35 歪んだ世界と絶望と
◇
レリックの屋敷に運び込まれたヘラは、想像以上に重症だった。制圧を受けた際、アイルも瀕死の重傷を負ったが、ヘラが治してくれたことを思い出す。もし、あのままの怪我でいれば、アイルは今もベッドから起き上がれなかっただろう。
「一体、何が起きているんだ」
ノーマーから受ける程度の暴力なら、反射的に発動する防御魔法で無傷のはずなのだが……。
アイルは頭を振った。憶測で考えるのはやめよう。
早く目を覚ましてほしい。アイルは、いきなり成長したヘラのベッドの脇で頭をかかえ丸くなった。
いつまでそうしていたのだろう。体を揺すられ、うっすら目を開けば、収穫前の稲穂畑のような黄金色が飛び込んできた。
「こんなところで寝てないで、お部屋に戻ったほうがよくて?」
一瞬誰だかわからなかったが、ヘラだと気付き目が覚めた。
「まだ、安静にしていないと――」
「いいのよ」
大した怪我じゃないから、と言うヘラだが表情は暗い。
「無理はしなくていい。ここは比較的安全だから。それより……」
ふと、目覚めたばかりでいきなり尋ねていいものか思い直し口を閉ざす。そんなアイルの心情を見透かしてか、ヘラは小さく笑った。
「どうして私がここにいるのか、どうして少女の姿ではないのか……って聞きたいんでしょう?」
黙っていれば、くすくすっと笑われた。
「この姿になって初めて知ったのだけど、貴方って以外と小さいのね」
「……まだ、成長期だ」
ぶすっとした表情で答えれば、ヘラは頭を振った。
「確かにそうだけど。少女の姿から見たあなたはとても大きく見えたのよ。……不思議よね」
ヘラは遠くを見つめながら言った。
「今、フィンシュテットは大分混乱しているわ」
唐突に語られるヘラの言葉に、アイルは静かに耳を傾けた。
次々と起き始めた魔力の消失、タレイアの登場、そしてベルントの企み――。
そのどれもが、信じられないことばかりだった。
「私は昔のお父様に戻ってほしかっただけなのに……。馬鹿ね。結局自分も魔力を失くしてしまったわ」
今の貴方と同じね、と寂しげな笑顔を向けられたアイルは、それをただじっと受け止めた。
ヘラは知らない。フィンスターニスの血が、魔力を掻き消す力を秘めていることを。そして、ヘラの話を聴いたアイルは確信した。今、ルーナはタレイアのもとにいる、と。
◇
――アルバ様が来た。
そんな話を耳にしたアイルは、ヘラと共に人だかりが集まる街中へと出かけた。
「アルバ様はなんとヴィンダーらしい」
そんなことがあるのか、とざわつく人々を余所に、アイルとヘラはその姿を見ようと、一心に目を凝らした。
「マグレーティの現状はひどいものだった」
唐突に響き渡った声。マグレーティはここに住む者全員で今後の方針を決める。そのため、一同が集まれる広場があった。その場に突然現れた三人のヴィンダー。皆、マントを着用していた。
「本来、ヴィンダーとノーマーは協力し合っていた。それがいつの間にか支配する者、される者にわかれていた。だが、それでは世界は滅ぶ。我々は今、ここに宣言する」
やはり、そうきたか。
アイルはフードを深く被り直した。
「このお方こそ、暴走する同志を抑えノーマーに平穏をもたらした導きの者、ベルント・フュリュスターン様だ」
アルバ様だ、アルバ様だ――。人々は口々にそう言う。ある者は、呆然と立ち尽くし、ある者は涙を流した。
「ベルント様がノーマーに約束をしてくださる。今後一切、他のヴィンダーによるマグレーティの支配はさせない、と」
やっと、争いのない平和な時代がやってくる――そう誰かが叫んだ。
けど、アイルはこの先どうなるのか簡単に見当がつく。ヘラの言葉が真実味を帯びた。
誰もが一度は夢を見る、導く者。それになろうとしたベルントは、ヴィンダーの犠牲を出しノーマーの信用を勝ち取ったのかもしれない。
けど、ノーマーは忘れていないか?
魔力を持たないノーマーが、ヴィンダーに刃向かうことができないことを。
アイルは、いつも苦心していたレリックを知っている。だがら、あんな方法に手を出そうとしていた。それをヴィンダーが、しかも皆をまとめる御三家当主の一人が、使っている。……こんな馬鹿げた話があっていいのか?
吐き気が込み上げるほど、胸糞悪く感じたのは、生まれて初めてだった。
◇
筋書き通りに進む、進む。これは、始祖イアも導く者として儂を認めているからだろう。
だが、これでは少し心許ないのも事実だ。
力はあった方がよく、ありすぎて困るものでもない。
窓のない地下室の中央に大きく描かれた魔法陣。妖魔の血で書かれたそれは、上級妖魔を呼び出すために使われる。五本の燭台に立てられた蝋燭が、ぼんやりと部屋の中心の照らす。儀式のために炊いた香のせいで少々息苦しいが、それも仕方がない。
――あいつを呼び出す為だ。
ベルントは呪文を唱えた。長く抑揚のない呪文。それをしばらく唱えたベルントは今回も失敗かと、振るう杖を止めようとした。
そのときだ。
……うるせえなあ。
部屋に響きわたる声。ベルントは、喜びの声を上げるのを必死に押さえた。
――誰だ、オレの眠りを邪魔する愚か者は。
「儂だ。ベルント・フュリュスターンだ」
――ああ? ベルント?
風が魔法陣の中でわき起こる。香の煙が渦となり、部屋の中央に白い柱ができた。それが下記消えた瞬間、中から現れた巨大な影を見て、ベルントは口角をあげるのを押さえきれなかった。
「何用だ」
部屋に収まらなかったのか、巨大な目玉が一つベルントに向いていた。
儀式で呼んだのだ、何用も何も契約以外他にない。
それを察したのか、金の瞳の大きな目玉が言う。
「契約はしない」
「なら、何故儂の呼びかけに応えた?」
「暇だったからな」
「だが、応えたのはお前だ。契約は結ぶぞ」
はっと馬鹿にした声が耳をつんざく。
見れば目玉から巨大な口に変わっていた。口を開く度見え隠れする牙。歯が大木ほどの太さでそれだけでも恐怖を覚えるというのに、牙は見ただけでわかるほど鋭利を持っていた。刃物のようである。
「オレをそこらの妖魔と一緒にするな」
契約が終わるまで魔法陣から出てこれないことは知っていても、その迫力に死を覚えたのもまた事実だ。
「もうヴィンダーと契約するのはこりごりだ」
だったら、何故呼び声に応えたのかわからない。上級妖魔なら無視することができるはずなのだが。
再び陣の中に目が浮かぶ。
「それにお前、あの妖魔を使った奴だな」
「あの妖魔?」
「とぼける気か? あいつを襲った鳥型の妖魔、あれはお前の使い魔だな」
「ああ、あれですか」
確かにあれは、ベルントの使い魔だ。一匹一匹は力も強くはないが、何より数でそれを補う。
そうだと答えれば、急に部屋の空気が冷たくなった。何か軋む音がして床を見ると、氷が覆い隠そうと広がっている。
「お前の首、描き切ってやる」
低い声は、地からわき上がってくるようで背が粟だった。
「アイルの魔力を消したのもてめえだな。あの
原っぱにいた奴に残ってた魔力が同じだ。……アイツの苦労も知らねえで、よくものうのうとオレを呼び出したもんだ」
ほうっとベルンとは目を細めた。
魔力消失の方法は、偶然知ったものだ。
マグレーティを見回っていた使い魔が持ち帰った、誰のとも知れない杖と小瓶に入った血。ノーマーが何のためにこれを手にしたのかわからなかった。しかし、ふとフュリュスターン当主に代々伝わる言葉が脳裏をよぎった。「血には気をつけろ」というものだ。文献などには残されていないその言葉は、もしかしたらこれを表しているのかもしれない、そう思ったベルントはその杖を使い、小瓶の中の血を使った。そして使い魔にその杖の持ち主を探させ、様子を見に行かせた。
使い魔は帰ってこなかったが、アイル・ウィンディーズの魔力消失の話で、あの杖の持ち主が誰だったのか、すぐにわかった。
その後、血の正体を探り、フィンスターニスのものであることがわかった。
「まさかお前、まだあの小さな当主を慕っているのか?」
「はっ! そんなわけあるか」
そういうものの、その声音はありありと語っている。
妖魔が人に懐くだと?
――あり得ない。
だが、それは裏を返せば弱点を見せたものだ。
「儂の使い魔になれ、氷雪の王よ」
「イヤだね」
「なら、アイル・ウィンディーズは死ぬ」
途端、先ほどとは比べものにならないほどの冷風が吹き荒れた。
ベルントは怯むことなく、もう一度言い放った。
「儂の使い魔となれ、ヴィン」




