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アイル  作者: はるの そらと
4章
41/42

40 夜明け

  ◇


 一瞬で息の根を止めてやろう。

 ヴィンは、高くあげた前足を振り下ろした。

 そのときだ。

「何してるんだ、お前は」

 振り落とした前足が何かに当たった。一気に血の臭いがあたりに漂う。確かに、爪は肉に食い込んだ。だが、その声で反射的に後退したのも事実だ。

「アイル!」

 ルーナが叫ぶ。ガクリと腕をかばいながら崩れ落ちたのは、紛れもなくアイル・ウィンディーズその人だった。

「何故――」

 ここにいる?

 オレはあのときのこいつの顔を忘れない。

 必死に掴んでいた細く長い、蜘蛛の糸のような支えを確かに切ったのだ。

 あのときのアイルの顔は、確かに絶望を語っていた。表舞台から去り、ただ生きていさえすればそれでいいと本気で思った。

 なのに、だ。

 アイルはルーナをかばい、血を流している。

 ここは、今から見せしめのために殺される四人が立っている表舞台だ。そこにルーナどころか、アイルまで来てしまった。

 これでは、アイツの思うツボだ。現に、ベルントは、今この瞬間を待っていたかのように嬉々とした様子でヴィンに命令を下す。

 ――殺せ、と。

 使い魔は、主の命に逆らえない。

 ヴィンが、チッと舌打ちをしたそのときだ。

 ……体の自由が利かねえ。

 かすかな視線を感じ、そちらの方を見ればゼアがいた。

 ヴィンからすれば、破れない魔法でもない。しかし、ヴィンはされるがままになっていた。

「おい」

 目の前の二人に言う。

「早く逃げろ」

 だが、そうはいかなかった。


   ◇


 短い呪文を唱えると、ベルントは杖を振った。

 わっと声が上がる。

 突如、壇上周囲に火が上がったのだ。

 その炎は、じりじりと中央に向かっていく。

「これより、新たな夜明けを迎えるため、最期の裁きを始める」

 そう言って姿を現したベルントは、壇上にいるアイルを一瞥するとニヤリと笑った。

「この制裁を邪魔しようとした輩がいたようだな。平和を望まぬ、実に卑しい者だ。ヴィンダーでもノーマーでもない、忌み子よ」

 まんまと引っかかったな、アイル・ウィンディーズ。

 手のひらの上で踊らされているとはつゆ知れずのこのこと姿を現した。

 これで、安寧な世界を迎えられる。そう思ったときだ。

「確かに、僕はヴィンダーでもなければノーマーでもないな」

 凛とした声、そして動じることもなくそこに立つ少年が、ベルントの目に飛び込んできた。

 ウィンディーズ家最期の当主、か。

 ベルントの眉間に皺が寄る。

 魔力があれば、確かに脅威だ。でも、今のアイルにはその魔力はない。

 ――偶然とはいえ、儂が奪ったからの。

 怒りは瞬時に引き、ベルントの顔に余裕が戻った。

「お主は、伝承にある導く者が率いる、夜明けの世界を邪魔しようとしている。皆が望む世界を破壊しようとするお主を、この世界に住む者が許すと思うか?」

「別に、許されようとは思っていないさ。ただ、貴方の言う夜明けの世界は、僕にとって伝承で語られる世界ではない。魔力を己の力と勘違いした者の治める世界は、本当に平和な世界と言えるのか?」

 黙っておれば、いい気になりおって――。

「貴方、わかってないわね!」


   ◇


 ベルントに代わって声を上げたのは、アルビーネだった。

「彼がいなければ、ここマグレーティはヴィンダーに支配されたままだったのよ?」

 すると、アイルは小さくかがんだ。腕が痛んだのかと思ったその瞬間、大きな笑い声が響きわたった。ざわめく民衆も一瞬にしておとなしくなるほど、その笑いには力があった。

「お前がそれを言うか!」

 地を揺るがすのではないか、と思うほどの怒声が周囲に響いた。空気が一瞬で張りつめる。

 誰もが息を飲み、アイルに注目した。

「僕はある日突然魔力を失い、追い出されるようにフィンシュテットを追放された。マグレーティでは僕を利用しようとする者もいれば、手を差し伸べてくれる者もいた。――僕一人だったら、すぐに死んでいただろう」

 そう言って、アイルは自分の手のひらを見た。

「この何の力もないただの手を掴んで、引っ張ってくれた人が、僕にはたくさんいる」

 ランス、レリック、エミーリア、ガッド――そして、ルーナ。マグレーティに来てからたくさんの人に助けられ、ここまで来れた。

 ――だから。

「今度は僕が彼らを救う」


   ◇


 嘲笑を浮かべたベルントが言う。

「今のお前に何が出来るというのだ?」

 こうしている間にも炎は、燃え尽さん限りと迫っている。声を上げるのもやっとだろう。

 やはり、ノーマーは無力だ。

「魔力があれば、違っただろうな。恨むなら己の悲運を恨め」

「ヴィンダーはやがて魔法を使えなくなる」

 その一言で、今度はヴィンダーたちの間でざわめきが広がった。

「伝承にもそうある。地に帰る、と。つまり飛べなくなるってことだ」

「どこにそんな根拠がある?」

「貴方の記した論文にもきちんと書かれていたじゃあないですか。近年の魔力の弱体化について。ね、ドーリス先生」

 皮肉を込めたアイルの言葉に、ドーリスはただ睨みつけてきただけだった。

「まず、魔力をヴィンダーの力と思いこんでいる時点で間違っている。魔力の根元は、別にある」

「もういい」

 そう言ってベルントは杖を振った。

「所詮、魔力を失った忌み子の戯れ言。耳を貸すだけ時間の無駄だ」

 炎が、アイルに巻き付いた。

「アイル!」

 ルーナが手を伸ばしてきたのだが、それをアイルは避けた。

「魔力のないお前に何が出来る?」

 先に焼き死ね。

 そのときだ。

 一陣の風が吹いた。竜巻のように風は渦を巻くと、炎を取り払った。

「なっ!」

 驚いたのは、ベルントだけではない。

 ルーナを始め、動けずその様子をただ見ていたレリックたち四人、そしてヴィンも目を見開いた。

 魔力を取り戻したのか――?

 ベルントは全身から血の気が落ちるのを感じた。もしそうなら勝ち目はない。

 魔力の量で、アイルの右に出る者はいないのだ。

「ほら、やっぱり」

 消え去った炎の中から現れたアイルの手には、杖が握られていた。

 何だ、あの杖は。

 アイルの杖は、儂が実験に使ったあと消却した。となれば――。

「ディルクの杖か!」

 そうならば、合点がいく。ディルクの杖は、他と違い杖自身が意志を持つと言う。

 ならば、あの杖を奪えば!

 ベルントが自身の杖を振るう、その瞬間だった。

 小枝が折れたような音が、周囲に響きわたった。

「これはもう、必要ない」

 アイルが、ディルクの杖を折ったのだ。


「な、何を……」

「何をって。見ての通りだけど?」

 もう、杖としての機能を持たない。ただの木の枝になり果てた杖を放り投げ、アイルは答えた。

 その瞬間、大きな笑い声が響きわたった。ヴィンだ。

「お前、最高だわ!」

 炎の光に照らされた、黒豹は満足げに口を開け笑って見せた。

「そいつは奴らにとって喉から手が出るほどの至宝だったのさ。見ろ、何奴も此奴も呆けたツラしてやがる! 傑作だな!」

 鋭い牙が、炎に照らされ光る。大口を開くヴィンを見て、アイルも微笑んだ。

「お前がそこまで面白がれたのなら、まあこの杖もそれなりに役に立ったかな」

 だが、そう思えない者もいる。

「何が役に立った、だ! その杖がなければ貴様は魔法も使えない! ただのノーマーだ!」

 ベルントは、アイルに向かってまっすぐ杖を向けた。だが、銃口を向けられたのに等しい状況だというのに、アイルは依然と顔色一つ変えなかった。

「アンタは、魔法が何かわかっているのか?」

 炎越しでもはっきりわかる、視線。それを受け止めながらベルントは、眉間に皺を寄せた。

「魔法は魔法だ。ヴィンダーだけが使える――」

「違う」

 炎はもうすぐ壇上にいる者を焼き尽くす。足場もだんだんと狭くなっているのだ。恐怖が見え隠れする他の者とは対象に、赤く照らされた少年は恐怖さえ微塵も感じさせない声音で言う。

「魔法は、奇跡だ」

 何を言っている?

「絶望の中でも、わずかな希望を持つ。――それが奇跡をたぐり寄せる」

「何が言いたい?」

「簡単なことさ」

 アイルは両手を広げて見せた。片方の腕から、血が流れ落ちる。

「自分を信じ、前へ進む力。それが魔力。そして魔力が作り出す奇跡が、魔法。……ヴィンダーだろうがそうでなかろうが関係ない。誰もが持つ力だ」

 白金髪が、炎越しに赤く見える。髪そのものが炎のように見えた。

「自分を信じる? なら、年老いると魔力が消失するのは何故だ? 答えにならない」

「諦めるから。自分は歳だからと、その場で足踏みをするか後退するからだ。もちろん、全員がそうでないだろう。現にフィンシュテットに住む者より、マグレーティに住む者の方が何事にも挑戦的だ。それに……」

 アイルはちらりと自分の周囲にいる者たちを見た。

「僕がこうしてこの場に立って、アンタと向かい合えるのは、こんな僕に手を差し伸べてくれた人が一人でもいてくれたから。だから、僕はまだ――自分を信じられる」

 もう、いい。

「御託はもういい! 何をどう言おうが、お前は魔力のない、魔法の使えないノーマーなんだ!」

「違う!」

 ベルントの声を打ち払うかのように、アイルの声が響きわたった。

「僕はノーマーじゃあない。――困難に立ち向かい希望を抱き続ける者、アルディのアイルだ!」

「アルディ? ハッ! 馬鹿馬鹿しい。戯れ言も大概にしろ」

 だが、ベルントは気が付かなかった。アイルの言葉に息を呑むノーマーたちに。わずかに変わりつつある、群衆の雰囲気にも気づけなかった。

 しかし、状況はベルントに優位であることに変わりはない。もう間もなく、炎に焼き尽くされる。

 例え足掻いたとしても、奇跡でも起きない限り、魔法の炎から逃げられる術はない。

 ふっと笑みを浮かべたそのときだ。

 高台の向こうにある山脈から眩い光が差し込んできた。

 夜明けだ。

 思いの外、手間取ってしまった。だが、これで終わりだ。

 魔法が使えないただの子供に、もはや為すすべはない。

 そう思った矢先、突風が吹き荒れた。

 周囲から悲鳴が上がり、箒に乗り空を飛んでいたヴィンダーたちも危険と判断したのか、次々と地に降り立った。

 誰もが風に気を取られた。

 顔を腕でかばったベルントは、高台の壇上を見た瞬間、思わず崩れ落ちた。

「暁色の羽――」

 山脈から顔を出した太陽。その真っ赤な光が照らし出す、一人の少年――。

 バサリ、と羽を広げた大鷲のようになびくマント。少年の背から生えているように見えるそこには、風と龍の紋――。

 さっきの突風が消し去ったのか、風では消えないはずの炎が、なくなっていた。

「夜明けを告げる風をまとい現れる」

 ぽつりと呟かれた老婆の一言で、静寂は一気に歓声へと変わった。

 アルバ様だ、と声を上げる者の一方で、ヴィンダーたちも己の変化に気が付いた。

「魔法が、使えない」

 落胆する者も多かったが、導く者の登場を目の当たりにしたせいか、これもまた伝承通りと納得する者が大半だった。



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