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アイル  作者: はるの そらと
4章
34/42

33 アーブラハム

   ◇


 御三家の一つ、アーブラハム・フランメは一通の手紙に目を落としていた。

 始祖に連なる者など誰にもわからぬというのに、同じ御三家の一家、フュリュスターンはそれだと公言し始め一週間が経とうとしている。調子に乗る姿を見ていると反吐が出る。

 このまま、御三家を抜け新たな勢力を築くかに思われた当主ベルントは、顔の皮が相当厚いのか、未だに何食わぬ顔で決議の間に現れる。

 早々と処分を下したいのだが、そう簡単に手を出せないのも事実だ。

 だが、この手紙にはおもしろいことが書かれている。

 ――なるほど。

 彼が再び顔を上げたとき、その手に持っていた手紙は、灰と化していた。魔法を使わずに書かれた、紙とインクの質素な手紙。魔法で溢れるフィンシュテットでは珍しいそれは、この家を出て行った者からきた手紙だった。

 この私を利用する気か?

 そして、アーブラハムは部屋の隅に目をやった。震え、縮こまる少女。ただそれだけなら何の変哲もない。ただ、この少女震えながらも一瞬たりともアーブラハムから目を放さなかった。

 ……獣のようだな。

 どういう巡り合わせかわからない。転がり込むように屋敷の前で倒れていた少女。何者なのか尋ねようにも口は利けない、文字はまともに読めないし書けない。意思疎通の方法は、こちらが話す内容に反応してもらうしかない。

 わずらわしいことだ。

 それでもアーブラハムが拾ったのは、単に少女の髪が墨のように真っ黒だったからに他ならない。

 フランメ家は、血筋からか皆髪が赤い。濃淡の違いはあるものの、炎の魔法を得意とするフランメ家の証でもあった。

 しかし、例外が一人――。

 アーブラハムは、手のひらに残った灰を叩いた。灰は、光を浴び輝きながら落ちて行った。


   ◇


 レリックは考えていた。

 もはや、自分の志は成し遂げられたのか、と。これから、どうするのか――。

 もちろん、考えていなかったわけではない。仮にも改革を企てた人間だ。中途半端に終わらせたくないし、終わらせたらユリアンに怒られる、そう思った。

 とりあえず、私は私のできることをやろう。

 それしか、方法はない。

 レリックは、黒い革製の鞄を持つと、部屋を出た。

「今、求められているのは救世主ではない、か」

 それならそれでいい。ただ、ユリアンと共に目指していた世界にはまだほど遠い。

 でも、最悪な状況から脱した。それだけでも、まだ道は続いている。


   ◇


 手紙に書いてあったことが事実だとすれば、注意したことに越したことはない。

 魔力を消す――。そんな方法があるならば、それはフィンシュテット内の治安をも脅かす。

「最近、飼っていた鳥が逃げ出しまして」

 笑みをその顔に張り付け、そう語るベルントの言葉をアーブラハムは聞いた。確かに、ベルントは鳥型の妖魔を使う。今回もそのうちに一匹だと思ったのだが……。

「見事な漆黒の美しい鳥でね。どうしても見つけ出したいんです」

 ふと、ウィンディーズ家にいた使い魔が頭をよぎった。そして、漆黒と言えば最近拾った子供。下流家系のヴィンダーの子が、魔力を失くしたものと思ったのだが、そうでもないらしい。

 必死にここではない場所に行きたがっているように見えた。そして同時に触れられることをひどく嫌がった。

「もちうる魔法の知識を使い探しているんですが、あまりうまくいきませんでな」

 口髭を撫でながらベルントが言う。

「その血は猛毒。見つけた際は、くれぐれもご注意くだされ」

 そんな危険な物を逃がす方も悪い。アーブラハムは内心ベルントに非難しながら、その場を去った。

 拾った子供は、アーブラハムの書斎にいる。部屋を与えても、その場から動こうとしなかった。狭い場所が嫌なのかもしれない。

 部屋に戻ったアーブラハムは、目に飛び込んできた光景を見て、思わず杖を振った。

 少女が己の首元にナイフの刃を当てていたのだ。ナイフは、弾き飛ばされ、部屋の隅へと転がった。

「何をしている」

 部屋を汚されてはたまらない。

 それなら、さっさと追い出せばいいのだが、その考えはなかった。

 少女は視線を落とし、答えようとはしなかった。何が言いたいのか、何がしたいのかアーブラハムにはわからない。

 ふん、と鼻であしらえば使い魔を呼んだ。

 突然現れた猿のような妖魔を見ても、少女は動じなかった。

 似ている――。

 アーブラハムには七人の子供がいた。まだ、魔法の制御を理解し始めた頃に、アーブラハムは自分の使い魔をまだ幼い自分の子供に見せることにしていた。

 それは、言うまでもなく己の力を見せつけ尊敬と崇拝すべき存在だと言う事を知らしめるためだったのだが、唯一、この純白の毛並を持つ、強面の大猿を見ても泣き叫ぶことなく、真向から対峙したのが、ゼアだった。

 フランメ家はその姓の通り、炎を操るのが得意な家系だ。そのせいか、フランメ家の者は皆赤髪だ。――追放された、ゼア以外は。

 別に魔力が少ないわけでも、魔法が苦手だったわけでもない。むしろ、魔法の扱いはこのフランメ家でも飛び抜けてうまかった。

 しかし、それが災いした。

 いつの間にか、ゼアは疎まれるようになり誰からもいないものとして扱われ、ついには兄弟に濡れ衣を着せられ、家を追放された。

 もちろん、アーブラハムにはすべての真相はわかっていた。けど、アーブラハム自身、自分の子だというのに、恐怖を感じたのだ。

 手駒にならぬ者はいらない。

 そう判断して捨てたはずなのに――。

「ダイエン、こいつからゼアの気配を感じるか?」

 ――まさかとは思うが。

 だが、すぐに大猿は答えを返してきた。

「感じません」

 では、手紙を受け取ったのもこの子供に会ったのも偶然だということか。

「下がってよい」

 そう言えば、煙のように掻き消えた。

 ダイエンには、フランメ家の者の魔力の気配がわかる。だが、すでにフランメの姓を持たないゼアの魔力の気配を追うことはできず、ゼアの近くにいた者に移った魔力の気配を辿ることしかできない。

 ――もしかしたら、あやつに縁のある者かと思ったが。

 考えすぎだな。アーブラハムは、己を鼻で笑うと少女のもとまで行った。

 ただ、何となく胸騒ぎがする。先程、去り際に見たダイエンの何か秘めたような目のせいかもしれない。ただ、所詮妖魔。人とは合い入れない存在だ。

 気にし過ぎか。

 アーブラハムは、少女の手を強引に掴むと手元に寄せた。

 ああ、やはりかと思う。

 わずかに漂う鉄の臭い。それは、少女の手のひらから滴る、赤い血だった。さっきのナイフで切ったのだろう。

 手当してやろうと手を傷口に伸ばせば、少女は身をよじって抵抗した。

 何をそんなに嫌がるのかわからない。けど、浅い傷でもない。

 だが、少女は傷口に触れられるのをひどく嫌がった。

「何を嫌がる」

 こちらは手当をしてやろうというのに。

 今思えば、ここで止めておけばよかったのだろう。けど、ゼアへの負い目か、はたまた拒絶されたことに対する意地か、どちらにせよ必死に抵抗する少女の手から血が落ちた。

 それが、アーブラハムの杖に染み入る。

 それを見た少女は、驚愕した表情をし両手で顔を覆った。手のひらから溢れる血で己の顔も赤くなる。だが、気にした様子もなく少女はひたすら声もなく泣いた。

 一体何がどうしたのかわからない。

 とりあえず他の者に任せようと、再びダイエンを呼ぼうと杖を振った。

 だが、ダイエンは現れない。それどころか、魔力を感じない。

 どういうことだ。

 泣きじゃくる黒髪の少女に目が行く。

 この子供、何か知っているのか?

 そのときだ。

「やはり、思った通りでしたわね」

 窓から入ってきたのは、アルビーネだった。

「貴様、何故ここに立ち入った?」

 御三家当主の住む館となると、警備魔法も厳重だ。それをくぐって、ここまで来ることは不可能に近い。

「何を言っているの?」

 アルビーネは訳がわからないと言った様子で首を傾げた。

「それは貴方が一番よくご存じでしょう?」

 良く聞き知った声。振り向けば、笑みを湛えたベルントが立っていた。

「やはり、すべてお前の思惑か」

 ゼアの手紙に書いてあった通りだな、とアーブラハムは思った。

「儂は言ったぞ? 漆黒の鳥を逃がした。鳥には毒がある、と」

「こやつを私に差し向けたのは、貴様か」

 そう問えば、ベルントは頭を振った。

「逃げたのは、黒鳥の意思。まあ、わざと逃がしてお主のところに行かせた、と言った方が正しいかの?」

「なるほど、だからこやつは最初から話すことができないよう、魔法をかけられていたのか」

 だが、ベルントは頭を振った。隣に立つアルビーネは何がおかしいのか、笑いを必死に抑えている。少女はというと、アルビーネの横、鳥籠の中に入れられていた。まだ、血が流れ続けている……そう思ったのだが、何かがおかしい。血は、一滴一滴逃すことなく吸い取られているように見えた。

 それですべてを察した。

「声も上げられないとは。もしかしたら、さぞ美しい声で鳴くだろうに」

「なに、この黒鳥の鳴き声など耳障りでしかならんよ」

 そう言って笑うベルントを見て、アーブラハムは大きなため息を吐いた。

「己の中の欲望に呑まれたな、ベルント」

 ぴたっとベルントの表情が凍りついた。

「どういうことじゃ?」

「言葉のままだ。――貴様がヴィンダー、いや、導く者を名乗る資格はないな」

「言わせておけば……。今の己の状況をよく見極めてからものを言うんだな、アーブラハム」

 そう言ってベルントはアーブラハムに杖を向けた。だが、それで動じる男ではない。

「……そこの黒鳥とやらの力を借りねば、できぬというのに。うぬぼれも甚だしい」

「貴様ッ」

 あの少女が何者なのかはわからない。けど、少女がベルントに非協力的なのはわかった。魔力の消失など、本当は望んでいないのだ。

「お前の息子が得意とした炎で身を焦がして死ぬといい!」

 口の中に鉄の味がしたかと思うと、唇の端からそれが流れた。

 身の内を焼かれているのだ。

 これは、炎の魔法の中でも高度な魔法。それをゼアは、最初に教えを施した日にやって見せた。家の外では天才、中では悪魔とささやかれた少年は、当時フランメ家と対立していた家の当主を殺した罪で追放された。だが、実際の主犯は彼の兄たちで、彼――ゼアに罪はない。濡れ衣をかけられ、追放されたゼア。まだ、あのときの目が忘れられない。

「これでフランメ家も終幕じゃな」

 高笑いと共に消えつつある三人を、かすむ目で見つめた。すでに立っているのもやっとなのだが、ここは意地を通したい。

 そのとき、檻に閉じ込められた少女の顔が飛び込んできた。

 自分のせいだと責めているのだろうか。未だに泣き止まない少女は、顔を覆うのを突然やめ、アーブラハムに向かって何かを言った。

 だが、もうそれを読み解けるほど目は機能していなかった。

 ――すまなかった、ゼア。

 そう言えば、彼は赦してくれたのだろうか。

 謝罪する事は叶わず、アーブラハム・フランメは事切れた。


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