婚約破棄の現場で~悪女は嗤う~
「アビゲイル! 悪しき魔法を使って人々を殺したばかりか、聖女であるイリスを監禁するとは何事だ!! そなたのような悪辣な女は私の妃に相応しくない!! よって、ここで婚約を破棄する!」
王子は王弟の一人娘である従妹に婚約破棄を突き付けた。赤毛の公爵令嬢は王子と同い歳でありながら、色気を漂わせる艶やかな少女だ。こうして糾弾されていても、出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいる肢体に目が行く者がどれほどいるかわからない。
だが、挙げられた罪状は一つだけでも大きいが、聖女に対する罪は大罪である。どれほど魅力的な女性でも、その罪から逃れることはできない。
光魔法の使い手の中でも聖魔法を使える者は少なく、彼らは聖人や聖女と呼ばれ、保護される。イリスはその貴重な聖女である。アビゲイルの罪は逃れようがない。
しかし、アビゲイルは淑女らしい微笑みを浮かべている。
「わたくしたちの婚約は国王陛下がお決めになったことですのよ。殿下の一存で変わるものではございませんわぁ」
うふふふふ・・・と笑う姿は無垢な赤毛の少女に見える。アビゲイルの裏の顔が毒花と称される艶やかな少女だと知っていなければ、その演技に騙される者もいただろう。
だが、王子たちは騙されない。
一度はひどく騙されたので、不信感しかない。
そのようなこと、アビゲイルにもわかっている。
しかし、王子たちがアビゲイルのハニートラップに引っかかったことを知らない者が大半だ。王子たちに邪険に扱われる赤毛の公爵令嬢は同情を引いた。
それがアビゲイルの狙いだった。
王弟であるダヴェンポート公爵は非常に野心家だった。自らの権力を強くする為なら汚いことでも平気で手を出す。現に兄王の命を狙ったことなど枚挙に暇がない。ダヴェンポート公爵に繋がる証拠だけが見付からず、一人娘が王子の婚約者に据え置かれている。王子たちもアビゲイルにされたことを王には話せないように、ダヴェンポート公爵も悪事の尻尾を決して掴ませなかった。
「っ~~~!!」
王子は言葉にならない呻きを上げた。婚約をしているのだから、寝室に泊める以外は許されている。しかし、問題はアビゲイルが親密な間柄だったのは王子一人ではなく、王子の側近全員で、同時並行で付き合っていたのだ。
王子は婚約者の浮気に気付かなかった。王子以外の全員は王子以外の男性とも付き合っていたと気が付かなかった。アビゲイルは王子が学園に入る直前にこのことをハニートラップにかけた全員を集めて笑いながら暴露した。
あまりの屈辱に彼らはアビゲイルを嫌い、学園に入ってから出会った平民出の聖女イリスに傾倒していった。
悪女から聖女にふさわしい少女に乗り換えたようにしか見えないが、それも仕方ない。アビゲイルは野心家のダヴェンポート公爵の娘にふさわしい、とんでもない悪女なのだから。
貴族にしか罹らない病でも流行ったかのように貴族たちがバタバタと死亡したのも、アビゲイルが後ろで糸を引いていた。
聖女イリスを監禁したのも、アビゲイルの指示だ。
ダヴェンポート公爵とは違い、アビゲイルは証拠を残すどころか、しでかした罪についても監禁したイリスに自慢げに語っている。
それでも捕まらない。アビゲイルは王の姪であり、王子の婚約者なので。
こうして衆目の下に罪を晒しても、無垢な公爵令嬢がまさか大それた罪を犯しているとは誰も思わない。
それがダヴェンポート公爵令嬢であるアビゲイルだ。
「罪を告白して償ってください!」
イリスは聖女らしく言った。王子たちはアビゲイルに情状酌量する余地もないと考えていたが、イリスには監禁中に自慢げに犯行計画を話していたアビゲイルが、助けを求めているように思えた。
流石、聖女である。
「そうだ! 罪を告白しろ!!」
ハニートラップにかけられた屈辱を受けた王子たちは、イリスの言葉に便乗した。
「罪? 罪ねぇ? わたくしだけを罪に問うとおっしゃるのかしら?」
「何を! お前が主犯じゃないか!!」
感情的になりやすい騎士団長令息が叫んだ。
アビゲイルはうふふふふ・・・と笑った。
そして、右手に嵌めていた小さなオパールが付いた指輪に口付ける。王子の婚約者が身に着けるには粗末で安い指輪だ。
「何がおかしい?!」
「わたくしは罪人に罰を与えただけですわぁ。ちょっと重すぎた罰かもしれませんが、別にかまいませんわぁ。あとは、あなたがたを鍛えて差し上げたのよ? わたくしを止められるように」
クルクルとアビゲイルは子どものようにその場で手を広げて回り出す。
「さあ。準備は整いましたわぁ。聖女の光の魔力も手に入りましたわぁ。あとは生贄だけですわぁ~!」
「アビゲイル、何をするつもりだ?!!」
生贄という言葉にみんなギョッとした。王子は光の魔力を持つイリスを庇う。
「ざまあですわぁ、お父様。わたくしが死んでも、あなただけ無罪放免なんてさせませんわぁ」
アビゲイルが稀代の悪女でも、令嬢が一人で犯罪者を雇うことなどできない。屋敷の使用人やダヴェンポート公爵と親しい者の中に、そういった後ろ暗いことをする人物が含まれていなければ、イリスを攫った時に使ったゴロツキは雇えない。
アビゲイルを除籍しようが、アビゲイルが死んでも、ダヴェンポート公爵家への捜査はおこなわれる。聖女を生贄にしようとした罪はそれほどの大罪なのだから。
異様な振る舞いをしている赤毛の少女を誰もがただ見ているだけだった。彼女が突然、崩れ落ちるまでは。
「アビゲイル・・・?!」
◇◆
アビゲイルは自分の名前が嫌いだった。
アビゲイルという名前は“神の喜び”という意味がある。
だが、紳士階級以上の上流階級では決して付けない名前だ。
アビゲイルは“女召使い”という意味で使われるからである。
“神の喜び”と“女召使い”が同じ単語を使うのも、家長に口答えしない良い娘という意味なのだろう。
アビゲイルの父親は次男で王になれなかった。そのせいか、権力に対する欲求は人より強かった。
娘で跡継ぎにもなれないアビゲイルは、“女召使い”として父親が権力を握る為に使う駒として生きることを強制された。
自身の影響力を強める為にダヴェンポート公爵は、麻薬から人身売買まで貴族が欲するものを提供して、弱みを握りまくった。
悪徳を提供する館で生きるアビゲイルはヘドロの中で生きているようだった。
『泥の中でも綺麗な花が咲くんだよ』
と、ダヴェンポート公爵家の別邸で泣いているアビゲイルを金髪の男の子は慰めてくれた。
その子はダヴェンポート公爵にとって商品でしかなかった。
その子とアビゲイルが会ったのは短い期間だった。キャメロンが売れるまでのほんの短い期間。
けれど、幼かったアビゲイルは決意した。キャメロンを助けようと。
しかし、アビゲイルがキャメロンを買い戻す前に死んでしまった。
商品として売られた者の命など吹けば飛ぶように軽い。そのことをアビゲイルは知らなかった。
だから、アビゲイルは決意した。
キャメロンを取り戻すことを。
その為なら、時を戻す禁術にも手を出す。
ダヴェンポート公爵家に客として来るような者など死んで当然だから、と禁術の贄に使った。贄にするには贄の印を付けるだけでよかった。
ダヴェンポート公爵の客はダヴェンポート公爵の娘であるアビゲイルには簡単に印を付けることができた。
ダヴェンポート公爵を口車に乗せて王子たちを誘惑したのは王家への嫌がらせだった。
王弟とはいえ、犯罪の尻尾も掴めぬ、だらけきった王家への挑戦状。
一生忘れられないような屈辱を与えてやったというのに、ダヴェンポート公爵まで追及できず、アビゲイルを追い詰めるのも杜撰すぎた。
アビゲイルは禁術に夢を見た。キャメロンが生きている時まで戻って、彼と逃げようと。アビゲイルはダヴェンポート公爵家の毒花。大人を手玉に取ることにも慣れている。
今のアビゲイルの知識と技術があれば、キャメロンと逃げられるだろう。
毒をまぶしたオパールに希望を持って口付ける。
たとえ、この禁術が嘘でもかまわない。
禁術が発動しなかったとしても、ただでは死なない。聖女を生贄にしようとしたアビゲイルの捜査でダヴェンポート公爵家は家宅捜索を受けるだろう。
そうすれば、ダヴェンポート公爵家の別邸に監禁されている人々が見付かる。
彼らを助けられる。
もう二度と、キャメロンのような犠牲者は出ない。
それだけでいい。
父親の“女召使い”にすぎないアビゲイルの最初で最後の反抗は、それだけで成功と言える。
でっち上げの冤罪(それも嫌がらせ程度の軽微)ではなく、禁術の贄として呪殺した悪役令嬢。
言い逃れを印象付けるような言動の誘導ではなく、悪役令嬢が助けを求めていると気づいて助けようとするヒロイン。