中学時代の社会の先生
僕は休日だが京浜東北線に乗っていた。行先は入学式が行われた有楽町のホールで、展覧会を見に行く予定だ。乗っている途中、僕は気づいた。そういえば、この時間は快速だから停まらないな。電車が浜松町駅で停まると、対面に山手線が停まっていたので乗り換えることにした。
乗ろうとすると、少しガタイのいい男性が前にいた。その男性は、後ろから人が乗って来ると思ったのか急に振り返った。僕は見てすぐに気がついた。なんと中学時代の社会の先生だ。声をかけるべきか迷っていたら先生も僕に気づいたのか、もう一度、振り返ったので僕は声をかけた。
「島田先生ですか?」
「あー、そうだ」
「僕のこと分かります?」
「江本だな」
どうやら先生も覚えていたようだ。先生の勤務校を聞いたところで有楽町に着いてしまい、僕は下車した。なお、自分の状況を伝えることができなかった。
そもそも、先生と会うのは約五年ぶりのことだった。中二の冬休みが終わって、三学期の始業式に学校に行くと校長先生が言った。
「島田先生は体調が優れないため、三学期は休職することになりました」
えーっと言った声は上がらなかった。八十キロを超えていて太っていたから、健康状態は悪そうに見えたし、そこまで驚くことはなかった。中三になり四月から復帰すると思ってたら、一年間の延長が発表された。僕たちの代が卒業した後に復帰すると思っていたら、また一年間延長。尾崎いわく「知ってる生徒が卒業していなくなるのを待ったんだろう」とのこと。
今となっては理由は分からないが、ストレスだったと思う。島田先生の出身中高は、神奈川県にある私立の進学校だった。それなのに、都内はもちろん全国でもワーストに入るであろう中学校(母校)に配属。しかも、副担任とはいえ自分たちの代の担当だから、嫌でもストレスが溜まる環境だ。
そして、自分は電車を降りた後に気づいた。そういえば、部活の顧問じゃないか。しかも、自分は部長(みんなやりたくないので勝手に押し付けられた)だった。結局、顧問が倒れたためという理由で休部となったが「お前らがやる気ないから、引き受ける先生がいない」と言われたことに腹が立った。正確に言うと顧問もやる気がなかったし、なぜ作ったの?と他の先生も苦言を呈したくらいだ。
この先生、教科書の執筆もしていて名前が載っています。報酬が「一ページにつき、一万円くらい」と言ってましたが、よく中学生の前で言ったなと思う。みんなが聞いたわけでなく、自ら発信。
2015年、仕事の休憩中に松屋に寄ったら、先生がいました。約十年ぶりに見ましたが、相変わらず太っていて健康は大丈夫かなあと思いました。なお、席が離れていたため話すことはありませんでしたが、おそらく気づいていたと思います。作者、どんだけ変わってないんだ。




