6 覚悟
まったくもって、理解できない。
一応、祖父ディルクの杖を持つアイルではあるが、魔法を一切使えない。
ぴったりくっつく黒猫が、そうそうヘマを踏むこともないとはわかっていても、アイルは落ち着かなかった。
ヴィンダーにとって、魔法は手足である。
羽をもがれた蝶に価値を見出せないように、今のアイルはただの子供と変わりない。
それでも、顔にはおくびも表さなかった。
「それでは、講義の締めくくりをこの二人にお願いしましょう」
アイルは、ため息を必死で殺した。どう考えても、ドーリスが仕組んだ試合にしか思えない。普通は、今日初めて講義に参加した生徒を指名なんかしないだろう。
大きく息を吸って、吐く。
でも、体が震えるのを止められなかった。
――俺に任せておけ。
そう黒猫が言ったときだった。
目の前がいきなり白くなったかと思うと、次の瞬間には、講義室へと戻っていた。
もう、時間なのかと思ったが違うようだ。
「まだ、時間内ですが、ここで講義を終わります」
どことなく、悔しそうな様子でドーリスはそれだけ告げると、来たとき同様、瞬きをした瞬間にはいなくなっていた。
教室がざわめく中、アイルとヴィンはすぐにその場を後にした。
◇
「一体何の用ですか」
不機嫌な女の声に、思わず笑う。
もう少し、無表情な女だと思ったのだが、どうやらそんな彼女が不機嫌になるほどのことをしたらしい。
――実に、愉快だ。
「何を笑っているんです。要件はなですか」
特に何もない、と言えばもう二度と口をきいてくれないだろう。
「貴方が急用だと呼び出さなければ、今頃珍しいものが見れたのです。それ相応の急用なのでしょう?」
ドーリスの挑発的な言葉に、思わず鼻で笑ってしまった。すると、眉間に寄った皺が、さらに深くなる。
「申し訳ない。貴方がそんなに興味を持つこととは、どんなことかちょっと気になりまして」
まあ、普通気になったから笑うことはないだろう。それでもドーリスは、明らかに不機嫌な表情のまま、答えた。
「とある生徒の決闘です」
途端、今度は自分の顔がピクリと動いたのを感じた。
「……ほう。今まで数多の生徒を見てきた貴方がそう言うとは。――誰です?」
そう聞けば、ドーリスは主導権を取ったとばかりに、にやりと口角を上げた。
「それは、秘密です」
勿体ぶって。
「それで? 要件は?」
「申し訳ない。そう大したことではないので。――いや、貴方の邪魔をする真似をしてしまったようだ。本当に申し訳ない。……私はこのあと講義があるので、失礼させていただきます」
べーっと内心舌を出しながら、御託を並べると、ドーリスに背を向けた。聞きたいことがあったのだが、それもどうでもよくなった。
背中越しでもわかる、ドーリスの怒りにゼアは声なく笑うと、パチンと指を鳴らし、その場を後にした。
◇
――あの女のところに行かないのか?
「行く気が失せた」
颯爽と長い廊下を歩く、小さな主の返答に、黒猫はため息をついた。
そもそも、魔力の消失について聞くためにやってきたんじゃないのか?
当初の目的から離れた言葉に、黒猫は小さくため息を吐いた。
「別に直接行かなくても、調べる方法はある」
心の内で会話をすることも可能であるにもかかわらず、アイルは声に出している。
相当苛立ってるな――。
ヴィンは、ちらりと金色の瞳で一瞥すると、また前を向いた。
「ヴィン」
名を呼ばれた黒猫は、主の足元から肩へと飛び移る。
――ドーリスの部屋に忍び込むことはできるか?
ヴィンは思わず肩から落ちそうになった。
――おま、何を言い出すかと思えば。忍び込んでバレたらどうなるか、わかって言っているんだろうな?
――僕は本気だ。
「そんなの、直接行って聞けば一番手っ取り早いじゃねえか!」
具現化した猫をちらりと見たあと、嫌だと一言呟いた。
「アイル!」
「今日でわかった。僕はあの手の講義には二度と参加したくないし、あの教授の顔も見たくない」
大物なのか、はたまたただ単にバカなだけなのか。
魔力が消え、普通ならパニックになるだろうに、こいつはいつもと変わらない。
ヴィンは、にやっと口角を上げた。
「いいぜ。やってやろうじゃねえか」
白い廊下を歩きながら、アイルはヴィンに視線を送る。
カツカツと嫌でも足音が響き渡った。
「アイル、俺は姿を隠すが何かあればすぐ言え。近くにはいる」
目的のドーリスの部屋の前に立つと、アイルは扉の前を素通りした。
――どのへんだ?
――もう少し、右。燭台のやや左あたりだ。
ヴィン同様、姿を隠したアイルは、使い魔の指示に従った。
――そこだ。そのまま中に入れ。
目の前は壁。だが、アイルは躊躇なく一歩踏み出した。
すると、次の瞬間には見知らぬ部屋の中にいた。
ドーリスの部屋だ。
普通、教授の部屋に無断で入ることはできない。こんなコソ泥みたいな真似が誰にでもできてしまえば、機密情報も簡単に漏れてしまう。それこそ、各々に部屋が与えられている意味がない。
そう考えると、ヴィンはかなり力のある妖魔だとわかる。魔法を使えるのは知っていたが、ここまで高度な魔法さえ操れることまでは、知らなかった。
それより今は、目的を達成することが先だ。
アイルは注意深く、辺りを見回した。
ドーリスの趣向なのか、アンティーク基調の部屋である。部屋の中は、ゼアの研究室とは違い整理整頓されており、目的の書棚もすぐに目に入った。
簡単に物事が進めばそれでいい。けれど、そう上手くいかないことはわかっている。
意を決して、アイルは書棚から適当なものを取った。
こちらへ向かって来る気配を捉えたヴィンは、アイルにその旨を伝えると、すぐに部屋から連れ出した。ドーリスが部屋に入るのと入れ違うようにしてアイルは忍び込んだとき同様、壁から出た。
「で、わかったか?」
興奮を抑えきれないのか、ヴィンの尻尾はぴんっと伸びていた。
そんな使い魔の様子を見て、アイルは視線を落とすと言った。
「わかったといえば、わかったんだろうな」
ただ、悪い意味で。
「今、僕に起きていることは、今まで例がないってことが」
あんぐり口を開けた使い魔を見て、アイルは思わず笑った。
「笑いどころじゃあねえだろ!」
確かにその通りなのだが。
こうなった以上、魔力を取り戻す方法は、完全にわからなくなった。
ただ一点、気になる記述を見つけた。
――近年、一生変わることのない魔力の量が減少、あるいは魔力自体の弱体化の事例が多く報告されている。
何か、得体の知れない不穏な気配を感じた。
◇
「では、これから相手の動きを止める石化魔法を教える」
ゼアは生徒たちの前に立つと、杖を使い空中に何かを書き始めた。宙に書かれた文字は消えることなく漂っている。そうかと思えば、複数に分裂し席についている生徒の前へと飛んで行った。
「石化魔法は、人をも石にすることもできる。けど、それは応用魔法になるから、今回は相手の自由を奪うだけの基本石化魔法を習得してもらう。大丈夫。コツさえつかめば誰にでも簡単にできる魔法だから」
目の前に漂う文字が、呪文の言葉へと変化した。
「それが呪文。必要なのは対象物を明確にし、動きを止めることを強くイメージすること。あとはわかっていると思うが、呪文を間違えないこと。では、皆の前にいる文字を石化してみなさい」
石化魔法、か。
ふと、自分の手のひらを見た。最近よくこうする気がする。
魔法が使えなくなってすでに二週間が経とうとしていた。誰にもばれずにいられるのは、ヴィンの立ち回りが的確だからか。
「アイル、君は魔法を使わないのかい?」
驚き、声のした方を向けばゼアがこちらを向いていた。
「先生、アイルには必要ないんじゃないの? だって習ってない魔法も使える天才なんだし」
後ろの席に座る生徒が声を上げた。
習っていない魔法が使えるのは、家に魔法に関する書物が大量にあるからだ。遊ぶ相手もいなかったため、本を読んで育ったと言ってもいい。だから、基本魔法はもちろん応用魔法も心得ていた。
「それでも、きちんとした知識を教える。それがここの目的だからね。一族で魔法を教え合っていた一昔前とは違うんだよ」
そのとき、アイルの目の前にある文字が固まった。宙に浮いていたそれは、石のように固くなりコロンと目の前に落ちた。
姿を隠しているヴィンが魔法をかけたに違いない。
魔法が使えない。それなのに、ここにいるのがひどく滑稽に思えてならない。
アイルは奥歯を噛み締めた。
「うん、できたね」
ゼアはそういうと授業を再開した。
魔法は呪文がなくても成立する。要は、想像することが一番重要なのだ。呪文はその手助けでしかない。
アイルは基本、魔法を使うときは呪文を唱えない。覚えるのが面倒臭かったからだ。
魔力が無い今の僕は、ヴィンダーじゃない。
しかし、名門家に生まれ天才とはやし立てられ、今や当主となっているアイルには、どうすることが一番なのかわからなかった。
◇
「ったく、ゼアの奴、なんでまたお前を呼び出したんだ?」
オレが魔法を使っているのがばれたのか、との言葉にアイルは両手を強く握った。
今じゃあ「魔法」という言葉を聞くだけで、両手で耳をふさぎたくなる。
それにどうやら最近、痩せてきたらしい。隈もひどいと幾度となくヴィンが案じてくるが、それをどうにかする手立てがわからないのだから、どうしようもない。
ゼアの研究室の前にくると、その扉をノックした。
途端、ドアが自然と開く。許可がない者が叩いても扉は開かない。ましてや無理矢理こじ開けても、その先に目的の部屋があるとは限らない。そういう魔法なのだ。
そう、ここは魔法で溢れ返っている。
「急に呼び出して申し訳ないね」
前回とは異なり、部屋の主は書類に目を通しながら机の横に立っていた。
「……何の用でしょうか?」
力なく尋ねると、ゼアの切れ長の目がアイルを捉えた。
「私の授業で石化魔法を教えたよね? それ、ここでやって見せてくれないか?」
「石化魔法なら、授業中にやって見せましたけど?」
「ここでやってほしいんだ。別に困る事じゃないだろう?」
――アイル、やめろ!
突然、ヴィンの声が聞こえた。
――あの野郎、俺を部屋に入れないばかりか、室外からの魔法を遮断してやがる。意思疎通の魔法以外が効かねえ! 早くどうにかしてそこから出ろ!
出ろ? この状況で一体どうやって?
「どうしたんだい? ほら、早く」
焦るヴィンと急かすゼア。アイルは、はっと鼻で笑い飛ばした。
「どうして、僕がここでそんなことをしなきゃいけないんです?」
見下すような視線を受けても、ゼアは顔色一つ変えなかった。そのとき、ゼアの机の上に、この前お茶を運んできた、小人の人形が目に入った。が、小人はピクリとも動かない。どうやら、ただの人形になっているようだ。
その虚ろな瞳に、アイルは恐怖を感じたが、ぐっと抑え込むと口を開いた。
「確かに簡単な魔法です。でも、誰かの指示を受けて魔法を使うような人間じゃあないですよ、僕は」
「……それも、そうだな」
そう言って、ゼアは立ち上がると、パチンと指を鳴らした。すると次の瞬間には、手の上に小さな箱が乗っていた。
片手にすっぽり収まってしまうほど、小さな箱は青味がかかっており。光の受け方によって、宝石のように輝いて見える。細部まで細工が施されているせいか、芸術的に見ても価値のある物だと素人でもわかる。
しっかりとふたをされたそれは、鍵穴が見当たらない。
「これは、魔力に反応して開く特殊な箱なんだ」
そう言って、ゼアはアイルにその箱を渡した。
「開けてくれないか?」
アイルは、黙ったまま立ち尽くした。
――アイル?
心配そうな黒猫の声が聞こえる。
ここまでされると、あからさますぎて、逆にものも言えない。
「……馬鹿馬鹿しい」
わざと大きなため息を吐くと、アイルは吐き出すように呟いた。
ポツリと呟かれたアイルの言葉に、ゼアは何も返さなかった。ただ、じっとアイルを見つめる。
「こんな回りくどいことしないで、はっきり言ったらいいじゃないですか」
それでもゼアは、静かに見据えるだけで何も言わない。
――アイル。
穏やかな使い魔の声は、荒れ狂う心に確かに届いた。
――それで……本当にいいのか。
その一言で、アイルは覚悟を決めた。
ゼアの手から小さくとも美しい箱をふんだくると、目の前にそれを突きつけ言い放った。
「この通り、今の僕に魔力は――ない」