34 糸の切れる音
◇
ルーナを助けるにはどうすればいい?
平和になったと喜びの声が上がるマグレーティの街を、アイルは堂々と歩く。
本来なら、「アイル」ということを隠さず町中を歩けることに喜びを感じてもいいはずなのに、表情は堅い。
ルーナが連れ去られた。そのことが、重くのしかかる。
しかも、ルーナはノーマーの少女ではなくフィンスターニスだ。
早くしないと殺されるかもしれない。焦りだけが募る。
レリックは何を思っているのか、最近はぼんやりと窓の外を眺めていることが多いし、エミーリアやランスもそんなレリックを気遣ってなのか何も言わず、好きなことをしている。
今後、三人がどういう選択をするのかはわからない。あの身の毛もよだつ方法を使わずに済んで、アイルとしては喜んでいいのだろう。
ヴィンダーがマグレーティからいなくなったと言って、すべてが解決したわけじゃない。また、しばらくすればヴィンダーの支配が始まる可能性は十分にある。
それに、失われたものも大きかった。
焼けた家や地面にうずくまる孤児を見て、自然と眉間に皺が寄る。そのとき、背中を思いっきり叩かれた。
「オレも付き合っていいか」
顔を上げれば、ランスが眩しい笑顔で言ってきた。もちろん、断る理由もない。
「アイル、お前一応考えがあるんだろ?」
無言で視線を向ければ、それを解したのか、ランスは笑った。
「お前ってほんっとぶれないよな」
そんなことはない、とアイルは思う。
前は名家という家の重さ、そして両親と比べられることが、嫌だった。ウィンディーズと言う家系も祖父や両親が残した偉業もすべて壊してしまえば、自由になれると思っていた。
けど、それは違った。
今こうしてすべてを失い、気づいたのは自分は無意識のうちに、家を頼り、両親を求めていたということ。ただ、それだけ。自由になんてなれなかった。
無くなれば、欲しくなる。恋しくなる。
手のひらを見つめたアイルは、それをぎゅっと握った。
今は、カローラの残した最後の言葉の意味、そのヒントを教えてくれたルーナを助けたい、ただその一心だ。
「……お前さ、この入れ墨の意味、知ってるか?」
唐突に話してきたランスに、アイルは驚きながらも頷いた。
「そっか」
そう言って、ランスは笑った。――笑っているのに、泣きそうな顔だった。
「オレさ、妹がいたんだ。生きていれば、ちょうどお前やルーナと同い年くらいだろうなあ」
それは初耳だ。ランスは兄弟がいても、下なんだろうなと何となく思っていた。
「妹はそりゃあ可愛かったぞ。きっとお前、惚れただろうな。……でも、ある日ヴィンダーに買われた。別にオークションで売られたわけじゃない。買われたんだ、大金を持ってきたヴィンダーに。それで親も妹を手放した」
見ればランスは眉間に深い皺を寄せ、歯を食いしばっていた。目の前に憎む相手がいるような、そんな表情のランスは初めて見た。
「オレさ、知らなかったんだ。あるときから妹が家からいなくなっていて、親に聞くと『友達の家に居る』『おじさんの家に行っている』挙句の果てには『病気になった』だからな。不審に思って聞きまわって、売られたと知ったときはなんとも言い表せない感情が湧き上がった」
そのときを思い出しているのか、ランスの目はどこか遠くを見つめていた。
「やっと妹がいるヴィンダーの住む家を見つけ出したとき、オレは救い出すためこっそり家の中に侵入したんだ」
そのヴィンダーは、アルビーネ同様、フィンシュテットではあまり地位の高くない家系のヴィンダーだったらしい。そのため、マグレーティで大袖を振っていたヴィンダーだった。
「屋敷はそんなに広くなかったし、人もあまりいなかったから結構簡単に捜索できてさ。これじゃあ楽に見つけだせると思った。――けど」
アイルは視線を落とした。
この先は聞きたくない、そう思った。
「妹を買ったヴィンダーは、少女趣味な男でさ。……家畜のように牢に入れられたたくさんの少女を見たとき、オレは夢だと信じたかった」
皆、虚ろな目をしてオレを見たよ、とランスは語る。
「震える声で尋ねた。『オレの妹を知らないか』って。そしたら、壁の方を指差す子がいた。オレは、隣部屋に行った。――そこは今思い出しても吐き気がするような場所だった」
人間の標本だ、とランスは言い放った。
「正直そのあとは覚えてない。もともと気配を消すのは得意だったし、地下迷路も遊び場にしていたから人より夜目は利く。心臓を一刺しだって言われたから多分無意識に殺したんだ」
本来なら処刑になるところを助けてくれたのは、レリックだとランスは言う。
「本当は、ランスって名前もここ最近もらったばかりの名前なんだ。……前の名前を持った人間は、この入れ墨と一緒に死んだ」
「どうして、今そんな話を?」
未だ遠くを見つめたままのランスに、アイルは問う。
「さあ、なんでだろう」
ランスは首を傾げた。
「オレは復讐したかったんだ。エミーリアも同じだろう。けど、何もかもが終わった。マグレーティにヴィンダーはいない。……だけど、さ。本当なら手放しで喜んでいいはずなのに、喜べないんだ」
オレは、復讐に囚われちまったんだな……。
ランスの言葉が虚しさを帯びて、空に消えた。
マグレーティからヴィンダーがいなくなったからと言って、元に戻れる者もいれば戻れない者もいる。
――人の世は複雑奇怪。誰かが喜べば誰かが傷つく。誰かが笑えば誰かが泣く。だから面白いのさ。
前に黒猫が言っていた言葉が、蘇った。
――面白いだけじゃ済まないぞ、ヴィン。
今日もマグレーティの空は晴れている。
しばらく歩いていれば、ランスがああ、と声を上げた。
「『分断の境』に行くのか」
そう。アイルはフィンシュテットとマグレーティをわける魔法の境目に向かっていた。
ヘラにもう一度会うことができたなら、協力してくれるだろうと踏んでいたのだ。
ヘラはフィンシュテットとマグレーティを行き来していると睨んだアイルは、そこで待ち伏せしようと思い、向かったのだが――。
「何か、騒がしくないか?」
確かに、何やら人の声が聞こえる。それも、歩みを進めれば進めるほど大きくなっているような……。
「おい、何してる!」
ランスが、飛び出した。見れば、大多数の者が群がって罵声や暴力を浴びせているようだ。
アイルもそのあとを追った。
「あんたは……」
レリックはマグレーティの中では顔が広い。そんなレリックを見て騒ぎは自然と収まった。
レリックが集団をかき分けた先に見たものは、擦り傷だらけの少女だった。砂だらけだというのに、少女の金の髪は、ぎらつく太陽に照らされ、反射しているように輝く。
「こ、これには訳が……」
少女を起こすランスに向かって、言い訳を並べ始めた。
「こいつ、オレのとこの大事な水瓶を……」
「いきなり現れたのを見たんだ……」
「もう、ここにヴィンダーはいらない……」
はあ、とわざとらしく大きなため息をつけば、人々は黙った。
「だからと言って、無抵抗の者を寄ってたかっていたぶるか――お前らやってることがヴィンダーと同じだぞ?」
皆目を見開いた。
もちろん、その言葉はアイルにも聞こえた。
誰よりもヴィンダーを憎んでいるはずのランスからそんな言葉が出るとは――。
強い人とは、ランスのことを示すのかもしれない。
そしてアイルはランスが支えている者を見て、一瞬呼吸をするのを忘れた。
いや、そんなまさか――。
「ヘラ?」
アイルが恐る恐る口にすれば、少女はうっすらと目を開き、そしてアイルをまっすぐ見つめると、切れた唇でにこっと笑った。
「ごきげんよう、アイル」
確かにヘラだ。でも、アイルが知っているヘラではない。そう、ヘラはいつも十歳くらいの少女だった。それがどうだ?
今目の前でボロボロになり笑いかける少女は、アイルよりも年上の女だった。
ルーナ……。
蜘蛛の巣みたいなわずかな希望も潰えた。
ふっと力が抜けたアイルは、思わずその場に座り込んだ。




