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浮世の音

作者: (=`ω´=)

 べん。

 べべん。


 弦が、鳴る。

 湿度、それに、自分の機嫌。

 そういったものが、振動で判別出来た。

 たまが細棹に触れてからわずかに二百年ほどにしかならなかったが、この楽器との相性は悪くはない。

 三味線は、よく人の情感を映す楽器だ。


 べん。

 べん。

 べべん。


 たまは、ひとりフローリングの床に正座し、細棹を爪弾き続ける。

 なにも、考えない。

 ここしばらくの日課、というより、習性ならいになっている。

 自分を音にする、のではなく、音にすることで、自分の考えがわかる。

 ような、気がする。

 そもそもたまは、物心ついたときから器楽とともに育って来た。

 使用する楽器は、時代により様々に移ろって来たが。

 いずれにせよ、たまが音とともに歩んで来たのは、間違いがない。

 たまはあまり、記憶力に自信がない。

 百年から先の昔は、うっすらと紗がかかったような案配になっている。

 ただ。


 べん。

 べべん。

 べん。

 べん。

 べん。

 べべん。


 そもそも、たまは、物事をあまり深く考えない。

 そのように、努めている。

 考えても、詮無きことが多過ぎるからだ。

 たまのようなもとにとっては、考えることにとよってなにかが改善することが少なすぎる。

 ただ、流れに身を任せ。


 べん。

 べん。

 べん。

 べん。


 たまは、細棹を爪弾き続ける。


 べべん。


 無粋な電子音が、たまの忘我を破った。

『……医院です。

 もうすぐ、定期検診の時期になります。

 この録音を聞いたら、お手数ですが当院までお越しください』

 電話の、留守電、というやつだ。

 たまは電話が、より正確にいうのなら、電話越しに聞く人声が嫌いだったから、よほどのことでなければ受話器を手にすることはない。

 ただ、この留守電という機能は、素直に重宝している。

 たまのように、ただ漫然と生き続ける存在にとって、外界と繋がる数少ないよすがになるからだ。

 その音でわれに返ったたまは、細棹を布袋にしまって、部屋の隅に片付けた。

 掃除、洗濯などの日常の家事は、すでに終わっている。

 たまは、考える。

 さて、今日は。

 これから、なにをしようか。


 たまはここ数十年、玉ノ井にあるマンションの一室に居住している。

 玉ノ井、という地名も、今ではどうやら別の名になっているようだ。

 が、たまにとっては、それもよくあることなので、たまの記憶にある名で通している。

 そもそも、たまのようにまどろんだような渡世しかしていない存在は、現住所を第三者に告げる機会など、滅多にない。

 このマンションも地所も、登記上はたまの所有ということになっているが。

 それも、昔の旦那から与えられた地所が、戦後、有用に活用され、いつの間にかそういうことになってしまっただけであり。

 たま自身は、別に、この住居を得るために、特別なことをしていたわけではない。

 苦労して手に入れたものではなく、たなぼたにそうなっただけだから。

 たまも、この住居に特別の思い入れがあるわけではない。

 たまは、昔も今も、ただひたすらに、うすぼんやりとして生きている。

 それだけの、存在だった。


 することがないので、たまは留守電の勧めに従って、近くにある医院へと向かう。

 昔から、そう、明治からある医院で、何度も建物は代わり、中の人員は目まぐるしく入れ替わってはいるが、馴染みといえば馴染みの医院だ。

 そこで、半年に一度、たまは検診を受けることになっている。

 たいていは、半日もすれば解放されるのだが、たまに、数日に渡って精密な検査を受けることもある。

 たまは、いわゆる指定不定寿命者、だった。

 なんでも、数億人に一人という割合でしか誕生しない、特異体質だそうで。

 ようするに、加齢しない、寿命がない、いつ死ぬのか定かではない。

 そういう、奇形なのだという。

 往事のいい方ならば、カタワだ。

 なにかと厳しい今では、そのような表現は慎まれるようであったが。

 いずれにせよ、たまは、自分がある種の外れ者であることを、物心ついた時分から認識している。

 認識しないわけには、いかなかった。

 たまが生まれた頃には、そうした外れ者は、神の使いとされ、どこぞの社にでも匿われ、半ば監禁されて飼い殺しにされた。

 たま自身も、一時期はそういう生活をしていたはずなのだが、なにしろ大昔のこと過ぎて、詳細はすっかり忘れ果てている。

 たまの一番古い記憶は、旅芸人の一座に混ざって各地を転々として暮らしていた頃のものになる。

 なぜ、そういうことになったのか、その後、どうして今のたまになったのか。

 前後の記憶はすっかり抜け落ちていた。

 旅芸人、といえば多少の聞こえはいいが、実体的には物乞いの集団だった。

 門つけ、辻芸などをしながら、他者からの恵みを乞い、細々と存在を許されていた、そんな集団。

 今にして思えば、四肢欠損や白痴など、なんらかの不具合があって、世間並みの生活を送ることが難しい人間の集まりだったのだろう。

 どこかで行き倒れて、当然。

 世間様からそう目されていた集団の中に、確かに、たまは一時期、いや、相当に長く、所属していた。

 例によって、細かい部分は相当にあやふやなのではあるが。

 そんな記憶は、確かにあった。

 そんな経歴があるからか、基本、たまは、自分も含めて、人というのははかない存在であると、そう認識している。

 定期的に医院に足を運んでいるのも、自身の健康のため、などではなく、特異な体質を持つ自分の体を詳細に調べることで、他の人々の難しい病気を治すきっかけになるかも知れないと、そう、説明されているからだ。

 検診、とはいっているものの、その時、たまは、かなり大量に血を採られる。

 たまの体液や体組織は、医学に携わる者にとって、値千金の価値があるらしい。

 多少の我慢をすれば、どこかで助かる者が居るというのなら。

 たまとしては、それに協力することに、やぶさかではなかった。

 どの道、医者のいいなりになって、なにかを測定されたり、おびただしい質問に答えたりといった、煩雑ではあるが些細な不満をやり過ごせば、いつかは終わることなのだ。


「いつもは、なにをやっているのですか?」

「寝て起きて、細棹を爪弾いて暮らしておる」

「細棹?

 ああ、三味線のことですね。

 他に、他人と接するようなことは?」

「ないな。

 したいとも思わない」

「それは、いい傾向ではありませんね。

 少しは人と関わらないと。

 ああ、そういえば、ニュージーランドの方で、たまさんと同じ体質の方が一人、発見されたそうですよ」

 ニュージーランド、などといわれても、たまには、「遠い外国」程度にしか認識出来ない。

「知らんよ」

 たまは、そう答えた。

「わしのようなのが増えても減っても。

 どうせ、直接に交わることはないだろうよ」

 実際、たまは、これまで、自分と同じ体質を持つ人間に会ったおぼえがない。

 とがり耳の、年とらず。

 数十億人に一人の割合で生まれる、特異体質。

 割合は少なくとも、死なない限りは増え続ける。

 これまでは、戦火や感染症などにより、そうした体質であっても長生き出来ないことが多かったようだが。

 ここ数十年、たまのようなエルフ症候群は、着実に数を増やしていた。

 巷間に紛れて細々と生きてきた者が、だんだんと見つかって来た。

 そういうことなのだろうなと、たまは思っている。

 とはいえ、一国に一人か二人、見つかるか見つからないかという割合であったから。

 前述のように、たま自身は、自分と同じ体質の者と会ったおぼえがない。

 そもそも、そうした体質の人間が存在すると認識されてから、まだいくらも経っていない。

 それまで、そういう人間は歴史上にいくらか存在していたようだったが、そうした表舞台に出て来る存在は、超自然的な何者かだと認識されていた。

 年を取らないたまのような存在が、人間の一種であると扱われるようになってから、わずかに百数十年しか経過していない。

 たまの生涯と比較しても、ごく最近になってから、といってもよかった。


 たまは、あまり服装には頓着しない。

 その生涯のほとんどを食うや食わずに過ごして来たので、そこまで気を回す習慣がないのだ。

 そもそも、着る物を自分で選べるようになったのは、たまの基準でいえば、ごく最近のことになる。

 昔はよかった、と、たまはそう考える。

 立場によって、着る物がおおよそ決まっていた。

 今のように、自分であれこれと選択する必要がない。

 たまの外見は、十五、六歳ほどの小娘になる。

 その年齢にふさわしい、いかにも女学生じみた格好を今さらするのは、たまにしてみれば気恥ずかしかった。

 最近では、店員が接客する洋品店ではなく、商品が平積みされた量販店があるので、いくらか気が楽になった。

 そこへいってサイズのあう品を適当に手に取り、機械仕掛けで会計を済ませればそれでいい。

 たまは、適当なシャツとズボン、それに上着と下着があれば、それで十分だった。

 そもそも、外出をするのは日用品や食料品を買い出しにいく時くらいしかない。

 数十年前までは長唄の師匠として弟子も取っていたが、今ではそれも辞め、ひたすらに無為に過ごしていた。

 現在居住しているマンションは、土地も含めてたまの所有であり、金銭は黙っていても入ってくる。

 昔取った杵柄というやつで、往事に世話をしたガキどもが長じて不動産や法律家になり、そういう仕組みを作ってくれた。

 年端もいかない戦災孤児たちを養っていたのは、過去の自分と重なったからだった。

 その当時は苦労したものの、同病相憐れむ的な感情でどうにか切り抜け、結果としてその数十年後に不自由をしない身の上になった形だ。

 そのガキどもも今では何代か代替わりをし、直接たまと面識を持つ者は数えるほどになっている。

 それほどの時が過ぎているのだな、と、たまは他人事のように思った。

 たまが江戸間で流れてきたのは、果たしていつのことだったか。

 よくおぼえていないが、まだ徳川の治世だったことは確かだった。

 それから、大火があり、戦争があり、疫病が流行り、洪水があり、震災があり。

 そのたびに、たまもその他の人々といっしょくたになって翻弄されて来たわけだが、どうにかここまで生きながらえて来ている。

 自分だけが、なぜ年を取らないのか。

 それは、たまにもよくわからない。

 お偉い医学の先生が、遺伝がどうのこうのと説明してくれたことがあったが、そもそもそうした学問にはとんと縁のない生活をしていたたまには、その意味するところがとんとわからなかった。

 たまが、字の読み方をおぼえたのも、戦後、養っていたガキどもとともに学んでからになる。

 たまは自身を、無学な人間だと規定していた。

 そうした人間は、ほんの少し前までは多かった。

 と、いうよりも、そうした有象無象が、ほとんどだった。

 時が経るに従って、無駄に知恵をつけた人間が占める割合が多くなり、世の中自体も、無駄に難しくなった気がする。

 ただ、今では滅多に飢える人間が出ていない。

 その一事だけでも、世の中は着実に進歩している。

 と、たまは、そう思っている。


 べん。

 べべん。


 たまは、ひなが一日、細棹を爪弾いている。

 興が乗れば、長唄や都々逸を唸ることもある。

 それ以外の過ごし方を、たまはほとんど知らなかった。

 たまに、何年か、何十年かに一度、どんな伝手を辿ったのか、偉い先生や粗野な売文家の類いがたまを訊ねてきた。

 ようするに、どうやら昔のことを話して欲しい、ということなのだが、そもそもたまはほとんどおぼえていない。

 仮におぼえていたとしても、たまはその生涯のほとんどを、流浪の非人として過ごして来た。

 そうした立場から見える景色は、おそらく、そうした者たちが知りたいことではないのだろう。

 たま自身のくちぶりもしどろもどろであったし、今ではほとんど放置されている。

 長く生きていさえすれば、相応の知恵がつくというものでもないのだ。

 少なくとも、たまは、生きてきた年数に応じた知恵は身についていなかった。

 身についたのは、唄と、多少の器楽の才。

 これも、本来は、物乞いのために必要な才覚だった。

 江戸に来てからは、いくらかのいきさつがあって長唄などもおぼえ、最終的には師匠みたいなこともやっていたが。

 逆にいうと、これほど長く生きてきても、身についたのはわずかにその程度のことでしかない。

 とも、いえる。


 べん。

 べん。

 べん。

 べべん。


 たまは、細棹を爪弾く。

 その他に、しようがないからである。

 他の生き方を、たまは知らない。

 窓の外を見れば、今では醜悪な、銀色の塔が見える。

 震災で先が折れた凌雲閣などとは比較にならないほどに高い、銀色の塔。

 完成した当初こそ、

「人間は、あんなに高いものを建てられるようになったのか」

 と感心したものの、今ではすっかり見慣れた風景の一部と化している。


 べん。

 べん。

 べん。


 たまの住居は、単身者にふさわしく、狭くて簡素なものだった。

 狭い風呂と台所。

 それに、フローリングの一間があるだけだ。

 家財といえるものは、一組のふとんと多少の衣類、食器や調理器具が、ほんの少し。

 自分一人が生きるのに必要なものは、その程度のものだと思っている。

 ただ、細棹を爪弾くので、防音の方は施工時にしっかりとして貰っている。

 長屋住まいの時分には、細棹の音など気にするものはいなかった。

 というより、あの当時は、音などを気にかける余裕もなかったのだろう。

 あの長屋という安普請は、床も壁もひどく薄く、かろうじて雨露がしのげる程度の設備でしかなかった。

 家、というより、小屋、だ。

 隣近所の生活音が聞こえてくるのが当たり前で、その生活音の中には細棹も含まれていた。

 気にしてもしょうがないから、気にしていなかった。

 ただ、それだけのことだ。

 今とは、いろいろと基準が異なる。


 べん。

 べべん。

 べん。


「いや、師匠」

 菓子折りを持って久方ぶりに顔を見せたのは、以前に養っていたガキの、三代か四代目の子孫だった。

 顔立ちや仕草は、そのガキの晩年によく似ている。

「大変に、申し訳ないんだがよう。

 このマンションも、建ててからかなりになる。

 ここいらでひとつ、建て直させてはくれないか?

 悪いようには、しねえから」

「好きにすればよろしい」

 たまは即答する。

「今住んでいる住人は、どうする?」

「契約の切れ目で、退去をさせようかと」

 ガキの子孫はいった。

「その辺はどうか、こちらに任せてくれ」

「老朽化、か」

 たまは首をわずかに傾げた。

「もう、そんなに経つのか」

「おれが生まれる前に完成したっていってたから、もう四十年以上になるよ」

「そうか。

 そんなに、なるのか」

 このような大きな建物であっても、寿命というのはあるのだろう。

「それに、今やらないと、この先、職人もよく集まらない。

 どこもかしこも高齢化で、実際に作業を出来る人間は少なくなっているんだ」

 そんなもんか。

 と、たまは思う。

 たまは、そうした世間の動向に、ひどく疎い。

 というより、感心が、最初からない。


 そうした交渉があってから数ヶ月後。

 たまは長く住んでいたマンションを離れ、遠く離れた場所へと越していった。

 とはいえ、引越や転居先の手配など、もろもろの手続きはすべて、

「昔に世話したガキどもの子孫」

 たちに任せてしまっている。

 そうした者たちをそこまで信頼している、というより、たまがこれまでを振り返り、

「裸一貫で放り出されても、どうにかなる」

 という経験則を持っているから、好きにさせておいた形だ。

 転居先は、いかにも郊外然とした、のんびりとした場所であった。

 ガキどもの子孫が、買い出しその他、生活に必要となるものはすべて心当たりに世話をさせるというので、これも、好きにさせておく。

 数字の上では高齢になるものの、たまはもちろん、惚けてなどいない。

 自分の世話くらい自分で出来るのだが、この土地では買い物に出るにも車がないと難しい、などといわれた。

 それならば、やらせてみるか。

 と、その世話係とやらに一任した形になる。

 その世話係とは、ようするに、ガキどもの子孫の、さらにその親族ということになるのだが、たま自身は面識がない。

 引越の業者に荷ほどきまで任せ、古びた平屋に落ち着くと、たまはまた細棹を取り出して爪弾きはじめる。


 べん。

 べべん。


 幸いなことに、この古びた一軒家は広めの庭に囲まれていて、近所まで相当の距離がある。

 白昼に細棹など爪弾いても、誰に迷惑がかかるというわけでもなかった。

 その辺のことまで考慮した上で、こんな辺鄙な場所を当座のたまの住居として定めたのであろう。

 当面、たまは、この細棹を爪弾くくらいしか、やることがない。

「すいませーん!」

 無心になって細棹を爪弾いていると、しばらくして、案内を乞う声がした。

「たまさんは、ご在宅ですかー!」

 たまが玄関口に出てみると、二十歳にもならない小娘がスーツケースを手にして立っている。

「いかにも、たまだが」

「このたびは、お世話になります」

 たまがそういうと、小娘は深々と頭をさげる。

「行き場のないところを、拾っていただいて」

「そちらの事情は、知らされていない」

 たまは、正直に答えた。

「こちらの世話をする者をよこすとだけ、聞いている。

 それで、間違いはないか?」

「あ、はい。

 それで、間違いはありません。

 家事から買い物まで、なんでも任せてください。

 それで、早速なんですが」

 小娘は、自分の軽自動車を止めるための駐車場を契約したい。

 そのためには、身元保証人が必要で、それになってくれないか。

 と、説明しはじめる。

「金子は、足りているのか?」

「あ、はい。

 ちゃんと、給金も出ていますので」

 たまは契約書を確認した上で、保証人の欄に捺印した。

 小娘はぐだぐだと名乗りここに来るまでのいきさつなどを語ったが、たまは聞いたはしからそれらを忘れていった。

 どうせ数年、長くても十年くらいにしかならない、短いつき合いで終わるはずなのである。


 べんべんべん。


 小娘は自分でいうとおり、甲斐甲斐しく働いた。

 他に行き場がないといい、買い物に出る以外は一日中家に居て、家事をこなしている。

 働きに出たり学舎に通ったりはしないのかと問うと、

「そういうのには、向いていません」

 と、決まって答えた。

 実際、この家の外に連絡を取る様子もほとんどない。

 たま自身と同様、孤独な身の上のようだった。

「それ、凄いですよね」

 何ヶ月か二人で過ごし、そうした暮らしが当然となった時、小娘はたまにそんなことをいう。

「動画に撮って、公開してみませんか?」

「これをか?」

 たまは、小首を傾げた。

「なにを好んで、こんなものを。

 ま、好きにしな」

 自分の演奏が他人にどう受け止められようとも、正直、たまは興味がなかった。

 たまは弁舌が達者ではない。

 記憶力も弱いし、昔語りなど、出来やしない。

 せいぜい、細棹を爪弾くことしか出来ず、そのことになんの価値も見いだしていなかった。


 べん。

 べんべんべん。


 小娘は実際にたまの演奏を撮影し、公開した。

 最初はスマホで撮ったショート動画を、何本かSNSに公開した程度であったが、すぐにもう少し高級な撮影器機を買いそろえ、それで撮影した映像をパソコンで編集して公開するようになった。

「意外と、反響がありますよ」

「さよか」

 たまは、その反響とやらにまるで興味がわかなかった。

 どこか遠くのアカの他人がいくら騒いだところで、たまには響かない。

 たまは、撮影だの公開だのは小娘に任せ、ただ細棹を爪弾き続ける。

 それまでそうして来たように。

 これからも、そうするであろうように。

 前述の定期検診の時などは小娘に送迎させ、それ以外は家に引きこもって細棹を爪弾いて暮らした。


 べんべんべん。

 べんべんべんべんべん。

 べべん。


 そうした何年か小娘と暮らして、玉ノ井のマンションへと戻る日となった。

 マンションの建て替えが、終わったのだ。

「本当に、お一人でも暮らしていけますか?」

 つつがなく引越も終わり、小娘は涙を浮かべながら別れの挨拶をした。

「くどいな」

 たまは答えた。

「もともと、一人で暮らしていた。

 なにも問題はない」

「そう、ですか」

 会った時よりも数年分、老けてはいたが、たまにいわせれば、小娘は小娘のままだった。

「たまに、連絡をしますね」

「好きにせよ」

 どの道、何年も続かない関係だ。

 過去にそういった者がいないわけでもなかったが、たかだか数十年も経過すれば音信不通となる。

 たまにしてみれば、ありふれた関係でしかなかった。

 新居となったマンションには、なぜかたま専用のこぢんまりとしたスタジオが最初から備わっていた。

 たまにでも出来る簡単な操作で、所定のスイッチを入れて所定の場所で細棹を爪弾けば、そのまま全世界に中継され、録画した映像が保存、公開されるという。

 小娘は去り際に、

「どうか、細棹を爪弾く時は、ここでスイッチを入れて演奏してください」

 と、念を押してたまに懇願した。

 たまとしても、それを無下にするつもりはない。

 どこでどのように演奏し、どこでどのように受け取られようとも、たまのあずかり知らぬことだった。

 たまはただ、これまでのように、これからもそうするように、無心に細棹を爪弾くだけだった。


 べんべんべんべんべん。

 べべべん。

 べんべん。

 べべん。

 べんべんべんべんべんべん。

 べんべんべんべんべんべん。


 たまは、細棹を爪弾き続ける。

 たまは知らなかったが、いや、説明を受けても頓着せず、その内容を忘れ果てていたが。

 たまの演奏と映像は、ネットを介して世界中に響いていた。

 自動的にアーカイブされ、切り貼りされ、あらゆる用途に引用され、使用された。

 ラジオで、有線で、映像作品のBGMとして。

 誰もが、どこかで一度は聞いたことがある演奏として、世界中で、何世代にも渡って、受容されることになる。

 そうと知っても、たま自身はまるで感心を示さなかっただろうが。


 べんべん。

 べべん。

 べん。

 べんべんべんべん。


 たまは、自身の生に意味を見いだしていない。

 これまでに目撃してきた人々の生と死が、あまりにもあっけなく、刹那的で、意味がないものに見えたからだ。

 仮に、たまの生になんらかの意味があるとするのなら。


 べんべんべん。


 その意味とは、この細棹から鳴るいくばかの響きに、多少は含まれている。

 その程度の、ものだろう。

 たまは、今日も無心に細棹を爪弾く。

 爪弾き、続ける。

 そしてその音は、世界中に響き渡る。

 未来永劫、この文明が、続く限り。


 べん。

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― 新着の感想 ―
なんかこう、たまさんは「自分は流されている」と思ってるけれど実際はたまさんの周りをいろんなものが流れていってるように感じました
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