書き出しバトルの生贄 ~文章力で相手をぶん殴るには~
登場する人物は全てフィクションで実在の人物には一切関係ありません。
懐かしい様な、安心するような紙の匂い。
なじみの古本屋はいつもあの匂いで満ちていた。
自宅の詰み本も量が増え、徐々に電子書籍に移行していた為、この匂いはここでしか嗅げなかった。
「何か目新しいの入りましたか」
「伊千古君の好きそうなのは無いねぇ」
伊千古 主税という幾分時代劇じみた名前を持つ俺が、学生の頃から通っているのがこの店だ。馴染みの店長とはこのやり取りで通じる。
俺は、とある有名な漫画家の古い作品を集めているので、オヤジさんは見かけると仕入れてきてくれるのだ。
どこの棚に何があるかなんて、ほとんど覚えているし、俺が売った見覚えのある本も棚に入っているのを知っている。下手すれば売った本を読み直したくて二度三度買った本もある。
驚いた事にオヤジさんの方でも覚えていて「それ、お前が売った本だろ」なんて言われたりする。
そんな第二のマイ本棚といえる店内だけど、匂いと雰囲気が好きなので一応、端から目を通していく。たまに好きなジャンル以外の本でもタイトルが気になって手に取ったりすることもあるからだ。
今日も同じように目を滑らせていた時に、見つけた。
『文章力で相手をぶん殴るには』
そんなタイトルの本を見つけた。
なんだこりゃ。
文章力。俺は学生時代に文芸部に属していて小説家気取りになっていた事もある。今でもフリーの小説投稿サイト『小説書きになりましょう』……通称『ましょう』に登録していて、時折更新をしている。
だから、このタイトルの意味も分かる。
小説という物は好き嫌いがあるが、優れたキャッチコピーと同じで『万人の心に刺さる言葉』という物は存在する。そういう物を『文章力』なんて読んだりする。はかる事も比べる事も困難だが、確かに存在する『力』だった。それでぶん殴るっていうのは、まぁ相手の心を揺らすっていう事だ。
はしくれではあるが、人の心を揺らす文章を書いてみたい。俺だってそう思う物の一人だ。思わずその本を手に取った。
ハードカバーの布張りの装丁の、ざらついた手触りに触れた瞬間。ピリッと何かが痺れるような感じがした。
その本を開くと、最初のページにはこう書いてある。
『もしも、君が物書きの端くれならば。まず、物語を自分の頭で物を考えているという過ちを正そう。
人の脳は無から有を作り出せる能力は無い』
いきなり奇妙な事が書かれている。俺は続きを読み進める。
『優れた小説家という奴らは異世界を覗き見る力を持っている。想像力とは並行世界への幻視能力に他ならない』
何を馬鹿な事を。
思わず半笑いでその本を閉じると、俺はそのままその本をカウンターに置いた。
「オヤジさん、これ下さい」
「……こんな本、うちにあったかね」
小さくつぶやかれた声を背に、家路を急いだ。
仕事に疲れた今ではなかなか無い事だが、かつて創作意欲が沸き上がり止めどもなく物語が溢れて来ていた頃、道を歩いていても、眠っている夢の中でも、まるで見ているようにビビッドに『彼ら』の話を追体験したことがある。俺が脳内で作り出して話を考えていたはずなのに、想像を越えるような出来事が起こり、創作上の彼らの悲劇に涙した。
だからこそ、『文章力で相手をぶん殴るには』の序文は俺の心を揺らしたのだ。
1DKのアパートの階段を駆け上り、飯をチキンラーメンで手早く済ませると本のページを開いた。
文章力という言葉を使いながらも、この本はハウツー本ではなかった。幻視能力の事ばかりが書かれていた。俺は翌日が休みなのを良い事に、久しぶりに徹夜して本を読みふけった。
この本によると、幻視とは『第一段階』の作家能力なのだとか。
そこまでは大勢いる。もっと没入して、匂いを感じ取り、味や音まで感じ取れるようになる事が必要なのだと。
並行世界を検知し、五感でそれを感じ取った後に認識できるようになるのが『魔力』だと書いてあった。
俺は正直ここで一旦本を投げた。
だが、夜食の後でもう一回目を通してみて、自分の過ちに気が付いた。
ゲーム的な「魔法の力」ではなく、「本の持つ魔力」の事だったのだ。人を引き込み魅了する不思議な恐ろしさ。
確かに、魅力的な本を読んで没入するときには「本の魔力」としか言いようのないものを感じることもある。人は未知を恐れる。闇が怖いのはその奥に何があるか見えないからだ。読者は作家のアクセスした「得体のしれない世界」を間接的に感じ取り、その魔性を感じているのだ。
その「並行世界幻視能力者」こそが優れた作家であり、「幻視能力」こそが文章力の真の姿だ。
ばかげた話である。
だが、この本の第二章には「幻視能力の鍛え方:基本編」と「幻視能力の鍛え方:外道編」という記述があった。
基本編ではこう書かれている。
『もっとも見慣れた世界についてをひたすら記述せよ。そこに暮らす彼らを、出来事を、克明に。ただ歩いたではなく、どのように歩いたのか。どんな癖があるのか。どんなふうに食事をするのか。右手でフォークを持つのか、一口は大きいのか小さいのか、行儀は良いのか悪いのか。少ない文字数で伝えるのはそれらが明確に描けてからだ』
幻視した異世界を書き写す能力者は、風景や出来事と共にその世界の空気を引き出している。あとはそれに気が付くだけだ。だからこそ、優れた並行世界幻視者は浮世離れしていく。
基本編では、ひたすらに書け、書き続けて自らがアクセスした世界とのつながりを強めろと書かれている。
そんなことはわかっている。当たり前の事だ。どれほど焦がれた事だろう。頭から溢れそうになるほど、様々な出来事が見えていたし、聞こえていた。だから俺は基本編を飛ばして『外道編』のページを開いた。
そこには恐るべきことが書かれていた。
『他人の幻視能力を奪う方法』だ。
並行世界の空気にはこの世界と違う力が含まれている。それを魔力と呼んでも異能と呼んでも良い。この力はより大きなものに引かれていく引力を持つ。魔力を纏ったものは同様に魔力を纏っているものを殴り倒す事で力を奪えるのだという。
無茶苦茶な話だ、と思う。
しかし、作家と言う物は生涯書き続ける人は少ない。魅力を失い消えていく作家のなんと多い事か。それに昭和の文豪などに非業の死を遂げる者が多いのも、これが原因ではないだろうか。過去の有名な文豪は交流があったものが多い。弟子や仲間から力を奪う。ありそうな話だ。
もはやこの本を疑う事も無くなった俺は、数日かけてささやかな魔力を纏う事に成功すると、一人の男に連絡を取った。
小説投稿サイト『ましょう』で複数の長編を連載しているアマチュア作家。俺がファンを自称している人だった。ペンネームは『酔竜』。
文乃さんという美少女作家が開催する書き出しバトルの常連であるこの人の筆は早く、キャラクター描写に勢いがあった。そして何より、酒に弱いという弱点がある。日本の神話にまなべば、酒を飲ませての騙し討ちは必勝の作戦と言えた。
一度、オフ会を兼ねての日本酒の工場見学に誘ったことがある。そこで彼は鯨飲し歩くことも出来なくなっていた。彼ならば後ろから殴っても気が付かないだろう。
なに、引き出した魔力を手に纏い物書きをぶん殴るというだけ。命まで取ろうというわけでは無い。物書きにとっての命とも言える想像力の源泉を奪う行為だったが、俺は無理やり自分を納得させた。
数日後、酒の持ち込みOKというやる気のないすき焼き屋に酔竜先生を呼び出した。名目は同じ銘柄の搾りたてのひやおろしと新酒、古酒、長期熟成酒を購入したので、飲み比べを行おうという企画だった。……一升瓶が4本だが少し少ないだろうか。彼なら飲み干してしまいそうだ。チェイサーの水にウォッカを混ぜておく。酔ってしまえば気が付くまい。
「あ、どうも」
「こんにちは、おひさしぶりです」
ありきたりの挨拶から近況の報告、新作の裏話などを聞きながら次々と杯を重ねていく。
さすが酒豪。飲んでも飲んでも顔色は変わらない。それでも2升を越える事には「ヴぇーい」しか言えない泥酔者になっていた。よし、こうすればあとはぶん殴るだけで相手の幻視能力を奪える。
「すいません、酔竜先生」
全然悪いとは思っていないが口だけの謝罪を告げて、肩幅ほどに足を開き腰溜めに拳を引き付けて構える。軽く目を閉じると、何度も夢に見た物語を脳裏に描く。俺が書かないために世に出されていない、確かに存在する異世界に干渉し心の中に針の穴程の門を開く。異世界の空気をゆっくりと吸い込んで体を循環させた魔力を拳に集めていく。
いける! カッと目を開き一撃必殺の拳を延髄に叩きこもうとした俺は目を疑った。
泥酔して居たはずの男はそこにはいなかった。
「俺から異界干渉能力を奪おうというのかな、伊千古君」
背後からの声に振り向くと、俺の頭に空の一升瓶が叩きつけられた。
吟醸香と共に鉄錆の匂いが穴の奥に突き抜ける。
「まだ目覚めただけだろう、君は。『文章力で相手をぶん殴るには』を読んだだけのひよっ子だ。幻視能力を磨けば、異界干渉能力に目覚めた人間は一目でわかるようになるんだ。君が何をたくらんでいるのかは始めからわかっていたよ」
手を後頭部にやるとぬるりとした液体が手首を伝う。やられた、俺は幻視能力を奪われたのか……
絶望に目の前が暗くなった時、自分の書き散らした自作の主人公のセリフが脳裏に蘇った。
『まだ手遅れじゃない。何もかも遅かったように思えるけど、大切なものは残っている!』
自分の耳で聞いたような鮮やかな声。それが聞こえるという事は。頭はガンガン痛むが、幻視能力はまだ失われていない。
「今奪っても、力は僅かだからね。もっと喰いでがあるくらいに成長して下さい。その頃にイタダキに来ます」
「俺を、泳がせるっていうのか?」
「外道編はまだ早いんですよ。もっと基本編を読んで地力をつけてください。それにね」
酔竜先生はニヤリと嗤うと恐ろしい真実を口にした。
「あんたはさっきもいったようにひよっ子だ。異界を幻視しても出力する力が無い。『文章力』でぶん殴るだけの攻撃力が無いんだ」
ひやおろしの一升瓶をぐびりとあおると血走った目で続けた。
「幻視を越え、異界干渉能力を極めると、質量を持った文字とでもいうべき闘気を纏うようになる。これは、あなたの好きなゲームに例えるとヒットポイントで、今までに公開した文字量に比例する」
その言葉に俺は驚愕した。
「公開した文字量? それは何百万とかのヒットポイントを持つ化物がいるって事か?」
「当り前だ。そして魔力を相手を攻撃する時の力は異界干渉力だと思っているようだが、違う。それはあくまで扱える魔力。
攻撃力はあくまで文章力で、一日に出力する平均執筆文字数に比例する」
立ち上がりかけた俺は再び膝をついた。
「この程度で何を驚いている。『ましょう』で開催している書き出しバトルの参加者はほぼこんな場外乱闘を経験している。食うか食われるかの世界だ。そもそも書き出しバトルを主宰する文乃さんこそが『文章力で相手をぶん殴るには』の作者だ。あの人は異界干渉力に覚醒した人間を量産して食い散らかす魔人だ」
蟲毒。その言葉が脳裏をよぎる。
「まさか、参加希望者が作品提出前に姿を消すという噂を聞いた事があるが……」
「喰われたんだろうさ」
茫然と立ちすくむ俺をそのままに、こいつは貰っていくぜと長期熟成酒の瓶をぶら下げて酔竜先生は出ていった。
彼は情けをかけたのでも、俺の成長を待つわけでもないのだろう。ターゲットの分散。書籍化作家の持つ圧倒的な闘気をぶち抜く分章力を身に着けるまでは大物に狙われてはならないのだ。
これが、長きにわたる不条理に満ちた『裏・書き出しバトル』の最初の戦いだった。
私が、書き出し祭りのメタを張るとしたらこういう感じ、というギャグです。