第12話 二人三脚練習
僕たちの高校の運動場は、校舎の真向かいにあって、百メートル走ができるぐらい結構大きい。
体育の授業、今日は体育祭の練習日だった。
初夏の日差しが降り注ぐグラウンドは、生徒たちの熱気でむせ返るようだった。
校舎の窓からは、授業中の生徒の一部がぼんやりとこちらを眺めているのが見える。
運動場のあちこちで、体育祭本番に向けて、様々な種目の練習が行われていた。
リレーの選手たちは、バトンパスの練習を繰り返し、何度もタイミングを確認している。
その中でも、ひときわ目を引くのがリレーのアンカーを務める透花だった。
バトンを受け取るやいなや、爆発的な加速で他の走者をごぼう抜きにしていく。
しなやかな手足が躍動し、長い髪を風になびかせて走る姿は、まるで一頭の優美な雌豹のようだ。
「やっぱり透花は速いな……」
体操服姿でも隠しきれないスタイルの良さと、太陽の光を浴びて輝く白い肌。
彼女が走るたびに、周囲から感嘆のため息が漏れるのが聞こえた。
特に一部の男子は鼻の下を伸ばし、ジロジロと無遠慮に、透花の胸や太ももを凝視している。
玉入れの設置場所と、その高さを確認していた僕の胸の中に、わずかに不快感が湧き上がった。
思わず玉入れの玉をぎゅっと握りしめていることに気づいて、慌てて力を抜いた。
あるいは僕だって、透花が幼馴染じゃなかったら、同じように惹かれていたかもしれない。
僕はたまたま透花と幼いときから縁があって、仲が良かった。
その幸運を素直に感謝したほうが良いのかもしれない。
練習が一段落したのか、透花が額の汗を拭いながらこちらに気づいた。
ぱあっと顔を輝かせると、彼女はぶんぶんと大きく手を振ってくる。
「守くーん! おーい!」
太陽みたいに明るい笑顔と、よく通る声。グラウンド中の注目が、一斉に僕へと突き刺さるのを感じた。
やめてくれ、こっちが恥ずかしくなる。
でも、その笑顔が他の誰でもなく、僕に向けられているという事実が、くすぐったいような満足感をくれる。
タタタッと軽快な足取りで駆け寄ってきた透花は、得意げに胸を張る。
ご自慢の大きな膨らみを見せびらかすようだ。
おいおい、無防備すぎるだろ……。
「どうだった? 私の走り! 速かったでしょ?」
「うん、見てたよ。僕だけじゃなくてみんな目を奪われてた。さすがは人気モデルだね」
「えへへ、でしょー! 本番も任せてよ。私がごぼう抜きにして、一等賞取ってあげる!」
「はいはい。期待してるよ」
額に汗を浮かび上がらせながら、なんの屈託もない笑みを見せてくる透花の姿を見ていると、心のモヤモヤが自然と晴れていく。
透花が気にしていないのだから、僕が必要以上に気にする必要はないのかもしれない。
それに、この気を抜いた子供みたいな笑顔は、僕だけに見せる特別なものだ。
そう思うと、さっきまでの不快感が嘘のように消え、代わりに独占欲にも似た優越感が胸に広がった。
「じゃあ、次は僕たちの番だね。二人三脚の練習、始めようか」
「うん! 守くんとなら、きっと楽勝だよ!」
僕たちは二人三脚の練習エリアに移動し、体育の先生から渡された紐を受け取る。
しゃがみ込んで、僕の右足と透花の左足を結びつける。
自然と距離が近くなり、シャンプーの甘い香りがふわりと鼻をかすめた。
うわ、近い……!
体操服の薄い生地越しに、彼女の足の温もりや、しなやかな筋肉の感触が伝わってくる。
普段は意識しないようにしている、女の子としての透花の存在が、急に現実味を帯びて迫ってくるようだった。
心臓が、ドクン、と大きく跳ねる。
「よし、結べた。じゃあ、肩を組んで……」
「うん!」
立ち上がって、透花が僕の肩に腕を回す。
僕も彼女の肩に手を置いた。
触れた肩は華奢で、でも、しっかりと引き締まっている。
そして、二の腕に当たる彼女の胸の、信じられないほど柔らかい感触に、僕の思考は完全に停止した。
うわっ、やわらか……って、ダメだ、考えるな! 意識するな!
顔に一気に熱が集まるのを感じ、バレないように慌てて視線を前に向ける。
心臓が早鐘のように鳴り響く。
これはマズい。
この距離は、あまりにも危険だ。
幸い、透花は何も気づいていないのか、「いくよー!」と元気な声を上げた。その無邪気さが、今は本当にありがたい。
深呼吸を一つ、意識を切り替える。
「せーの、いっち、に、いっち、に!」
「いっちに! いっちに!」
透花の掛け声に合わせて、一歩、また一歩と足を踏み出す。
驚くほどスムーズだった。
まるで一人の人間が歩いているかのように、僕たちの呼吸も、足の運びも、ぴったりと合っている。
腕に当たる柔らかな感触や、すぐ隣にある体温を意識してしまうのに、不思議と動きに乱れはない。
でも、これが物心ついた時からずっと隣にいた、僕と透花だけの距離感。
これぞ、幼馴染の阿吽の呼吸というやつだろうか。
息ぴったりの二人の動きに、透花が破顔した。
「すごい! 守くん、私たち息ぴったりじゃん!」
「本当だね。これなら本番もいけるかも」
「絶対行けるよ! 私と守くんの絆の深さの勝利だよ!」
「急に恥ずかしいこと言い出したな」
「もう! ほら、右、左、みぎ!」
「チョマテヨ」
「守くん、幸運の女神は前髪しかないんだよ。しっかりと掴まえないと逃げちゃうよ!」
「それ意味違うだろ!」
透花に引っ張られるように、僕たちは少しずつペースを上げていく。
走るたびに、腰や太ももが触れ合い、透花の体の柔らかさがダイレクトに伝わってくる。
そのたびに僕の心臓はうるさく鳴り響くけど、不思議と足がもつれることはなかった。
むしろ、彼女の存在をすぐ隣に感じることが、僕に力を与えてくれるようだった。
速歩きから駆け足気味に。
そして完全なランニング状態に。
速度が上がっても、僕たちの呼吸は乱れず、完全な一致を見せていた。
透花は僕たちの連携にご満悦だ。
「すごいね! やっぱり相手が守くんだからだよ」
「だろうなあ。他の子が相手だったら絶対に緊張してたと思う」
「むぅ……私には緊張しないの?」
してる。めちゃくちゃ緊張してるに決まってるだろ……!
心の中で叫びながらも、そんな本音はおくびにも出さない。
「そりゃ、透花は僕の隣にずっといてくれたからね。今さらだろ」
緊張しないわけがない。
むしろ透花だからこそ、意識して心臓がうるさいくらいなのに。
でも、透花だからこそ、こうして隣で自然に走れるのも、また事実だった。
言葉にもできないような些細な気配で、透花が今どうしたいのか、感覚として分かる。
これなら、本番でも絶対に負けない。
そんな確信が湧いてくる。
「はっやっ! 独走状態じゃん!」
「なあ、あいつらめちゃくちゃ速くないか?」
「白崎さんと相馬くん、息合いすぎだろ……」
「ちくしょう、相馬め、白崎さんとあんなに密着しやがって……羨ましい!」
周りの男子生徒たちから、羨望と嫉妬の混じった声が聞こえてくる。
少し気恥ずかしいけれど、悪い気はしない。
むしろ、誇らしい気持ちで胸が満たされていく。
何よりも、透花のすぐ隣に立てていること。
それ自体が、僕の喜びを満たしてくれていた。
「守くん、ゴールまで競争だよ! よーい、ドン!」
「お、おい、待てって! 二人三脚で競争って種目間違ってるんだよ!」
「しーらない! ほら、遅いと引きずっちゃうから!」
「うわあああああっ!?」
僕の返事を待たずに、透花がぐいっと体を引っ張る。
まったく、本当に自由なやつだ。
でも、そんな彼女に振り回されるのは、嫌いじゃなかった。
慌てて彼女のペースに合わせながら、僕たちはゴール目指して駆け出した。
汗と土埃にまみれながら、隣で笑う透花の顔は、今日一番輝いて見えた。




