1.異国の少女
俺が一か月ぶりに揺れない地面を踏みしめていると、波止場で揉め事を起こしてる子供がいた。
小さな黒髪の少女が告げる。
『フラン、妾の財布を出せ』
傍のダークマロンの髪の女性が、驚いて目を見開いていた。
『姫様?! 何をお考えなのですか?!』
船員が別の子供を襟をつかんで持ち上げ、黒髪の少女を睨み付けていた。
「なんだお前ら?! この密航者の仲間かぁ?!」
どうやら、密航者が居たらしいな。だがあの子たちの言葉は聞いたことがない。
ダークマロンの髪の女性が渋々取り出した革袋を、黒髪の少女がひったくるように掴み取り、それを船員の顔面に投げつけた。
『それで文句はなかろうが、下郎。疾く去ねい』
『姫様! 青嵐語はここじゃ通じませんよ!』
黒髪の少女がハッとして、拳を口に当てて咳払いをした。
「その子の船賃はそれで足りる? わかったら早くその手を離して、さっさとあっちに行って」
まさか、密航者の代わりに船賃を払おうってのか?! どんだけお人好しなんだ、この子。
しかもあの革袋、結構な量が入ってないか?
船員は不機嫌そうに革袋を拾い上げ、中を見た途端に顔色を変えた。
「……いいだろう、これで見逃してやる」
船員は子供の襟を話して地面に放り投げ、その場から立ち去っていった。
急に上機嫌になりやがった。中身がどんだけ詰まってたんだ、あの革袋は。
ダークマロンの髪の女性が眉をひそめて、ため息をついて告げる。
『姫様……全財産を投げつけて、これからどうなさるんですか』
勝ち誇ったような黒髪の少女が応える。
『別に構わぬであろう? 今夜はフランの家に泊まるのじゃ。宿に困ることはなかろう』
黒髪の少女が、地面に放り投げだされていた子供に手を差し出した。
「大丈夫? 坊や。怪我はない?」
薄汚れた子供が頷いた。
「ありがとう、お姉ちゃん」
黒髪の少女はニコリと優しく微笑むと、転んでいた子供を起こしてやり、尻に着いた砂を払っていた。
「もう悪いことなんて、しちゃだめよ?」
密航者の子供は、笑顔で路地裏に消えていった。
ダークマロンの髪の女性がぽつりと告げる。
『それ、姫様がおっしゃっても説得力がありませんよ』
『やかましい! 口が過ぎるという言葉を知らんのか、フランは!』
賑やかなコンビだな。親子……という感じでもないか。
だがこの港町に若い女性と子供が一人、財布を丸ごと渡して無一文になってないか? どうやって旅を続けるつもりだ?
俺は異国風の二人組に近寄って言葉をかける。
「あー、俺の言葉はわかるか? 二人とも」
黒髪の少女が、俺をじろりと下から睨み付けた。
『なんじゃ、新しい下郎か』
ダークマロンの髪の女性が慌てて俺に応える。
「はい、言葉はわかります。何か御用ですか?」
「あんたら、あんなデカい革袋を丸ごと船賃で投げつけてたみたいだが、金は大丈夫なのか?」
ダークマロンの髪の女性が困ったように微笑んだ。
「ご心配をおかけしました。私はこの町の出身なので、家があります。ですから心配はいりませんよ」
「そうか……だが、今この町は物騒だ。若い女性と子供の二人旅は避けておいた方がいい。
その『あんたの家』まで、俺が送ってやろうか?」
ダークマロンの髪の女性の目が、微笑みながらも警戒の色を帯びた。
「……失礼ですが、あなたは?」
おっと、怖がらせちまったかな。
俺は首から下がっている傭兵ギルドの登録証を外し、ダークマロンの髪の女性に手渡した。
「俺はヴァルター・ヴァルトヴァンデラー、旅の傭兵だ。
最近、この国は戦争で稼ぎ時らしいんで、さっきやってきたところだ。
ギルド登録証にある通り、怪しい者じゃない」
ダークマロンの髪の女性はギルド登録証の文字を確認すると、俺に登録証を返してきた。
「確かに、正規の登録証ですね。
私はフランチェスカ・ヴィットーレ・ニコレッタ。ニコレッタ子爵家の者です。
この町は十年振りなのですが、そんなに物騒なんですか?」
俺は登録証を首にかけながら応える。
「五年くらい前から、この国は隣国との戦争が続いている。
俺みたいに傭兵として出入りする人間が増えて、港町は特に治安が悪いんだよ。
逃げ出す住民を襲う野盗も多いって話だし、あまり女性だけで出歩かない方が良い」
ダークマロンの髪の女性――フランチェスカがにこやかに、だが断固とした拒絶の空気で応える。
「あなたのご厚意には感謝します。ですが、私たちには不要の心配です。お気になさらず」
うーん、完全に警戒モードだな。
「だが、財布を無くした女性と子供の二人旅なんて見ちまったら、俺には放っておけない。
せめてあんたらが家に辿り着くのを見届けさせてくれ。
あんたらが俺を警戒するなら、俺の剣を預けてもいい」
黒髪の少女がふぅ、と小さく息をついた。
『フラン、お節介なお人好しの気が済むなら、送らせてもよかろうが。
どうせ捨て置いても、妾たちの後ろをついてくるぞ、こやつは」
フランチェスカが黒髪の少女を見つめて思案した後、俺を見て告げる。
「では、家まで送っていただきます。
ですが変な気を起こすようなら、その命は容赦なく頂戴いたします。
努々お忘れなきよう」
俺は肩をすくめて苦笑いをした。
「おっかねーねーちゃんだな。そんなこたーしねーよ」
俺の二メートル近い体格を見て『下手な真似をしたら殺す』と言い切る女か。
腕によほど自信があるのか。無謀なだけか。
なんにせよ、おもしろい二人組だ。
俺は彼女たちが歩きだす背後を追うように、後をついて行った。
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俺は歩きながら前の二人に声をかける。
「なぁ、そっちの黒髪の嬢ちゃんはなんて名前なんだ?」
……返事がない、か。振り向くそぶりも見せやしない。
まぁ、この港町では正しい行動かもしれんがな。
大通りを二本外れた道を歩いて行く女性が、一件の廃屋敷の前で足を止め、目を見開いて屋敷を見つめていた。
「そんな……なにがあったというの……」
俺も廃屋敷の様子を窺ってみる――すっかり荒らされ、窓もあちこち割られてる。
人が住まなくなって何年か経ってるな。
門扉も半分開いていた。
泥棒は入り放題だ。
風雨はしのげるかもしれないが、誰が入ってくるかわかったもんじゃないな。
俺はフランチェスカに告げる。
「まさか、ここがあんたの家か」
「……ええ、ニコレッタ子爵家で、間違いないはずです」
周囲を見渡してみるが、廃屋か無人の家ばかりが並んでいるようだ。
元々住んでいた住民は、どこか別の場所に移ったんだろう。
「どうするんだ? まさか『ここに泊まる』なんて馬鹿なことは言わないだろうな?」
黒髪の少女が、廃屋を見上げながら告げる。
『さて、宿がのうなったな。妾たちはどうすればよいか、考えよ』
『姫様、そんなことをおっしゃられても、私にもどうしたらいいのか……』
二人の様子を見る限り、途方に暮れてるってところか。
――しゃーねぇ、乗り掛かった舟だな。
「あんたら、俺と相部屋でも構わないっていうなら、飯と宿の金くらいは貸してやる――どうする?」
フランチェスカが俺を警戒するように、横目で睨み付けてきた。
「なぜあなたがそのような申し出を?」
「言っただろう? 路頭に迷う異国の若い女と子供なんてものを、俺は放っておけない。
金はいつか、稼いだ時に返してくれりゃあいい。
別々の部屋を取る余裕はないから、相部屋で我慢できるならって条件が付く。
それでも納得できないなら、俺はここで別れるさ」
眉根を寄せて悩むフランチェスカに、黒髪の少女がニヤリと微笑んで告げる。
『面白いではないか、その話に乗ってやろうぞ』
フランチェスカが弾けるように黒髪の少女に振り向いた。
『姫様?! 何をお考えなのですか!』
黒髪の少女が子供らしくない尊大な笑みを浮かべ、俺に告げる。
「それじゃ、今夜のご飯と宿はあなたの世話になるわ。
私はアヤメ・ツキノベ・セイランよ。
相部屋だからって変な気を起こすなら、ゲッカにあなたを食べてもらうからね」
どこかなまりのある公用語だな。あんまり言語は得意じゃないのか。
「ゲッカって誰のことだ?」
「あなたの背後に居るわよ?」
慌てて背後に振り返り剣の柄に手をかける――俺の背後、すぐそばに、白い狼が立っていた。
白い狼は俺の目を見つめたあと、興味なさそうに俺を素通りして黒髪の少女――アヤメのそばに腰を下ろした。
アヤメがニコリと微笑んで告げる。
「ゲッカはあなたのこと、大丈夫だと思ってるみたい。よっぽどお人好しなのかな?
――でも変な気を起こせば、ゲッカが骨も残らず噛み砕くから気を付けてね?」
俺は冷や汗を流しながら応える。
「……心しておくよ、嬢ちゃん」
いくら俺でも、狼の尾行までは察知できない。一体いつから背後に居たんだ?
俺は小さく息をつくと、アヤメとフランチェスカに告げる。
「宿を取る前に傭兵ギルドに行く。それで構わないか?」
二人が頷いたのを見て、俺は表通りに向かって歩きだした。
俺は背後から二人と一匹分の気配を感じ取りながら、傭兵ギルドを目指した。