第1話 彼女の本当の一面を知っているのは、僕だけで十分
ラブコメとかで、可愛らしいヒロインの女の子が、寝坊した主人公を起こすシーンがあるじゃないか。
いきなりベッドで寝ている体に飛び乗って、「起きろ~!」って言うような。
それと似たような日々を、僕は送っている。
ちょっと違うところがあるとすれば、起こすのは僕、相馬守で、起こされるのは彼女、白崎透花ということだ。
朝の七時十分、すでに朝の約束の時間を十分過ぎていることを確認した僕は、隣の家である白崎家に入ると、朝食をさっと用意して、二階に上がる。
階段を上がってすぐ正面が手洗い。
右に通路があって、右側すぐ、階段と接する部屋が、透花の部屋だ。
勝手知ったる幼馴染の部屋、ということで、とくに緊張することもなく中に入った。
部屋は、いわゆる汚部屋というほどではないが、片付いているとは言い難い状態だった。
脱ぎっぱなしのシャツがベッドの足元に丸まっていたり、読みかけの雑誌が何冊か床と机に散らばっている。
化粧品のサンプルらしき小さな容器がドレッサーの上に無造作に置かれ、その横にはヘアゴムやピンがいくつか転がっていた。
窓際には、おそらく撮影で使ったであろう小道具のアクセサリーが、ケースから溢れてキラキラと光を反射している。
全体的に生活感があり、モデルという華やかな職業からは想像できない、等身大の女の子の部屋といった印象だ。
そしてベッドの上では、透花が会う時間になっても、ぐうぐうと熟睡していた。
「やっぱり寝てるんだね。透花。起きなって。はやく、遅刻するよ」
「うにゅ……むぅ……いま、なんじ?」
「七時二十分」
「……あとごふん……」
ベッドで布団にくるまって丸くなっている彼女の肩を揺する。
寝ぼけた不明瞭な声で、まだ眠り足らないことを訴えてくるが、いつものことだ。
透花は寝起きがとても悪い。
僕はつい甘やかしてあげたい気持ちになったけど、それをぐっと堪えて、厳しい態度を取る。
「だめ。昨日もそれで二度寝して起きなかったでしょ。後で早く起こしてって文句言ってたじゃん」
「うぅ……まもるくんのいじわる」
「はいはい、起きた起きた。ほらっ、布団にしがみつかない」
「はわぁぁあああ……うぅぅぅううう、眠いぃぃいい」
カーテンと窓を開けて、日差しを入れるとともに空気を入れ替える。
僕は容赦なく掛け布団を剥ぎ取ると、透花はパジャマ姿で猫のように体をしならせて、伸びをした。
とても長く艷やかな茶髪が、ビロードのようにシーツの上に広がる。
伸びやかな手足は長くて細く、そして天然の獣のように靭やかだ。
とても美しい整った顔立ちと、見事なスタイル。
美の結晶、といわんばかりの外見に反比例して、朝の彼女はグダグダだった。
ぶっちゃけ一人暮らしなら、まともに登校も通勤もできないだろう。
だから僕が起こすのは、もうずっと何年も前から恒例のことだった。
かろうじて薄目を開いて起き上がった透花の手を引き、僕は洗面台へと連れて行く。
彼女の意識はまだまったく覚醒していない。
流石に起きただろう、と放置すると、そのまままた睡眠に戻ってしまう。
「ほら、洗面台に行くから。足元気を付けて」
「ふにゅ……ふにゅ……」
今も手を引かれるまま、とたとたと足音を立てて、されるがままになっている。
寝癖のついた髪の毛の一房が、額にくるんと巻き付いている。
歯ブラシに歯磨き粉をつけてやり、コップに水を溜めておく。
歯ブラシを透花の手に持たせると、彼女はのそのそと動き始めて歯を磨く。
その間に僕は霧吹きで髪を湿らせると、寝癖がついている髪を丁寧に梳いていった。
生まれた時から色素の薄い透花は、肌は真っ白、髪の毛は天然の茶髪だった。
今は開いていない目蓋がしっかりと開けば、碧色の美しい瞳を見ることができる。
透花が歯磨きを半ば無意識に終えて、口を濯ぎはじめるころ、ようやく少しずつ、意識が覚醒していく。
完全に閉じて線になっていた目蓋が、半開きになり、七分ほど開き出す。
一階のダイニングに移動して、用意していた朝食をテーブルに並べた。
カリカリサクサクに焼いた厚切りトーストには、表面にたっぷりのバターを塗って、キラキラと表面が輝いている。
目玉焼きとベーコンを焼いたもの、そしてトマトとキャベツ、キュウリのサラダをおかずにしている。
ハムハムとトーストを食べる透花はとても絵になる。
サクサクに焼けたトーストを食べ始める頃になると、ようやく透花は完全に目を覚ました。
「……おはよう、守」
「おはよう。今日も遅い寝起きで」
「朝は弱いよ。もっと学校が遅く始まったらいいのに」
「その意見も分かるよ。ちなみにだけど、透花はどれぐらいに始まるのが良いの?」
「一二時ぐらいかな」
「もうお昼ごはんの時間じゃん。終わるの七時超えちゃうって」
「夜遅いのは気にならないし。むしろ深夜に近づくほど元気になる」
「じゃあ、もし学校が昼から始まったら、今度は朝ごはん食べずに寝てるんじゃない?」
「うん、それはそれで幸せかも……でも守くんが作ってくれるトーストは美味しいから悩ましい」
にこりと笑ってそんな嬉しいことを言ってくれるものだから、僕も透花の世話を焼くかいがある。
僕は白崎透花のだらしない一面を知っている。
料理が壊滅的にヘタで、片付けや掃除が苦手で、洗濯物をすればクシャクシャのまま干して皺だらけにしたり、洗濯ネットに入れるのをズボラして、高い下着を型崩れさせたり、そういうどうしようもない一面を知っている。
だけど、一度家の外に出れば、彼女の評価はガラッと変わる。
教室に入るなり、透花は多くの生徒たちに囲まれる。
一瞬にして教室の雰囲気がパッと華やかになり、クラス全体の意識が集まっていくのを感じる。
誰もが彼女には惹きつけられるのだ。
「白崎さんおはよー」
「白崎さん、おはよ! 昨日のニュース見た?」
「ギャレから新作出たけど、白崎さんはどう思います?」
「この前の雑誌見たよ! すっごく綺麗だった!」
無数の挨拶と会話が寄せられる。
透花はそんな一人ひとりに優しく、そつなく対応している。
外での透花は、本当に魅力的な、カリスマ性を感じさせる人だ。
あまり「スクールカースト」という言い方は好きじゃないけど、透花は間違いなくそのカーストトップ層の一人だ。
まず圧倒的に見た目が良い。
中身が大事、とは言うけれど、やっぱり外見ってすごく大切だよね。
僕が平凡な外見をしているのに対して、透花は贔屓目なしに、芸能人と比較してもトップクラスに美しいと思う。
平々凡々とした僕とは大違いだ。
そして、成績がいい。
家の細々としたことは苦手なのに、透花は試験でいつも高得点を取っている。
僕たちの高校はそれほどの進学校ではないけれど、五本の指には入っているんじゃないだろうか。
モデルの仕事もしていて忙しいのに、勉強の要領が良く、記憶力も高いのだろう。
運動も得意だったりする。
運動部には入っていないけど、小さな頃から運動神経は抜群だった。
特にダンスは得意で、ショート動画で話題になってる物をすっと真似できるぐらいに、動きの特徴を捉えるのが上手い。
最後に人当たりが良い。
クラスの誰に対しても別け隔てなく接するし、否定することがめったにない。
自分の影響力をよく理解しているから、出しゃばらないし、誰かに攻撃的な態度をとることもないし、だいたい笑顔でうまく場をまとめる。
学校の生徒たちからすれば、透花は完璧超人のような存在に見えるらしい。
でも、幼馴染の僕は違う。
透花は欠点も多い、人らしい魅力に溢れた女性だと思う。
素晴らしい長所と同じぐらい、たくさんの短所を抱えて、時に悩んだり、焦ったりすることのある子だ。
僕はそんな一人の人間として魅力的な透花を支えて、甲斐甲斐しくお世話をして、サポートしてあげたいと、心から思う。
そしてもう一つ。
僕は、彼女のだらしないところを、誰にも知られたくないと、とても強く思っている。
彼女の本当の一面を知っているのは、僕だけで十分だ。




