第25話 抱き枕の朝は甘くて危険な香り
ん……。
なんだろう、この感じ。
すごく、よく眠れた気がする。
体が、温かい何かにすっぽりと包まれていて、信じられないくらい安心する。
いつも使っている抱き枕よりも、もっと大きくて、がっしりしていて、それに……すごく良い匂いがする。
太陽の匂いと、それから、いつも私の隣にいてくれる、大好きな人の匂い。
……守くんの、匂い。
ゆっくりと、重たい瞼を押し上げる。
ぼんやりとした視界に最初に映ったのは、見慣れた自分の部屋の天井……ではなかった。
よく見知った男の子の、頭頂部だ。
え……?
状況を理解しようと、視線をゆっくりと動かす。
私の腕は、目の前の温かい「何か」に、ぎゅっと力強く抱きついていた。
足も、しっかりと絡みついている。
まるで、大きな蛇が獲物に巻き付くみたいに。
そして、その「何か」の正体に思い至った瞬間、私の思考は完全に停止した。
――守くんだ。
私が抱き枕にしているのは、守くんだ。
一晩中、ずっと……?
昨日の夜、眠気に負けて、守くんにベッドまで運んでもらった記憶が、断片的に蘇る。
そして、彼が帰ろうとしたのを、私が引き止めたことも。
そこからの記憶はない。
でも、今のこの状況が、何よりも雄弁にその後の出来事を物語っていた。
「~~~~~~~~~~~~~~っ!?」
声にならない悲鳴が、喉の奥で爆発する。
全身の血が、一瞬で沸騰し、顔に集まっていくのが分かった。
ど、ど、ど、どうしよう!?
私、一晩中、守くんに抱きついて寝てたってこと!?
しかも、私のおっぱいに、顔、埋めてるし! 胸に! 守くんの頭が私の胸に!?
パニックになった頭で、そっと体を離すと、すぐそこに守くんの顔があった。
その目には、見たこともないほど深くて濃い隈がくっきりと刻まれている。
完全に、寝不足の顔だ。
そして、その目は、ぱっちりと開いていた。
じっと、虚ろな目で私を見ている。
「……おはよ、透花」
掠れた、力のない声。
その声で、私は完全に我に返った。
「よく眠ってたみたいで、ちょっと羨ましいよ」
「ひゃ、ひゃいっ! お、お、おはようございます! ご、ごごご、ごめんなさいぃぃぃい!」
私はバッと飛び起きるようにして守くんから離れる。
勢い余ってベッドから転げ落ちそうになったのを、守くんが慌てて腕を掴んで支えてくれた。
「わっ、危ないだろ」
「ご、ごめんなさい! 私、その、これは、事故で! 不可抗力で! 守くんが温かくて気持ちよくて、つい抱き枕と間違えちゃっただけで、別にやましい気持ちとか、そういうのは一切……!」
何を言っているんだろう、私。
しどろもどろに言い訳を並べ立てるけど、言葉が全然まとまらない。
顔が熱くて、心臓が痛くて、今にも爆発しそうだ。
「……分かってるよ。透花が寝ぼけてただけだろ」
「う、うん」
守くんは、疲れ切った顔で、それでも優しく笑ってくれる。
その優しさが、今の私には、すごく、すごく、突き刺さった。
「で、でも、一晩中……! 守くん、全然眠れなかったんじゃ……」
「……まあ、うん。ちょっと、刺激が強すぎた、かな」
「だ、だよね……あはは」
気まずそうに視線を逸らしながら言う守くんの言葉に、私の罪悪感は頂点に達した。
刺激が強いって、そりゃそうだよね!
女の子に一晩中抱きつかれて、平気なわけない!
し、しかも私! 思いっきり顔をおっぱいで挟んでた!
う゛わ゛あ゛あ゛あああああああ!
「本当にごめんなさい! 私、なんてことを……! でも、でもっ、嫌だったとかじゃなくて! あ、いや、そういう意味じゃなくて! むしろ、すごく、安心して眠れたっていうか……!」
もう、何を言っても墓穴を掘るだけだ。
パニックになった頭は、どんどんと思ってもいないことまで口走らせる。
「守くんの隣だと、いつも安心しちゃうから……!」
「そう……それは良かった」
それから、守くんは、何も言わなかった。
ただ、その疲れ切った、虚ろな目で、じっと私を見つめ返してくるだけ。
その沈黙が、何よりも雄弁に彼の困惑を物語っていた。
あああああ、もう最悪! 私、本当に何言ってるの!?
これじゃまるで、私が守くんを襲ったみたいじゃない! 違う、違うの! これは事故で、本当に、その……!
罪悪感と羞恥心で、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
もう、この場に一秒だっていられない!
「あ、あ、朝! そう、朝だから! 準備しないと! 遅刻しちゃう!」
私は意味不明なことを叫びながら、慌ててベッドから降りようとした。
一刻も早くこの気まずい空間から逃げ出したくて、勢いよく体を捻った、その瞬間。
「あっ!?」
もつれた足が、シーツに引っかかった。
完全にバランスを崩した私の体は、為す術もなく宙を舞う。
まずい! 落ちる!
守くんの上に――!
ぐにゃり、という、信じられないほど柔らかな感触が、私の体の中心を襲った。
衝撃は、ない。
ただ、私の股間が、守くんの顔面に、すっぽりと、完璧に、埋まっていた。
「ふぐぅっ!?」
守くんの、くぐもった悲鳴が聞こえる。
鼻先に伝わる、彼の規則正しい呼吸。頬の柔らかな感触。
そして、私の体の最もデリケートな部分に、彼の顔が、ぴったりと密着しているという、絶望的な事実。
私の思考は、完全に、真っ白に染まった。
……死にたい。
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