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アイル  作者: はるの そらと
1章
8/42

7 さよなら世界


 一面、燃え盛る炎のように赤い絨毯が敷かれた部屋。この赤色は伝承で語られる、導く者の暁色を模している。ここは、フィンシュテットの最高機関である、御三家が集まる広間だ。

 その広間には、一段高い場所に三つの椅子が置かれている。そして今、その椅子には三人のヴィンターが座っていた。

「それは、本当だろうな?」

 低く重たい声。威厳のある声が中央に座る男から発せられた。五十代後半にみえる彼はフランメ家の現当主、アーブラハム・フランメ。短髪の赤毛にブラウンの瞳。切れ長のその眼は、見る者を萎縮させるには十分であった。

「はい」

 その三人に頭を下げる一人の者は、三人の視線を浴びつつ、俯いていた顔をあげた。

 茶髪のショートヘアに黒のフレームメガネをかけた女。ドーリスだ。心なしか、口角が若干上がっているように見える。

「そのような情報を我々に与えたのだ。何か望みがあるのだろう?」

 アーブラハムの右隣にいる女が言葉を投げる。彼女はツェーレ家現当主イザベル・ツェーレ。青みのかかった黒い長髪に濃い緑の瞳。足を組んで座る彼女は一見若々しく見えるが、実際は魔法で若さを作っているとの噂がある。だが、真偽は誰にもわからない。

「やはり、何か望みがあるのか。まあ、そういうものだろうなあ」

 そしてアーブラハムの左隣にいるのが、フュリュスターン家現当主、ベルント・フュリュスターン。この三人の中では一番歳を取っているように見えるが、同時に一番馴染みやすそうな人物でもある。黄金色の髪に蒼い瞳。口元には髭を蓄えており、にこにこと笑っているような表情を常に浮かべている。その目じりに刻まれた皺が人々を安心させるのは言うまでもない。だが、実際腹の中では何を考えているのか一番わかりづらい人でもあった。

「ええ。ですが御三方にとっては簡単なことだと」

「どうせ、家位の上昇でしょう?」

 つまらなさそうに座っている椅子の肘掛で頬杖をつきながら、イザベル・ツェーレは言った。

「はい」

「どうして家柄の向上を求めるのだ? もう時代が時代だろう?」

 目じりに皺を刻みながら、ベルント・フュリュスターンは尋ねた。

「そうでしょうか?」

 ドーリスは、御三家の現当主を前に、堂々とした声を上げた。

「ウィンディーズ家先代、ユリアン・ウィンディーズが存命であれば家柄重視の時代は終わりを迎えたかもしれません。しかし、彼はもういない。同時にウィンディーズ家の発言力も弱くなり、改革は失敗に終わったと心得ております。もちろん、これは世間一般論ですが」

「ほほう。世間ではそういう風に見られているのですか? 興味深いですねえ」

 本心かどうかわからないが、ベルント・フュリュスターンは顎髭を撫でながら言った。

「それで? その話どこまで信じられます?」

 イザベル・ツェーレの鋭い視線がドーリスに向けられた。

 ふっとドーリスは口元を緩めた。

「どこまでも何もございません。真実です。アイル・ウィンディーズが魔力を失ったのは」

「証拠はあるのか?」

 黙っていたアーブラハム・フランメが口を開いた。獲物を定めた鷹のように鋭い視線がドーリスを刺す。一瞬竦んだが、持ち直した。

「はい。二週間ほど前ですが、私の研究室に何者かが侵入しました。魔力の痕跡を辿り、アイル・ウィンディーズの使い魔のものであることがわかったのですが、そこに疑問を持ったので、彼をしばらく彼を観察していたところ」

 そこで、ドーリスは言葉を切ると、大きく息を吸って呼吸を整えた。

 どうやら、笑い出しそうになる衝動を抑えたらしい。

「彼はここ二週間自分の魔力で魔法を使っていません」

「自分の魔力?」

 誰かが発した疑問の声に、ドーリスは頷いた。

「使い魔がタイミングを計って魔法をあたかも彼が使っているように見せているのです」

「どうしてそうだとわかるのですか?」

 イザベル・ツェーレが疑いの眼差しを向ける。それでも、ドーリスは怯まなかった。

「私は魔力を専門に研究している者です。知識のない者だと気付きにくいですが、人と妖魔の魔力はまったく同じではないのです」

「そうか。なら断言することができるのだな?」

「はい」

「では、お前さんの望みを叶えてやるべきかな?」

 ベルント・フュリュスターンの言葉を聞き、ドーリスは口元をおさえた。そうしないと、笑ってしまいそうだった。

 彼女にとって、自分の家の家位の高上は喉から手が出る程欲しいものだった。下流家系であるため、職に就くのもやっと。数十年前行われたウィンディーズ家による改革が上手くいけば、今の生活環境から抜け出せたのかもしれない。運よく改革時にドーリスは今の職を得ることができたが、今ではたった一人の安定した稼ぎ頭。家族を養っているのは自分一人だけ。しかも、父は病気がちで治療費がかさむ。治癒魔法を得意とするヴィンダーが一族にいればいいのだが、そうもいかない。今の制度のように魔法の学び舎があれば現状は違ったかもしれない。しかし、少し遅すぎた。

 これで中流家系になれば、以前よりも待遇される生活を送ることができる。

 だが、そう簡単にもいかなかった。

「その件なら私が処理しておきました」

 突如聞こえた声。ドーリスが振り向けば、扉の前に一人の男がいた。黒い長髪を結い、ブラウンの切れ長目。――ゼアだ。

「何勝手なことを」

 イザベル・ツェーレが身を乗り出し非難の声を上げた。静かに殺気立つ彼女の視線を受けつつ、ゼアはへらりと笑って見せた。

「すみません」

 まるで反省の色が見えないゼアに対し、イザベルとベルントの目は怒りの色を露わにしていた。

 普通、御三家現当主に睨まれれば、萎縮するだろう。だが、ゼアにその様子はなかった。

「あなた方は、これを好機に彼を殺す算段でも立てるつもりだったのでしょうが、それはいくらなんでも短絡的でしょう」

 アーブラハムを始め、イザベルとベルントは黙って突然の侵入者に視線を向けていた。

「弱体化したといっても、十代の当主の発言や行動に影響を受けるヴィンダーがいることをお忘れなく――。この間マグレーティの火山噴火を止めた件、あれで多少といえどもウィンディーズ家を尊敬し支持する家が出てきたと聞きますからねえ。……御三家にとって、ウィンディーズ家は弱体化しても邪魔な存在。違いますか?」

 挑発するような物言いに、聞いているドーリスの方が冷や汗をかきそうになる。ゼアの登場により、ドーリスの目的達成に陰りが見えた気がして、そっと顔をしかめた。

「でも、『いなくなる』と英雄視され後世まで偉大な一族として語り継がれる可能性があります。それはあなた方にとってあまり面白くないんじゃないですか?」

「……して、お前さんはこの件を『処理した』と言ったなあ。……何をしたのだ?」

 ベルント・フュリュスターンが、目を細めながらゼアに尋ねた。

「処理と言っても仮、ですがね。私の提案が気に食わなければ、これから開くであろう査問会で訂正しても結構です。どうせ、この件に関する査問会は開かれなければならないのでしょうし」

「前置きはいい。さっさと言え」

 ベルントの目もとの皺が一気に険しいものに変わった。

 ゼアはそれを見て、ふっと笑うと高らかに言った。

「追放です」

「追放だと?」

 イザベル・ツェーレの鋭い声が飛んできた。

「そうです。フィンシュテットからマグレーティへ。魔力がなくなったのなら、ノーマーとして生きるのが当然。突然魔力が無くなるという前代未聞なことですが、彼自身の魔力が前代未聞なものでしたので適当に話をつくろえば皆勝手に納得しますよ。それに、他者からの同情は得られるでしょうが、家位を失くした者に他の者は興味を示さないでしょうしね。何より、彼が一番惨めな思いをするでしょう?」

 そう言って、ゼアはにこりと笑って見せた。

 黙っていた三当主たちは、視線を交わすと各々小さく頷いた。

「今回の件、お前の処理した通りにしよう」

 アーブラハム・フランメが静かに言った。

「ありがとうございます」

 頭を下げるゼア。ドーリスは次第に強くなる不安に、声を上げそうだった。

「して、ドーリス」

 ベルント・フュリュスターンの声に、ドーリスは視線を御三家当主たちに向けた。

「お前の望みは叶えられなくなってしまったなあ。いや、残念残念」

 叶え、られない……?

 じゃあ、それじゃあ……。

「もう少し早ければ、お前さんの望みも叶っただろうに」

 ドーリスは、次第に状況を理解していくと、両手を強く握りしめた。


 部屋を出てもドーリスは心ここにあらずと言った様子でぼんやりとしていた。しかし――。

「すみませんね、チャンスを潰してしまって」

 軽い口調で言われたゼアの一言。

 それだけでドーリスの怒りに火をつけるには十分だった。

「ゼア、貴様! フランメ家の悪童が!」

「童っていう歳ではないのだけどね」

 ゼア・フランメ。それがゼアの本名だ。フランメ家当主アーブラハムの三男でありながら異端といわれ、一族から追放された男。そのため、どこの一族にも属さない特殊なヴィンダーだ。

「私はお前の言うことなど鵜呑みにしてないからな。ウィンディーズ家の狂犬め!」

 ドーリスが吠えても、ゼアは涼しい顔で片手をひらひらと振りながら去っていった。


   ◇


 自室に戻ったゼアは、倒れ込むようにソファーに身を預けた。

 手首をひねり、その手に杖を持つと口の中で呪文を唱える。すると、厳重に保管していた小人の人形がゼアのもとまできた。

 ――これで、本当によかったのだろうか。

 暗い部屋でうつ伏せになったゼアは、天井を見つめながら思う。

 人形が動かなくなったときは、自分でも情けなくなるくらい動揺してしまったが、そんな状態で最善だと思える判断を下すことができたのだろうか。

 ――これは、あの子の魔力を感じて動くの。だからね、もし何かあったら助けになってあげて。これは、私の一方的なお願い。だから忘れてもいいの。

 姿を見ないと思って探した結果、動かない人形を見たときは、死体を発見した気分だった。

 ドーリスより先に動けたのは幸いと言っていいだろう。――でも。

 ゼアは、誰も背負ったことのない道に放り込まれる小さな少年を思い、胸が痛んだ。

   ◇


 緑の山々に草花。青い空と鳥のさえずり。そして、頬を撫でる冷たい風。

 青々とした草の地の上でぼんやりと座っていれば、自分もこの中の一員になれた気がした。

「こんなところにいたのか」

 アイルは背後からかけられた声を無視して、ただ目に映る光景を見ていた。

 人のいないこの場所でぽつんと一人でいると、何もかもちっぽけなことに思えてくるから不思議だ。もしかしたら、髪をくしゃくしゃにするこの風が、僕の感情を持ち去っているのかもしれない。

「アイル」

 心地よい体温が手に当たる。

「人の世は厳しいな」

 普段、ネコのような振る舞いは絶対にしないのに、ヴィンは僕の手に頬を擦り付けた。構ってくれ、と言っているような振る舞いだが、アイルは手元を見ることなくずっと遠くの何かを見ていた。山か、空か。それともここにはない何かを。

「仕方がないさ」

 さわさわ、と草が音を奏でた。

 ゼアに感づかれた時点で覚悟はしていた。

 しばらく自宅待機を言い渡された数日後、御三家当主を始めとする現在の最高機関役員一同を前に査問会が開かれた。そこで正式にマグレーティへの住居移転が言い渡されたのだ。事実上、フィンシュテットからの追放である。

 正直、言い渡されたときのことはよく覚えていない。

 マグレーティへの追放の話は、ゼアから言われていたから、それほどショックはなかった。

 だがこの一件は、フィンシュテットを震撼させた。

 ウィンディーズ家の当主がマグレーティへ追放――。それはヴィンダーからノーマーへと「格下げ」したことを暗に示していた。

 ノーマーとヴィンダーは、同じ人間。そう思ってきたアイルでも、突然の宣告に戸惑いを隠せなかった。

 ヴィンダーとして生きてきたアイルは、これからノーマーとして生きなければならない。魔法が当たり前だった生活から、そうでない生活へ……。

 ぎりっと奥歯を噛み締めた。

 今日いっぱい。それが、アイルがフィンシュテットにいられるリミット。午前零時になる前に、北と南を分ける門、「分断の境」をくぐらなければならない。

「……面汚しだな、僕は」

 魔力がなくなった時点でわかっていたことだが、こうして世間から面として言われると、また違って胸に来るものがある。

「こことも、お別れか――」

 ぶわっと風がアイルに当たる。白に近い金髪が、太陽の光のもとで輝きを放った。

 この風を浴びることも、もうない。

 しばらく目を閉じ、風の声に耳を澄ましていた。

「ヴィン」

 目を閉じたまま、アイルはそばにいる黒猫に声をかける。

「なんだ?」

「お前はここに残れ」

「はあ? お前、いきなり何言って――」

「僕はもう……ノーマーだ。ノーマーは使い魔を持たない」

「……お前はそれでいいのか?」

 アイルはゆっくり頷いた。

「もう、僕が差し出せるものはこの命しかない。けど、これは対価として差し出すわけにはいかないから」

 幼少期から祖母、カローラから耳にタコができる程言われたのだ。

 ――あなたは、ユリアンとツィラの残した忘れ形見なのだから何が何でも人生をまっとうしなさい、と。

「本当に、本当にそれでいいのか?」

「くどい」

 そう言えば、黒猫もそれ以上は何も言わなかった。

 ここに来て初めて、風が肌を刺すように冷たいと思った。


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