32 ヘラ2
夜も深くなったころ、静寂を割くように戸を叩く音が響いた。しばらく待っても返事はない。そっと扉を開け、音を立てずに中に入れば、暖炉にくべられた薪が音を立てて弾けた。
おかしい――。
いるはずの部屋の主の姿が見えない。
疑問が一気に確信へと変わる。気配を消す魔法を自分に掛ければ、部屋の一角で足を止めた。しっかりと記憶した方法で杖を振る。すると、音もなく本棚が扉へと変化した。このまま扉のドアノブに手をかけたいところだが、ぐっと耐える。すると、扉が自然に開いた。
そういう魔法だ。一種の罠だといっていい。もし、常識通りドアノブに手をかけていたら、その瞬間死んでいただろう。
一人でに開いた扉の先は、真っ暗だった。
まっすぐ歩みを進めているのだが、自分が上に上がっているのか、それとも下に下っているのかか。目を閉じ、感覚を澄ます。生き物にある感知能力を侮ってはいけない。
何があるのかわからない、真っ暗な部屋に一歩足を踏み入れた。
「誰が来たのかと思ったぞ」
「同じセリフを誰にでも吐くのでしょうね」
灯りなしで長い石階段を下れば、蝋燭の炎が揺らめく場所に出た。
「魔法を使わず、こんなところで何をしているんです?」
「なに、儂も一人になる時間が欲しいだけさ」
お前こそ何しに来た?
そう問われ、ヘラは父を真正面から見つめた。
「今やっていること、そのすべてをすぐにやめてください」
「今やっていること?」
「とぼけても無駄ですわ。貴方たち三人が、魔力を消しているのを知っているのですっ」
ヘラは、両手を握りしめ、叫んだ。
初めは、マグレーティの路地裏だった。あの日たまたま見てしまったのだ。父の使い魔が、ノーマーから何かを奪い去っていたあの瞬間を。飛んでいく後ろ姿からかろうじて、杖だとわかった。父の物ではない。誰かの杖だ。
あのときは、ノーマーに奪われた杖を取り返したんだと思った。それと同時に、誇らしくさえ思った。
父は、御三家ではあるが、いつも皆を気遣うヴィンダーなのだと。
だが、違和感を覚えたのは一週間が経った頃。
父は、人前に姿を見せなくなった。姉様や母様は、体調を心配していたが、違うと直感が訴える。
何をしているのか気になって、部屋の隙間からそっとのぞき見た先にあったものを今も忘れることが出来ない。
一面の、黒――。
闇を彷彿させるそれは、おぞましいほどの妖魔の数だった。
父の妖魔は、数で他を圧倒する。
だが、それにしてもこれから戦でも始めるような光景に思わず息を呑んだ。そして、鳥型の妖魔に囲まれた父の不気味な笑みが、恐ろしかった。
あれからヘラは、世界中を回るのをやめ、父を監視し続けた。
根拠はない。ただ、このまま野放しにしてはいけないと思った。
それからだ。危険が及ぶとわかった時点で、警告のために火を放ったり、小動物に変身し尾行を継続したり。
でも、うまくいかない。
不思議なことに、父の行き先には、必ずと言っていいほど希代のヴィンダー、アイル・ウィンディーズの姿があった。
同情してないといえば嘘になる。
だが、ヘラの目に映るアイルは、ヴィンダーだった頃とそう大差なかった。
大怪我を負ったアイルを助けて以降、タレイアが大きく活動を始めるようになってヘラはやっと父が何をしていたのかを知った。
最初は下級家系の者、今は彼らに従わない者。
ヴィンダーにとって、魔力とは自身の存在そのもの。
これは、横暴というより脅し、脅迫だ。
そう言い切れば、目の色が変わった。鋭い刃を喉元に当てられたような殺気が襲い掛かってくる。冷や汗が背を伝った。
「そこまで知っているのか」
にこっと目じりに皺を寄せ、穏やかな表情を見せる。が、本心からではないことは明白だった。
「悲しいことだ。お前は、儂自慢の娘なんだが――」
どうやら、殺さねばならぬらしい――。
ぞっと全身に寒気が走ったのは言うまでもない。何もこの事態を想定していなかったわけではないが、実の娘をこうも簡単に捨てることができるその考えが恐ろしく思った。
ベルントが執着しているものは、権力なのか支配なのか、それはヘラにもわからない。
父といっても、共に食事をしたどころか会話もろくに交わしたことがないのだ。その考えを知るには、親子といえど相手を知らなさすぎる。
唇を噛んだヘラは、余計な思いを振り払った。ちょっとした油断が、命取りだ。父を倒せる可能性はゼロに近い。だが、逃げることはできる。
ヘラは、口の中で呪文を唱えた。屋敷の外だとすぐに追いつかれると思い、マグレーティへ瞬間移動ができるよう念入りに下地をしておいた。
内心、どこか期待していた。
父ならば、娘の言葉を聞き入れてくれるだろう、と。
こうなることはある程度覚悟していたものの、実際にそうなると胸にくるものがある。
「寂しいか?」
ベルントが問う。
「全然」
いくら魔法のセンスが良いと褒められても、父親に立ち向かえるほどの技術と力はまだない。
だったら、いったん退いて他のヴィンダーに力添えをしてもらう。
ヘラは、ベルントを睨んだ。
「魔力はヴィンダーにとって命にも等しい。それをどうして奪うのか、理解できませんわ! お父様のしていることは人殺しと同じです!」
届いて――。
ヘラが去り際に遺した、精一杯の言葉がベルントを動かせたら……だが、そう上手くいくはずもなかった。
ヘラはもともと魔力が多い方ではない。そのため、長距離を一瞬で移動するこの魔法も、それなりに集中力と魔力を必要とする。
アイル・ウィンディーズくらい強大な魔力を持っていれば、下地も呪文も省いてすぐに発動させることができるだろう。
ヘラが魔法を発動しようとした瞬間だった。
「さよなら、我が愛しの娘よ」
途端、手に持っていた杖がベルントの方へ移った。
「無駄よ、杖がなくても発動するわ」
「そうか、お前はすべてを知っていたわけではないのか……」
嫌な予感がした。
「だが、後には退けぬ」
その言葉を最後に、ヘラの目の前が真っ白に光った。魔法が発動したのだ。ほっと胸をなでおろす。
再び視界に彩りが戻ったとき、ヘラは違和感を思えた。
何かがおかしい。
座り込んだまま周囲を見渡せば、目に入ってくるのは緑の芝生と白い壁の建物。……見慣れた景色だ。
「マグレーティじゃない……」
どうして――。
事態が呑み込めず、呆然と立ち尽くしていれば、一番聞きたくない声が聞こえた。
「お前は、儂の子供たちの中でも一番才能があり、かつ一番聡い子だった」
体が飛び跳ねた。耳を抑えたい衝動を必死に抑える。
「こうなってしまったことを、本当に残念に思っておるよ」
震える足に喝を入れ、立ち上がったヘラは、ベルントに向かい合った。
「何がそこまで貴方を狂わせたのです!」
叫ぶヘラにベルントは微笑みと杖先を向けた。
恐怖で体が強張る。杖を手に持とうと手首をひねっても出てこない。先程、ベルントに奪われたことを思い出し、血の気が落ちた。
「なに、儂はこの腐った世界をもとの世界に戻したいだけさ」
そう言って、光る杖先をヘラに向けた。
にじむ視界の中、唇を噛みしめたヘラは、ただ父を見つめた。
この涙は、一体何のために流れるんだろう。
ぼやけた光がこちらに向かってきたときだ。
「――それで、自分が始祖にでもなるつもりか?」
死を覚悟したヘラは、突然聞こえた声に目を見開いた。
「……どうして」
ヘラとベルントの間に立つように現れた人物を見て、ヘラは震える声を上げた。
「どうしてここに……」
ベルントは舌打ちをした。
「……貴様、本当にしぶといな」
「大丈夫かい、ヘラ?」
肩越しから、微笑と心配の言葉をかけてくれたのは、ほかならぬゼアだった。
「どうして、ここにゼア先生が――?」
もう、訳がわからない。
「私がしぶといのは、もう何年も前からご存じでしょう?」
明らかに起こっているベルントを前に、ゼアはいつもと変わらぬ調子でいた。
「……君は、ここにいたら危険だ」
そう言って、ゼアは杖を振った。
「待って! まだ伝えたいことが!」
ゼアに父が何をしているのか、それを話そうと思ったのだが、ゼアは安心させたいのかほほ笑みで返した。無情にも魔法は発動し、ヘラは再び目の前が真っ白になった。
再び降り立った地は、ヘラが事前に下地を施したマグレーティのとある一角だった。
「……お父様」
乾いた地面に染みができた。
いつも娘の言う事を快く受けてくれた父。ヘラが自由にできたのも、ベルントの協力あってのものだった。
だから、心のどこかで信じていた。
自分が懇願すれば、父はすぐにでもやめてくれると。だから、今まで誰にもこのことが言えなかった。
ヘラは立ち上がった。が、うまく足に力が入らずよろけた。家の前にある水の入った桶を倒してしまった。
ノーマーにとって、水はとても貴重なものだ。
慌てて、呪文を口の中で唱えるとパチンと指を鳴らした。こぼした水を桶に戻すことは簡単だ。杖がなくてもできる魔法なのに、水は一向に桶に戻らなかった。
「どうして……」
いろんなことがありすぎてへたり込んだヘラは、水たまりに映った自分の姿を見て目を見開いた。
ああ、だからか。
ヘラは力なく空を仰ぐと不敵に笑った。
完璧だったはずの移動魔法が途中までしか発動しなかったわけも、ゼアがここに飛ばしたわけも自然なほど腑に落ちる。
「私、ヴィンダーじゃあなくなったのね……」
空を見上げるヘラは、十歳そこらの少女の姿ではなく、十八歳相当の姿だった。
◇
ベルントは、苛立った。
本来なら、この男すでにヴィンダーではないはずなのだ。
「どうして私がまだ魔法を使えるのか、って思っておられるのでしょう?」
心の内を見透かすようにゼアが言う。
そう、本当ならゼアに憎しみを抱くあの女がとっくに始末をつけているはずなのだ。
「どこの家にも属さない私は、御三家、いやタレイアの皆さまからしたら厄介な存在この上ないですからねえ」
そうだ。家に属さないヴィンダーは、彼ひとり。無能なら放っておけばよいのだが、こいつは違う。御三家当主の誰もがうっとおしく思う男だ。
「今日、私のところにドーリスがやってきましてね」
にこにこと語る彼は、傍から見れば世間話をしているようだった。
「私が呑んでいたコーヒーに何か入れたようなんです。それに私も気づかなかった」
あのまま飲んでいれば、私も彼女のように魔力を失っていたのでしょうね。
にこっとゼアはベルントに向かって笑って見せた。
「危ないところを救ってくれたのは、この子でした。……本当私はいつも君に助けられる」
ぽつりと呟いたゼアの肩に、小人の人形が現れた。魔法なのか、動く人形は肩から落ちないように、必死でしがみつく。
「今は私の魔法で動いています。けど、あのときこの人形には魔法なんてかけていなかった。なのにどうして動いたんでしょうね?」
答えを求めているわけではない。ゼアの言葉の一つ一つに棘が含まれている。
「貴方は、世界を正そうとしていると言った。だが、他の者から見れば世界を乱していることをお忘れになっていませんか?」
そう言えば、鼻で笑われた。
「正義も悪も表裏一体。マグレーティでは我々は予言にある導く者アルバとして歓迎されるのだ!」
「……そうして自分だけが魔法を使える存在となり他者を服従させるのでしょう?」
魔法は、それだけの力を持ちますからね。
ゼアがそう言えば、ベルントは口元に蓄えた髭を撫でながら満足そうに笑った。
「やはり、貴様はこれからの世界において邪魔な存在となりそうだ」
気づいたときには、闇に身を隠していた鳥のような妖魔が無数に姿を現した。黒い身体は、夜明けというよりも闇を告げているようだとゼアは思った。
「ベルント、貴方忘れていません?」
ゼアは、それでも余裕な表情を見せると両手を広げた。
「アイルが現れる前、いや私があの家を追放されるまでは、天才の名を持っていたのは私なんですよ?」
そう言って、ゼアは両手を叩いた。
パチンっと夜にはじけた音は、眩い光を生み出すとベルントと妖魔の目をくらませた。
「おのれっ!」
視界が戻り、闇と静寂が包むその場には妖魔は一匹もおらず、ただベルントだけが残されていた。




