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アイル  作者: はるの そらと
1章
4/42

3 天才①

   ◇


 それにしても、このままぼうっとされるがままというわけにもいかない。

 ボロボロになって座り込む小さな少年には、この場から逃げる気力も体力もないように見える。そして、今捕まっている少女は、このままだと殺されるだろう。それだけ男たちは殺気立っている。

 そのときだ。

「やっと見つけた」

 よく響く声だった。視線を集めた声の主は、箒に乗った女だった。軽い身のこなしで箒から降りた女は、長い髪を払いのけながらカツカツとヒールの音を響かせ、こちらに向かって来ると、どこからともなく取り出した杖を少女に向けていた。――落ちた自分の杖を拾い上げたのだ。

「よくもアタシの杖、盗んだわね」

 ローブを羽織った女は、近くにいた二人組を怯ませるほど怒り狂っていた。だが、それだけではないだろう。

 ヴィンダーの証がローブであるならば、身分を証明するのがローブに刺繍された紋章だ。紋章は家紋と魔力の量で決まるため、個々に異なる。

 少年をいたぶっていた男たちのローブには、一人が白い象と金のユリ、そしてもう一人が白い鰐と金のスズランが繕われていた。白糸の刺繍が家紋、そして金糸の刺繍は魔力の量を示している。

 一方、女の方はというと白い三つ葉と金のカメレオンの刺繍を施したローブだった。

 魔力の量を示す紋章は、弱い順から草、虫、動物、そして空想上の生物となり、それぞれ第三級、第二級、第一級、そして特級と呼ぶ。第三級、第二級のヴィンダーが、人口の九割近くを占めるため、動物の刺繍はかなり珍しい。

 また、特級を与えられるヴィンダーは、時代によっていたりいなかったりする。

 そして、男二人が植物の金刺繍に対し、女は動物の刺繍、つまり魔力が上だということを示している。

「八つ裂きにしてやる」

 髪を掴まれたままの少女は、今にも殺されそうだというのに、じっと杖先を見つめ立っていた。

 女は爆発の魔法をかけた。ただ、火薬が破裂するような低レベルの魔法ではない。

 ――体の内側からの爆発だ。

 にやっと笑う女は、赤い雨が降るのを今か今かと待った。けれど、いつもならとっくに発動している時間になっても、少女に変化は見られなかった。

「確かに、杖を取られれば怒るよな」

 いつの間にか近くに現れたアイルを見て、女はもちろん、男たちも目を見開いた。だが、それも一瞬だ。

「てめえ、何様のつもりだ」

 拳が飛んできた。が、アイルには当たらず、どういうわけか隣に立っていた男に当たった。

「……いってえなあ。お前何してんだよ!」

「わりい」

 ふんっとアイルは鼻で笑った。

「てめえ」

 顔が真っ赤になる男たちに対し、アイルは涼しげな顔でそれを見ていた。

 僕は今、激しい怒りを向けられているのか――。

 普段の生活の中で、アイルを怒鳴る者は滅多にいない。強いて言えば、ヴィンくらいだ。

 でも……。

「それと比べてもあまり迫力がないなあ」

「貴様、さっきから黙っていればっ!」

「おや、口に出ていたか」

 そう言ってアイルは小さく笑った。

「坊や」

 さっきから黙っていた女が、突然にこっと笑いかけてきた。胡散臭そうなその笑顔に、アイルは無表情で応えた。

「ノーマーとヴィンダー。その違いは何かわかる?」

 突然の問いかけ。一体何が言いたいのか。

「……魔力のありなし」

 答えれば、そう、と女は頷いた。

「じゃあ、このローブと杖を見ればアタシたちがヴィンダーだってこともすぐにわかるわよね」

 それがなんだとアイルは首を傾げた。

「こんなノーマーしかいないごみ溜めのような場所が、格好の遊び場なの。だから――」

 アイルは目を細めると、鋭く息を吐いた。

「だから、家畜は家畜らしくしなさいっ」

 途端、どこから現れたのか、黄金の獅子がアイルに向かって牙を向け襲ってきた。


 ひっ、と悲鳴を上げたのはノーマーの少年か少女か。それともあの二人組か。そこにいる誰もが飛び散る赤の光景を想像しただろう。

 黄金の獅子、あれは女の使い魔だ。

 鋭い爪に長い牙。そして小象ほどの大きさの獅子に襲われれば、例えヴィンダーでもそうそう助かる者はいない。

 黄金の獅子が咆哮を上げた。女は、それをアイルの息の音が止まったことととらえ、つまらなさそうに息を吐いた。

「ノーマーならノーマーらしく、生きなさいよ」

 が、次の瞬間。

「……知ってるか?」

 ひゅうっと不自然な風が吹いた。かと思ったら、獅子は怯んだように後退し、女の足元までやってくると、竜巻のように巻く風を威嚇した。

 砂埃が舞う中、風の中心に人影が見えた。

 まさか。

 女は目を見開いた。

「……協定に基づき訂正された掟、その第七条を知っているか?」

 それはヴィンダーにとって守らなければならない掟。御三家及びウィンディーズ家が定めた、秩序を守るための絶対的法則。

「『南地域におけるヴィンダーのローブの着用、および魔法の使用を禁ずる』……さっき言ったよな? 『アタシたちがヴィンダーだ』って」

 女はつばを飲み込んだ。額から冷や汗が出る。それは、男たちも同様だった。

「……ヴィンダー、だったのか」

「僕は一度もノーマーだとは言ってない」

 誰が言ったのかわからない。けれどアイルは答えた。

「僕はノーマーじゃなくて君たちと同じヴィンダー。ローブを着てないからヴィンダーじゃないと思われるなんて。……まったく、いつから掟は変わったんだ?」

「掟なんか今じゃあってないようなものさ」

 怯む男たちに対し、女には慌てる様子も焦る様子もなかった。

「掟を破ったものには重い処罰が下される。けれど、一日この町を歩いてみな! 皆罰を受けることになる!」

「なるほど、確かにその通りだ」

 ふんっと女は笑った。

「それにアンタも今魔法を使った。アタシらとなんら変わりはないよ」

「そ、そうだ! てめえも同類だ!」

 それで口を封じるつもりなのかな、とアイルは思ってまた笑った。

「第七条には続きがある。『正当防衛として発動した魔法はのぞく』ってね」

 ヴィンダーたちを見てアイルは言い放った。

「僕は攻撃魔法を発動していない。けど、君たちはどうかな?」

 にこっと笑い返せば、険しい顔をした三人がそこにいた。

「なあ、お前はどこの家の出身だ?」

 男の一人が言った言葉につられ、二人の表情が和らぐ。

「ここで会ったのも何かの縁だ。この町についていろいろと教えてもいい。顔が利くんだ。競り市、闘技場、狩り場、ここにいれば家柄なんて――」

「僕は君たちと手を組む気はない」

 手のひらを返した態度に、アイルは手を振ってそれを断った。

 家柄重視のヴィンダーの社会。それもまた撤廃しようとした人は、もうこの世にはいないのだ。

 この世界は、再び以前の姿に戻ろうとしている。いや、前より最悪かもしれない。――ノーマーにとっては。

「なんだ! そこまでいうんじゃあお前はどこの家の人間だ? 俺達よりもずっと上なんだろうなあ」

 やれやれ、とアイルは肩をすくめた。家、家、家。――本当、腹が立つ。そこまで自分の保身を守りたいのか?

 ――だったらお望み通りに。

 次の瞬間、どこからともなく地面から風が湧き上がったと思ったら、すっとローブが現れ、アイルの肩に乗った。蝶が羽を休めるかのように優美に乗るローブ。そのローブに刺繍された紋章を見て、ヴィンダーたちの顔色が一気に変わった。ふらっとよろめいたかと思いきや、尻餅をつく男もいた。

 そこにあるのは、風。そして――龍。

 それがアイルの紋章だ。

「も、もしかして――」

 口をわなわな震わせるヴィンダーたちに向かって、アイルは微笑んだ。

 風はウィンディーズ家の家紋。そして龍は、歴代に類をみない魔力の持ち主である、アイルただ一人に与えられた紋章。

 ヴィンダーなら誰もが知っているローブの刺繍だ。

「僕はアイル。それともウィンディーズ家の人間だと言った方がいいかな?」

 そう言い終わらないうちに、男女のヴィンダーはこの場から逃げるようにいなくなった。

 ふんっと鼻で笑う。

 みな、ローブを見て態度を変える。これがアイルは嫌だった。

 あの三人の紋章はきちんと覚えているから、すぐにでも探しだし罰することは簡単だ。けど、アイルにその気はなかた。

 今では掟はあってないようなもの、か。

 それを身に染みてわかっているのは、誰よりもアイル自身なのだから。


 背後から感じた視線に振り向けば、ノーマーの少年と少女がこちらをじっと見ていた。野良猫の姉弟みたいだな、と思った。

「早く行け」

 めんどくさそうに頭をかきながらそう言えば、少年はあっという間に路地裏のさらに奥へと駆けて行った。だが、少女はまだ動こうとしない。

「何?」

 そう言えば、少女はアイルの目の前まで迫ると小さく呟いた。

「杖」

「杖?」

 そう言えばこの少女、どういうわけかあの女から杖を盗んでいた。

 でも、それも結局奪い返されてしまったが。

「僕の杖が欲しいのか?」

 そう聞けば少女は頷いた。だがアイルには杖を渡す気などさらさらない。

「どうしてノーマーの君が杖を欲しがる?」

 魔力を持たないノーマーが持っていても、そこら辺に落ちている木の枝とあまり大差はない。それなのに少女は執拗に杖を欲しがる。

「お使いだから」

 アイルは眉間に皺を寄せた。言っている意味が理解できない。だが、少女はそれ以上、口を開かなかった。

 まあいいや。

 そう思って立ち去ろうとしたときだ。

「まって」

 少女は、アイルの手を掴んだ。

 そこまでして杖が欲しいのか。

 内心あきれつつ、アイルは同じセリフを繰り返そうと口を開いた。だが、口を開いたままアイルは目を瞬かせた。

 ――こんな目をする人間がいるのか。

 ここで初めて少女の顔を見たアイルは、その瞳に魅せられた。

 ノーマーなら珍しくもない黒い瞳。だが、そこにはギラギラととした強い何かがあった。

 その手を振りほどくことは簡単だったが、アイルはそうしなかった。その代り、くるんっと手首を回し、これまたさっきまでは持っていなかった杖を出すと少女に渡した。

 それを受け取った少女は驚いているようだった。

「杖なんかあっても、役に立たないだろうに。もの好きだね、君」

 杖は一人のヴィンダーに一本と決められた、特別なものだ。もちろん、他人の杖を使用することはできるが、自分の杖に比べれば魔法の質は格段に落ちる。

 少女はそんなこと知らないだろう。けれど、アイルから杖を受け取ると、走り去っていた。一度こちらを振り向いたが、何を思ったかまではわからない。

 世界にたった一つの自分の杖、か。

 アイルは杖を失った喪失感よりも、自分が招いた現状に、顔をしかめた。


「やっと見つけたぜ、クソ主っ!」

 上から降ってきた声に顔を上げれば、屋根の上にいる一匹の黒猫が目に入った。

「あ、ヴィン」

「何が『あ、ヴィン』だ! 俺に硬直魔法なんざ掛けやがって!」

 先代でもそんな真似しなかったぞ、という黒猫の一言をアイルは聞き流した。

「それより、こんなところでしゃべっちゃダメじゃないか」

 あくまでこちら側はノーマーの国。喋る動物は、ヴィンダーが使役する使い魔だけだ。

 だが、ヴィンは胡散臭そうな視線を向けると、小さく息を吐いた。

「遠くからでもわかるほど、こんな街中で魔法を使う奴に言われたかねえよ」

「……それもそうか」

 言い返してもその何倍にもなってすぐに返されるだろう。アイルは笑ってごまかそうとした。確かに、始めは大通りから少し外れた狭い道での出来事だったのに、いつのまにか派手に暴れていたらしい。

 そのおかげと言っていいのか悪いのか。辺りには人っ子ひとりいなかった。

「帰ろうか」

 こればかりはいくら天才と名高いアイルでも、すぐにはどうにもできない。アイルは黒猫と共にフィンシュテットへ戻った。



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