ビーフシチュー
ショートホラーです。苦手な方は回れ右してね。
最近、旦那の帰りが遅い。仕事が忙しいと彼がいうから、あたしは彼の好きな料理をつくって毎日まっていた。けれど、彼はため息をついて一口も食べないまま、シャワーをあびて寝てしまう。
「それって浮気してるんじゃないの?」
「そうかしら?でも、浮気なら出張とか言わない?毎日、遅くなるだけよ」
「そうねぇ、それじゃあ疑うの可愛そうよね」
近所のママともたちとそんな話をした。
やはり、浮気をする場合は出張とか泊まりで仕事になったという言い訳が多いらしい。あたしはほっとしていつものように彼の帰りを待っていた。
電話が鳴る。時刻は11時を少し過ぎていた。彼に何かあったのかと、あわてて出ると相手は彼だった。
『今日は帰れない』
一言そういうとそっけなく、電話は切れた。
(大変ね)
あたしは何も疑わなかった。けれど、ある日、彼の給料明細を見つけて愕然とする。残業代が支払われていないのだ。会社の手違いなのか、それともサービス残業をさせられているのか。あたしは、彼に聞こうかとおもったけれど、もし疲れている彼にこれ以上の負担がかかるのを恐れた。だから、朝、出がけに彼が
「今日も帰れない」
と、言ったのであたしはわかったわと笑顔で送り出した。そして、その晩彼の会社をこっそりたずねた。守衛室に夫に夕食を届けにきたのですがというと、守衛は首をかしげた。
「今日は誰ものこっていませんよ」
「今日は?」
「あ、いえ、今日もですね。最近、労基の監査が入るという噂がありまして……。それでどこの部署も、定時に上がってますね」
「こっそりなんてことは?」
「いや、それはないですよ。わたしらが定期的に巡回しますから」
守衛はあたしを勘違いした新妻だと思っているようだ。
「部署で飲み会でもしているんでしょ」
そう言ったのだ。あたしもそうかもしれないと思った。けれど、何度目だろう。息子が生まれてから少しずつ態度が冷えたように感じた。だんだんと残業が増え、ほとんど毎日になり、そりてときどきかえってこなくなった。
あたしは、混乱した頭であるいてい駅へ向かう。途中雨がふり出したので目についたコンビニでビニール傘を購入した。レジをすませて出ようとしたとき、聞き覚えのある声がしたのでふと視線を投げた。
すると、そこには何度か彼に電話してきた部下の女性がいた。その隣に背の高い男がいた。
あたしは傘を買ったのに差さずに家に帰った。そして、混乱する頭で彼の大好きなビーフシチューをつくることを考えた。こんばんは帰らないのだ。もう、いつ帰るかわからないなら、ビーフシチューがいい、煮込むのに時間がかかるから、帰ってきてすぐに食べなくても、朝食をかかさない彼なら、朝でもたべてくれるはず。
あたしは、決意して冷蔵庫から食材を出した。玉ねぎ、ジャガイモ、ニンジン、市販のデミグラスソース……。必要な物は十分にあった。だから、うちで滅多に使わない大きな寸胴鍋をつかって、野菜を煮込みにかかった。
三日目。ようやく彼が帰ってきて、いつものようにシャワーを浴びて眠った。あたしは冷凍庫から肉をだして、ビーフシチューの仕上げをした。そして、朝まで弱火でじっくりと煮込んだ。
(きっと喜んでくれるわ)
ビーフシチューの匂いにつられたのか、彼はいつもより少しだけ早く起きてきた。
「ビーフシチューつくったんだけど……朝からっていうのはしんどいかしら」
彼は首を横にふり、テーブルについた。あたしは、久しぶりの二人だけの朝食に心を弾ませた。
「なあ、陽一はどうしたんだ?今日はえらくおとなしいな」
「陽一?」
あたしはぽかんとする。
「いつもなら、泣いてるだろう。おなかすかせて」
「ああ、あの子。もう大丈夫。泣かなくしたから」
「泣かなくした?」
彼は半信半疑になりながらシチューをたいらげて、陽一の眠るベビーベッドを覗きこんだ。彼は息をのむ。そこには、小さな骨だけが綺麗に人の形に並べられていた。
「ね、もう泣かないから心配ないわ。あなた、陽一が泣くのいやがったものね」
彼は真っ青な顔でまさかとつぶやく。
あたしはただにこりと笑う。彼はなぜかあたしを突き飛ばしてトイレに駆け込み、ゲーゲーと吐いた。
「おかしいわね?大好きなはずなのに。ビーフシチュー。ねぇ、陽一」
あたしは、ベッドでおとなしく眠る陽一に笑いかけた。