ガラス玉
社会人になって3年目、俺は、今、がむしゃらに仕事をしていた。そして、経営の勉強も頑張っている。今日も休日だけど、一冊読んでおきたい本があって、まだ寝ていたかったのだが、大きく伸びをしてベッドから起きた。テレビのスイッチをなにげなく入れて、コーヒーを飲もうとしていると、ニュースの中で、ハワイ、ノースショアで行われたサーフィンの大会で、日本人の女性が優勝したと伝えていた。
「カオルだ!」
思わず、叫んでいた。画面に映った彼女は、輝いている。あの頃と同じように、凛としてインタビューに答えている。
カオルを初めて見たのは、もう6年位前だ。見たのはだ。彼女は、湘南では有名なサーファーだったから、俺は知っていたけど、彼女が俺を知る機会は永遠にないと思っていた。それが、偶然、一度だけ、言葉を交わし、強烈なカウンターパンチをもらったまま、彼女は、俺の前から消えた。そう、大学4年の夏、たった1回の出会いが、俺を変えた。
大学4年になっても、暑い中、就活のためにスーツを着て会社訪問をしているやつをしり目に、俺は、親父のコネで就職することが決まっていた。同級生の奴らからは、
「のんきだね。うらやましいよ。」
皮肉交じりに言われても、
「申し訳ありません。家付き息子なんで。」
と、へらへらしてた。でも、本心では、
- 呑気で何が悪い! -
どうせ、何年かすれば、否応なく、家の会社を継がなければならない俺にしたら、今、熱い中でもスーツ姿で、将来の自分を自由に思い描いているお前らのほうが、うらやましいけどね。
俺は、にやにやしてやり過ごしていたけど、けっこう忸怩たるものはあった。
「今のうちに、人脈を作っておけ。それが今後の会社の命運を決めるんだ。」
中学校へ入るころには、耳タコだった。幼稚園から大学まである私立だったから、確かに、作ろうと思えば、人脈には事欠かない。でも、すこし、息苦しさを感じていた。決められた将来。家の会社を継ぐこと、それしかないのだ。子供に、誰もが聞く
「大きくなったら、何になるの?」
の、問いかけに、何時頃まで
「バスの運転手さん」
て、答えていたんだっけ。
我が家の事情を知っている大人は、誰も、俺に
「大きくなったら、何になりたいの」
とは、聞かなかった。そう、俺の将来は決まっていた。中学生の頃までは、その重圧が苦しかった。でも、高校に入いると、成績さえ良ければ、親たちは何も言わなかったから、案外自由で、おふくろの弟にあたる叔父さんがやっているカフェへ、毎週末行くようになっていた。カフェは湘南の海にあった。それが、サーフィンをやるきっかけだ。そしてボードを買うために、夏休みは、海の家でバイトを始めた。すべてが決められた人生かもしれないけど、サーフィンだけは、親たちに侵されたくないとどこかで抵抗していたのかもしれない。
サーフィンをやりだして、一年を通して湘南の海へは来ていたから、海の家のバイトをやっていると仲間たちが、けっこう利用してくれるので、海の家のオーナーも喜んでいた。そう言うこともあって、自由が効いて、夕方近くになると、他のバイトの子たちは片づけをしなければならないが、俺だけは許されて、ボードを担いで海へ向かう。
天国だった。海にいるときだけは。
何も考えなくてもいい世界は、そこだけだったから。いつも、良い波ばかりではないが、波が来なければ来ないで、海に同化しているように、浮かんでるだけで良かった。たまに、大きな波が来て、胸が高鳴る。波は無言のまま、高く高く盛り上がっていくが、頂点に達した時、ザーっと言う雄たけびとともに、曲線を描いて俺を飲み込もうとしてくる。一瞬で、どのラインでボードを走らせるのか判断して、うまくいけば、爽快だ。だめでも、「また、次。」と沖へこいでいく。
何年もあの浜に通っていたから、その浜でやっている常連のサファーは、すべて友人のようになっていたけど、一人だけ、まったく、コンタクトをとろうとしない女の子がいた。カオルと言うらしい。カオルは、ご機嫌な波のくる日には、だいたい沖にいて、何度も何度もトライしている。
「うまい。」
彼女の技術は群を抜いていて、そのうまさに見とれて、波を見失うこともあった。遊びで、親の重圧から逃げたくてボードに乗っている俺とは違う。オーラがあった。波と向き合う彼女は、小さな体が、雄々しくさえ見えて、美しい。誰もが、彼女に一目置いていて、邪魔をしてはいけないと遠巻きにするうちに、皆が、観客のようになっていた。彼女は、俺だけでなく、他のサファーともあまりかかわらなかったので、詳しいことを知っているやつはいなかったけど、名前だけは、有名だった。
その年、何時もの年よりも早めに台風がやって来た。直撃ではないけど、人はまばらで海の家は上がったりだ。それでも、サファーだけは、ぞくぞく集まってきた。
「行きてえなあ。」
指をくわえて、他の奴らを見ていたが、午後には、風も強くなって、波も一段と高くなってきて、降参とばかりに、ボードを担いで戻ってくるやつが多くなって来た。
「俺も、今日は無理だな。」
飲み物の水槽の前で、ぼんやりと海を見ている僕の目に、彼女が映った。何度も波にのまれて、散々のはずなのに、すぐに体勢を立て直し、果敢に波に挑んでいる。彼女は、自分の身長の何倍もある波に向っていった。波が大きく弧を描いて、彼女を飲み込んでいくと思ったとき、崩れる寸前の波からスーっと姿を見せた。鮮やかなボードさばきに海岸からは、ため息が漏れた。
台風の厚い雲のせいか、日の暮れるのも速いようだ。彼女をみていた奴らも、帰っていった。海の家も早じまいとなって、帰ろうとする俺の目に、薄暗くなった海で、彼女だけが、果て無く波に挑み続けている姿が映った。
「彼女は何のために、波に向っていくのかな。」
彼女は、プロになろうとしているとかで、ロングボードで、世界へ挑もうとしていると、聞いたことがあった。サーフィンの世界でプロといっても、日本では、食べていけないだろう。それでも、挑み続ける意味が、俺には理解できなかった。
サーフィンの世界で、プロになれるかなれないかは、波に乗っている時間が勝負なのだと聞いてはいた。才能はもちろんのこと、早いうちに始めるか、毎日何時間もやるか、小さいうちから毎日やっているほうがもっと良い。彼女は、中学を卒業後、どこかでバイトしながら、毎日、波に乗っている。自分にはない夢とそのひたむきさが、その情熱が、俺には、眩しかった。
強いあこがれの中、もう3年ほど見てきたことになるが、ひょんなことからカオルと話すことになった。その日も、彼女が浜へ来た。俺は、海の家で飲み物を売りながら、彼女を目で追っていたが、いつもながら、悔しいほどのボードさばきで何本かやったあと、ボードをもって、俺のところへやって来たのだ。
「ラムネ、ある?」
「あっ、あります。300円です。」
初めて、話した。俺だけがドキドキして、水をはった氷だらけの水槽をガラガラと他の飲み物をよけて、中のラムネを彼女に渡した。
「ありがとう。これ、好きなんだ。お祭りか海の家位しか無いじゃん。」
そう言って、水槽の横にあったラムネ専用の栓抜きを無造作に手に取って、ポンとラムネの栓を開けた。彼女は、一気に飲み干すと、カランカランとラムネのビンの中に入っているガラス玉を鳴らして
「きれいでしょ。このガラス玉。見てるの好きなんだ。」
もう一度カランカランと振ってから、くすっと笑った。笑ったのは、僕が、ポカーンと間抜けな顔をしていたからだろうか。
「あなた、なんで、もっと真剣にサーフィンやらないの?」
「えっ?」
「だって、うまいじゃん。」
「そんなこと無いよ。どうぜ、遊びだし」
「ふーん、そう? 遊びね。」
「でも、君から、うまいとか言われると、うれしくなるよ。君は、この浜では、みんなのあこがれだもんな。へへ。」
「この浜ね。」
彼女は、苦笑いしている。
「世界に行きたいの。この浜じゃダメ。」
そう言って、遠く、水平線へと目を細めた。
「やれるのは、若いうちだね。頑張れ。」
俺の言った言葉に意外そうな顔をして、彼女は言った。
「若いうちって! 私は、きっと貴方より2.3歳は上よ。」
「えっ?、うそだろ。おれ、3年前から、君を見ているけど、その時、噂で、中学卒業してサーフィンやってるって聞いたぜ?」
「ああ、そう言うこと。確かに、ここでやりだしたのは3年前だけどね。その前は、千葉で、その前は、宮崎で、それぞれ3年位いたからね。ここもそろそろ卒業したいんだ。でも、なかなか、資金が集まらないのよ。」
「どこへ行くの?」
「ハワイ。ぜったい、行くわ。若くなくてもね。」
そう笑った後、
「あなたこそ、やりたいこと無いの。言われたこと、そのまま、お返しするわ。やれるのは、若いうちよ。」
そう言って、もう一度ラムネのビンを鳴らした。照り付ける太陽にかざしてキラキラ光っているガラス玉を見たあと、そのラムネのビンを俺に手渡して言った。
「このガラス玉なら、このビンの中で良いんだろうけど、わたしだったら、こんな小さな世界じゃ生きられないわ。」
「あなたのサーフィン、センスがいいのよね。でも、それだけなのは、ここね。ハート。」
彼女は、自分のむねを握ったこぶしで、とんとんと叩いた。
「あなたは、このガラス玉になるの?」
あの時、答えられずに、彼女が波に向うのを黙って見送った。そして、答えられないうちに、彼女は、浜から消えた。
その後、海の家の水槽の前で、彼女のいなくなった海を見ながら、「やりたいこと」を考えていた。そして、彼女に答えられなかった答えを、やっと俺は出すことができた。
俺は、否応なく、親父の会社を継がなければならない。今の状況では、自分の好きなことをやって良い環境ではない。それが判っているからこそ、親父のコネでもなんでも、その会社で必死に勉強して、ネットワークを作って30歳には親父の会社にもどって、経営を安定させなければならない。彼女に言われる前と同じ、道、未来、のようだけど、違うんだ。どうせやらなければならないのなら、頑張って、良い経営者になろう。努力しよう。
「俺は、カオルのようなプロサファーにはならないけど、自分が生きていく価値を見出だすよ。きっと。」
「きっかけをくれて、ありがとな。カオルも頑張れよ。」
そうやって、大学4年の夏、最後の海の家のバイトを終えた。
3年後、ハワイ、ノースショアで行われた大会で彼女が優勝したと部屋のテレビが伝えている。
「やったな。おめでとう。」
あの時捨てられずに、ラムネのビンを部屋の机に置いていた。何か迷うと、手にとって、窓からの日差しにかざしてみていたけど、今日は君の為に、高く高くかざしてみた。
「すごいよ、君は。」
「ほんと、おめでとう。」
ピー!
やかんのお湯が沸いたと知らせてる。
ゆっくりと、コーヒーを淹れて、部屋中にいい香りが広がった。カップをもって、テレビの前のソファーに座る。
「俺は、君の言ったラムネのガラス玉かもしれないが、ガラス玉を美しく輝かせてくれる、このビンを守ることも大事なんだって思っているよ。」
どこかで、声がした。カオルの声だ。
「ここね。ハート。」
今の俺に、迷いはない。
俺は、自分のむねを、握ったこぶしで、とんとんと叩いた。
「そうだ。ここ。ハートだね。」
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涼音色 ~言ノ葉 音ノ葉~ 第18回 ガラス玉 と検索してください。
声優 岡部涼音が朗読しています。
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