29.異国の香辛料
年末が近づく頃、俺は順調すぎる報告書を見ながらため息をついていた。
――余りにも順調すぎる。
戦争で解雇された余分な傭兵たちは、大部分がこの国を離れた。
町の治安は改善し、加工工場で雇用が増えて、加工品で住民の生活が向上している。
伯爵家の収入が増えて財政に余裕が生まれ、港湾の利用手数料を下げることで入港する船が増えた。
港が栄えれば周辺が栄える。
多数の交易品が入り乱れるオリネアの町を中心に、周辺の町の経済も活発になっている。
港湾の利益が多少下がっても、周辺地域の経済効果で打ち消せるどころか、税収は上がる一方だ。
工場や店舗の増改築も盛んになり、林業も堅調に推移してる。
半年前まで戦争で疲弊していたとは思えない活況ぶりだ。
シュルツ侯爵が打ち出した数々の経済対策、それらも追い風になってる。
事業を起こすタイミングが良かったといえばそれまでだが、ここまでトラブルらしいトラブルがなかった。
思わず増長しそうになるが、これは俺の実力じゃない。
たまたま幸運の女神が俺に微笑んだだけだ。
油断をせず、先を見据えて手を打っていく。
セイラン国との交易で使う交易船も、新しく造船中だ。
大陸のように薄利多売にする必要はない。
希少価値のある品々を交易するのだから、多少小さくても外洋を航行できる高速船――そんな船を発注した。
従来の船便で使うガレオン船と比べ、積載は半減するが航行速度が二割増しから五割増しを見込めるそうだ。
それを今後の定期便で使う。
第一便の手応えが届く前だが、アヤメやフランチェスカの太鼓判がある。まず間違いなく、宝石には食いつくはずだ。
定期輸入する生地も、量を詰め込むことは無理だろう。
『セイラン織』というらしいが、作るのに手間暇かかるらしい。
高速交易船は、どちらかに活用できるのは間違いない。
……宝石の産地にも、この高速交易船回せねーかなー。
港湾都市を使える宝石の産地を開拓しておくか。
俺の思索を、アヤメの声が破る。
「ヴァルター! そろそろオオミソカだよー! そしてオショウガツだよー!」
俺は思わず眉をひそめた。
「……なんだ、それは」
俺の執務室に入ってきたアヤメが、元気な笑顔で俺に告げる。
「年越しのイベントだよ! セイラン国だと、オオミソカは大掃除するんだ!」
「……この家だと、使用人が毎日掃除してるぞ?」
「そしてオショウガツには、月夜見様に向かって一年の健康をお祈りするんだよ!」
「神様にお祈りか……白竜教会にでも行って、祈りを捧げてくるか?」
アヤメが不機嫌そうに首を横に振った。
「ちーがーうー! 年を越した時、空に浮かぶお月様に向かって、お祈りをするんだよー!
祈りが通じると、お日様が上ってきて一年の健康を約束してくれるんだ!」
「……朝になれば、日は昇るものだろう?」
「もー! わかってないんだからー! そういうイベントってことー!」
異文化交流って、難しいなぁ。
大陸だと、年末も年始も、家族で静かに過ごすのが、ほとんどの国の風習だ。
神と言えば白竜教会が崇める神様ぐらいだが、俺は別に信徒じゃないしなぁ。
俺はアヤメと過ごす年末年始に思いを馳せながら、じゃれついてくるアヤメをあやしていた。
****
年末最後の日はアヤメに付きあい、自分の部屋の掃除を自分たちで行った。
『オオソウジ』とやらをやりながら、どことなく虚しさを感じていた。
……傭兵だった時でも、やったことねーしなー。掃除なんて。
自分の家を持たなかった俺には、『部屋を掃除する』という習慣自体がない。
仕方なく侍女に相談しながら、調度品を拭いて回っていた。
……これに、なんの意味があるんだ?
アヤメだって王族だ、自分で掃除をする事なんて、ないだろうに。
拭き掃除を粗方終えた俺は、手を洗ってからアヤメの部屋に向かった。
アヤメは部屋でソファに座り、のんびりと紅茶を飲んでいた。
その周囲でフランチェスカが、調度品を付近で拭いている。
「オオソウジはどうなったんだよ?!」
フランチェスカが俺に振り向き、苦笑を浮かべた。
「殿下が掃除をなさると、余計に散らかってしまいますので……ご遠慮願っています」
あるのか? そんなこと。どうやったら掃除で逆に汚せるんだ?
アヤメがのほほんと俺に告げる。
「オオソウジ、終わったの? じゃあこっちにおいでよ! あとはゆっくり年越しを待つんだよ!」
その笑顔に悪意はない。アヤメは純粋に、この年末を楽しんでいた。
――ああ、これは新年も苦労するんだろうな。
半ば確信に近い予感を覚えながら、俺はアヤメの隣に腰を下ろした。
****
一月になり、最初にセイラン国に向かわせた船便が戻ってきた。
クラウスの報告では、手応えは完璧らしい。
積んでいった交易品に負けない量のワサビが、倉庫に山積みだそうだ。
クラウスが持ってきたワサビという香辛料を手に取り、鼻を近づけてみる。
「……不思議な香りだな。清々しい感じはミントに近いか」
フランチェスカが俺に告げる。
「それをおろし金ですりおろすんです。
最初はびっくりすると思うので、少量を口にするといいですよ」
ほー。驚くような辛みがあるのか? 想像がつかないな。
早速侍女が持ってきたおろし金で、フランチェスカがワサビをすりおろしてみせた。
清涼感のある匂いが周囲に漂っていく。
すりおろし終わった緑色の山が小皿に盛られ、俺の前に差し出された。
「本来はそのものを食べる物ではないので、本当に気を付けてくださいね。
魚の切り身につけて食べるものですから」
俺は侍女が手渡してくるスプーンで、ワサビを少量をすくいとり、口に含む――ツンと鼻に抜ける辛みに、思わず手が口を押えていた。
息もできないような辛みが鼻から抜けていくと、清涼感のある風味が口内を支配する。
「――本当に、独特の味だな」
俺は涙目になりながら告げた。
アヤメは平気な顔でスプーンでワサビのすりおろしをすくい取り、口に含んでいた。
「ん~! 美味しい! ちゃんと最高級のワサビを渡してもらえたんだね!」
俺は呆れてアヤメを見つめた。
「……お前、何でそんな平気な顔で食べられるんだよ」
アヤメはきょとんとした顔で俺を見つめ返してきた。
「上質のワサビは、そのままかじって食べられるよ? 慣れれば美味しさがわかるよー」
マジか。奥深いな、セイラン国の食文化。
香辛料としては、辛みも風味も強い方だ。
だがその辛みが一瞬で鼻に抜けて消えて行く感覚、これは独特だった。
「クラウス、晩飯に肉料理を用意してくれ。ワサビとあわせてみたい」
「はい、かしこまりました」
この独特の風味、おそらく貴族たちにも受けがいいだろう。
これからしばらく、料理人たちとも相談してワサビにあう料理を探しておくか。
だがセイラン国の知名度を上げるには、庶民にもこの味を知ってもらう必要がある。
しかし、そのまま売るには高額すぎる……やるか、飲食業!
商品の薬味として、少量を添える。そんな形で庶民に存在を知ってもらおう。
俺は今後の新しい事業展開を考えながら、新たにひとすくいのワサビを口にしていた――この味、案外癖になるな?!
****
一か月が経過し、ワサビは湾岸都市ならではの新鮮な魚に添えられる薬味として、一定の市民権を得ていた。
コストを抑えた料理に、少量添えられるワサビ――商品としては割高なそれは、ワサビを味わいたい庶民たちが殺到し、連日行列ができていた。
新鮮なワサビを運ぶついでに、新鮮な魚を≪保管≫の魔導術式で王都に運び、王都の王侯貴族にも味わってもらった。
王都での受けも上々、今では肉料理やサラダに合わせることも試されているらしい。
『一匙で同量の黄金に匹敵する』とまで言われ、キュステンブルク王国では富裕層を中心に、一大ブームが巻き起こり始めている。
俺の事業にデカい柱がそびえたち、伯爵家の財政は日増しに潤っていった。
じきに隣国へも噂が伝わり、買い付けに来る商人がやってくるだろう。
ただ、輸送と保存に≪保管≫の魔導術式を使える人材が必要なので、どうしてもコストが高くつく。
今は高額でも買ってもらえているが、ブームが去ったらここまでの利益は見込めないかもしれない。
そんな懸念を感じていた俺は、クラウスからの一報で驚くことになる。
「――セイラン国の国王が来てる?!」
クラウスは真顔で頭を下げた。
「はい、第二便の船に乗り、港まで来ておられます。
今はお待ちいただいていますが、急いで客間を用意しております」
どういうことだ? 第二便は宝石を積んでいた船だ。そこまで宝石を気に入ったのか?
……それだけで、セイラン国からわざわざ国王がやってくるってことはないな。
アヤメの事も含めて、何か考えがあるんだろう。
「クラウス、準備は任せる。失礼のないように気を付けてくれ」
「はい、かしこまりました」
アヤメの父親か……どんなおっさんかなぁ。
婚約のことで頭に来て、俺を切り殺しに来たとかじゃないといいが。
俺は一抹の不安を胸に、国王を迎える身支度を侍女に指示した。




