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アイル  作者: はるの そらと
4章
38/42

37 暗闇の底

「はい、これで大丈夫」

 ありがとうございます、と頭を下げたのは埃と砂まみれの少女だった。ヴィンダーによる攻撃で弟が怪我を負ったのだが、助けを求めたくても求められる大人がいなかったのだろう。

 泣きながらすがってきたのは、まだ記憶に新しい。

 レリックは父の意志を継ぎ、この世界を変えようとした。でも、それだけではない。

 自分にできること。それを考えた結果、身につけたのが医療だ。

 まだまだ助けを求める者がいる。けれど、薬品は底をつきかけていた。マグレーティにおいて、医薬品ほど高価なものはない。

 もっと、物が手に入ればいいのだが。

 今の自分に出来ることは、これだけだ。

 ふっと息をもらしたときだ。

「大変だっ」

「どうしたんだい? そんなに急いで」

 もう、慌てることもないだろうに。

 息を弾ませるランスに、レリックは肩を落とした。

「悠長に構えている場合か!」

「一体どうしたっていうんだ?」

 何が起きているのかわからないレリックにとって、何を焦っているのかわからない。

「エミーリアが捕まった」

 一瞬、耳を疑った。

「誰に?」

「みんなのアルバ様だよ!」

 皮肉がかったランスの言葉に、どうしてと口にしようとしてやめた。結局本当の意味での救世主など存在しないのだ。

「……フィンスターニスの血の秘密を知っている者を排除するつもりか」

 自分が同じ立場だったら、そうする。脅威となる存在など、いない方がずっといい。

「私のせいだな」

 ふっと口からもれた言葉は、自分でも驚くほど泣きそうな声だった。

「そんなことない!」

 ランスがそう言ってくれる、それだけでもありがたい。

「私が話を付けてこよう」

 それでランスとエミーリア、そしてアイルの身を守れるのなら、この命まだ使える価値はある。

 ふっと笑みがこぼれた。

 あの子には、偉そうなこと言っておいて……。私は結局何も出来なかった。

「アイツ等が耳を貸すわけないだろ!」

 怒鳴るランスだが、その声は震えていた。

「大丈夫」

 皆を巻き込んだのだ。だったら、最後まできちんと責任を果たすのが通りだろう。

 さて、最後の大仕事に取り掛かろう。

 じゃあね、と姉弟に手を振って、レリックは導く者を名乗る集団の元へ向かった。


   ◇


 タンタンと一定のリズムで床を叩いていれば、鋭い眼光で睨まれた。

 おお怖い、怖い。

 わざとらしく身をすくめてみせるが、それでも床を叩き続けた。

「うるさい」

 露出の多い、女が言う。

 ふんっと鼻息で返事をした。

 こいつらと交わす言葉なんて持ち合わせていねえよ。

 黒豹は、大きなあくびをした。

 退屈だ。

 女が、薄気味悪いものを見るような目をオレに向けてきた。

 ……契約に縛られた妖魔だからってなめやがって。あんまり調子に乗ってると――殺したくなる。

 だが主の命に背けば、風吹き荒れる場所に置かれた蝋燭の灯火同然、簡単に存在自体が消される。

 その代わり、この世界に留まることが出来るし、魔力も一定の量を保ったまま減ることがない。

 契約とは、そういうものなのだ。

 わかっていたとは言え、こうもつまらないと暴れたい衝動を押さえるのも一苦労だ。

 また、この世界に来ることが出来た。死を覚悟したものの、まだ死ぬべきときじゃなかったのだろう。魔力を使い切るその前に、簡易契約の方が切れたのだ。

 アイルに魔力はない。結んだ簡易契約を解く術を持っていない。それじゃあ、一体誰がアイルとの契約を切ったのか。

 ……まあ、契約を破棄出来るのはその妖魔と契約を結んだヴィンダーだけ、なんだけどな。

 理由のわからないことは、この世界にあふれている。それをいちいち気にとめることなく、ヴィンは、今はただこの世界に戻って来たことに喜びを感じていた。

「暇そうじゃの」

 ベルントが言う。まあ、実際暇で退屈しているのだが、命令を下されても聞く気もない。

「お前に命を下す」

 ぴくっと眉のあたりが動く。

 これだから、嫌なのだ。正式契約の場合、主となったヴィンダーにこちらの考えは筒抜けだ。

「こいつを殺してこい」

 そう言って、ベルントは杖を振るうと対象の人物を映し出した。

 その顔を見て、ヴィンは興味なさそうに目を伏せた。

「……面倒だ」

 そう言えば、今度はベルントから笑いが出た。

「これは主が使い魔に下す命。それにあらがうことができんのは、お前が一番よく知っているだろう?」

 ――ごもっとも。

 だが、気にくわない。それが本心だ。

 ゆっくりと体を起こすと、ヴィンは唐突に姿を消した。


   ◇


「いたぞ、こっちだ!」

 砂埃を巻き上げ、ランスとヘラ、そしてアイルは入り組んだ町の裏道を縦横無尽に駆け回っていた。

 チッっとランスの舌打ちが聞こえる。

「しつこい奴らだな!」

 レリックが姿を消して早三日。この三日でアイルたちを取り巻く環境も大きく変化した。

 マグレーティの住民たちは、レリックたちがどれだけ自分たちに尽くしてくれたのかを知っている。だが、思いも寄らぬ形で手に入った平穏な日常は、やはり何物にも代え難かったらしい。その結果が今の状況を作り出している。

「やっぱ、無駄だったのか」

 ぽつりと消えそうなほど小さな声で呟かれた言葉は、おそらくレリックに向けられたものだろう。

 エミーリアの無事もまだわからない。

 また、失うのか。

 唯一、アイルだけが捕縛の対象外であったせいか、あまり危機感がない。

 もしかしたら、慣れたのかもしれない。……唐突に己の平穏を奪われることに。

「先に行け、ランス」

 そう言って、アイルは壁に立てかけてあった木材を手に取った。

「ここは、僕が」

 相手はノーマーだ。このくらい頑丈な木材があれば、時間稼ぎくらいにはなるだろう。

「アイル」

 大丈夫、と手を振ってみせれば、そのままランスとヘラは走っていった。

 逃げ切ることが出来ないのは、アイルはもちろんランスもヘラもわかっているだろう。

 マグレーティという、小さな場所でしか生きることが出来ない弱い存在だ。仕掛け網にかかった魚のように、この中でしか逃げ回ることが出来ない時点で、すでに結果は見えている。

 対ヴィンダー用の地下通路も、今の僕たちには安全な場所とはいえない。もちろん、協力してくれる者もいる。けど、表立ってではない。アルバ様に見られたら、という背徳感があるのだ。これもいつまで続けられるのか、わからない。

 それでも僕らは走る、逃げる。

「さて。久々に肩慣らしといくか」

 ぐっと背を伸ばせば、建物の隙間から小さな空が見えた。

 ヴィンダーとして、魔法を使えるようにと願掛けをしたあのときを思い出す。あのときは、もう二度と剣を持ち、振り回すことはしないと誓った。

「でも、今の僕はノーマーだ」

 魔法が使えない今、己の身を守るもの簡単ではない。手に入れたいもの、守りたいもの、魔法で出来たすべてを、このちっぽけな自分の手のひらで成さなければならない。

「僕を無視したこと、後悔させてやる」

 それは、ベルント、そして魔力のない僕を馬鹿にする者に向けた言葉だった。

「いたぞ!」

「やっときたか」

 十数人だろうか、それなりの数の人間が武器を片手に駆けてくる。

 呼吸を整え、細長い木材を構えたときだ。

 あと数歩の距離で、男たちが止まった。

 もし通り、時間が止まったかのように止まったのだ。

「……石化魔法か」

「ご名答」

 アイルの呟きに答えた声。聞き覚えのある声に、構えた木材を下ろした。

「こんなところに何のようですか? ゼア先生」

「君は相変わらず、つれないなあ」

 もう少し感動の再会を喜んでもいいんじゃない? とおちゃらけならが、姿を現したゼアはマントを羽織り疲れ切った顔をしていた。

「マグレーティで魔法を使うことは禁止、でしょう?」

「君にそれを言われるとなあ。私も立つ瀬ない。でもまあ、今は状況が違うのさ」

 ふっと口元の笑みが消えた。

「ヘラから聞いていると思うけど、ベルントを止めなければいけない。彼は御三家の一人、アーブラハム・フランメを殺した。イザベルはもはやベルントの言いなり。もう、フィンシュテットには、ベルントを止められる者は誰もない」

 私がやらなければ。そういうゼアに、アイルは問いかける。

「このまま、偽りの導く者を祭り上げるって方法もあるけど?」

「君は、それを選ぶのかい?」

「まさか」

「私も同じさ」

 そう言ってゼアは力なく笑った。

 きっとわかっているのだろう。それがとてつもなく困難なことを。奇跡でも信じない限りできないことだと。

「私は自分を信じるよ。絶対にできる、と」

 そのときだ。

 無数の雷がゼアに向かって降ってきた。焦げ臭さと煙がアイルを襲う。

「ゼア!」

 一体、誰が……。

 手に持つ木材を振った。すると、狭い路地に充満する煙が、突然吹き始めた風にさらわれていった。

 ゼアは無事なのか。

 顔を上げたそのときだ。

「チッ。逃がしたか」

 その声を聞いた瞬間、肌が粟だった。呼吸をするのも一瞬忘れるほど、歓喜する自分がそこにいた。

 奇跡とは、本当に実在するものなのか。

 一気に消えた煙の中から姿を現したのは、一匹の黒豹。その目は、月のように輝いている。

 見間違えるわけはない。

「ヴィン!」

 名を呼べば、黒豹は動きを止めた。

 何か言おうと口を開きかけたが、堅く閉ざされた。

「無事だったんだな」

 そう言って近づいたときだ。

「来るな」

 牙を向けうなり声をあげるヴィン。アイルは首を傾げた。だが、同時に察する。再びこの世界に妖魔が来るには、使い魔の契約を結ぶ以外ない。

「……ヴィン」

 アイルはぐっと拳をにぎった。

「誰の使い魔なんだ?」

 愚問だ、と口にしたアイル自身がそう思った。

 ゼアを狙う者など、限られている。

 案の定、ヴィンは答えなかった。

 ヴィンのさっきの言葉からして、ゼアは無事なのだろう。だが、アイルの心は晴れない。

 立ち去ろうとするヴィンに、アイルは声をかけようと口を開くが、言葉が出てこなかった。

「……アイツ等、捕まったぜ」

 アイツ等?

 はっとアイルは目を見開いた。

「ランスとヘラか!」

「お前は……生きろよ」

 そう言ってヴィンは姿を消した。

「……アイツ、馬鹿だろ」

 最後の一言でわかった。

 ベルントの出した捕縛者の中に、自分がいなかったのは、ヴィンがそうするよう仕掛けたのだ。

 ずっと疑問ではあった。フィンスターニスの血の秘密を知る者である自分が、対象外だったことに。

 崩れ落ちたアイルの頬に滴が伝って、乾いた地面に落ちた。



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