侵蝕
朱い炎と紫の煙で空間を満たしながら、それらの使い手であるサンディコスとプロトンは睨み合っている。
1対1と定められたこの闘いに横槍は入らない。試されるのは、己の力に限られる。アトルムもルテウスも、ウラヌもネプトもこの闘いには干渉せずただ見守るだけだ。
睨み合う二人は、距離感を微かに変えつつ共に出方を伺っている。下手に動けば、返り討ちに合いかねない。
毒々しい濃い紫煙を纏いながら、プロトンはゆっくりと間合いを詰めつつ言う。
「これが俺の至……この煙がどういうものか、分かるか」
「ああ分かるさ、何かヤバイって事はな」
「それくらいの事ならば見ただけで分かって欲しい所だったが……幸いだ」
言い終えたプロトンの眉間に微かな皺が寄った。明確に動き出したのは彼である。緩やかに前方に駆け出しつつ、相手に向けて手から紫煙を放射した。
迫る毒々しい色の気体を前に、サンディコスは即座に横っ飛びする。しかし、放射された煙は敵の動きを先読みするかのように横に広がった。
マジかよ、と思考したその時にはサンディコスの身体は煙に包まれてしまった。
「うわっマジか……っ! く、ゲホッ……!」
自分の名を叫ぶ仲間の声が煙の外から聞こえる中、思わず咳き込んでしまう。そうしながらも彼は大剣を振り回し、煙を吹き飛ばした。
「もう少し離れなきゃ、僕達も危ないね……!」
「……ああ」
観戦するルテウスとアトルムは危険を感じ、戦場から少し距離を取った。
「ゲ……ゲホッ、ゴハッ! こりゃなんなんだ、毒か!?」
「似ている。だが厳密には少し違うな」
周囲に煙を渦巻かせながら太い声が発せられる。煙と相まって、心なしかプロトンの大柄な身体が数割増しで大きく見える。
「……ウイルスだ。こいつに侵された人間は安静ではいられまい。まあ、強めの風邪程度のものだ、命の危機に怯える必要は無い……いや、そうでもないか……?」
「くぅっ!!!」
燃えるような眼で見据えたまま、剣を構え強引に突進を仕掛けようとする。サンディコスは大剣を軽々と使いこなす腕力を持つが、接近戦でしかその力は発揮できないのだ。
「カゼ菌で!? ……ぅぐ!」
だが、視界がぐらつき平衡感覚に支障をきたす。身体中の細胞という細胞が、異物の認識に反応を起こす。身体が熱を激しく発している。
「……所で、どうやら休息を満足に取れていないそうだな。通りで発症が早いわけだ。至だろうが病には勝てまい」
「てめえ……!」
無骨に腕を組んで余裕綽々と言う紫髪の男に、朱髪の男は沸々とした怒りを灯した。ウイルスと怒りによる二重の条件で顔が熱くなる。僅かながら大剣を握る手に篭もる力が、失せる。
戦場の外では、見せつけるかのようにそれを見届けているウラヌが見下すような笑みを浮かべている。こうしてる間にも、プロトンの紫煙はサンディコスへと伸びていく。
「俺は『苦しめる』事しか能がない。よって、お前が身動きが取れなくなれば俺の勝ちとさせてもらおうか」
「何決めてんだ……勝手によ!!」
乾いた喉で叫び、迫る煙を縦に両断。煙は軌道を逸らし、距離を離していく。
「ガ……ハッ、うぐっ」
こうしている間にも、ウイルスはサンディコスの体内を異常な早さで侵していく。顔は青ざめ、身体は発熱し、震えている。
だが、だからと言ってその場で震えていて勝てるわけなどない。勝つ為の方法自体は見えている。
プロトンの身体は紫煙に包まれているが、剣によって払う事は出来る。大量の追加吸引を覚悟し、強行突破という手もあり得るかもしれない。
とにかく何とかして懐に潜り、一撃を叩き込む事ができれば! しかしそれを、体内を蝕むウイルスが許さないのだ。新たなウイルスが入らなくても、体力は徐々に失われていく。
「ハぁ、はァ、つっ……」
「まずいよ……サンディコス……!」
「……!!」
サンディコスが勝てるのかどうかで、ルテウスは不安を露わにしてしまっている。その横で、アトルムは眼光で空間に穴を開けるかの如く戦場をじっと凝視している。
「直接傷付けない分いつもウラヌには軽視されるが、風邪は甘く見るものではない。さあ、どうする? 降参するならば言わなければ分からないぞ、俺に読心術など無い」
「がハっ……ご……決まってん、だろ続ける、に」
ウイルスを拒んだ体が、咳を促し体外へ放る。サンディコスの白血球が全力で活動する中、ふらつく彼は必死で地から足を離さず仁王立ちする。
そんなサンディコスを少し鬱陶しいと思ったのか、
「……ならばもう少し悶絶させるのも良きか」
手を広げた腕が伸びるかのように、毒々しい紫煙を直線状に放射した。その量は多く、一切の情けも感じられない。
対してサンディコスは、右足を前に動かした。不安定な平衡感覚の中、足裏をしっかりと地に付けた。またルテウスの叫び声が聴こえた。
「久、々に……引いたなカゼな、んて、……いつ以来だよ」
頭が燃える。頭が冷える。もはや、燃えているのか冷えているのかよく分からない。両方かもしれない。
『この菌は片付けておくから、寝ろ!』とでも言いたげに虚ろと化していく意識の中、燃える剣が弱々しく振られる。この勢いでは、紫煙をいなす事など出来ない。サンディコスの体は禍々しい煙に覆われてしまった。
「ハハハ……呆気ねえもんだな! プロトン、もうお前が勝った事にしていいだろ」
自分が闘ったわけではないが勝ち誇った笑みのウラヌ。その後方で、ネプトは黙ったまま対戦相手に申し訳なさそうに俯いている。様々な感情を噛み殺すかのように。
無表情を崩さず、プロトンは言う。
「いや……俺は至……戦士としての礼儀は軽視出来ない主義だ。せめて投了は待ってやろう」
紫煙の中のサンディコスを見る。彼は立ったまま動いていないのが分かる。それに声も聴こえてこない。呻き声も、何も――
「…………む?」
――何かに気づいたのか、プロトンの眉が密かに顰められる。
その時!
煙の中のサンディコスから突如朱炎が激しく燃え盛り、周囲の紫煙を塗り潰すかのように掻き消した!
「何……?」
「ああぁ、死ぬかと思った……けど間違いだったようだな……こんなカゼ菌でオレに挑むのは!!」
炎の中の男の声は、先程までの不調が嘘のように快活なものだったのだ。彼らしい実に溌剌とした発声。
「なんと……まさか」
克服したというのか――? と、プロトンは半開きの口を閉ざさずにはいられなかった。