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アイル  作者: はるの そらと
終わりの章
42/42

そして僕らは

   ◇


 あれから一ヶ月が経った。

 混乱はもちろん、一部ヴィンダーによる暴動も起きたが、世界は少しずつ前進し始めた。

 まず、分断の境が消えた。魔法の消失は、この世界にある魔法すべてが解けることを意味している。あの一瞬で消えたのは人の魔力だけで、物にかけられた魔法は、まだ継続されていた。だが、それもそろそろ切れるようだ。

 ゼアは、肩に乗った人形を下ろした。

「そろそろ、さようならだ」

 小人の人形は、可愛らしく首を傾けた。

 ツィラにもらった、大切な人形。

 だけど、いつまでも過去にしがみついているわけにもいかない。アイルの言葉が蘇る。

「私も前を向かなきゃ、君に怒られるよね」

 そう言ったときには、人形はもう動かなかった。


 父から与えられた、この扉ももう開かなくなる。

 開けたとしても、その先に草原はなく、家の壁があるだろう。

 たくさんの思い出が、この場所にはある。

 ふと、足下に何かが触った気がして、慌てて視線を落とした。

 が、そこには何もいない。

「ヴィン……」

 あのとき、妖魔であるヴィンはアイルが目を離した一瞬の間に姿を消していたのだ。

 おそらく、元の世界に戻ったのだろう。

 もう、二度と会うことはない。

 アイルは、胸のあたりの服を皺が付くまで握った。

 いつまでも、こうしてはいられない。

 ドアにかけられた魔法も、もう消える。

「さようなら」

 風が吹き、草花が音を立て左右に揺れた。別れの挨拶を言い返したように見えた。

 ドアを閉める、その間際にアイルは小さく呟いた。

「ありがとう」


 今日もよく晴れている。

 風を取り込もうと、窓を開けたときだ。

「アイル」

 ルーナが黒馬を引いて、大きく手を振ってきた。

「来て」

 そう言って、黒馬にまたがったルーナは、アイルに手を差し出してきた。

「二人乗って大丈夫なのか?」

 そう言えば、馬が鼻を鳴らした。

「大丈夫」

 ルーナはアイルを引っ張り上げると、手綱を握った。

 ここは、僕が手綱を持つべきだろう……。

 格好悪い。そう思いつつも、ルーナに任せた。

 風を切り、向かった先はレリックの屋敷だった。

「別に急がなくても、午後にはここに来る予定だったんだって、ルーナ?」

 ルーナは、アイルの話など聞く耳持たず、その手を持つと走り出した。

「ちょっ、どうしたんだよ?」

 そして、半ば引き面れるようにして連れてこられたのは、レリックの書斎部屋の前。

「入って」

 眉を寄せたアイルは、大きなため息を吐くと目の前にある木製の扉のドアノブをひねった。

 すると――。

「約束は、守ったからな!」

 聞き覚えのある、懐かしい声。

 顔を上げれば、レリックの机の上に黒猫が座っていた。

「ヴィン!」

「まったく。どうせお前のことだ。もう二度とオレに会うことはねえと思っていただろ? でも、残念だな! オレはそんじょそこらの妖魔とは違うっておい!」

「お前、本当にヴィンだよな?」

「何だよ、疑ってんのか?」

 くねくねと尻尾を動かしながら、黒猫は金の双眸を細めた。

「確かに、魔力のないこの世界じゃあ前みたいに力は使えねえけど、オレは――」

「わかってる」

 アイルは言う。

「こんな目つきの悪い猫を僕は他に知らないからな」

「この野郎!」

 飛びかかってきた黒猫をアイルはその両腕でしっかり受け止めた。

「こいつらがいると、騒がしくてたまらない」

「あら、いないと「静かで退屈だあ」って喚いていたのはどこの口かしら?」

 ふふっと笑うエミーリアをランスが睨んだ。

「絶対あいつらには言うなよ」

「さあ、どうしようかしら」

 そんな様子を一歩離れた場所から見ている者が二人。

「騒がしくて申し訳ない」

 そう口では言うものの、レリックはどことなく面白がっていた。

「あら、いいじゃありまえんか」

 そんなレリックの隣に立つ、赤いリボンをつけた金髪の女。

「何もない殺風景な部屋に華が咲いたようですわ」

 相変わらずの口調でヘラは答える。だが、ヘラの表情も柔らかなものだった。

 そのとき、時刻を告げる鐘の音が部屋の中に響いた。

「あら、もうこんな時間」

「どこに行くんだい?」

 慌てて部屋を出ていこうとするヘラに、レリックが声をかけた。

 金髪を揺らし、ヘラは笑顔を向けて言う。

「ガッドさんのところへ。私、今回のことを記しておこうと思いますの」

「な! 別に残さなくていいだろ」

 ヘラの言葉を聞きつけたアイルが声を上げる。

 だが、他の者はヘラに賛成のようだった。

「貴方にとって大したことでなくても、残すことによって示せる未来もあるのですよ」

 そう言って、ヘラは出て行ってしまった。


「アイル、お前自分では気づいちゃいねえかもしれねえけど、物凄いことをやったんだぜ?」

 それこそ、ディルクやユリアン以上に。

 だけど、アイルは頭を振った。

「もし、僕がそんな大それたことをしたのなら、それは僕だけじゃ絶対にできなかった。過去に人生を投げ出してまで取り組んだ者たちが道を示してくれた。僕を思ってくれる人がいるおかげで立ち止まらずにいられた。……ただ、それだけさ」

 そう言って、アイルは自分の手のひらを眺めた。

 魔力を失ったばかりの頃はよくこうしていた。失ったものは、戻らない。でも、この小さな手のひらでも、守れるもの救えるものはたくさんある。

「人の世は、複雑奇怪。だから面白い」

 肩に飛び乗った黒猫が言う。

 アイルは空に浮かぶ白い雲を見た。

 ふと噴火を止めたあの日のことを思い出す。

 他者を押し退け、逃げまどう人々。あの場には確かに絶望が存在していた。

 手のひらは、他人を絶望の淵に落とすことができる。だが、同時に希望を与えることも出来る。

 もう、噴火を止めるなどという大業はできない。

 けど、アイルは思う。


 困難に立ち向かう気持ちが少しでもある限り、誰もがヴィンダー(魔法使い)なのだ、と。



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