執行猶予
GWが明けた
静岡のサービスエリアで買ったお土産を峰希に渡したいからと英に押しきられ、登校時間を戻した
正直気まずいが、いい機会でもある
ご近所ということもあるし、峰希と英のためにもずっとこのままというわけにはいかない
何事もなかったかのように普通に接すればいいのだ
ゴミ出しの日ではない月曜日の分譲地区の朝は静かだった
ゴミ出しの日の方がどさくさ紛れに近づけてよかったかとも思ったが、他の人たちから口を挟まれるのは正直面倒くさい
さて、腹をくくるか
北野が玄関を開けると、南出親子が立っていた
「峰ちゃん!おはよう!」
英が駆け出していく
「おはようございます」
南出は以前と変わらず、丁寧に挨拶した
「おはよ」
北野は目を合わせられなかった
「ちょうどよかった感じ?」
軽い会話を心がけた
「沖縄のお土産を渡そうかと思って」
「あ、そうなんだ」
英と峰希はすでにお互いの旅行の話で盛り上がっている
4人で登校するのは何か月ぶりだろうか
「いつもは先に行ってるのに、今日はどうしたんですか」
「お前、こっちがしれっと元に戻ろうかと思ってたのに!」
「なぜ俺があなたに気を使わないといけないんですか」
「おまっ、あんなことしといて…まずは謝れ!」
「謝ろうとしていたのに顔を合わせようとしなかったのはあなたですよね?!峰希なんてかわいそうでしたよ。毎朝先に行かれて、毎日落ち込んでました。全く大人げないんだから」
峰希のことを言われるとぐうの音も出ないが、
「いや、違くね?!いま一瞬騙されそうになったわ!」
いつの間にかヒートアップして大声で言い合っていたらしく、英と峰希が心配そうに二人を見ていた
「…悪かったな、大人げないことして、でもお前も謝れよ」
「…そうですね。あのときは、弱っているあなたに付け入るようなことをしてしまい、反省してます」
「謝り方もかわいくねーな!」
「理由と反省の弁はしっかり述べていると思いますが…」
北野は真面目に答える南出がおかしくて吹き出した
「お前、もしかしてそれ素なの?」
「素ですよ」
南出がにやりと笑った
「やっぱり騙したな!」
北野にはひとつ聞きたいことがあった
気まずさから聞くことはできないだろうと思っていたが、南出がここまで誘導してくれた
「なんであんなことしたんだ?」
通学路は人通りの少ない裏道に入っていた
子供たちはずんずん先に行き、いまや角を曲がって見えなくなっていた
角を曲がれば大通りはすぐで、幅広の歩道もあり、学校まで一直線のはずだ
「…つい…」
「…つい?」
「泣いてるあなたがかわいくて」
「かわいい?!」
「いや、違います。放っておけなくて?」
「放っておけなくて?」
「…放っておいてほしかった、ですよね…」
南出の顔が真っ赤に染まっていく
北野はおかしくて吹き出した
「そんな理由で簡単にキスするなよな」
北野は「あー、気にして損した」と呟いて子供たちを追った
「簡単な理由じゃありません!」
後ろから南出が声を張り上げた
「俺、北野さんが好きです」
その時、地面を揺さぶるような轟音が響き渡った
しばらくして、大通りの方から人が叫ぶ声が聞こえてきた
瞬間、嫌な予感が頭をよぎり、南出と北野は大通りに向かって走り出した
そこにはガードレールを突き破って歩道に乗り上げた大型トラックがあった
「英!英!」
北野はトラックの方に向かって走り出していた
周りにはトラックの下を覗いたり、携帯電話で救急車を呼ぶひとたちがいた
北野はそれらをかき分けトラックの下を覗く
「お父さん!」
英の声だ
どこだ?
辺りを見回すと、トラックの向こうに英が立っていた
すでに小学校の教師が駆けつけていて、子供たとをコンビニの駐車場に誘導していた
「子供たちに被害は?」
「幸いにも人的被害はなさそうです」
「よかった…!」
北野は英を抱きしめた
峰希もいる
あとから南出がやって来て峰希と抱き合った
「よかった!本当に」
北野は震える腕で英の頬を撫でた
英も泣いていた
※※※※※※※※※※
あんな大きな事故にも関わらず、幸いにも重傷者はトラックの運転手だけだった
歩行者が数人、中には英と同じ小学校の児童もいたが、飛んできたガラス片で腕や足を切る軽傷だったようだ
あれから北野と南出の話は頓挫している
そんな話をしている場合ではなかった
英は無事だったが、北野は一瞬でも目を離した自分を許せなかった
そして怖くてたまらなかった
また家族を失う恐怖が、24時間フラッシュバックする
北野が目に見えて憔悴していく様子に見かねて気丈に振る舞う英の姿も、一層北野を辛くさせた
北野は南出親子との登校をやめ、駅前の高い月極め駐車場を借りて、車で英を送ることにした
担任から注意を受けたがやめるつもりはなかった
事故からしばらく経った金曜の夜、北野家の呼び鈴が鳴った
開けて出ると南出と峰希が立っていた
「おかずの差し入れです」
あの日の恐怖を思い出すため、北野は南出と会うことを避けていた
南出のせいとは思いたくなかったが、どうしても責めてしまう自分がいる
そして、あんな話に気をとられて英から離れた自分がバカだったと、何度も自分の頬を殴った
おかずだけ受け取ってドアを閉めようとした時、英が南出親子の来訪にめざとく気づき2階から下りてきた。そして南出親子を夕飯に誘ってしまった
北野は無言で二人を招きいれた
南出は北野家の惨状を目の当たりにして愕然とした
リビングの床には衣服やタオルが散乱し、キッチンには惣菜のトレーや汚れたままの食器が重なっていた
「峰希と英くんはお部屋で遊んでおいで。夕飯の支度ができたら呼ぶからね」
二人がドタドタと階段を上りきったのを確認して、南出は静かに言った
「これはなんなんですか」
「何って、うちはいつもこんな感じだよ」
「それはないです」
「何で知ってるんだよ」
「以前峰希に聞きましたから」
南出はため息をついて
「こないだの事故がショックだったのはわかりますが、無事だったからよかったじゃないですか。それよりこんな環境で生活しなきゃならない英くんの身にもなってください」
そう言って服を拾い始めた
「あんたに何がわかるんだよ!」
南出は黙々と服を拾い続ける
「…怖いんだよ」
ただそれだけなのだ
南出は両手いっぱいに服を抱えると洗面所に行き、洗濯機を回すと今度はキッチンに立った
「…やらなくていいから」
北野はしばらく嗚咽を漏らしていたが、次第に沈黙が耐えられなくて南出に声をかけた
南出は黙々と皿を洗っている
「やらなくていいって!」
思わず南出の手首をつかんだ
南出はじっと北野を見つめた
「なんで、お前がそんなことするんだよ。お前には関係ないだろ」
「怖いですよね」
南出がゆっくり口を開いた
優しく、低く響く声だ
「俺は、伊織のことを整理するのに5年かかりました」
北野はハッとした
南出も同じ痛みを抱えた人間だ
「5年経って、北野さんを好きになりました」
北野は動揺した
まだその時ではないと思った
この話をされるとこの間の事故のこと、そして自動的に理科子を失ったときの恐怖を思い出すからだ
「伊織を忘れたことはないです。忘れる必要はないじゃないですか。伊織を失ったときの悲しみも、辛さも、痛みも、恐怖も」
南出が続けた
「思い出すのは辛いです。今回みたいに日常にはたくさんの罠が潜んでいて、油断したときに失ったものと背負ったものの大きさを痛感させられる。でも」
南出が力強い言葉で言う
「俺は伊織を忘れることはできないけど、別のスペースに別の大事な人をおくことはできる。そしてその人の重荷を分かち合いたいと思います。北野さんは違いますか?」
長くて暗い夜に光がさした気がした
南出の言葉をもっと聞きたいと思った
その先に答えが見つかるかもしれない
この辛さから解き放たれる何かが
「北野さんが通学に付き添っているのは英くんを思ってのことでもあるはずです。それも同じことだと思います。あなたにはそういう優しさがある。すぐにとは言いません。俺も5年かかったし…だからあと2年待ちます」
「は?」
北野の目から涙が引いた
「あと2年で俺を好きになってください!」
つづく