約1か月遅れの新入生
大学に入学して、約一か月が経った。往復で約四時間の通学は辛いが、毎日が充実していた。今までの人生で一番楽しいかもしれない。朝起きると、すぐに母親が声をかけてきた。
「おはよう。新聞見た方がいいわよ」
僕はそう言われたので、赤ペンで囲まれた記事を見た。数行なので大きく載ってないが、記事の見出しはインパクトがあった。『埼京大敗訴。日本を震撼させた犯罪者の娘の入学を認める』という記事だった。
「学部は違うけど、キャンパスは同じだからね。気をつけた方がいいんじゃない?」
母が言うと、父が言った。
「気をつけるって、何を気をつけるんだよ。それに大学は広いから授業が一緒とかじゃないと会わないこともザラ。そんなに気にすることじゃない」
そう言われて、僕は一言だけ言った。
「その娘、全く知らないんだけど」
通学途中、大学からメールが届いた。中を見ると、一限の授業が休講という内容だった。もしかして、今朝のニュースのことで他の授業もと思ってサイトを見たが、自分が履修している科目以外は予定通りのようだ。さらに廣川からメールが届いた。
みんな、おはよう。
昨日は新入生歓迎スポーツ大会、お疲れさまでした。
それから、今朝のニュースを見て不安に思った人。
よかったら、ホームで話をしよう。
特にすることもないので、僕はホームに向かうことにした。駅からの通学経路の様子も、いつもと変わらない。相変わらず、途中にある一軒家のばあちゃんが演歌なのか唱歌なのか分からない歌を歌っている。校門周辺も、いつも通りといった感じだ。
「おはよう」
ホームに着くと女子を中心に数人いて、谷岡の隣に見知らぬ男子学生が一人いた。
「お邪魔してます。臨床心理学科の相沢です」
座ったまま、相沢は軽くお辞儀をした。
「付属高出身で同じバスケ部だったんだ」
隣にいた谷岡が説明してくれた。
「マジ、ありえないよ」
相沢は少し大きな声をあげ、頭を抱えていた。
「まあ、落ち着けって」
谷岡が肩をポンと叩いた。
「落ち着いてられるかよ。殺人犯の娘のアーチャリーだよ。ヤバイって」
周りにいた女子たちも会話をやめて注目した。みんな動揺しているように見える。
「まだ会ったことないし、どんな娘か分からないだろ」
谷岡が言うと、すぐに相沢も返す。
「写真は見たことある」
「十年くらい前に週刊誌が載せた写真だろ。今は別人みたいな姿になってるかもよ」
「そうかもしれないけど、中身はどうなんだよ」
「実際に会って話したことないから、それは分からないって」
僕は谷岡の言う通りだと思った。
「じゃあ、心理学を勉強するって何で?俺には洗脳の仕方を学ぼうとしてるとしか思えないんだ」
相沢が言うと、教室中がシーンとなった。
「アーチャリー、相沢のクラスに所属することになったんだ。だから、必修授業は同じ教室」
谷岡が補足するように言うと、女子の誰かが言った。
「私も同じ教室で授業を受けたくない」
そう言うと、数人がうなづいていた。
そんな中、僕は言いづらかったが言った。
「アーチェリーって誰?」
みんなの視線が、一気に僕になった。
「いや、アーチェリーじゃなくて、アーチャリーだよ。えっ、知らないの?」
「全く分からなくて」
「事件のことは?」
「それは分かるよ」
僕は事件の内容を簡単に説明し、逮捕された容疑者や指名手配犯の名前も数人言った。
「そんなに知ってるのに、アーチャリーのことだけ知らないんだ」
事件当時、週刊誌に載っていた写真がヤバイということを説明された。最初、僕は「犯罪者の娘だからヤバイと思っているんだ」と見ていて思ったが、どうやら一番の原因は写真らしい。
「クラスで話し合いをするって連絡が来たんで行ってきます。社会専修のみなさん、お邪魔しました」
相沢がホームを出て行った。二限の授業は全員ボイコットして、話し合いをすることになったらしい。
その後、数人やってきて「週刊誌の人に声をかけられた」と言っていた。
「余計なことを言ってないよね?」と廣川が聞いていたが、大学から何も説明されてないから答えられなかったとのこと。そもそも、あやしさマックスで分からない、知らないを連呼して離れたそうだ。
結局、この件で大学から改めて説明されることは一切なかった。あれだけ嫌がっていた臨床心理学科の人たちも「全然、普通でいい子だった。目が父親と似てる」と言っていて、お互いの連絡先を交換するくらいの仲になったそうだ。そして、僕は一度も話すどころか彼女の姿を見ることなく、大学を卒業した。彼女の顔を見たのも自伝をだしたときだった。
このとき、僕は何でみんなと比べて落ち着いているんだろうと考えた。そういえば、初めてじゃなかった。小学校五年生のときの同級生の父親が殺人で逮捕されていたことを思い出した。




