婚約破棄……その言葉だけは言わないで……
「私、このような方は、アンジェロ様にはふさわしくないと思います!」
(お願い、言わないで……)
「ふさわしくない?では、どうせよと?」
(王子、やめて、聞かないで……)
「はい、アンジェロ様はイザベラ様との婚約を」
(お願いだから、それ以上は言わないで……)
***
王立学園のカフェテラスに座っている私の前に現れたのは、私の婚約者で、ウイリアム王国の第一王子にして王太子でもあるアンジェロ様と、その側近で宰相の子息のクローディオ様、王宮魔術師団長の子息ホーソン様、騎士団長の子息ヴァリアス様、そしてアリアナ様だった。
ピンクブロンドの髪に、水色の瞳の彼女は、今日もフリルが付いて、ふんわりと広がったピンクのドレスを着ていて、その肩はヴァリアス様がしっかりと抱いていた。まるで、何があっても離さないといわんばかりに。
「聞きたいことがある」
王子のその怒気にあふれた声は、聞いたものすべてにその怒りが伝わるものだった。恐れていた時がついに来てしまった。
ダヴェナント公爵令嬢である私イザベラと、アンジェロ様の関係は、問題が起きた時期も有ったものの、おおむね良好だった。元平民のヴァーダン男爵令嬢アリアナ様が、三か月前に編入してくるまでは。
彼女は珍しい癒しの魔法が使えるということで、最近男爵家の養女になったらしく、令嬢としての教育は受けていないようだった。
この学園には制服はないが、季節ごとに推奨する服装を、影絵の形で表したシルエット指定というものがあり、男女ともそのシルエットに合わせた服装を義務づけられている。しかし、編入してきたアリアナ様はその指定を守らず、膨らんだ袖や大きく広がるドレスを着用してきたため、私は何度か注意をした。しかし、その度に、
「私が元平民だからって、ひどい!」
だの、
「公爵令嬢だからって、そんなに偉いんですか!」
などと言われ、私は困惑した。この学園には平民の生徒も多く、彼らが委縮したり引け目に感じないで済むように決められた制度なのに、一向に理解してくれないのだ。
おまけに、婚約者のいる男子生徒に馴れ馴れしくするのを注意した際は、
「学園でお友達を作ってはいけないんですか?そんなのひどい!!」
と言われてしまった。
そのため私は金輪際彼女には近づかないと決意、その旨を周りに伝えた。
しかし、それからすぐに、彼女は王太子やその側近たちのグループに近づくようになり、やがて常に王子たちの側を離れないようになった。その結果、私と王太子の距離は徐々に離れていくことに。そして、そのころから私が彼女に嫌がらせをしているという噂が流れ出した。
その噂を聞いた学生たちは、やがて少しずつ私を遠巻きにするようになった。
私を気遣ってくれる令嬢たちもいたが、私は彼女たちを巻き込まないためにも、私とは距離を取るように言い含めた。なので、最近の私はおつきの侍女と二人でいることが多い。
今日も侍女を側に控えさせ、一人でテーブルについていた。そこに、彼らはやってきたのだ。
他の生徒たちはすでに事態を察知して、遠巻きに囁きあっている。なかには、『ようやく…』とか、『ざまぁ…』などという言葉も聞こえてくる。
私は覚悟を決めて立ち上がった。
「贖罪の時間です」
クローディオ様が言う。
「あなたはアリアナ嬢に対して、彼女のノートを破く、教科書を引き裂くといった行為をされましたか?」
そんなことをした覚えは一切ないため、私ははっきりと否定する。
「いいえ、そのようなことは一切しておりません」
「彼女はそう言ってますが?」
「ひどいです!イザベラ様。私は一言謝ってくれたら許すつもりでいたのに……」
王子の怒りが一層深まったのが、判った。
次にホーソン様が前に出て、聞いてきた。
「あなたはアリアナ嬢に、彼女の生まれを侮辱するような言葉や、身分をかさに着て、彼女の人格を否定するような言葉を言ったというのは本当ですか?」
いったい彼女はどれだけの噓を彼らに吹き込んだのだろう……なぜそのようなことをするのか、理解できない。
「いいえ、校則や基本的なルールを守るよう注意したことはありますが、そのようなことは言っておりません」
「そう言ってるけど?」
「そんな!自分の言ったことを否定するのは、やめてください。私、とっても傷ついたのに……」
王子の怒りがさらに増す。その怒気にあてられ身体が震えるが、それを抑えるために両手をしっかりと握りしめる。ここで私がひるんでは、いけない。
今度はヴァリアス様が、彼女の肩を抱いたまま前に出た。
「アリアナ嬢は先日、階段から何者かに突き落とされたそうです。それをしたのは、あなたではないのですか?」
そんな嘘までついていたとは……どうしていいのか判らなくなってきたが、それでもしていないことを、認めるわけにはいかない。
「私ではありません」
「だ、そうだけど?」
「ひどい。私、大怪我をするところだったのに…いったい、どこまで自分の罪を、認めないつもりなの?」
王子の怒りがさらに膨れ上がる。びりびりと伝わるその怒りに、命の危険を感じてしまうのは仕方のないことだった。そして、彼女の言葉は止まらない。
「私、このような方は、アンジェロ様にはふさわしくないと思います!」
(お願い、言わないで……)
「ふさわしくない?ではどうせよと?」
(王子、やめて、聞かないで……)
「はい、アンジェロ様はイザベラ様との婚約を」
(お願いだから、それ以上は言わないで……)
「破棄するべきだと思います!」
(あぁ、その言葉だけは言ってほしくなかった……)
この後に起きることを予感し、思わず目を閉じそうになる。でも、現実から目を背けるわけにはいかない……
「婚約破棄か……」
「そうです、婚約は…
ドォガッ!!
…ごぶぅっ!」
音がしたと同時に、ピンクの塊が転がり、5メートル向こうの植え込みに突っ込んだ。
ヴァリアス様が肩を抱いていたアリアナ様を、王子が蹴り飛ばしたのだ。
動かなくなったピンクの塊に近づいた王子は、その髪を鷲掴みにして、無理やり彼女を引き起こす。
突っ込んだ際に、折れた枝に引き裂かれたのだろう。ドレスは悲惨な状態になっていた。
「…う…あっ…な…んで…」
「なんでだぁ、このカス頭!いったいどんだけ噓つきゃぁ気がすむんだ、ごらぁ。おまけに婚約破棄だぁ!?なめてんのか、てめぇ。何で、俺が愛しのベラたんと別れなきゃなんねぇんだ、ボケがぁ!」
ガゴッ!
その顔を拳で殴る。
「ただでさえ王妃教育で忙しいベラたんとはなぁ、学園でしかお喋りできないってぇのに、お前が俺の周りををうろちょろするせいで、ここんとこちっともお喋り出来ずにいたんだ、このブス女!!」
バキッ!!
さらに殴りつける。
「そろそろ止めないと、命が危ないですよ」
目の前の事態に呆然としていた私は、クローディオ様にそう言われて、慌てて王子に駆け寄った。
「アンジェロ様」
その背にそっと手をかけ、名を呼ぶ。
途端、王子はピンクの髪から手を離し、こちらを振り向いて、私をホールドした。彼の後ろでゴンという音がしたが、気にしないでおく。
「あぁ、ベラたん。もうこれで全部終わったからね!証拠も証言もこれでばっちりだし、この馬鹿は公開処刑にでも何でもするから、もう気にするものは無くなったよぉ。だから、ゆっくり二人でお喋りしようねぇ!」
私をホールドしたまま王子が言うが、さすがに公開処刑はいくら何でもと思ったので、
「えっと、修道院行きでは?」
提案してみるが、
「火あぶり」
ひどくなったぁ!
「では、せめて強制労働に……」
「はぁー、優しいんだから、ベラたんは。仕方ない、あっ、それ、さっさとかたづけといて」
「判りました。一応裁判はしないといけませんからね。牢にでも突っ込んどきます」
クローディオ様がアリアナ様を無理やり立たせ、引きずるように連れて行こうとする。
「な……ん……わた…ヒロイ……」
「まだわかって無いようですね」
「あんたの嘘は、ぜーんぶバレてたの」
ヴァリアス様が笑いながら伝える。
「イザベラ様についている侍女は、王家から派遣されてる護衛でね、彼女の行動はすべて王家に報告されてるんだよ」
あきれたようなホーソン様の声が続く。
「今日のこれは、あんたの≪贖罪の時間≫だったんだよ。ちゃんと全ての罪を認めて謝罪したら、修道院送り程度で済んだんだけどねぇ」
「そんな……」
「きみ、回復魔法使えるんでしょう?さっさと回復しちゃいな。あ、でもちょっと待って。折れてる鼻、まっすぐにしてから治さないと、曲がったままで固まっちゃうから、ヴァリアス治して」
「オッケー」
ヴァリアス様が躊躇なく、彼女の歪んだ鼻筋に手を伸ばし、捻る。
ごぎっ
「ぐぎゃっ」
「あ、気を失った。ま、いいや」
完全に気を失っているアリアナ様を、引きずるようにホーソン様が連れて行った。
後はご機嫌斜めな王子の機嫌が直るのを待つだけなのだけど、実はこれが一番大変だ。
私には甘い物言いをするが、決して機嫌が直った訳ではなく、他者には些細なことでもブチ切れて、一切容赦がない。
うっかりすると、とんでもない目に遭うのが判っているため、基本、誰も近づいてこない。
これを直すのは、私がずっと一緒に居るという方法しかない。前回の2年前は3日間かかった。
その間、トイレに行くぐらいしか一人になれず、油断するとベッドに引きずり込まれそうになった。
その時はまだ16歳だからといって、なんとか逃れたけど、今回はそう簡単にはいかないかもしれない。なぜなら、結婚式まであと3ヶ月しかないからだ。
もぅ、冗談抜きに貞操の危機しか感じない。おそらく周りもそれを察知しているのだろう。ずっと私をホールドしたままの王子と私を見つめる目が、変に生温かい。
ちょっと、やめて!クローディオ様、王子に避妊薬なんか渡さないでぇ!
****
「あれ、気が付いた?」
この声はホーソン?暗い……ここはどこだろう、なんで私、床に寝てるの?
「こ、ここは……」
「見ての通り、牢の中。馬鹿だねぇ、王子にあんな嘘つくからだよ」
あぁ、そうだ。学園のカフェで、悪役令嬢のイザベラを断罪していたはずなのに、気が付けば私が殴られていて……
「だって、私はヒロインの……」
「君、転生者でしょ。ここはねぇ、君が思っているゲーム<幸せのブル-デイジーを探して~運命の恋の花占い~>の世界じゃないんだ。そのゲームを元に書かれたラノベの世界。ここは逆ハー狙いの勘違いヒロインが[ざまあ]される世界なんだよ」
「そんなの、知らない……」
「知らないの?ショックだなぁ、そこそこ売れたんだけど」
「えっ?」
「そう、ここって、僕が書いたラノベの世界なの。ちなみに王子は、前世の記憶のない元ヤンの転生者で、婚約者にべたぼれって設定。そして本物のヒロインは、2年も前に断罪ざまあされてんの。
あの断罪は君のよりも、悲惨だったんだよぉ。もっとも、それは原作どおりなんだけどね。
そして、前回の断罪を忘れていない生徒達は、うっかり巻き込まれないようイザベラ様を遠巻きにしながら、君が[ざまあ]されるのを待ってたんだよ。
でないと王子の機嫌が直らないからね」
体の温度がどんどん下がっていく気がする。私はどうなるんだろう?大好きだったゲームに転生したと思ったら、ヒロインがいなくって、だから自分がそれになり替わろうと思っただけなのに……なんでこんなことに……
「そんな……だって、私に頑張ってって言う子も、何人もいたのに……」
「何人も?君、よっぽど嫌われてたんだね。あはは、こうなるのが判ってて頑張れなんて、いったいどれほど嫌われてたの?」
鉄格子の向こうで、ホーソンが笑いながら言う。
「まぁ、心配しなくてもいいよ。今んとこはまだ死なないから。一応裁判もするしね」
「裁判?」
「そうイザベラ様が強制労働で手を打ってくれたから、たぶんそこらになるでしょ。良かったねぇ、王子は公開処刑か、火あぶりって言ってたから」
それに比べればずっとましでしょ?とホーソンは言う。でもほんとにそれで済むんだろうか。この、ニヤニヤ笑う男は、いまとなっては獲物をいたぶって遊ぶ肉食獣にしか見えない……
絶望と恐怖で、体が沈んでいくような気がする。誰か、誰でもいいから助けて……お願い……誰か……
評価及びブックマーク、ありがとうございます。
感謝しかありません。
誤字報告、ありがとうございます。