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駆け落ちのすすめ  作者: 佐久間
番外編
7/12

期限付きの共同生活

ここから番外編として数話書いていこうかと思っています。不定期更新。

テンプレって良いですよね。甘味しかありません。

◇◇◇


「気をつけて行ってきてね」


部屋の扉に手をかけ、此方を振り向いて私を見つめるイーサンの頬に伸びあがってキスをすれぱ彼は無言で口角を上げて私の頤を引き寄せ、唇を重ねた。


「んっ……………」

いつまで経ってもこの感覚には慣れない。

最後に下唇をちゅっと吸われ、唇を離されたときには私の両目はうっすらと潤んでいた。


行ってらっしゃいのキスを習慣にしようとしたのは私からだけれど。ある日、不意をついて彼の頬に口付けし、達成感を味わっていた私は少し間を置いてちょっぴり呆れたような顔をしたイーサンに反撃されたのだ。


「ああ、行ってくる」


ドアがパタンと閉じた。



ここに来てから3ヶ月が過ぎた。私は…拍子抜けするほど穏やかな日々をこの国の騎士となった恋人とともに送っていた。


あの旅館から、共同生活施設に移動した。ここは他の住民と共有しなければならないものは多いが、浴室や調理場を自由に使うことが出来る。

私たちの家をもつのはもう少し先だ。私の我儘で、しばらくは一緒に移住費を貯めることにした。彼はこの仮住宅に長く留まることに気乗りしない様子だったが、どうしても経済面で彼に頼りきりではいたくなかったのだ。

私の要望を聞いた彼は「お前が望むなら」と言って抱きしめてくれた。



さて、私も出掛ける準備を始めよう。

私は結局、小洒落た定食屋で働くことにした。私はまだ会ったことがないが、平民街にありながら稀に貴族も訪れるらしい。

今までの経歴を考えて服飾店にしようかとも思ったが、数秒と悩まずに却下した。大して上でもない刺繍の腕と私が来ていたドレスの制作は全く別だということと、なにより昔の思い出が多すぎる。


紐を手に取り髪を梳く。もう1人で髪を結うこともお手の物だ。

イーサンは時々私を寝台に腰掛けさせて私の髪を弄んだ。彼が気に入ってくれているのもあり出来るだけ下ろしたままでいるが、流石に仕事中は邪魔にならないようにしておく。


後ろで1つに束ねようとしたとき、鏡台の上に見慣れぬものが乗っていることに気がついた。


「あっ…」


紺青のハンカチがかかったバスケット――――彼の昼食だ。

置きっぱなしのまま行ってしまったようだ。


もちろん私が作った。実を言うと仕事場を決めた1番大きな理由だ。

どうやら接客業を期待して私を採用したと聞く女将さんには申し訳ないが、私は厨房に配属されることを希望した。

初めの方こそ買い出しや片付けなどしか出来なかったが、数週間と経たずに人手が不足していたらしい調理の仕事を教わった。

教わる度に乾いたスポンジみたいに技術を吸収した私は厨房の一角を任されるほどまで成長した。

…はっきり言って天才だと思う。自分に料理の才能があるなんて思ってもみなかった。


夕食と、それからイーサンの昼食を作り始めたのは1ヶ月ほど前。

因みに朝食は彼と一緒にぎりぎりまで寝ていたいという打算で休むことにした。

イーサンとした約束のこと。彼は「実行すんの早えな!」と突っ込んで快くバスケットを受け取ってくれた。

毎日帰ってくるたび私に完食したそれを差し出して美味かったと言ってくれるのだ。


彼は雄弁ではないけれど私に関してはできる限り言葉を尽くそうとする。そういうところも堪らなく好きだ。




それで、彼の昼食をどうしようか。

―――届けようかしら。


彼が在籍する第3騎士団の訓練所はここから私の仕事場をさらに上っていったところだ。決して近くはないが…

行ってみたい。


自分が折角作ったものを食べて貰いたいという理由がひとつ。もうひとつは、彼が鍛錬しているところを見てみたいということ。

イーサンに初めて出会ったあの日からずっと私は彼の身のこなしの雄々しさに魅せられている。


今週は一般開放日だし、用事が無かったとしても顔を出していいだろう。いつか行ってみたいと思って彼には内緒で調べていた。

確かに、来てくれと言われたことはない。

でも、来るなとも言われていないわ!


決めた、届けに行こう。



下ろした髪はそのままに薄手のブラウスの上から上着を羽織る。

丁度玄関付近にいたお隣さんに会釈をし、鞄とバスケットを持って歩き出した。


肌に直接当たる爽やかな風が心地良い。身につけるものも軽く、こうやって街を歩くときこそ自由を実感する。



転移はこの先二度と使わないことに決めた。過去との決別だとか普通の暮らしだとか聞き心地のいいことはいくらでも言えるが、本当はイーサンのもとをずっと離れないと証明したかったのだ。


彼と転移の封印を決めたあと、彼の前で関連の魔道具を全て出して見せ、全て彼に渡した。壊すなり売るなりしてくれただろう。

何処にも行かないということの証明。私は既にイーサンのものであるということ。

私と貴方が喧嘩したとして、私は貴方が追いつける範囲にしか逃げられないわ。


一方通行の勝手な押しつけ。それでも私の気持ちを少しでも分かってくれたら嬉しい。





「女将さん!」


準備中と書かれた扉を開け、中で開店の準備をしていた年配の女性に声をかける。


「あらあら、ローズさん。今日は何時もより元気が良いねえ」


彼女がこちらに顔を向けた。品のある綺麗な女性だが中々やり手だそうで、彼女が慌てているのを見たことがない。

なんだかお母様みたいだわ。


元、だけどね。と心の中でつけ加える。悪い気は全くしなかった。


「数時間休暇をいただきたいのです。昼時までには戻って参りますわ。この埋め合わせは休日に致します。急用ができまして、本当に申し訳ありません」


ぺこりと頭を下げる。


「分かったよ。給料は引かないから安心しておいで。その代わり週末はバリバリ働いてもらうからね」

「はい、ありがとうございます!」


女将さんも厨房の人たちも優しいし、休暇は取りやすい。調理技術を会得したこともあり、彼らは私を重宝してくれる。本当にこの職場は恵まれていると思う。


奥から僅かに料理長の声と金属が忙しそうにがちゃがちゃと鳴る音が聞こえてくる。


彼らのためにも早く行かなくちゃ。

優雅さを意識して一礼し扉に向かった。


「ローズさん」

「…はい。変更がおありでしょうか」


女将さんが呼び止めてきた。



「あなた…鞄を忘れて何処に行く気だというの」




え?何を言っているのか。鞄なら私がしっかり持って…




「……!」


これは…バスケットじゃないか。




「すみません…ありがとうございます…」


自分の慌てっぷりに頬が熱くなる。素早く鞄を手繰り寄せた。



「ローズさんがこんな可愛らしいミスをするなんて珍しいねえ…」

「少し…気がせいていたようです…」


扉を開いた私の背に声が掛かる。


「全くその通りだね。早く恋人にお手製の昼食を届けておいで」

「なっ……!?」

「ああ、旦那様だったかい?」



じわじわと顔に熱が集まってくる。

この人は底が知れない。いえ、もしかして私がわかり易すぎたりするのかしら。

「恋人ですっ…!」と上擦った声で叫んで下品にならない程度に足早で彼の仕事場に向かって駆け出した。




◆◇◆


最近我が第3騎士団に面白い奴が入った。

平民上がりの寡黙な男。

募集しているとはいえ、平民が騎士になることは珍しい。実力だけでなく、礼儀も弁えていなければいけないからだ。


普通、わざわざ礼儀を学ぼうとする平民はいない。騎士になるくらいなら傭兵になるのが基本のコースだ。


イーサンという名の男は最低限であるものの礼儀はでき、何より実践的な実力が採用の大きな理由だったらしい。

入団試験を見た奴の噂によれば素手で騎士をちぎっては投げ、ちぎっては投げ…。



…剣で戦う相手に敢えて素手で立ち向かうってどういうことだよっ!


正直素手であの団長と良い勝負なのでは、と普段は偉そうな様子の先輩が青い顔をして俺に教えてくれた。レアだ。


そんな推定最強の新米だが、剣を持つと俺でも辛うじて相手は出来る程度の常識の範疇に収まる。

なんでだよっ!と再び突っ込みたくなる。


素手の方が強いとか初耳なんですけど?

そのような戦闘スタイルが多いのは武具を買う金銭的余裕の無いものが多い傭兵団だろう。

あいつが傭兵…?


いや、かなりしっくりきた。なんたってあの見た目だ。短く刈り込んだ髪に日に焼けた肌、それから気弱な女子供が見たら悲鳴を上げそうなほど鋭い眼光。

長髪に細身の男が多い貴族とは正反対で、第1、第2騎士団にはほとんどいないタイプだ。しばしば除く刃傷から実戦経験も多いことが伺える。


いや、それなら余計騎士団に来るのはおかしいよなあ…

見た目は野性的なくせして中身は潔癖で与えられた仕事はしっかりこなす。人物像が掴めない。


というかうちに来たあらましとか聞いたら俺の心臓に良くない気がする…

なかなかの精度を誇る俺の直感が告げている。


あいつの素手で戦う手法は上品さを重んじる貴族の騎士には受け入れられないだろう。

しかし我らが第3騎士団は底辺貴族と僅かながら平民の集まりだ。余計なお勉強や上品さに気を取られない分、実力は随一だという自負がある。つまりは脳筋共の集まりってことなんだけど。


イーサンの戦い方は制限はかけられたものの、第3騎士団に受け入れられた。

あいつは文句も言わず剣の腕を磨いている。

入団して数ヶ月なのにあいつ確実に腕上がってるよなあ…

そろそろ俺が打ち合いの相手にならなくなりそうで内心戦々恐々としている。

俺も真面目に取り組んでるんだけど何が悪いのか。これが才能の差ってやつか。



そんな俺は実は平民出身だ。入団した理由は憧れだとかまあ、その辺だ。ということで勝手にあいつに同族意識をもっている。出来ればお近づきになりたい。


あいつはやけに尖っていて自分から周囲の騎士に話しかけようとしない。それでも俺が休憩時間にしつこく話しかけていたら名前くらいは覚えてくれたようだ。


そのうちに腫れ物を扱うようだった先輩たちの反応もだんだん馴れ馴れしいものに変化していった。


口数はほとんど変わらないが、周囲に溶け込んでいくあいつを見てたら親心でも湧いてきそう。


だが、あいつは絶対に夜に飲みに行こうとはしない。誰よりも早く帰っていく。

女に誘われているところも幾度か見たが、眼中に無いと言わんばかりに冷たい顔で切り捨てていた。くそ、イケメンめ。

屈強な体格と強面で気圧されるが、よく見たらあいつはかなりの男前だ。貴族のお嬢様には敬遠されても下町の女には結構人気だと思う。顔が良くて力も強くて潔癖だとか神様は不公平だ…。


この前娼館に連れて行こうとしたらゴミを見るような目で断られた。

もう1周まわって心配。

不能?もしかしてお前性欲とかないの?

聞いたら絶対殴られるから賢い俺は口を噤んだのだ。



やっぱり女かねえ…

同期たちとの予想の1位は、あいつが妻か恋人を溺愛していること。でもつまみ食いしたくなるのが男ってもんだよなあ。

予想の2位は女嫌いの不能説。この説は意外と先輩からの支持が多かった。皆心は同じだ。イケメン死すべし!


まあそんな感じで仲良くなってきたか?と思ってきた頃合いだ。

第3騎士団に激震が走った。


いつも通りイーサンを誘って食堂に行こうとしたら断られたことが始まりだ。


「あー、行かね」

「え?昼どうすんの」

「飯持ってきてっから」


あいつが自分の荷物の方をちらっと見る。視線の先を覆うと、飾り気のないコートの上に見慣れない籠が乗っかっていた。


え、わざわざ買ってきたの?


「じゃあな」

「ちょ、待て待て待て!」


俺の事なんかどうでも良さそうに去っていこうとするイーサンの肩を慌てて掴んだ。


「あァ?…んだよ」

「ほら、食堂にしか椅子ねえし!?食堂でそれ食えよ!俺を1人にするっていうのか!」


絶対に離さないぞと肩を掴む俺の手を面倒くさそうに見て、「…分かったよ」とあいつは飯を取ってきて、そのまま食堂に歩いていく。

いや、俺はお前を待ってたのに先行くとか酷くね?…俺が築いたと思ってた友情どこ行った…。

どたどたとあいつを追いかける。騒ぎに気づいたのか、あの男が手に持つ見慣れないものに驚いたのか周囲の視線が集まってくる。

衆人の視線をものともせず、あいつは食堂にたどり着いた。


出口に近い席に陣取り、あいつは籠を台の上に置く。

……どこかで買ったんだよな?そうだよな?


籠の上に掛かっていた布が避けられる。

具材が多く挟まった、ボリュームたっぷりなサンドイッチが顔を出した。美味そう。


…こんなの売ってる店ここら辺であったっけ。


イーサンが豪快にサンドイッチを頬張る。


「お、お前それ…」

「………買った」

「そうだよな!買ったんだよな!…どこに売ってんの、それ」

「………」

「おい、なんか言えよ!」


黙っているのは食事に集中しているからだと思いたい。上品なカードに綺麗な文字で頑張ってだとか何とか書いてたのは気の所為だ。そう、多分店でついてくるサービスみたいな。


ギャーギャー騒ぐ俺に一旦手を止めてあいつが目だけでこっちを見る。


「…うるせえな」



言葉は刺々しいのに、あいつはいつもの鋭い目付きを和らげ唇の端を僅かに釣り上げて、笑っ………!?


!?!?


え?お前キャラ崩壊してね?なんだその穏やかな顔。


「ご馳走様」


そう呟き、あいつは席を立って呆ける俺を残しさっさと鍛錬場に戻って行った。


食うの速っ!?



ふと周りの視線に気づいて見渡せば、騎士団の愉快な仲間たちがこちらを見ていた。誰も彼も驚いたような顔で凝視してくる。やめろ!俺も何も知らんから!


「おいテオ。見たか、あいつ…笑ってたぜ」


摩訶不思議な現象に立ち会ったとばかりに皆互いに顔を合わせる。



休憩終了の鐘が鳴った。今晩の飲み会は大騒ぎになりそうだ。


腹も鳴った。

………あ、俺昼食食い忘れた!?





それから。あの日以来、奴は毎日昼飯を持ち込むようになった。中身は日に日に洗練されていくという事態。

卵と肉と野菜とデザートがバランス良く入っている。色合いもカラフルで、まさかこれは俺たち憧れの……


「お前流石にそれは」

「買った」

「誰に…」

「買った」



などというやりとりがあっただとかなかっただとか。




こうもなってきちゃ、恋人溺愛説を推す奴らが増えたことは明確で。

先輩は酒樽を片手に「イケメンって奴は簡単に恋人作りやがってよお…」と泣いていた。俺に絡み酒すんのやめて欲しい。マジで。

でもあの鉄仮面が恋人といてまともに愛を囁けるのか…?想像が出来なすぎて怖い。

それとは別に、姉か妹に作ってもらった食事を喜んでいるシスコン説を唱える一派も現れた。そいつらは恨みでもあるのか、頑なに恋人の存在を認めようとしない。



・・・・・・・・・・・・・・



まあそんなこんなで俺は平和に過ごしてたんだよこの数ヶ月。


今日はやけにあいつの機嫌が悪い。近頃めきめきと腕をあげたあいつが手合わせで組んだ騎士をボコボコにしていた。

怖ぇ~



「おーいテオ!お前今暇だろ?」

「いや、次の次試合っすけど」

「暇なんだな?なんかお客さん来たみたいだから行ってこい」


え?客?珍しいな。返事をして受け付けに向かう。


一応今週は見学者OKって感じだけど見学に来るやつなんてほぼ居ない。年頃の令嬢は第1か第2騎士団に行くし。

1晩遊ぼーって感じの女はわざわざ見学には来ないし。


誰かの家族の諸連絡とか?この前は先輩の弟が予定の食い違いだかがあったらしく血相変えてやって来て、少し話して帰っていった。

色気なんて何も無い。

あーモテたい。俺らも第1と第2のやつら見習って髪伸ばしたら人気出るんかな?いや、でも邪魔だし。


待合室に入ると、金髪の女性が俯いて座っていた。

お、女の子だ!役得役得!


俺の足音に気づいた彼女が顔を上げてこちらを見つめる。

青い目が合った。


………っ!




「あの、おはようございます。此方にイーサンという人が属していますよね。黒髪で青い目の……3ヶ月ほど前に入団したと思いますわ」



彼女は…美しかった。今まで会った誰よりも。金糸のような髪はストレートで手触りが良さそうだ。睫毛の音がしそうなほどぱっちりとした目は揺れ、眉は困ったように下がっている。ぷっくりとした唇と、細い腰、それに反する盛り上がった胸。庇護欲だとかなんだとか全てが相まって猛烈に下半身にくる。



「彼に届け物をしたいのです。良ければ、皆様の訓練の様子を拝見しても宜しいでしょうか…」



その言葉に現実に戻される。

…イーサン?彼女はイーサンと言ったか?

その時俺は気づいてしまった。彼女の華奢な両腕が、見慣れた籠を抱えているのを。


再び彼女の顔をまじまじと見る。顔立ちは………まあ整っているという点に関しては同じだ。

あ!目!2人とも青い目だ!

…じゃあ彼女はあいつの妹ってことか!まあこんな綺麗な妹が飯作ってくれたならそりゃ喜んで食べるよな。



黙っている俺を見て何を思ったのか、奴の妹さん(仮)は言葉を続けた。



「私はエルローズと申します。イーサンの、彼の……」


視線を宙に彷徨わせる。


「……同居人ですわ」




エ、どど同居人?

同居人ってひとつ屋根の下で暮らすやつ?この子と?

で、一緒のベッドで寝ていちゃいちゃするやつ?…いや、それはどっちかというと同棲か。



流石に俺は馬鹿ではない。妹ならわざわざ分かりにくい言い回しをすることは無いだろう。



と、いうことは……

マジか。あいつがか。まじか。

何それ、めっちゃこの子美人じゃん。は?何なのあいつ。


色々動揺していた心がようやく機能を取り戻してくる。

…危なかった。

1歩間違っていたらあいつに半殺しにされていたに違いない。




「あっ、えっとー、はい。案内するんで」


ぎこちなく後ろを振り返り、エルローズちゃん(仮)を訓練場まで先導する。後ろを見ると彼女がちゃんと着いてきている。…歩く姿にまでそそられるとかどういう了見だ。

役得だなんて思っていた気持ちはどこかへ吹っ飛んでしまったようだ。過ぎた美しさは最早暴力だと学んだ。



「ちょっとここで待っててくださいねー」


中央のステージを囲むような形の闘技場。イーサンはちょうどその中央で剣を打ち合っている。入口近く、上から見下ろす形の観客席辺りで彼女を待たせて階段を下った。


「おいイーサン!お前にお客さん来たんだけど!」


俺の声に皆こちらを向いた。


彼らの視線が俺の後ろに立つ人物を捉えた。




先刻の誰かさんと同じように全員が硬直する。





「…………エル?」


呆然と吐き出されたあいつの微かな呟きを俺の耳が拾った。


いち早く我に返ったのは先輩だった。


「ほらな、お前彼女いたんだろ!否定するなよ!嫌味なやつだなー」



先輩の言葉を受け、彼女の顔が曇った気がする。


「…貴方が、今日のお昼ご飯を忘れていたから届けようと思って…。良ければ暫く見学しても…良い?」


自分の方を一斉に向いた男どもにはものともせず、彼女は美しい一礼をしてイーサンへ口を開いた。あいつだけを見つめて、彼女の瞳は不安に揺れる。


異様な雰囲気だった。誰も口を開かない。俺の近くにいた男がぼそっと零した。


「あの子は…かなり高位の令嬢ではないか?」


確かそいつは子爵家だったっけ。俺らの中では最高位とも言える家柄だ。もしかしたらそういったお嬢様に会ったことがあるのかもしれない。


彼女の立ち姿、それから今までの作法。思い返せば確かに下町の女では有り得ない。裕福な平民でもこのような高貴さは出せるものではない。

俺が彼女を直視出来なかったのはそういう理由もあるのかもしれない。


だが、彼女は一般的な庶民の格好をしている。中身のキラキラしさで補正がかかっているのは置いといて。それから、貴族令嬢が料理を作ることなど有り得ない。いや、コックの手柄って線もあるけど。そもそもお姫様ってのはそういう作業を嫌うじゃないか。

何より、彼女の纏う雰囲気はお忍びのお嬢様には見えない。平民街にいて浮いているとか…そういうのではないと思う。上手く言えないけど。

つまり……地雷の匂いがする。



まとまりのないことが脳に溢れる中で、やっと奴が動いた。




「エル……何故ここに来た」


低く、唸るように。




それを受けた彼女の顔がさあっと青ざめた。



「…………っ!」



いやいやいくらなんでもお前を想って来てくれた子にそれは酷いんじゃないか。

でもあいつも人間らしいところがあるじゃんか。

彼女を…俺たちのところに連れてきたくないんだな。

このむさ苦しい男どもの巣窟に。

そりゃ自分の女があんなにエロくて可愛かったらなあ…


奴の気持ちが分かりすぎて辛い。



「…っ折角作ったのだから、食べてくれないと勿体ないもの。…貴方に、届けられたから…今日はもう帰るわ…練習を邪魔してしまい申し訳ありませんでした」


ふわりとスカートの裾を翻し、彼女は小走りで出ていった。


おい、何やってるんだよと皆の視線が奴に突き刺さる………前に。



「っ違う!エル!!!」



凄い勢いであいつがステージから降り、エルちゃん(仮)を追った。階段を4段飛ばしくらいで上っていく。足なっが。




皆ぽかーんとしている。



まだ階段にいた俺は少し上って扉の向こうをそっと覗く。別に良いだろ。野次馬根性ってやつだ。


影に2人の姿を見つけた。あいつは、彼女を抱きしめ、何かを囁いて……額にキスをした。



うわ。行動までイケメンかよ。誰だよあいつを不能だとか言ったやつ。あ、俺だわ。



彼女を送り、戻ってきた奴と扉の内側で固まる俺の目が合う。



「………悪ぃ。俺が迷惑かけた」

「お、おう」


少しバツの悪そうな顔で髪をくしゃっとやるイーサンを見て、もう俺は何も言えなかった。

…お前あのまま彼女と愛の逃避行しても見逃して貰えたと思うけど?

…律儀なやつだな。



そのままなんとも言えない雰囲気のまま鍛錬は再開した。

お前行けよ、いやお前が聞けよ、みたいな空気で笑いそうになった。



そして訪れた昼食の時間、恐れを知らない先輩が「で、どこの家の子引っかけたんだ?」と尋ねたのを皮切りに奴は質問攻めに合い食堂へ連行された。


「あいつ平民ですよ」

「は?あんな女が道端に落ちてるとでも??」

「…彼女は結婚を前提にした『俺の』恋人ですが?」


そんな親の仇でも見るような目で睨むな、真面目に怖い。

吹っ切れたのか周囲を射殺しそうな目で牽制しまくってるあいつは入団以来最も雄弁だった。


貴族ではないと言い切るその声に嘘は感じられない。

地雷を踏み抜くのは御免だったため、俺はその馬鹿騒ぎに混じりつつ、あれこれと問いただすのは止めておいた。


でもやっぱり気になるからいずれ聞いてみよう。酒で潰したら口が軽くなったりしないかな。

でも、それ以前にあいつ飲み会に応じないんだよな…見るからにザルそうだし…。



そんなこんなで夜は更けていった。

ちなみにあいつはいつにも増して定時退社だった。




◇◇◇


どうしよう。


私は真っ白な頭で固まっていた。沈黙が痛い。


今更ここを訪れたことを後悔していた。

…やっぱり迷惑だったかしら。

彼が恋人の存在を否定していたらしいことも地味にショックだった。


私が恋人であることに不満があるだとかそういうわけでないことは分かっている。しかし、彼の仕事場では別だ。

彼は自分の仕事、戦うことにかけてはストイックだから私の余計な干渉を嫌うのかもしれない。

きっと…私は帰った方が良い。


それでも鍛錬を見ることは諦めきれなくて、何事もなかったような言い草が口から零れる。



こちらを向いたまま微動だにしなかったイーサンが口を開いた。





「エル…何故ここに来た」


彼が私を強い目で射抜く。




背筋が凍った。





冷静にならないと。彼にとってはこんなこと、何でもない。

今、気を弛めたら泣いてしまいそうだ。



退出の挨拶もそこそこに鍛錬場を飛び出す。







「エルっ…!!」


腕を掴まれた。




「どう、して……」


イーサンが追いかけてきてくれたのだ。




何も言わずに彼が私を抱きしめる。そのままざらっとした指で目の下を拭われた。

こらえきれなかった涙が零れていたことに気がついた。



「悪かった…お前を傷つけようなんて思ってねえ」


今は時間がないから説明は出来ないが、と彼は背中に回る両腕に力を込める。


「ああ…エルの言う通りだ。態々届けてきてくれるなんてな。お前の飯が食えねえなんて有り得ない。詳しい話は帰ってからする…だから、待っていてくれないか」


彼は1度体を離し、私の額に唇を落とした。


「いつも飯は美味いし、その、なんだ…」


少し躊躇い、ありがとう、と呟いて彼は戻って行った。




私の頭の中は瞬く間に入れ替わった悲嘆と歓喜でごちゃごちゃだ。

気づけば火照りそうになる頬を風で冷やし、軽く頭を振って女将さんの元へ歩く。


甘い台詞や行動は余裕たっぷりにこなすくせにお礼を言うときだけつっかえる。それでも私に感謝を伝えようとするイーサン。愛おしさで胸が詰まった。




・・・・・・・・・・・・


その後、危なげなく厨房の仕事をこなし、食事を並べてベッドで彼を待つこと10分。今さら緊張してきた。枕をぎゅっと抱きしめる。

仕事には踏み込んで欲しくないからもう来るな、など彼に言われたら。

尤もだと納得する。それでも彼の全てに入るのが許されないことは私を酷く蝕むだろう。



がチャリ、と扉の開く音がした。

どさっと鞄を玄関に落とし、彼は「ただいま」と言ってこちらに向かってきた。


「何、いつもみたいに出迎えてくれねえの」


彼がベッドに乗り上げて私を見つめる。


「ええと…何を言われるのかと身構えていたのよ…」

「…先に夕食食うか?」


確かに夕食が冷めてしまう。


「でも、あなたに何を言われるか落ちつかないから、先に話して欲しいわ。私は…今後あなたの仕事場に行かない方が良いかしら」

「分かった。話す」


彼は姿勢を正し、私に向かい合った。


「簡単に言うとだな………あー」



彼が私をじっと見たまま言葉を切る。

余りにも強いその視線に耐えきれず、「簡単に言うと…どうなの?」と続きを促した。



「俺は、エルを…他の団員の奴らに見せてやりたくない」



ようやく彼は重々しく口を開いた。

耳が捉えたその言葉が、私の全身に浸透する。



「今日のことといや、そもそも昼飯を忘れたのは俺だ。誓って迷惑なんかじゃねえ。」



ただ、と彼は言葉を切った。



「ただ…俺が嫉妬で死にそうなだけだ」


「えっ………嫉、妬…?」


嫉妬。嫉妬とは、やきもちという…。

内容が想定外すぎて頭がついていかない。


「ああ、そうだ。俺は常々お前を閉じ込めて俺だけのものにしたいと思ってる危険な野郎なんだよ」


あいつらがお前を見たその目を潰したい、と彼は囁く



――――耳を潰したらそいつにお前の声は聞こえない。足を潰したら誰もお前には近寄れない。



開き直ったように彼が据わった目で滔々と語る。



暗く染まるその瞳が私を映し出した。

深くて青いあなたの目。私の色とおんなじだわ。

私たちは何もかも違う。あなたの夜の闇のような真っ黒の髪はとても好き。

でも、このお揃いの目だけは彼が私のためだけに此処に降り立ったかのように錯覚してしまう。



彼が私に抱く狂おしいほどの愛。

彼の愛がほんの少し膨らむだけで鋭い刃に変わる、危険な代物だ。

それでも、何故か私の胸は高鳴った。


「そんなにも私を褒めるのは貴方だけだわ。」

「エル…お前、自分がどんなに綺麗か知らないだろ」


彼がぐっと身を乗り出す。


「この髪だって」


彼の手が私の髪を撫でる。


「この瞳も、鼻も、唇も、胸も、腕も、腰も、脚も、その体が。…全てが男を引きつける」



彼の手が私の体のあちこちを這う。

触れられたところから熱が伝播する。

視線が引き付けられて離れない。



「それに、お前は平民になったんだ。仕草も随分溶け込んだ。お前は俺たちの階層に落ちてきたんだ。なあ…分かるか?」

「ゃ………」


耳を甘噛みされ、吐息の混じった声が口から漏れた。

部屋の空気はいつの間にか濃密な夜の気配に溢れていた。




「お前は俺のような男でも手の届く存在になったんだ。浮世離れした雰囲気を纏っていたお前はもう死んだ。ちょっとでも誰かひとりに笑いかけてみろ、そいつは舞い上がる。お前に愛された、ってな」

「ま、待ってイーサン…」



彼の手は私の腰のあたりを妖しく蠢いている。

その手つきは否応なしにその先を連想させて、どこかにある私の本能は歓喜に打ち震えた。



彼の顔が近い。緊張と羞恥が入り交じり、目が潤む。最近私の涙腺は急激に弱った気がする。

枕を抱える腕に力を込めた。


「……誘ってんだろ」

「んっ……!?」


静止の言葉は無視して、言うな否や彼は私の唇に噛み付いた。

背中に両腕を回され、唇を食まれる。

抱きしめていたはずの枕はいつの間にか抜き取られていた。


頭が真っ白に染まる。息ができない。

だんだん、と彼の胸を叩くと唇が離れた。ほっとして空気を吸い込む。


と、その隙に開いた唇の間をついて彼の下が入り込んできた。



「ふぁっ……!?ん、うぅ………」


歯列をなぞられ、舐めあげられる。彼の舌は私の舌に絡みつき、丹念に吸い上げた。


静かな部屋に水音が反響する。



唇が話された。頭がぼーっとして何も考えられない。

はぁはぁと息を切らして酸素を取り込んだ。



私を見つめる彼の瞳が、隠しきれない熱を帯びている。


互いの唾液で濡れた唇を舐め、にやりと野性的に笑った彼は再び私に顔をよせ、ブラウスのすそから手を侵入させ――――






ゴンッ!!






隣の部屋から何かが壁にぶつかったような激しい音が聞こえ、私たちは我に返った。




目の前で彼が額に手を当て、顔を顰めている。


「イーサン……?」


彼は舌打ちをひとつした。


「…やべえ。我慢が利かなくなってた。隣のやつに感謝だな」


自分の髪をかきまぜ、彼ははっとしたように食卓に目を向けた。



「…夕飯、冷めちまったな。悪ぃ。食うか」

「…待って」



先程までの空気は霧散した。


彼はこれまでの態度が嘘であったかのように只管に穏やかな眼差しを私に向けた。


一方的に翻弄されているままではいられない。

惚ける頭を無理やり動かし、引き止める。


今日、もう1つ気にかかっていたことがあったのだ。



「あのね…私はできる限りあなたの望み通りにするわ。でも、私が恋人だってことは否定しないで欲しいの。ううん、むしろ宣伝して欲しい」

「言われなくてもそのつもりだ。あいつらに1度エルを見られたからには奪わせねえよ」


彼が私の頭を撫でる手が心地良い。


「良かった…。だって、あなたの方こそ、その……とても魅力的だわ。何人かの女性には言い寄られたのではない?」

「………」


彼は図星を突かれたようで言葉に詰まった。



「…私だって、女の人に囲まれているあなたを想像するだけで…」


頭がおかしくなりそうだわ。

口の中で吐き出した言葉は音にはならなかった。


あなたこそ、強くて、優しくて、格好良い私の恋人。あなたと私の年の差は一向に縮まることがない。

大人の女性の色気にはきっと叶わない。



ねえ…イーサン。貴方は私に来て欲しくないと行ったけれど、たまには貴方が訓練している様子を見てみたいわ」

「駄目だ」



間髪入れずに彼が答えた。


「絶対にあなたしか見つめない。本当よ。あなた以外の男性に興味なんて無いもの」

「俺が、嫌なんだよ」



彼は全く受け入れようとしない。

むっとした。

ちょっとした悪戯心が芽生える。



「あなたが私を拒むなら……私、悲しくなって他の騎士団のところに間違って行ってしまうかもしれないわ」


イーサンは押し黙った。

…もしかして怒らせてしまったかしら。

恐る恐る、彼の顔を除く。



顔を上げた彼に強く肩を掴まれた。



「…………それは命令か?」

「え、ええ、そうよ。私の恋人の勇姿を見つめて何が悪いというの!」



しばしの静寂の後、彼がはあーっと息を吐いた。



「…降参だ。お嬢様の御心のままに」


イーサンは芝居がかった仕草で一礼した。



結局俺はエルに勝てたことなんて1度もないんだ、と彼が笑う。


しばらく前にもこんな場面を見た気がする。

イーサンはいつも私が本気で望むことは絶対に否定したりしなかった。


でもな、と言って彼は再び私をとらえた。


「………お前が本当にそれを実行したら。他の奴を誘いに行ったら、俺は…」



彼が鋭く私を射抜く。

ぞくりとした。


そんなことをしたら…私はどうなってしまうのだろう。

もちろん彼を裏切るなんて有り得ない。

しかし、平静を乱した彼はまた新しい一面を見せてくれるのかと思うとどうしようもなくときめいた。


ああ、十分に私は彼とお似合いなのだろう。



「俺もそれ迄に剣を上手く扱えるようになんねえとなぁ…」

「そういえば…素手じゃないのね?どちらの貴方でも楽しみにしているわ!」


きっとどちらでも彼の戦う姿は格好良いのだから。




彼は大きくため息をついて顔を私の首筋に埋めた。


「エル…早く俺とお前だけの家を買おう」

「でも…目標金額が貯まるのは精々あと3ヶ月…」

「ならせめて1ヶ月此処に居るのはどうだ。1ヶ月、不足分の費用は俺が貯めてた金から出す」


でも…と反論しようとしたところで彼の指が私の唇に当てられた。


「何も言うなよ…。ここは壁が薄い。少しでも大きな音を出したら筒抜けだ」


分かるだろ?と彼は笑った。


「俺は長々と我慢が効きそうにない。一刻も早くお前を俺だけのものにしたい。一軒家に越したら、結婚しよう。たまには俺の我儘も叶えてくれよ」


言葉で表さなくても彼の瞳は雄弁だ。彼が何を言いたいのか…分かる。

身体中が真っ赤に染まり、私は無意識に頷いていた。



「よし、言質は取った。覚悟しとけ。………夕飯。完璧に冷めたな」





・・・・・・・・・・・・・・



翌日、仕事終わりに菓子折を買って、騒がせてしまったお詫びも兼ねて訓練場へ訪れた。


テオさんというらしい赤毛の男性は「イーサンが鍛錬のやる気漲らせすぎて怖いんだけどなんかしました…?」とぼやいていた。

彼としばらく談笑していると「ひえっ」と息を飲んだテオさんに後ろを振り返ると、彼がテオさんを睨みながら立っていた。

内心、ごめんなさいとテオさんに手を合わせつつ嬉しかったのは秘密だ。






1ヶ月後、私たちは約束通り、大きくはないけれど庭のある美しい一軒家を買った。


知り合いもいない私たちは大規模な式は挙げなかった。ウエディングドレスを着なくていいのか…?と彼は残念そうだったけれど、豪華なドレスへの未練なんてものは無い。

ただ、スーツ姿の彼を見られなかったのは少し残念だ。



そして私に誓ったように色々解放した彼は……色々凄かった。その話はまたの機会に語るとしよう。

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