春の廟所
春の本音はいつも2つある。だから、春の言う事を、全部信じてはいけない。
春が口を開いて出てくる言葉はいつも、半分は本当だが、もう半分は嘘だ。
春は優しいが残酷で、一途だが移り気で、何もかも愛おしみながら弄び、生の喜びも死の冷たさも同じくらい好む。
「こんにちは、はじめまして」
「こんにちは。どうぞごゆっくり……あれっ」
春の廟所は観光地でもあるので、お客様も多い。
だから一瞬、気がつくのが遅れた。目の前の彼……彼でいいのかな、男性なのか女性なのか、春の性別はとても曖昧だ。長い栗色の髪を垂らしているが、どことなく目や口元、声は男性のような、そんな気がする。
「ふふふ。びっくりしたでしょ、ぼくの入るお墓、見に来たんだ」
「……ええ。びっくりしました。まさか春のかたが、あらかじめここに来られるとは思わなかったもので」
「綺麗なところ。ここが廟所なら、ぼく、最後までうんと頑張れそう」
ころころと笑う春。僕も笑顔を返すけれど、春の目をまっすぐ見返さないようにだけ気をつける。
春の言葉には嘘がある。全てではなくて、半分。それが厄介だ。春の墓守は夏の墓守と同じくらい人気で、けれど、夏の墓守よりもずっとずっと心を壊しやすい仕事だ。だから、不思議なことだけれど、春が心の底から大好きな人は、春の墓守に就いてはいけない。僕が春の墓守になってから、その意味が実によく分かった。
「きょうは、これから桜の開花準備ですか?」
「ううん、きょうはね、キミと話しに来たの」
春の笑顔は相変わらずキラキラしていて、廟所に来たお客様もときおり見惚れている。美しい。そうだ。春はとても美しい。だから注意しなければならない。
「僕と話に?ですか?」
「うん。キミに聞きたいことがあってね」
ころころと笑いながら、春は言う。
「キミは美しいものは好き?」
……あぁ、おいでなすった。春の墓守として働くときに気をつけないといけないこと。春は人間が好きだ。その喜びも好きだし、傷つけることも好きだし、人間が嘆き悲しんだり怨嗟をぶち撒けたりすることも大好きで、その善悪の区別がつかない。
「はい。美しいものも好きですよ」
「じゃあ醜いものは嫌いだよね?」
「嫌いなものもあるかもしれません」
「でもさ、この世界って、きれいなものばっかりでは出来てないんだよね」
眉を寄せて悲しげな顔をする春。確かに本音だ。その半分は。そうしてもう半分は嘘だ。春は醜いものも好きだ。春が後ろ手に何かを隠しているのを、その時僕は気がついた。
「ほら、ね。春ってこういうものもあるの」
差し出した手に目を落として。僕は、息を飲んだ。
ヤマネだ。深い森に暮らすげっ歯類で、冬の間は冬眠する生き物の中でもきわめて深い眠りに入る。
そうして、春の手のひらの上のそれは、もう、命を失っている。春の見るからに美しい白い手の上に、ポロポロとヤマネの屍から太った蛆がこぼれ落ちる。
「ああ……そうか、悲しい……ですね」
春はこういうことをする。美しい季節だが、ヒトの心を壊すこともまた好む。
木の芽時、あるいは芽吹き時。ヒトが狂気に陥りやすくなるのは、偶然ではない。春という季節の、それが趣味だからだ。
だから春が大好きな人はここの墓守をしてはいけない。大好きな春から、無邪気に渾身の嫌がらせを食らって、決して癒えない心の傷を負う羽目になる。
「……ほんとに、ね。悲しいことも、たくさんあるんだ。それでも、この世界が好き?」
複雑な顔をしてみせる春。半分は仕掛けたいたずらの思ったより効かなかったことの残念さだろうし、もう半分は偽りなく、世界を愛してくれる人間を求める表情だ。どちらも本音で、だから言葉は半分嘘になる。
「……僕は愛しますよ。この世界を。悲しいことで泣くし、困って立ちすくむことも、怒り狂うこともありますし、誰かと嫌い合うこともあるかも知れません。それでも、この世界を愛してます」
春との危険な問答を乗り切る最も基本的な方法は、こちらも半分ずつの本当と嘘を混ぜて話すことだ。
春の複雑さとはヒトの心の複雑さ。世の中の割り切れない複雑さを嫌って現実から目を背けたり、理想を追うことに夢中になって我を忘れたり、心の中の偽りの自己を愛したりするとき、春の問いかけは容赦なく心を突き刺し、砕きに来る。春の墓守に必要なのは、自分のものも他人のものも、矛盾と欠点を許す寛容さ、そして、他者への信頼と不信のバランスだ。春の良いところを祝い、良くないところに引きずられないこと。僕は、今なら自信がある。それをできると。春は再び、心からうれしそうに笑った。
「あはは。教科書みたいな答えを言うんだね、キミは。でも、きっと、キミみたいな人こそ、ちゃんとした世の中を支えてくれるのかも」
「……僕はここの墓守です。それ以上のことはなにも」
そう、僕はここの墓守だから。世の中を支えているわけではない。ただ、春に心を壊されるような人を見殺しにして、醜いものは目の届かないところに追いやって。たくさんの人たちが同じことをして、それが「正常」だから。世の中は明日もそういうふうに続く。
「キミにあえて楽しかったよ。そうだ。ねえ、今年の桜はきっと綺麗だよ。冬が寒かったでしょう。だから、素晴らしい花が咲くよ」
「本当ですか。楽しみです、ここからが頑張りどころですね」
「そうだね。みんなのためにも頑張らなくちゃ。じゃあ、死ぬときはお世話になるね」
春と挨拶を交わし、別れる。春は言った通り花を咲かせるために力を振るい、ついでにたくさんの人の心を病ませ、そのすべてを愛おしんで過ぎていくだろう。僕は、春がもたらすものどちらも拒否しない。もちろん拒否なんてできるわけがない。ただ、不都合なものを、認識しながらも目をそらして、そして最期を迎えここに来た春を、5月の太陽のもと葬るだろう。見送る僕を振り返って、春は朗らかに手を振った。
「冬の廟所」を書いた後に、春にまつわる夢を見た。その夢で見た春はこのお話の通り、無邪気で残酷で、悲劇に心を痛めるくせに悲劇が大好きな、一筋縄では行かない存在だった。あの感覚をなるべくそのまま、文章に落とし込めるかどうか挑戦してみた。自分でも珍しく良くできたのかそうでないのか分からない不思議な作品になった。




