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あまのじゃくの恋  作者: 立川マナ
第三章
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第二十話 なんでも好きにしていいんだよ?

「印貴から君のことはいろいろ聞いてて、会いたかったんだよね。でも、あたし、大学の講義はほとんど午後で、夜も結構バイト入ってるから、君と出くわす機会なんてそうそうないだろうなーて思ってたの。そしたら、今朝、君のお母さんに偶然お会いして、給湯器が壊れた、て聞いてさ、思わず、『ウチのお風呂、どーぞ!』って言っちゃった」

「あぁ……なるほど」


 ようやく、納得した。うちの母はかなり図々しいほうだが、引っ越してきたばかりで交流もまだ浅いお隣さんに『風呂を貸せ』なんて言わないよぁ、とは思っていたんだ。


「お姉さんのおかげだったんですね」

「お姉さんって……」すっと筆で描いたような形のいい眉をひそめ、お姉さんは苦笑した。「なんかくすぐったいな。蘭香らんか、て呼んで。あたしも、圭くん、て呼ぶから。いいかな?」

「ど……どうぞ」

「ありがと、圭くん」


 ふっと目を細め、ふいに垣間見せるその朗らかな表情は、瀬良さんそのもので、一瞬にしてふわっと柔らかな空気に包まれる。それだけで、浮き足立っていた俺の心も不思議と落ち着いた。

 あ。そういえば、瀬良さんは――。


「瀬良さん、まだ帰ってないんですか?」

「印貴? うん。まだみたい。どっか寄ってるのかな〜?」


 そっか、帰ってきてないのか。ホッとしたような……残念なような――って、いやいや。ラッキー一択だろ! 瀬良さんが帰ってくる前にぱぱっと風呂入って帰っちゃえば、瀬良さんも気まずい思いはしないはず。俺のあとじゃ、お風呂に入りづらくはなるかもしれないけども……そこはすみません!

 とにかく、そうと決まれば……。


「では、お風呂、お借りします!」

「どーぞ。シャンプーとかは、どれでも好きなの使っていいからね」

「『どれでも』……?」


 言われて、はっと気づいた。

 そういえば、ここの浴室……見たことの無いパッケージのシャンプーやらボディソープやらがずらりと色とりどりに並んでいる。

 多くない?

 あれ? 家のシャンプーとかって選べるものだったっけ? 日替わりで楽しむ感じなの? それとも……。


「誰がどれを使っているか、おねーさんが教えてあげようか?」


 どこからともなく、そんな甘い囁きが聞こえてきて、するりと俺の腕にほっそりと白く滑らかな何かが蛇のように巻きついてきた。

 ぎょっとして振り返ると、蘭香さんが俺の腕に自分の腕を絡ませ、にんまりと妖しげな笑みを浮かべてこちらを見上げていた。あまりにぎゅっと身体を寄せ付けてくるものだから、腕になんとも生々しい柔らかな感触が伝わって来る。

 なんで? なんでこんなことになってるの? 刺激が俺のキャパを軽く越えていて、五感がもうすでにオーバーロード状態。処理しきれません!


「印貴のもあるよ?」


 その瞬間、ぞわっと背筋に痺れるような感覚が走った。


「いや、ちょっと……何を言いたいんですか」


 そろりと逃げるように視線を逸らした。

 なんだ、これ。風呂借りに来ただけなのに、なにをこんな唆されてんの?


「ほらー。どれが誰のか知りたい? 優しく教えてあげるよー」


 蘭香さんの手が這うように俺の腕をゆっくりと降りてきて、俺の手の平とぴたりと合わさった。重なった手の平に、じんわりと熱がこもっていくのを感じる。それだけで、全身の血が沸騰していくようだ。


「あたしのもあるよ。なんでも好きにしていいんだよ? どうする? 誰のがいい?」


 焦らすように一本一本指を絡ませながら、天使のような澄んだ声で囁かれる誘惑に、俺の理性が狂わされていくようだった。

 ちょっと待って。手を繋ぐ、てこんなんだったっけ? 母さんと万里とくらいしか手を繋いだ覚えなんてないけど、こんなんじゃなかった気がする。

 頭が茹で上がったみたいにぼうっとしてきた。何しに来たのかもよく分からなくなってきた。

 だめだ、これはまずい! しっかりしろ、と目を見開いて、俺は邪念を追い払うように腹に力を込めて言った。


「お父さんのでお願いします!」

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