探偵の過去
ソファーに座りながら、一条は煙草をふかし、月夜はコーヒーを飲んでいた。そして、神谷のお説教を静かに聞いていた。
「一体、何をやっているんですか!?今、何時だと思っているんです!だ、大体、お、男の人二人で、ふ、不埒なんです!!その、せ、せ…く…なんてっ…!!健全とした女性と、関係を持とうと思わないんですか、先生!?」
「お言葉だけどねぇ、神谷君。男性と関係を持ったのは、月夜君が初めてですよぉ。それに、私は若い頃、幾人かの女性とお付き合いしていたこともある。何が、そんなにいけないのぉ?」
一条は、フーッと煙を吐く。
「先生は、女性とご結婚して、お子様を作ろうと思ったことはないんですか!?」
『うるせぇ女だなぁ〜。』
神谷の話しを聞いていて、それこそ女性と付き合う暇もなかった月夜が、ため息を吐く。
「子供ねぇ~。今更、望んでないかなぁ。」
一条は、目を逸らしながら答える。
「な、なぜです!?先生のような、優秀な方のDNAは、貴重なんですよ!?子孫を残さなければ、もったいないです!!」
「DNA〜?!」
一条と月夜が同時に声を上げる。神谷の言い分に、一条がため息を吐く。
「私が、優秀かどうかはともかく、一条家の血筋を絶やさずって言うことを言いたいなら、問題ないよ。兄がいて、ちゃんと結婚して子供も三人居るから、絶えることはない。私は、こんな仕事をしているから、呆れられて家とは絶縁状態。ろくに連絡もとってないよ。」
「先生は、優秀です!これからでも、遅くありません!ちゃんとした女性と結婚をして…。」
「一応言っておくけど、私はバツイチ。若い頃、一度女性と結婚していたことがある。」
「えっ…?!」
神谷と月夜が声をあげる。
『初耳だなぁ!』
一条は、二人の顔を見る。
「そういえば、一条さんの昔の話しなんて、聞いたことなかったなぁ。」
「わ、私も…。」
一条は、煙草を灰皿に押しつけ、一息つく。
「じゃあ、少し長いけれど、一条彰の昔話といきますか。」
二つ目の煙草に火をつけ、昔話が始まった。
「…あれは、私がまだ学生だった頃だ。同じキャンパスで、"新川茜"彼女と出会った。まあ、当時は私も若かったからね、幾人かの女性と付き合っていた。そして、最後に新川茜と付き合うことになったんだ。彼女とは、よく話も合ってね、長く付き合うことになって、学校を卒業してからも、ちょくちょく会っていた。そして、二人は本気で恋愛感情を持つようになってね。当時、まだ私は、公務員をしていて、収入も安定していたから、ささやかな結婚を二人ですることにした。でも、私は仕事関係に飽き飽きしていてね、二十歳の時に思い切って探偵事務所をすることにしたんだ。私は、彼女の意見も聞かず、持っていた収入で探偵事務所を開くことにした。私は、彼女の不安に気づくなく、心躍らせて仕事に打ち込んだ。もちろん、仕事が入ってこないと収入は得られない。徐々に、持っていた収入も底を尽き始め、彼女の笑顔も無くなっていった。探偵の仕事は、とても地味だ。朝、昼、晩関係なく依頼があれば働いた。収入が安定しない私の代わりに、彼女も働いていた。彼女と過ごす時間も、まちまちになっていって、昼間のパートをしていた彼女との間に、すれ違いがうまれていった…。そんな時だった。記事に"怪盗シルバー現る"の記事を目にした。いくつものお宝を盗み出し、いまだに姿を見た者がいないと。私は、これだ!と直感して、シルバーの姿を見つけ出し、捕まえて手柄をたててやろうと思って事務所を飛び出した。知り合いの記者に、シルバーが狙うお宝の場所を聞き出し、現れるであろう場所を推理して走って行った。予想していた通りの場所に、シルバーがいた。黒い衣服を身に纏った、怪盗とご対面だ。夢中で、カメラのシャッターをきったよ。シルバーは、私の存在に気づくと、話しかけてきた。(若い探偵さんだ。この場所を探し出すとはね。)と。私は、シルバーと対面して緊張した。でも、シルバーと会話をしたことがあるのは、私だけだと思い、無我夢中で話しかけた。(…思っていたより、小柄なんだな!)(私を、捕まえられるものなら、捕まえてごらんなさい)そう言って、シルバーは満月の光の中、姿を晦ましていった。思わず、見入ってしまったよ。なんて、美しいんだと…。私は、写した怪盗シルバーの写真を、警察に提供した。その時だ、轟警部と出会ったのは。唯一、シルバーと接した私を、轟さんは重宝してくれた。シルバーの予告状が出る度、轟さんが依頼をくれるようになった。そして、収入も徐々に安定してくるようになった。だが、家庭を少しもかえりみなかった私に、天罰が下った。仕事の帰り、偶然に見てしまったんだ。茜が、他の男とホテルに向かって行く場面を…。もちろん、ショックだった。だが、仕事柄思わず、その浮気現場を写真に収めてしまった。そして、その写真を彼女につきつけた。すると、(あなたが悪いんじゃない!勝手に仕事を変えて、ろくに収入も得られなくて!私の事も、相手にしてくれなかったじゃない!!)(仕事柄、仕方がないだろ!?でも、今ようやく波に乗ってきたんだ!収入だって、安定してきて…!!)(その仕事が、問題なのよ!私は、ちゃんと家庭をかえりみてくれる、公務員やってた頃のあなたのほうが良かった!なのに、なんの相談もなく職を変えて…!オマケに、こんな写真なんかつきつけて…!この、ストーカー野郎!!訴えてやる!!)(!!)言葉を失ったよ。私は、警察に捕まった。だが、轟さんと弁護士の須藤海治さんのおかげで、すぐに釈放された。それから、家庭裁判所に行って正式に離婚が成立した。その時、彼女のお腹には、子供が宿っていた。もちろん、私の子供じゃない。浮気をしていた男の子供だ。そんな、出来事が起きてから、同時に怪盗シルバーも現れなくなり、仕事も無くなってしまった。…また、一から元の生活に戻ってしまった。いや、彼女の居ない、たった一人のぐーたらた生活に、かな…。」
月夜と神谷は、無言で聞いていた。一条の過去に、ショックを受けたからだ。
「…まあ、そんなとこかな。これで、分かっただろ?探偵なんて、職業やってると、健全な生活なんてできやしないんだよ!ましてや、子供なんか、作る余裕もない。」
「…先生。」
神谷は、胸が苦しくなる。
『やっぱり、怪盗シルバーだった一夜兄さんに、出会っていたんだ!』
月夜は、コーヒーを一口飲む。
「でも、まあ。あれから、十五年経ってこの事務所に月夜君が姿を現してくれた。私の仕事を、文句一つ言わずに手伝ってくれる助手。君の明るさで、どれだけ救われたか分からない。だから、とても大切なんだ!」
一条は、微笑みながら月夜のほうを向く。月夜は、急に恥ずかしくなって、下を向く。仕事のために、利用して近づいただなんて、死んでも言えない。
『いつの間にか、俺のほうが救われていたんだよな…。』
月夜は、チラリと一条の顔を見る。
「君も、私みたいな男にかまけてないで、もっと良い相手を探しなさい。」
痛々しげに見ている神谷に、返事を返す。
「…でも。でも私、先生を見ていると、胸が苦しいんです!胸がドキドキする!簡単に諦めることなんて、できないんです!!」
神谷は、涙を浮かべて事務所のドアを開けて外へ出て行った。
「いいんですか、一条さん?」
「いいんだよ、これで。神谷君は、まだまだ君よりも若い。恋なんて、いくらでもできるんだよ。」
一条は、月夜に微笑む。
「一条さん…。僕は、ずっと傍にいます。どんな時にも…!」
「ああ。分かってるよ。」
一条は、月夜の頭を撫でた。
『もしかしたら、一夜兄さんが引き合わせてくれたのかもな。』
そんなふうに、感じた。
※
神谷は、近くの公園のベンチへ腰をかけていた。思い切り事務所を飛び出してしまっただけあって、帰りずらかった。
「…はあ。何やってるんだろう、私…。」
深くため息を吐き、物思いにふける。まさか、こんなに早くに振られるとは思っていなかっただけあって、心が痛んだ。
「始めから、私に…勝ち目なんてなかったんだ。」
朝のあの光景を見てしまえば、一条の想い人は一目瞭然だった。そこへ、一人の影が近づく。
「…あの。」
不意に声がして、そちらを見る。
「一条探偵事務所は、どちらになるでしょうか?道に迷ってしまいまして…。」
「はい…?」
思わぬところで、神谷は事務所に帰ることとなった。
事務所では、いつものデスクに座り煙草をふかし、月夜は茶々と遊んでいた。そこへ、事務所のドアが開く。
「あ、あの…。」
神谷が、目の下を腫らして姿を見せる。
「…先生。お客様…です。」
一条から目を逸らし、神谷が告げる。
「…客?」
すると、神谷の後ろから、暑い中、きちっとスーツを着た男性が一人姿を現した。
「お久しぶりです、一条さん!」
その男を見て、一条は煙草を置いて立ち上がる。
「これは、須藤さん!」
"須藤"と言う名前に、神谷と月夜は、えつ、と言う。先ほど、名前が出てきた弁護士だ。客間に須藤を迎え、向かいに一条が座った。
「どうぞ。」
神谷は、須藤に冷たい麦茶を出す。
「いやぁ~。外は、やはり暑いですねぇ!」
須藤は、持っていたハンカチで顔を拭く。
「それで、どのような要件で…?」
「実は、あるご相談でこちらに伺いまして。以前、離婚なさった新川茜さん。今は、森繁茜さんなんですが、どうしてもあなたに会って、ご依頼したい要件があるとかおっしゃりまして…。」
「茜が…?今更、一体何を…!?」
"茜"と言う言葉に、隣の居間で聞いていた月夜と神谷が、えっ!と反応する。
「向こうの弁護士からの話によると、要件は、直接ご本人からお話ししたいそうなのですが、どうなさいますか?仮にも、一度は警察沙汰にした人物です。無理に、お会いすることはありませんが…。あなたも、今は落ち着いていて、メディアに出るほどの名探偵でらっしゃる。十年以上も前の傷を、今更掘り起こすこともありません。」
一条は、顎に手を当てて、沈黙する。
「無理強いはいたしません!私が、代理になってお断りいたしましょうか?」
「…いや。分かりました。一度、要件とやらを聞いてみましょう。」
一条は、真剣な顔で答える。
「よろしいのですか!?」
「お互い、もう歳もとっています。争うことはないでしょう。」
一条は須藤に笑って見せる。穏やかに笑う一条を見て、須藤は驚く。そして、笑って返す。
「分かりました。では、こちらのお電話番号をお教えしてもよろしいのですか?」
「構いません。これも、仕事ですから。報酬をいただけるならば、仕事はちゃんといたします!」
「大分、お変わりになられましたね!当時は、死んだ魚のような目をしてらしたのに…。」
一条は、フッと笑う。
「これでも、色々なことを経験しましたから。人は、変われるものだと、実感しています。」
「良かった!再び、あなたに会うことが出来て、安心いたしました!では、よろしくお願い致します!」
「はい。」
須藤は、再びクーラーの効かない、暑い夏の外へスーツで出て行った。それを見送って、神谷と月夜が傍にやってくる。
「先生。何も、引き受けなくても…!」
「一条さん、依頼なら僕も一緒に…!」
「いや、いいよ。プライベートが入った依頼だ。たぶん、向こうもそのつもりで、弁護士を通してきたんだろう。それに、一対一の話し合いのほうが、話しやすい。二人とも、留守を頼むよ。」
「…は、はい。」
二人は、シュンとする。
『そんな事言われても、放っておけるかよ!』
月夜は、ある事を計画した。
数日後。例の依頼で事務所に電話がかかってきて、一条はあるカフェに足を運んでいた。月夜は、ある暗い場所にいた。
「…て、なんで、プライベートにお前まで関わってくるんだよぉ!」
月夜の横で、フューが、ニシシと笑っている。月夜が居る場所は、フューのボックスカーの中だった。
「だぁってぇ〜、仕事が無くて暇だったんだもの〜!盗聴器貸してやったんだから、少しぐらい楽しませろよぉ〜!」
窓際に座っていた一条たちの姿が見える席の近くの木陰で、止まっていた。月夜は、密かに一条の服のポケットの中に、小型の盗聴器を仕掛けていた。それを、二人でイヤホン越しに聞いていた。一条の向かい側には、例の"森繁茜"が座っていた。
「…ひ、久しぶりね。本当に…。」
茜の声が聞こえ、月夜とフューは身を構える。
「何年振りかしら。あ、あたし、あなたと別れてから、彼にも捨てられちゃって、子供も下ろしたの。それから、何度か飲み会とか、合コンとか婚活したんだけど、何人かの人とお付き合いして、結局振られちゃって…バツ二なの。」
一条は、ただ話しを聞いているだけで、茜が一方的に話しをしていた。茜は、照れて一条の顔を見ずに、笑いながら長い髪をかき分けていた。その時に、首筋や肩の部分に、青い痣が見えてとれ、一条はそれを観察していた。体も、以前よりも痩せ細っていて、首筋の骨が浮き出ていた。だが、唯一お腹は少しポッコリと膨らんでいて、いつも飲んでいたコーヒーを頼まずに、オレンジジュースを頼んでいた。大体、五ヶ月といったところか…。それを見て、煙草を吸うのを止め、灰皿に押し当てて消す。
「い、今は、金融会社に勤めてる人が夫なの。それで…。」
無言で見つめる一条を見て、茜は顔を赤らめる。
「ず、随分、変わったのね…。なんて言うか、すごく大人らしくなった…っていうか。あなたが、出てた番組、見たわ!あれから、大変な事件に巻き込まれたって、ニュースで聞いて、心配したのよ?!…もう、大丈夫…なの?」
「話しって言うのは?妊娠してるなら、始めから言ってくれないか。私に合わせて、喫煙席に居座る必要はないよ。」
「えっ…?!」
一条の言葉に、茜はドキリとする。
「よ、よくわかったわね。さすが、名探偵…ね!そ、それで…。」
茜は、お腹に手を当てる。腕にも、いくつか傷跡がある。左手の薬指には、指輪はしておらず、外してある。それを見て、一条は軽くため息を吐く。
「君は、少しも変わっていないようだな。」
「えっ…?」
「なんで、不倫してるわけでもないのに、指輪を外しているの?私は、仕事の話しでこうして君に会っているのに。」
いつもの癖が出てしまった、という感じで、茜は恥ずかしくなって、更に顔を赤くして汗をかく。
「ふ、普段は、外していて…。高価な物だから、それで…!」
一条は、フッと笑う。
「相変わらず、ウソの下手な人だなぁ。依頼って言うのは、旦那さんの不倫?自分もやってたから、感が働いてしまったのかな?何人の人と、関係を?言っておくけど、私は中には入れないでね。私には、今とても大切な人が居るから。」
盗聴器で聞いていた月夜は、顔を赤くする。プレゼントでもらったネックレスが光る。横で聞いていたフューは、笑っている。
「大切な人…ねぇ~。」
「う、うるせぇっ!」
月夜は、フューを肘でどつく。茜は、言い当てられて、更に体が熱くなる。
「う〜っ…。」
「場所を移す?そのほうが、話しやすいだろ。」
「…家に、来てほしいの。」
一つため息を吐き、一条は茜の様子を見る。
「分かった、行こうか。」
一条は、茜の道案内のまま車を移動する。
「動いた!俺たちも行こうぜ!」
「うん!」
フューは、一条の後を間を放して着いて行った。着いた場所は、金融会社に勤めているというだけあって、二台の高級車が駐車場に置いてある3階建ての一軒家だった。
「…こっちよ。」
茜は、門を開けて、一条を中に入れる。玄関から中をじっくり見て、清潔そうに見えても観察すると壁にいくつかのポスターが貼られていて、雑に置かれた本棚が見てとれる。
「あまり、家具がなくて、寂しい場所でしょ?」
キッチンの横のダイニングの椅子は、四人用なのに、三つの椅子しかない。もう、子供が生まれるまでの準備をしなくてはいけないのに、マタニティーグッズが何も無い。TVの画面の隅には、何かを当てた亀裂が入っていた。これは、間違いない…!と、一条は確信する。
「あ、今お茶淹れるわね。」
「…君、DV受けてるでしょ?」
「えっ…!?」
茜は、青い顔をして、湯呑みを落とす。
「首筋と、肩の痣。腕の傷。それに、このポスターで隠してある、穴だらけの壁!」
一条は、壁のポスターを剥がしていく。
「や、やめっ…!」
一条は、震え始めた茜の姿を見る。
「なぜ、コールセンターに相談しないの?ちゃんとした、犯罪でしょ!?」
「は、始めは、とても誠実で、優しい人だったの…!でも、妊娠が分かってから、急に帰りが遅くなって…!家では、子供を下ろせって…!どうしてって、問いかけたら、誰の子供か分かったもんじゃないって言って…!でも、この子は、紛れもないあの人の子供なの!!暴力を受けるようになってから、彼の衣類に嗅いだことのない、香水の臭いがついていたり、ホテルのライターがポケットから出てきたわ!お願い、この子が生まれる前に、"森繁久弥"の行動を報告してほしいの!!」
「探偵の依頼料も、ばかにならないよ?今から、子供を育てるための準備をしなくちゃいけないって言うのに、無駄遣いして大丈夫なの?」
茜は、頷く。
「彼のポケットマネーがあるわ!私が、使って良いことになってる!依頼、受けてくれる…?!」
茜は、腕を震わせながら訴えた。彼女自身、理想の金持ちの収入の安定した豪華な生活が壊れまいとする不安が、物語っていた。
「私の事を、(ストーカー野郎)呼ばわりした君が、それを引き受けろと言うのかい?虫の良い話しだな。」
「あ、あれは、言いすぎたわ…!ごめんなさい!!何度でも謝るから…!!」
茜は、震えながら涙を零した。それを見て、ため息を吐いた。
「…分かったよ。森繁久弥の身辺を調べてみよう。で、期限はどのくらいにする?」
茜は、パッと明るくなる。
「あ、ありがとう…!二週間で良いわ!お願い!!」
そのぐらい、頻繁に家を空けているわけか…。と、推測する。
「君は、大切な体なんだから、もっと栄養を取ることだ。お腹の子に、栄養がいかないぞ!」
「心配、してくれるの?やっぱり、あなたに頼んで正解だった…!」
茜は、一条の胸に抱きつく。一条は、茜の肩を掴んで放す。
「今回だけだ。もう、私たちの関係は、とうの昔に終わっているんだからな。」
盗聴器で聞いていた月夜は、茜に憤怒した。
「なんて、身勝手な女なんだ!一条さんの優しさを利用するなんて…!!」
日が沈みかけていた。一条は、疲れた様子で事務所に帰ってきた。
「お帰りなさい、一条さん!」
月夜は、何もなかったかのように振る舞う。
「大変でしたね…?」
言いかけた月夜の肩に、一条は顔を埋める。
「…疲れた。この男の調査、やっぱり君も付き合ってくれる?」
一条は、久弥の写真を上にあげる。それを、月夜は手に取る。
「そんなの、構いませんよぉ。そのための、助手なんですから!」
月夜は、一条の頭に手を置く。
「はあ〜。やっぱり、君と居るほうが…落ち着くよ。やはり、昔話しなんてするもんじゃないね。噂をすれば、影なさす…か。」
「とことん、付き合いますよ。早く、こんな依頼片付けて、日常に戻りましょう!」
「そうだねぇ。ねえ、今夜も、一緒に寝てくれない?昔の嫌な夢見そうで嫌だ!」
月夜は、クスリと笑う。
「良いですよ。一緒に寝ましょう!」
その晩。一条は、本当に神経を使って疲れたのか、月夜を抱いた後、月夜を抱えたまま眠りに入った。その寝顔を、月夜は見て微笑む。
「お疲れ様。彰さん…。」
過去にトラウマがあるのは、一条も同じなのだと実感する。
※
二人の張り込みが始まった。
「行ってらっしゃい!」
茜が、玄関で見送るが、無言で振り向きもしないで扉を開けて出て行く。朝七時、久弥は家を出て、どこに寄るでもなく、まっすぐ車で会社に向かった。
「どうやら、朝は問題なさそうですね。」
茜に言っておいて、久弥の襟裏には盗聴器が仕掛けてある。それを聞きながら、二人は木陰で様子を伺う。昼休みに入り、公園のベンチで茜の手作り弁当を食べるのかと思ったが、中身をゴミ箱に捨てる。
「!?」
その行動が不自然で、一条と月夜は木陰で食べていたパンの手を止める。
「捨てちゃったら、お腹減るんじゃ…?」
と、そこへ、一人の女性がやって来る。
「お待たせぇ!」
その女性は、久弥の会社の制服を着た短髪の女性で、手には手作り弁当を二つ持っていた。
「あっ!」
月夜は、持っていたカメラのシャッターをきる。そして、弁当を受け取って喜んでいる久弥の明るい声が聞こえる。
「待ってないよ!君の弁当が、一番楽しみだよぉ!」
「そう?なら、また腕振るっちゃおうかなぁ〜!」
その女性の胸元には、"山口"と名前が書かれていた。昼休みが、後三十分だけになったところで、山口は空の弁当箱を二つ持って、手を振って戻って行った。
「浮気現場、発見…ですね!」
「いや、ちょっと待て!」
一条が、制止する。すると、久弥はスマホを取り出し、誰かの所に電話をかける。
「おお、俺だよ。今夜も、そっちに行くから、夕飯用意しといてくれ。それじゃあな!」
「…夕飯?」
残念ながら、電話の人物の声は拾えなかった。定時に会社を出た久弥は、茜の居る家には帰らず、その家とは正反対の方へ車を走らせた。
「一体、どこに行こうっていうんだ?」
一条たちは、車で尾行し、久弥の入って行った六十階のマンションへとたどり着く。久弥は、立体駐車場に止めると、四十階の四百十二号室のボタンを押す。一条たちは、隣のビルから覗き見て、カメラで思わぬ光景を写してしまう。マンションの扉が開いたと思ったら、姿を現したのは、一人の三才ぐらいの子供だった。
「パパ〜!お帰りなさい!」
「おお、冬弥!ただいまぁ〜!」
久弥は、子供を抱えて部屋の中に入って行く。
「パパ〜!?」
思わぬことで、声を出してしまう。
「お帰りなさい、あなた!」
奥から、ショートカットの女性が出迎える。
「あ、あなたって…!?」
月夜は、あんぐり口を開ける。月夜の代わりに、一条がカメラに収める。一条も、動揺を隠しきれない。
「…まさかの、二十生活…!?」
「しかも、子供までいたなんて…!!」
一条と月夜は、う〜んと唸る。
「…こんな衝撃な事実、彼女に話すんですか?」
「結果はどうにしろ、これも依頼だからな…。報酬をもらっている以上、報告する義務がある。後は、当人たちの判断に任せよう!」
「…はい。」
一条たちは、調査結果を茜に報告することにした。
写真と、盗聴器が録音された機械を茜に差し出し、事実を、述べる。
「…そ、そんな…ことって…!!」
あまりのショックに、茜は床に崩れ落ちる。
「…だから、子供を下ろせって…!?自分の子供がいたなんて…!!」
「悪い事は言わない。すぐにでも、弁護士に相談したほうが良い。私が、力になれるのは、ここまでだ。」
帰ろうとする一条を、茜が止める。
「待って!あたしを、一人にしないで!!…もう、嫌!遊ばれて、騙されて捨てられるだなんて…!!あたしは、幸せになりたいだけなのに…!!」
「放してくれ…!」
「もう一度、やり直さない…?あなただけは、あたしに暴力振ったり、遊んでなんかいなかった!!誠実に、愛してくれたのは、彰だけよ!!」
一条は、茜の手を振り払う。
「自分が、浮気や不倫をした結果じゃないのか?同じ気持ちにされた気分はどうだ!?私は、もうあの時のような泥沼に浸かる気は更々ない!」
「ま、待って…!待って〜!!」
茜の声を後に、一条は足早に車に乗り込んだ。助手席には、月夜が待っていた。
「因果応報ってやつですかね?」
「…まったくだ!」
一条は、ため息をつきながら、アクセルを思い切り踏んだ。
「今夜は、飲み明かそう!付き合ってくれるだろ?」
一条が、笑って言う。
「もちろんです!」
月夜も、一条の嫌な過去を断ち切れるなら、と笑みを浮かべる。
※
依頼があってから、二日目。事務所の雰囲気は、しばらくの間静かで穏やかなものだった。一条は、まだ思いにふけっていて、デスクで一服していた。月夜は、茶々に餌を与えていて、神谷は、黙々とパソコンに向かって作業をしていた。そんな中、TVの音だけが鳴り響いていた。
「ー次のニュースです。昨夜、午後十一時頃H市三丁目の一軒家で、森繁久弥三十七歳が、殺人未遂で逮捕されました。森繁容疑者は、妻の茜さん三十二歳を鋭利な刃物で複数回斬りつけ、搬送されましたが、重傷です。」
「!?」
三人は、TVに顔を向ける。ニュースが流れたと同時に、事務所の電話が鳴り響く。神谷は、急いで電話に出る。
「はい。一条探偵事務所です。…あ、はい。少々お待ち下さい。先生!」
「ん?」
一条は、神谷のほうを向く。
「須藤弁護士から、お電話です。」
一条は、重い腰を、上げて電話に出る。
「はい、一条です。」
「今、ニュースをご覧になられましたか?」
「ええ、たった今。」
「少し、お話ししたいことがあります。そちらに伺ってもよろしいですか?」
「…構いません。」
「では、十時頃お伺いいたします。」
会話が終わり、受話器を置いた手を押し当てたまま、一条は無言になる。緊迫したような重い雰囲気を感じ、月夜と神谷は一条のほうを見る。
「神谷君。お客様が、もうじき来るから、お茶の用意しておいて。」
「あ、はい!」
一条は、再びデスクに腰かける。そして、フーッと煙を吐く。
『…まだ、あの女との関係が続くのか…。』
月夜は、心配そうに一条のほうを見る。あの出来事が起きてから、一条は一人で寝なくなっていた。ずっと、月夜を放そうとしないで、抱いたまま眠りについている。一人になると、過去の事を思い出して不安なのだろう。時々、うなされていたこともあった。
十時になり、須藤が事務所を訪れる。
「再び、申し訳ありません。お察しのとおり、森繁茜さんのことです。普段ならば、個人の守秘義務がありまして、お話しすることはないのですが、一条さんはこの件に関わっていますので、お話ししたいと思いまして。一条さんの調査の通り、森繁久弥は二十の生活をしていました。茜さんは、どうやら結婚後、他の男性と関係を持っていたそうです。それに気づいた久弥さんが、彼女に対して日常DVを行っていた。そして、離婚を切り出したそうなのですが、茜さんはすでに妊娠していらした。それに伴い、茜さんは関係を断ち切ることを拒み、子供を産むことを望んでいた。実際、生まれてくるまで、誰の子供なのか分からない、ということで、久弥さんは以前婚姻関係にあった女性と寄りを戻そうと考え、再婚を望んでいたそうです。その女性との間には、紛れもない久弥さんの子供が一人います。それで、二重生活に至ったわけですが、久弥さんは職場でも不倫関係の女性が一人いた。一条さんたちが、目にした女性です。そして、お願いした茜さんの依頼が来たわけですが、やはり久弥さんの機嫌を損ねてしまい、今回のようなニュースに出たような結果になってしまった…。そこで、向こうの弁護士からの話しで、あるお願いがあるそうで、こちらに足を運んだ、と言う訳です。」
「どんなお話しでしょう?」
須藤は、一つ咳払いする。
「…実は、向こうのご両親の希望で、あなたに茜さんのもとへ足を運んでほしいそうなのです。」
一条は、目を見開く。
「今更なぜ!?私との関係は、もう終わったはず!どうして!?」
「彼女は、今生死の境を彷徨っています。ニュースの通り、体にかなりの殺傷を負い、いつ亡くなってもおかしくない状態です。そんな中、うわ言にあなたの名前を呼んだそうなのです。」
「私の…?」
「今回も、無理強いは致しません。どうなさいますか?」
一条は、無言になる。色々な思いが、頭の中を思い巡らせる。
「…少し、考えさせて下さい。」
「分かりました。ですが、そう時間は無いと思われます。お早めの決断をお願いします。これが、茜さんの搬送された病院になります。」
須藤は、紙を渡す。
「それでは、私はこれで。」
須藤が帰り、一条はその紙を眺めていた。
「…。」
数分間、一条は沈黙する。そこへ、月夜が近づき一条の肩に手を置く。
「一条さん。後から後悔するよりも、行動に移した方がいいですよ。」
「月夜君…。」
月夜は、にっこり笑って見せる。
「僕も、着いて行きます。さあ、行きましょう!」
「…嫌な、思いをしてしまうかもしれないよ?」
「構いません。」
月夜に背中を押してもらい、一条は病院へ向かうことにした。
茜のいる病室の前につき、一条は立ちつくす。
「…一条さん。」
月夜の顔を見て、ようやく決意して、病室のドアを開け放った。病室には、茜の両親が二人居た。
「あ、彰ちゃん!」
茜の母親が、一条に気づき声をあげる。
「来て、くれたのかい…!?」
茜の父親も、驚いた顔をする。
「…どうも。ご無沙汰しています。」
軽く挨拶して、一条は茜のほうを向く。いつかの自分のように、体中包帯だらけだった。顔は、酸素吸入している。
「ずっと、目を開けないんだ。…時々、うわ言のように彰君の名前を呼んでいて…。酷いことをしたのに、頼める立場じゃないのは十分承知しているが、最後の望みだと思って、弁護士に頼んで君に伝えてもらったんだ…。」
父親が、すまなそうに言う。
「この子、お腹に赤ちゃんがいたのだけど、久弥にお腹を深く刺されてしまって、赤ちゃんが命を落としてしまったの…!それで、手術をして取り出してもらったのだけど、大変な手術だったの!茜も、助かるか…分からないって…!」
母親は、涙を浮かべる。
「…そう、ですか…。」
一条は、話しを聞きながら、茜のお腹の部分を見る。すると、不意に小さな声がかかる。
「あ…きら…?」
一条は、茜のほうを見る。
「茜…!!」
「茜!目が覚めたのか…!?」
父親と母親が、茜のほうを向く。茜は、ゆっくりと、弱々しく目を開ける。
「…彰…!来て、…くれたの?」
一条は、右手に拳を握りしめる。それを見て、横から月夜が手を差し伸べる。それに気づき、月夜のほうを見る。月夜は、大丈夫、と言うふうに、軽く頷く。それを見て、二人は手を繋ぐ。一条は、再び茜のほうを向く。
「…絶対に、来てくれないんじゃないかって、思ってた。だってあなたには…。」
言っている途中で、一条と手を繋いでいる月夜に気づき、顔を見る。首には、月形のネックレスが飾られていた。不意に気づき、茜はフッと笑みを零す。
「…そう。その人が、あなたの言っていた、大切な…人…なの…ね?」
「…ああ。」
一条は、月夜の手をギュッと握る。
「可愛い…人…じゃない…!」
月夜は、じっと茜を見ていた。
「あたし、プレゼントなんか、されたこと、なかっ…!!」
突然、茜が息を荒くする。
「茜!!」
母親が叫ぶ。
「…う…らやましい…な。大切な…、運命の人と…出会える…ことが…できた…だなんて…。」
茜は、気を失い、病室にブザーが鳴り響く。
「茜!茜!!目を覚ませ…!!」
父親が、声をかける。だが、ブザーが教えるように、茜は呼吸をしなくなり、医師と看護師が急いで駆け付ける。
「茜!!」
父親と母親は、叫び続ける。一条は、月夜と繋いだ手を更に強く握りしめる。それに答えるように、月夜も握り返す。しばらくの間があり、医師は脈をとって時計を見てから、首を横に振る。
「ご臨終です…。」
その言葉に、父親と母親は泣き崩れる。一条と月夜は、茜の顔をジッと見ていた。看護師により、酸素マスクなどの機材が、片付けられていった。
『…終わったんだ…。』
月夜は、人の命の儚さを再確認した。一条と月夜は、無言のまま事務所に帰った。事務所の扉が開き、待っていた神谷が立ち上がる。
「あ、先生…!お帰りなさいま…。」
すると、一条は無言のまま月夜の手を引いて、自分の部屋へ向かう。
「えっ…。い、一条さん…!?」
急に手を引っ張られた月夜は、目を丸くする。神谷の存在など無いように、一条は月夜を連れて部屋のドアを閉める。月夜は、ベッドへ押し倒される。
「あっ、い、一条さ…!?」
一条は、月夜の上に乗り、勢いのまま唇を重ね、貪る。
「んっ…!?」
月夜は、されるがままに抵抗出来なかった。神谷は、心配になり、一条の部屋の前に向かう。
「せ、せんせっ…。」
「ああっ…!」
ドアをノックしようとしたが、突然の月夜の喘ぎ声が聞こえてきて、その手を止め、顔を赤くする。
「…あ、彰さっ…!!あっ!んふっ!!」
神谷は、胸が苦しくなり、ドアの前に座り込む。月夜の喘ぎが、徐々に大きくなり、部屋の外に漏れていた。二人の行いは、見なくても分かっていた。静かにその場を立ち去り、荷物を持って事務所を出て行った。
「ああぁあっ!!はぁあ〜!!」
月夜は、無我夢中で攻めてくる一条のするがままになっていた。誕生日の時のそれとはまったく違い、何かを揉み消そうと必死になっている行為に、なす術はなかった。何度も、何度も頂点に達しては、また攻められて、何度も液を垂らした。その行為は、朝方まで続いた。月夜と一条は、汗だくでクタクタの身体になって、息を荒くしていた。一条は、それを何度も犯す。
「ふぅっ!あぁあん!!」
一条の思い切りに、月夜は何度も気を失った。そして、いく度目かの時、気を失っていた月夜は、不意に自分の顔に冷たい滴が落ちてくることに気がつき、目を覚ます。上を見上げると、一条が嗚咽を吐いて涙を流していた。それを見て、一条の頬に手を当てる。
「…辛かったね。俺が、全部受け止めてみせるから…!」
月夜は、一条の背中に手を回した。
「ううっ…!あぁあ〜!!」
一条は、今までためてきたものを全部出し切るように、月夜の腕の中で涙を流した。
朝になり、神谷がいつものように出勤してきた。そして、一条の部屋のドアを開き、裸で抱き合って寝ている二人の姿に、コホンッ!と一つ咳払いをし、赤い顔でノックする。
「お二人とも、もうとっくに朝になりました!起きてください!」
「んん…。ああ〜?」
月夜は、気だるい身体をようやく動かす。
『こ…腰が…痛ぇ〜!!』
「はあ〜!!なんだぁ。もう、朝なのかい?」
一条は、目を擦りあくびをする。いつもの調子に戻っている一条の様子を見て、神谷は、内心ホッとする。
「さあ、お二人とも!さっさとシャワーを浴びてきて、目を覚ましてください!」
二度も、同じ光景を目にすれば、慣れてしまうというものだ。裸の男など、どうってことはない、と神谷はいつもの調子で風呂場を指指す。
『た、立てるかなぁ〜?』
月夜は、力の抜けた体を動かしているが、うまく動かない。それを知ってか、一条は泣きすぎて腫れた目をシパシパさせながら、布団ごと月夜を抱きかかえ、眠そうにあくびをしながら風呂場に向かう。
「あ、あの〜。一条さぁん…。」
月夜は、さすがに恥ずかしい、と声をかける。一条は、赤くなったいる神谷の横を普通に歩いて行った。