終生あなた一人を思う
幼き頃、母が言っていた言葉を今もよく覚えている。
「男は私達より弱く、儚い存在だ。けれど多くの子を産む為に不可欠であり一時であれ傍らを許す生涯の片割れでもある。故に、よく相手を見つめなさい。そして見定めなさい。女王の為の、娘達の為の男を」
女王の名に相応しく強く美しく気高かった母。その血を継ぎ、後継となる私に許された位置から見下ろした姉達の勇ましく働くその姿に圧倒されながら私はいつか巡り合う事になる夫への思いを募らせた。
母のように女王然とした素晴らしい君主を目指し、漸く私もその時を迎えた。
いつも以上に姉妹達が気合いを入れて私の衣服や化粧を施してくれるのを照れ臭い気持ちで受けていた。
数多いる姉妹の中で私だけが夫を迎え子を孕む権利を有す。国の頂きに立つことを生まれた時から定められた者だからだ。頂点に立つ者として育てられ、今、この時をもってここを発つ。
金の髪を結いながら詠うように祝いを口にする姉の言葉はどんな宝石よりもこの身を引き立て、気を引き締めてくれる。寂しくなると言いながら紅を引く妹の優しい手に惜別の思いを抱き僅かに後ろ髪を引かれ目頭が熱くなった。
そして皆に見送られながら慣れ親しんだ我が家を出ては進んで行く。途中、似たような別の国の女達と会いながら漸くその場へと辿り着いた。
大勢の者が犇き合うような出会いの場として開かれた社交場の至るところで衝突がある。当たり前だ。女王は国一つを背負わねばならず神経を尖らせているものばかりだ。
女王の相手としてここに来ることを許されたそれなりの地位を持つ男であっても一人の女王の機嫌を損ねれば命はない。そもそも男の命など女王の前では只の石屑も同然なのだ。折角国を出され健気に振る舞おうともそのような失態をしてしまえば男は帰る場所も無く野垂れ死ぬだろう。
女王に望まれ短いながらも隣に並び立つ事を望まれるごく僅かな機会さえ逃しその儚き命を散らすのは何と哀れな事であろうか。
何か癇に障る事を仕出かしたらしく頬を激しく打たれる男、視界にさえ入る事すら叶わず徹底的に無視をされる男、女同士でペチャクチャと喋る不毛なやりとりに息が詰まる思いをし、早々に離脱を図る。
私の唯一を探さなければならないのは分かる。使命を捨てた訳ではない。けれどあまりにあの場は私には合わない空間だった。皆、男を軽んじ過ぎている。男も男だ。立場上仕方無いとは言え何を言われても何をされても頭を直ぐに下げたりおどおどと情けなく振る舞う者の多い事。
あんな者を隣に置くなんて出来ない。指先にまで気を抜かず凛と立ち、女王の覇気にも負けぬ程に威厳を持ち競い合えるような者でなければ。
一人息抜きにとやって来たバルコニーで夜風に当たろうとしてそこに先客がいるのを知り足を止めた。濡れ鴉色の髪をした体型も確りとしたその男はこちらに気付いていない様子で手にしていたワインを少しずつ呷り、外の景色を眺めている。
見合いの場で見掛けた必死な様子の彼らとは違った落ち着いた雰囲気にもしかしたらと心臓が高鳴った。じっと、そのまま様子を窺ってからそっと再び足を踏み出してあまり音を立てないようにとしながら彼に近付いていけば流石に気付いたのか、直ぐに居住いを正し、彼は私に対して適切な礼をとった。
これだけ数多の国の女王が一堂に会しているにも関わらず彼からは迷ったり戸惑った気配は感じられず、また礼をとりながら私の次の命を探ろうとの気配りも分かりやはりこの男だと直感した。
されど、油断は禁物だ。この男が他の男らと違うように装っただけであるとも考えられる。私の国の為、いずれ産む娘達の為により慎重に見極めなければ。
だから私は奮闘した。自分に出来得る最大限の力を費やして、大人しく、普段のツンケンとした可愛いげのない言動が出てしまわぬように自分を律し。男の言動を具さに観察した。
聞けば男もこの会場の雰囲気になかなか馴染めず疲れてしまったという。女の自分でさえそうなのだから男では余計に辛い場であろうと然もありなんと頷きつつ互いを労る言葉をかけては彼の少し弱ったような笑みを見た。精悍な顔立ちで眉を若干下げた意外さとこのように実際に話してみなければ現れなかったであろう表情に何か母性のような思いがこみ上げ、微かに言葉を紡ぐ唇が動きを鈍くするが直ぐに巻き返し遅れを取り戻す。
私が話を広げるまでもなく多岐にわたって富んだ男との会話は実に有意義なものであった。そろそろ皆も一度引き上げる、そんな時間になる直前まで話しどちらともなく別れを真に惜しむようにして挨拶を交わしては絶対にあれを逃してはならないと誰に言うでもなく誓い眠りに就いた。
それからは二人、大勢の元から離れてひっそりと顔を会わせるという逢瀬が続いた。時間の許す限り話をする時もあれば何もせず寄り添い合うようなそんな穏やかな時もあり、あっという間に季節は流れた。
始めにいた女王達も段々と伴侶を決めて数を減らし、己もそろそろあの男とここを離れようか等と考えてその姿を探して彷徨っていると他の国の女王に声をかけられて応じている彼を見つけた。
自分の時のように楽しげでも親しげでもないと思う反面、カッと頭に血が上り人の男に手を出すんじゃないと叫び張り倒したくなる衝動に駆られてツカツカと彼らに歩み寄れば慌てた男に振り上げた手を取られ、
「お前は私の男だろう!私以外に何を望む?!私の夫になれ!!」
咄嗟に出た大声は広い部屋の中に響き渡り、その場に居合わせた者らは皆驚き固まり私達を見つめる。我にかえりやってしまったと徐々に徐々に羞恥に顔を赤くし口を閉ざし俯けば男が話していた他国の女王に頭を下げた後こちらに向かってくる足音を聞き、その直後跪く。
「その言葉を待っていました。私などで良ければこの身この魂全てを捧げ、私は貴方に添い遂げたいと思います」
了承を得てから左手を取り、指先に熱く口付けを落としては顔を真っ赤にして狼狽える私に視線を真っ直ぐに向けたまま答えを待つ姿勢を取り続け。返事も碌にできず男を促しその場を後にとしようとするのにも真面目に返すだけ。
会場を出て二人きりになった後に私も私だったが先程のあれは何だったのだと思わず非難するように声をかければ肩を竦めるようにし、女王に恥をかかせるような事をさせておきながらそのままには出来ない、よりインパクトのある言動を残し上書きしようと思ったのだと。
友人のようなやりとりから一切踏み込んでいなかったというのにいきなりハードルが高くなりすぎだと頭を痛め、自分の国や娘といった最終目的を前提に彼との将来を考えていた事を思えば今更としか言いようがない。
そうして多少文句は言えど何とか国にと戻ってきた私達は姉妹達に迎えられた。女王である私がまず通され、男である彼はより厳しい検問を受けた後に漸く中へと許された。一度、長旅の疲れを癒す為に私は休息を取り。彼は他の部屋で待機を命じられ、私の準備が整った後にまた引き合わされこれより生涯で一度の夜を迎える。
そして数日に渡って引き続けられる形で行為を成し、用済みとなった男は姉妹達によって殺されるのだ。
何か間違いが起こらぬよう、男が逃げないように武に長けた姉妹達が見届け人を勤めるこの部屋の中に私と彼はいる。
強張った顔と体と常とは違う様子を感じてか対面にいる男は怪訝そうにどうしたのかと問う。
「気分が乗らずともこればかりは避けては通れない事象だ。私の寿命もそこまで長くはない、どうか腑甲斐無いこの男に免じて今日だけでも添わせてもらえないだろうか」
元より、男は女より短命である事はこの世界の決まり。男がそう願うのも無理はない事なのだ。頭では理解が出来る。けれど。
「……恐ろしくは、ないのか。これが終わればお前は死ぬのだぞ」
女王として立つ者には有り得ない言動であると理解しながらしかし一欠片も恐れや後悔を滲ませない男に疑問を抱き、思わずそう尋ねた。
不毛な分かりきった答えが返ってくるだろうと思いながら。
「あなたが生き続ける限り、私も生き続けます。この体や魂が崩れたとしてもあなたが私と血の繋がりのある子らを産んで下さるのだから。それだけで私が生を受けた意味があると証明出来るのです」
触れてもよろしいですか、と問われ頷けば頬へと伸びるその手を払わずただただ受ける。ゴツゴツとした姉妹達の手とは違う筋張った手に己の手を重ね。
「私はあなたと出会う事ができ、幸せでした」
その言葉を聞き、じっとこちらを咎めるように見る姉妹達の目に観念して目を伏せると自分から彼へと近付く。そうすれば意を察した彼の腕が背中に回りそっと唇を重ね合わせ。
幾度も交わり、腹に、脳に必要なものを詰め込む。
最後に彼が見せた笑みと優しい手を思い出しながら冬を越し、私は娘を産み落とした。
「かあさま、とうさまってどんなひとだったのですか?」
「そうだな……。おどおどと物怖じしたりせずどんなに恐ろしい物事や人物にも立ち向かえる強い男だったぞ。そして女王の心に強くその面影を残し今も胸を熱くさせる事の出来る唯一の存在だ」
「ふぅん?よくわかんない」
「ふふ、そうか。だがお前にもその内わかる時が来るさ。その時はお前に相応しい、これだと思えるようなものを連れて来るんだぞ?」
多くの娘に囲まれながら今はもう遠い日の事を話して聞かせる。彼によく似た青い瞳を持ったこの子はどんな男と出会うのだろうかと考えながら。
お話の都合上、参考にした虫の習性を少し変えている部分がありますのでご了承下さいませ。虫の耐性ある方は調べてみても面白いかもしれません。作者は蟷螂とか蜘蛛とかも好きです