響がでなければ、普通に生活していいと言われて、翌日から授業にも復帰した。
教室に入ると、クラスメートが一斉にわたしを見た。教室に沈黙が下り、なんとも微妙な空気になる。
「ミア! 大丈夫なの」
友人のリリアが駆け寄ってくるので、わたしは微笑んだ。
「うん、心配ありがとう」
そして小声で尋ねる。
「なんか、あったの?」
「それが……」
リリアが声を潜めて何か言おうとした、その時。
「ミア・ローゼン! 貴様、よくもヌケヌケと顔を出せたものだな!」
教室の外から呼びかけられ、わたしが声のする方を見れば、金髪碧眼のやけにキラキラした男が教室の戸口に立っていた。紺色の制服のブレザーの腕に、ピンクブロンドの小柄な少女がぶら下がるように縋りついている。
第二王子ラファエル殿下と、そのお気に入りのアンジェラ・グリフィス男爵令嬢だった。わたしとは段違いの美麗なビジュアルといい、間違いなく主要キャラだとわかる。
で、そのやんごとなき美少年王子が、なぜかわたしを指差して糾弾しているのだが――
おそらく、わたしに突き落とされた、というアンジェラ嬢の主張を鵜呑みにしているのだろうが、状況的にあり得ないただの濡れ衣だ。
前世を思い出す前のわたしなら、王子殿下に詰め寄られて、恐れ多くて畏まって怯えてしまったかもしれない。この世界の生粋のモブ令嬢らしく、主要キャラには盾突かず、ひっそりと生きていたから。
でも、変に前世を思い出しちゃったもんだから、しみついた現代日本の平等主義のせいで、身分を笠に着ての王子の行動に、ムクムクと反抗心が湧き起こる。
――はぁ? 何言ってんの、この人。
わたしは胡乱な目でラファエル殿下を見た。
「……えーっと? 二日入院して、お医者様の許可を得て登校しましたが、それが何か?」
あんたが庇っているぶりっ子ちゃんよりも、わたしの方が重症でしたが?
という顔で問いかければ、反論されると思っていなかったのか、露骨にあたふたしてくる。
「な……! 入院なんて、大げさに言っているだけだろう! アンジェラを突き飛ばしておきながら!」
「丸一日意識不明だったのですもの。後遺症の有無を含めて、慎重に判断するのは当然だと思いますわ」
わたしは、王子の背中に隠れるようにしたアンジェラ嬢をことさらに覗き込むようにして、尋ねた。
「階段の上から降りてこられたアンジェラ嬢とぶつかって、わたしは転がり落ちたんですけど、アンジェラ嬢は特にお怪我もなさそうですね!」
真っ赤になって俯いてしまったアンジェラ嬢に変わり、王子殿下が吠える。
「貴様、アンジェラのせいにするのか!」
わたしは首を傾げた。
「わたしは両手に荷物を抱えた状態で、下から階段を登っていました。わたしが転落したのは、アンジェラ嬢とぶつかったせいです」
アンジェラ嬢が真っ青な顔をしてぎゅっと、殿下の腕にしがみつくと、甘ったるく語尾を伸ばすような喋り方でもごもごと言った。
「あたしはぁ……えーっとぉ?」
「わたしは荷物を抱えて、両手が塞がっていました。突き飛ばすなんて、無理です。たまたまぶつかってしまったせいだと認識していました。殿下に、わたしが突き落とした、と仰ったのですか?」
「そのぉ、突き落とされたかもぉ? って言っただけでぇ」
もごもごと口ごもるアンジェラ嬢に、殿下が苛立ったように尋ねる。
「あの場にいたのはアンジェラと、貴様だけだろう? 貴様じゃなければ誰だと言ううんだ!」
「あの時、どなたかとお話なさっていましたよね?」
「えーっとぉ、それはぁ……」
ラファエル殿下は、初めて気づいたようにまじまじとアンジェラ嬢を見る。
「なんだと、この女以外にも人がいたと言うのか!? そいつに突き落とされたのか? いったい誰なんだ!」
今度はアンジェラ嬢に対して詰め寄りだした殿下を見て、内心呆れてしまう。
人を糾弾する前に、ちゃんと事情を聴きなさいよ。この無能が。
わたしは殿下を無視して、アンジェラ嬢に向き直る。
「階段を降る途中でバランスを崩されたのですよね? それで、わたしにぶつかった。そうですよね?」
改めて念を押せば、アンジェラ嬢はおずおずと頷く。
なぜ、わたしに突き落とされた、なんて言ったのかは、今は聞かないことにする。
そして殿下に向かい、言った。
「わたしがアンジェラ嬢を突き落としたというのは、間違いです」
殿下は顔を真っ赤にしてなおも言う。
「じゃ、じゃあ、誰がアンジェラを……」
わたしはちらりとアンジェラ嬢を見た。気まずそうに視線を彷徨わせている。
彼女が勝手に落ちたのではなく、突き飛ばされたと言うなら、彼女のより上にいたカミーラ嬢しかいない。でも、その事実を殿下には言わず、わたしのせいにした。
――意識不明になっていたから死んだと思ったのかもしれない。それで咄嗟にわたしが突き落としたことにした。殺人犯にされないように。
アンジェラ嬢もカミーラ嬢も、あの場にいたことを知られたくないのだ。
わたしは思いついて殿下に言った。
「わたしも、自分が転落した時の状況が知りたいので、目撃者を探してみます」
アンジェラ嬢の顔色がひどく悪くなっているけど、気にしないことにした。
第二王子ラファエル殿下を撃退し、わたしは昼食を済ませると昼休みに学院の庭園に向かう。中央庭園の大階段こそ、わたしが転落した事故現場だ。
この世界が乙女ゲームの世界だろうがなかろうが、もうどうでもいいし、気にしないことにした。
妹が勧めてくれたゲームだとしても、憶えてないし、よく知らないから。
乙女ゲームなんてしなかったもんな。
やってたのは無料でできるパズルゲームだけ。主義として断固無課金を貫いた。
上から落ちてくるブロックを嵌めるやつと、トランプのゲームはよくやった。
バーベキューの串を三つ仕分けするやつとか、棚の物品を揃えるやつも好きだった。
あとはヒツジを小屋に帰すやつ。牧羊犬だと思ってたらオオカミで、ぶつかったら食われてゲームオーバーになるんだよな。
……懐かしいなぁ。
この世界にはあんなゲームないし。
うざかった広告すら、今は愛おしい。
そんなことを考えながら、わたしは学院の広い庭を見回す。
さすが王族も通う貴族学院。
手入れの行き届いた花壇には花が咲き乱れ、噴水は涼し気な音を立てて水飛沫をあげ、それが陽光を弾いてキラキラと輝いている。
緑の生垣に、薔薇のアーチ。あちこちには大理石の石像も配置され、優雅な雰囲気を盛り上げている。
砂っぽいグランドで野球部とサッカー部が覇権を競っていた、前世で通った公立高校とは大違いだ。
わたしは宮殿の庭かと見まごうような庭園を横切り、ようやく中央庭園前の大階段にたどり着く。中央に時計塔があり、その下が講堂になっている。二階のバルコニーにつながるように、左右に大きな階段がある。わたしはなんとなく、正面から時計塔を見上げた。
……あれ?
なんかこの風景、見たことある。
わたしは改めて周囲を見回した。
宮殿のような広い庭。時計塔があって、噴水があって……アールの美しい、白亜の大階段。
これ……前世でやってた、パズルゲームの庭じゃない?
わたしにしては珍しく長くやっていた、営繕委員となって用務員さんと学校を修繕するゲーム。名前はなんだっけな。
そうだ、リペア・ジ・アカデミア。
ボロボロの学院を修繕する。庭とか花壇、プール掃除――
と、その時、ちょうど熊手を担いでバケツを手にした用務員さんがこちらに歩いてくる。青いつなぎの作業着に麦わら帽子をかぶり、白いタオルを首にかけている。足元はゴム長。背が高く、がっちりした体つきは、用務員というよりは騎士か何かと言われても不思議はない。
麦わら帽の大きなつばの陰になった顔は、肩につくほどのうねる黒髪が取り巻いて半ば隠されている。露わになった方の目がギロリとわたしを見た。
――用務員さん!? いかにも怪しすぎるんですけど!!
わたしがゴクリと唾を飲み込むと、正面から来た彼は帽子の唾を少し上げ、わたしを見た。
「あんた、あそこの大階段から落ちた学生さんだな?」
「え、そうです!!」
わたしが勢い込んで頷けば、用務員さんが言った。
「あの時のあんたの荷物、俺が預かってる。画材とか、絵とか」
「あ! あれ、どうなったのかと思っていたんです!」
身一つで病院に担ぎ込まれてしまい、荷物はどうなったのか、聞くに聞けなかったのだ。
「用務員室まで取りに来られるか?」
「はい! 取りに行きます!」
用務員さんは時計塔を振り返って時刻を確認する。
「今でも?」
「はい! 差し支えなければ!」
学院は昼休みが長くとられているので、今なら時間がある。
「じゃあ、付いて来てくれ」
そう言うと、用務員さんはくるりと踵を返し、長い脚で歩き始めたので、わたしは慌ててその後を追いかけた。
「あの――」
スタスタ歩いていく用務員さんについていくのに、わたしはどうしても小走りになる。
「用務員さん、わたしが落ちるの見てました?」
「……ああ。両手に荷物を抱えて階段を登っていて、危なっかしいなと思っていた」
低くて艶のある声、用務員にあるまじきイケボなんだけど。
「じゃあ、その時、あの場にいたご令嬢はどうなったか見てました?」
用務員さんが不審そうな目でわたしを見た。
「あの場には三人いた。上から二人。ピンク髪のやかましい女と、銀髪の気の強そうな女。それと、下から登っていたあんた。ピンク髪がふらついてあんたにぶつかり、あんたが転落した。ピンク髪がなにか言って、銀髪はその場から逃げた」
「それ、証言お願いできますか?」
「証言?」
わたしが必死に速足で歩きながら言う。
「第二王子殿下が、わたしが突き飛ばしたって疑っているんです」
「……落ちたあんたが? 第二王子は阿呆か?」
用務員さん、超不敬です!
「あのピンクの子は、第二王子殿下のお気に入りなんですよ!」
「なるほど?」
用務員さんは少し考えてから、頷いた。
「必要があれば証言しよう」
用務員室は校舎の隅っこにあった。
意外と広い部屋で、入ってすぐに掃除道具入れがあり、脇の棚には大工道具と庭仕事の道具入れが並ぶ。
室内は明るく、大きな窓があって温室のようになっていた。たくさんの植物の鉢が並び、苗を育てているのかもしれない。
大きな木のテーブルとベンチが一つ、そして丸いスツールがいくつか。
用務員さんは、庭仕事の道具入れに熊手を突っ込むと、バケツを置いて部屋の奥に歩み入る。そして、棚にまとめてあった木箱をテーブルの上に置いた。
中身はわたしの画材と、描きかけの絵だった。
「陶器のパレットは割れてしまっていた」
用務員さんが言う。
「仕方ありません。破片でケガをしなくてよかった!」
「……落ちた傷は大丈夫なのか?」
「打ち身は病院で治療してもらいました。頭を打っていたので、念のため入院して昨日、退院しました」
わたしは荷物を受け取って、お礼を言って用務員室を後にしようとして、ふと思いついて尋ねた。
「あの――用務員さんのお仕事って、手伝ったりとかって、できます?」
用務員さんが帽子を脱いで、不思議そうにわたしを見た。
黒い髪を片手でかき上げると、用務員にあるまじき整った顔が現れる。
ブルーグレーの瞳がいぶかし気に眇められ、凛々しい眉が顰められた。
やや面長で彫が深く、頬が少しこけている。顎にはちょぼちょぼと無精ひげがあって、ワイルドな印象だ。
「――俺の仕事を手伝うって? 本気か?」
「あ、いえ、無理ならいいんです。……なんか面白そうだったから……」
庭園の様子がそっくりだからって、前世のゲームみたいにはいかないか……とわたしが思ったが、用務員さんが言った。
「草抜きくらいなら手伝ってくれてもいいが、貴族の令嬢なんだろう?」
「ガーデニングとか、好きなんです。あと、あまり大っぴらには言えないけど、大工仕事も」
わたしの返答に、用務員さんの唇が微かに綻んだ。
「変なご令嬢だな。……勝手に手伝う分には、追い払ったりはしないが」
「え! いいんですか!? じゃあ、明日から放課後、よろしくお願いします!」
「汚れてもいい服で来いよ!」
「はーい!!」
そうしてわたしは翌日から、放課後は体育のジャージを着こんで用務員さんの手伝いをすることにした。
妹がやってた乙女ゲーム世界かと思ったら、前世にやり込んだパズルゲームだったなんて!
そう思うとちょっとわくわくする。
「じゃあ、まず雑草を抜くぞ」
用務員さんの指示で、花壇の雑草抜きから始める。前世でもよく見たザ・雑草。これこれ、これだよ~なんて思いながら、軍手をはめてどんどん抜いて積み上げていく。すると、用務員さんが言った。
「融合の魔法を使うんだ。同じ雑草を二つ抜いたらこうして融合して――」
用務員さんが抜いた雑草を二つを合わせ、何かを念じる。
するとぱあっと一瞬光って、なんと別の、雑草じゃない小さな苗に!
なに、このご都合主義!
まさか前世のマージゲームと同じとは!
わたしが目を瞬いていると、用務員さんが言った。
「まあ、ご令嬢が使う魔法じゃないから、驚くかもしれないけど」
「こ、これは普通にどこの雑草でもいけるんですか?」
この世界はどうなっているんだ、と思わず見上げれば、用務員さんが麦わら帽子の陰で笑った。
「学院の庭には魔素が仕組まれている。ここと、王宮の苗限定だな」
「そ、そうなんですね!」
なんかホッとしつつも、わたしも雑草と雑草を合わせて融合してみる。
「ええっと……」
「魔法の授業で習っただろう? 魔法はイメージだ。体内の魔力の流れを意識して、そして融合をさせるように……」
言われた通り、二つが苗になるのをイメージすると……
「できました! 苗になった!」
「そう、でもこの苗は春に植えるネモフィラで、今植えるには適さない。だから……」
そう言うと、用務員さんはネモフィラの苗を二つ合わせて、パンジーの苗を作りだした。
「すごーい!」
わたしが感動していると、用務員さんが言った。
「というわけで、雑草を抜いて、パンジーの苗を作ってくれ」
「わかりました!!」
なんで雑草がネモフィラになってパンジーになるのか、ぜんっぜんわかんないけど!
わたしはもくもくと雑草を抜いていき、パンジーの苗を作っていく。
「これ、パンジーとパンジーを合わせると、また別の苗になるんですか?」
「パンジーとパンジーを合わせるとチューリップになる。でもこの花壇はパンジーを植える予定だから……」
「なるほどー」
全然、わかりません。
でも! こういう世界なんだし! 気にしないことにした!
わたしが用務員さんを手伝うようになって二週間ほど過ぎた。
花壇の植え替えも終わり、その日は古い倉庫の片づけだった。
「もうすぐ学園祭の準備が始まる。その前に、この倉庫を整理してガラクタを捨て、使えるものをより分ける」
大階段の地下にある講堂の倉庫で、演劇に使うものや学園祭に使う屋台、万国旗などが雑多に押し込んであるそうだ。
用務員さんはすでに不用品を入れるゴミ袋を大量に用意していた。
薄暗い倉庫には魔導ランプを持ち込み、明るさを足す。
天井近くまで積み上がった木箱を見て、わたしが溜息をつく。
「これは……大変そう」
「下がっていろ」
用務員さんは上の方に積まれた木箱に向けて両手をかざす。
ポワン……と光が広がり、箱がゆっくりと浮き上がり、ふわふわと動いて石造りの床にドーンと降りてきた。
用務員さん、前から思っているけど、魔法すごくない? なんで用務員なんてしてるの?
不思議には思うが、気にしないことにする。
わたしは大工道具のくぎ抜きを手に近づき、木箱を封じている釘を抜き、開いた。
「……これは――」
昔風のドレスや貴族の服だった。
「演劇の衣装だな。三年生は劇をやるクラスが多いから」
「なるほどー」
「それは生徒会に預けて貸し出しする」
こんな感じでいくつか木箱を開いていく。金魚すくい用の水槽や未使用の風船釣りの風船、射的の的や銃なども出てきた。
すごい日本的だな。日本製のゲームだったのか!
もちろん使えないものもあって、風船釣りの風船はゴムが劣化していたので残念ながら廃棄となる。
その他、去年の学祭のパンフレットや、くじ引きのくじ。紙ごみは再利用できないので、ゴミ袋に入れて、焼却炉に持っていこうとしたところで、生徒会の面々が倉庫までやってきた。
「君は――」
生徒会長は第一王子のミカエル殿下、副会長はその婚約者のカミーラ嬢だ。
体育ジャージでゴミ袋を抱えたわたしを見て、カミーラ嬢がぎょっとした表情になる。
「あ、わたし、趣味で用務員さんの手伝いをしているので! お気になさらず!」
「お気になさらずって……」
カミーラ嬢は露骨に狼狽してオタオタし始める。
「ローゼン伯爵令嬢だね、クリスの妹の」
「はい、そうです!」
「あの後、後遺症などは……」
「おかげ様で、大丈夫みたいです!」
わたしは快活に応えると、ごみ袋を両手に抱えて倉庫を出て、生徒会の人々に場所を譲る。
「まだ、木箱の開封は終わってないんです。演劇の衣装と金魚すくいのセットはでてきたんですが――」
「うちのクラスぅ、射的するんですけどぉ、道具とかってぇ、ありますぅ~?」
語尾を長く伸ばす独特の喋り方で、アンジェラ嬢だとすぐにわかった。
振り返れば、やはり今日も第二王子ラファエル殿下の腕にぶら下がっている。
「射的のセットはさっき出てきました。奥の用務員さんに聞いてください」
それだけ言って、わたしはゴミ袋を抱えて倉庫を出た。
「貴様、なんでそんな仕事を……」
ラファエル殿下が言うのにも、「趣味です!」と軽く返して、わたしは彼らを振りきるように焼却場へと急いだ。
乙女ゲームっぽい人々とは関わらず、パズルゲームの世界で用務員さんと楽しく生きるのだ!
******
射的のセットをピンク髪の女とラファエル王子に渡してやると、女がわざとらしくしなを作って礼を言い、ラファエルと二人で受け取ると教室に戻っていく。
「用務員さん、ありがとうございますぅ~」
その妙に語尾を伸ばす喋り方、気持ち悪いからやめろ。
そう思ったが、言葉は飲み込んだ。
「叔父上? ここで何をしているんですか? そんな格好で!」
「ん? 用務員だが」
二人を見送っていると、第一王子のミカエルが私の姿をいぶかし気に上から下まで見る。ラファエルは阿呆だから私に気づかなかったが、さすがにミカエルには正体を見抜かれてしまった。
「なぜ、用務員を……叔父上はこの学院の理事長ですよね?」
「趣味だ」
「趣味!?」
ミカエルの隣に困惑げに立つ銀髪の令嬢に、私は尋ねた。
「……あの日、私は見ていたぞ。君が、あのピンク髪と言い争うところを」
「それは……ッ」
銀髪の令嬢カミーラは、真っ青な顔で震え始める。
ミカエルが彼女を庇うように前に出た。
「叔父上、カミーラは妙なことに巻き込まれているのです! あの女が、カミーラの悪評を……」
「ラファエルを篭絡するだけでなく、お前にも秋波を送っているのは知っている。カミーラ嬢は、それに苦言を呈そうとして話しかけた」
私が念を押せば、カミーラは頷いた。
「はい。セラフィム王弟殿下。ですが、突き飛ばしてはいません。彼女が勝手にバランスを崩して……」
「……たぶん、君に突き飛ばされたと言うつもりだったんだろう。だが、下から階段を登ってきた別の女生徒にぶつかり、彼女が転落した」
「はい……」
カミーラが俯く。
「突き飛ばされたと騒ぎだしたアンジェラ嬢が怖くて、逃げ帰ってしまいました……申し訳ありません……」
私は何も言わず、じっと彼女を見た。
「私がすぐに通信魔法でミカエルを呼んだから、転落したミア・ローゼンをすぐに病院に運ぶことができた。だが、君が証言を拒んだせいで、ラファエルが彼女を告発するところだったんだぞ。ラファエルも愚かだが、君の振舞いも未来の王太子妃としては責任感に欠ける」
「本当に、申し開きのしようもございません」
「叔父上、カミーラは怯えていたのです。私もよくなかった。カミーラを不安にさせてしまったのですから」
恐縮して詫びる二人を見て、私は溜息をつく。
「まあいい。……だがあの一件のおかげでサンプルが取れた」
「やはり彼女は……」
「間違いなく、魅了魔法を使っている。お前がぐらつきかけたのも、そのせいだ」
私が首に巻いたタオルに隠した魔道具を取り出して見せると、二人が顔を見合わせた。
「ラファエルはもう……」
「あれは完全に取り込まれてしまっているな。その上で、ミカエルにも手を出そうとした。だが、証拠は揃ったのでそろそろ断罪できるだろう」
私の言葉に、ミカエルがホッといたように頷く。
「もしや、叔父上はあの女の魅了を暴くために用務員に身をやつして……」
「ん? 違うぞ。これは本当にただの趣味だから、気にしなくていい」
ミカエルとカミーラは倉庫にある物品のリストを受け取ると、ミカエルが不思議そうに言った。
「彼女……ミア嬢がお気に召したのですか? 女嫌いの叔父上が?」
「ん? ああ、よくわからんが、庭仕事と大工仕事が好きだと言うからな」
私が首を傾げると、ミカエルとカミーラが顔を見合わせる。
「ローゼン伯爵令嬢の父親はお城の文官で、次期宰相候補でもあります。少し年は離れていますが、王弟妃として相応しい身分かと……」
ミカエルの言葉に、私はぎょっとした。
「王弟妃って、まだ子供じゃないか! 私はもう二十六だぞ!」
「私とカミーラは十歳で婚約が決まりました。婚約者すらいない叔父上が異常なんです。二十歳すぎて婚約も決まっていないご令嬢なんていません。どうしたって十歳くらいの年の差になりますよ」
「そんなつもりはないんだが……」
私にも婚約者はいたが、どういうわけか三連続で浮気されて婚約破棄になってしまい、現在、婚約者はいない。それで、すっかり女に嫌気がさして、庭仕事と大工仕事に没頭するようになってしまった。
「ミア様も趣味だとおっしゃっていたわ。趣味が合うのはよろしいのではないでしょうか?」
カミーラ嬢にも言われて、私はちょっと考え込んでしまう。
そういう対象としては意識したことがなかった。なにしろ、ミア・ローゼンは、私をただの用務員だと思っているからな。
生徒会室に戻っていく二人を入れ違いに、焼却場にゴミを捨てに行ったミア・ローゼンが戻ってきた。
「用務員さーん、行ってきましたよ~」
「ああ、ご苦労さん」
体育ジャージ姿で、後頭部の高い位置で一つ結びにした茶色い髪が馬のしっぽのように揺れている。
「まだゴミ袋あるなら持っていきますよ~」
「いや、もういい。それより新しい木箱を開けるぞ」
「アイアイサー!」
なぜか用務員の仕事を手伝いたがる不思議な令嬢だ。
最初は、王の年の離れた弟で、独身の私を狙っているのかと思ったが、私の素性に本気で気づいておらず、単純に庭仕事や大工仕事が好きなだけのようで、警戒を解いた。
文句も言わずに作業に没頭する姿は意外と愛らしいが……
私の正体を知ったらきっとびっくりしてしまうだろう。
変に意識すると、きっと今までのような気安い態度が取れない。
だから、気にしないことにした。




