1/13
プロローグ 聞こえるはずのない音
深夜に「誰かが歩く音」を聞く
最初に“音”を聞いたのは、深夜二時を少し過ぎた頃だった。
天井の向こうで、誰かが歩くような気配がした。
コツ、コツ、と一定のリズムで。
古いアパートだから、上の住人の足音だろう――そう思おうとした。
でも、この部屋の上には、誰も住んでいない。
「ねえ、さくら。今、音しなかった?」
隣で眠っていたさくらが、ゆっくりと目を開けた。
薄暗い部屋の中で、彼女はしばらく天井を見つめ、それから小さく首を振った。
「……何も聞こえないよ」
その声が、妙に遠く感じた。
再び、コツ、と音がした。
今度は、部屋の中から聞こえたような気がした。
さくらは、まるで聞こえないふりをするように、僕の手を握った。
その指先が、かすかに震えていた。




