第23話 僕の答えと、勘違い
体育祭の代休が明けて、僕たちの日常は元に戻った。
いや、正確には、元に戻ったように見えて、その実、僕と透花の関係は以前よりもずっと深く、確かなものになっていた。
あの日、僕たちは互いの弱さも、脆さも、全部曝け出した。
そして、それでも隣にいたいと、強く願った。
僕の料理は、透花のためだけのものかもしれない。
でも、それでいい。
まずは、世界で一番大切な人を、僕の料理で世界一幸せにする。
その上で、プロの料理人として、もっと多くの人を笑顔にできる道を、僕は探す。
それが、僕が見つけた答えだった。
放課後、僕は決意を胸に、急いで叔父さんの店『トラットリア・ソーレ』へと向かった。
本当はもう中間テストがすぐそこに待ち受けているので、バイトはできない。
学校の勉強を最優先するように、というのが叔父さんのところで働く時に出された条件だ。
だから叔父さんと少し話をするだけだ。
店のドアを開けると、ランチタイムの喧騒が嘘のように静まり返り、ディナータイムに向けた仕込みの匂いが立ち込めている。
良かった。
もう少し遅ければ、早めのディナーを取ろうとするお客さんが出てくる。
ギリギリでまだ間に合ったらしい。
厨房では、叔父さんが真剣な表情でソースの味見をしていた。
その姿は、近寄りがたいほどのオーラを放っている。
僕は一度、ごくりと唾を飲み込み、叔父さんの仕事が一段落するのを待って、声をかけた。
「叔父さん。少し、お時間よろしいでしょうか」
「ん? 守か。どうした、改まって」
叔父さんはスプーンを置き、不思議そうな顔で僕を見る。
僕はまっすぐに叔父さんの目を見つめ、深く、深く頭を下げた。
「この前の品評会の件、ありがとうございました。そして……もう一度、僕にテストをさせてください!」
僕の真剣な声に、厨房にいた他のスタッフたちの動きも、ぴたりと止まる。
視線が、僕と叔父さんに集中した。
「叔父さんの言う通り、僕の料理は、たった一人のために作る料理でした。でも、僕はもう迷いません。僕の料理は、これからも透花のためだけのものです。その上で、僕はプロの料理人として、この店で通用する料理を作ってみせます。だから、もう一度チャンスをください!」
魂を込めた、僕の決意表明。
これで断られたら、僕の料理人としての道は、ここで終わるかもしれない。
固唾を飲んで、叔父さんの言葉を待つ。
叔父さんは、僕のあまりの剣幕に一瞬目を丸くしたが、やがて、きょとんとした顔で、ぽりぽりと頬を掻いた。
「……え? ああ、うん。いいぞ、別に。いつでもやってみろよ」
「……へ?」
予想外の、あまりにも軽い返事に、僕は間の抜けた声を漏らす。
もっと、厳しい言葉が返ってくると思っていた。
あるいは、僕の覚悟を試すような、重い問いかけが。
しかし、叔父さんから返ってきたのは、拍子抜けするほどあっさりとした承諾だった。
「いや、だから、いいって。そんなに思いつめてたのか? この前のあれは、別に不合格ってわけじゃねえぞ。ただ、お前の料理はすごく良いんだけど、コストを無視した視点が一つしかねえから、もっと視野を広げたら、もっと面白くなるぞって、ただのアドバイスだよ。アドバイス」
「あどばいす……ですか?」
「そうだよ。大体恋人や夫婦が相手でも、あんな予算を毎食かけられないだろうが」
あどばいす……?
僕が人生を賭けた決意で挑んだあの品評会が。
僕が三日三晩悩み抜いて、ようやく見つけ出した答えが。
叔父さんにとっては、ただの「アドバイス」だった……?
愕然、とした。
頭が、真っ白になる。
僕が勝手に、一人で空回りして、深刻に考えすぎていただけ……?
「なんだその顔は。ちゃんと味は最高に良かったって伝えただろう?」
「そう……でしたね?」
「おいおい、うちのスタッフも絶賛してたんだぜ。そうか、後半のアドバイスの衝撃で全部飛んでしまったんだな」
呆れたように苦笑されて、僕は盛大な思い違いをしていたことに、ようやく思い当たった。
言われてじっくりと記憶を探れば、たしかに料理そのものの評価はとても高かった!
下働きだけじゃなくて、調理にも関わって良いと言ってくれてたんだ!
「その、レストランの料理としては使えないって言葉があんまりにもショックで」
「まあ、俺も言い方が悪かったかもしれないな」
「いえ、そんなことは……」
「お前がそうやって真剣に考えてくれたんなら、俺も嬉しいけどさあ。で、次はどんな料理を作るんだ? また、彼女さんのためのスペシャルメニューか? んん? 次はどんな透花ちゃんの好物を具材にするつもりだ?」
「あ……わ、わ……は……」
ニヤニヤと、意地悪く笑う叔父さん。
その顔を見て、僕は全身から力が抜けていくのを感じた。
「……もう、いいです」
「ははは、なんだよ、拗ねるなよ。期待してるぞ、守。お前の料理は、人を幸せにする力がある。それは誇って良いことなんだ」
そう言って、叔父さんは僕の肩を力強く叩いた。
その手は、温かかった。
僕は、なんだか馬鹿らしくなって、ふっと笑いがこみ上げてきた。
そうか。僕は、一人で勝手に崖っぷちに立っているつもりだったんだ。
本当はそんなもの、大した問題でもなかったのに、勝手に否定された気になって、勘違いしたまま、不安定になっていた。
でも、まあ、いいか。
この大きな勘違いのおかげで、僕は自分の本当の気持ちに気づくことができた。
透花との絆も、前よりずっと強くなった……と思う。
「……見ててください。叔父さんや、この店のお客さん全員を唸らせるような、最高の料理を作ってみせますから。……もちろん、僕の大切な人のために」
僕がそう宣言すると、叔父さんは満足げに頷き、厨房のスタッフたちからは、温かい声援が送られた。
僕の料理人としての道は、まだ始まったばかりだ。




