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アイル  作者: はるの そらと
3章
31/42

30 思惑

   ◇


「ちょっとお腹を叩いたくらいで気を失うとは……。人間は脆いですねぇ」

 まだ呆然と立ち尽くすヴィンダーに向かって、ルーナを担いだ女はにこっとほほ笑んだ。

「どうぞ、遊びの続きをしてください。ただ、これはボクがもらいます」

「ふざけんな!」

 金縛りから溶けたように、怒鳴ったのは消えた使い魔の主だった。

「そいつはどういうわけか、オレの使い魔を消しやがった! ボロ糞に痛めつけねえと気が済まねえ!」

「それはできません」

 男の迫力に呑まれることなく、少女は言った。

「その代わりと言ってはなんですが、あの瓦礫の中に、アイル・ウィンディーズが瀕死の状態で埋まってます。憂さ晴らしをするなら、これより彼の方がよっぽどいいでしょ?」

 可愛らしく笑う少女。だが、アイルにとってはまさに絶体絶命の状況だ。

「アイル?」

「アイルってあの……」

 場がざわめく。最悪の事態だ。彼らは、目の色を変え、瓦礫をどかし始めた。ルーナが手こずる作業も、魔法を使えばすぐに終わる。圧迫感から解放されたにもかかわらず、アイルは生きた心地がしなかった。それもそうだ。片腕は折れ、足もくじいたのか力が入らない。頭から流れる血で、片目を閉じたまま、彼らと対峙する。呼吸も荒い。本当は大きく深呼吸でもしたいところなのだが、あばら骨が折れたのか、息を吸う度痛みが走る。だが、弱ったところを見せれば逆効果だろう。小さく呼吸を繰り返し、悟られぬよう顔には出さないでいた。

「本物?」

「本物さ、あの髪色と目。他に同じような奴がいるか?」

 僕が誰かの視線の的にならずに済む日は来るのだろうか……。

「それじゃあ、これで」

 ルーナを連れたヴィンダーがその場をあとにしようとしたその時だった。

 少女の胸を稲妻が駆け抜けた。ぐらっと体制を崩した少女は、あの鳥のような妖魔に戻ると痙攣を繰り返し、やがて灰になって消えた。

「アタシのものに手を出すな!」

 鬼のような形相で、箒に乗って現れたのは、アルビーネだった。

「ったく、近頃のガキは。で、どうしてこんな妖魔使って人さらいなんてしようとしたわけ?」

 可愛い女ならわかるけど、と未だ気を失うルーナを見下しながら問う。

 若者たちは震える一方で、まともに返事をしない。どうやらこちら側では、アルビーネはそれなりに名の知られたヴィンダーらしい。

「わからないんです。ただ、オレの使い魔がコイツに触られたら急に消えて――」

「ふーん」

 震える声で語られる話にアルビーネは興味もなさそうだった。

「いい? もともとこの二人はアタシのものなの。今度手を出したらただじゃおかないから」

 そう言って、アルビーネは彼らを解放した。

 最悪だ、とアイルは思った。状況はよくなるばかりか悪くなる一方だ。

 まさか、ここでアルビーネにまた会うとは思ってもみなかった。

「さて、今日はついてるわ」

 そう言ってアルビーネが杖を振ろうとした瞬間だった。

「おや、何事かと思い来てみれば」

「誰?」

 そこには、さっき灰にしたはずの鳥型の妖魔が佇んでいた。

「名乗るほどの者じゃあない。まあ、強いて言えば、さっきここにいた妖魔の使役者というところでしょうか」

 器用にくちばしを動かし、しゃべる妖魔。あの鳥型の妖魔は忘れたくても忘れられない。レリックを襲った奴と同一人物だ。

「そこに転がる少女、それをもらい受けたい」

「嫌よ」

 アルビーネは即答した。

「あれもアタシのもの。簡単に他人に譲れるほど、アタシも甘くないわ」

「そうですか」

 鳥のような妖魔は、しばらく考えたようなしぐさの後、こう言いだした。

「なら、協定を結びましょう」

「協定?」

 何やら不穏な空気が流れだした。そのときだ。

「まさか貴方がこんなところにいるなんて――。それに酷い怪我。ああ、振り向かないで」

 声のした方を向こうとすれば、止められた。どこかで聞き覚えのある声だ。

「ここは危険だわ。今すぐ安全なところに移すからじっとしてて」

「待ってくれ、まだ連れが――」

 だが、アイルの頼みも虚しく、次の瞬間にはレリックの館の中に移されていた。

 ご丁寧に怪我は治され、無傷の状態に戻ったアイルは苛立ちの余壁を殴った。

 ……せっかく尻尾を掴めると思ったのに、もう魔力の限界だわ。そう言いながら、アイルを安全な場所まで移し、怪我を治したのは、ほかならぬヘラだった。

 どうしてあんなところにいたのかは知らない。ヘラは変身魔法が得意だから、何か小動物になっていたのだろう。

「ルーナ」

 呟かれたその声は、虚しさが増すだけだった。


   ◇


 いきなり開かれた扉に驚き、目を見開いたレリックだったが、アイルの姿を見てほっと胸をなで下ろした。

「お帰りアイル。君が帰ってきたという知らせがまだなかったものだから――ってどうしたんだい? そんな怖い顔をして」 

「ルーナが連れ去られた」

「――どういうことだい?」

 短く放たれたその一言で、レリックの表情が変わった。

 まっすぐ向けられた翡翠色の瞳の奥に、底知れぬ感情が見え隠れしている。

 ふと、ユリアンと共に過ごしたあの頃が蘇った。

 まだ少年だと高をくくっていれば、足下をすくわれる。そういう顔をアイルはしていた。

 言葉のままだ、と感情のない声でアイルが言う。

「それに――」

 まだ、何かあるのか。

 吐きそうになるため息を必死で飲み込んだ。

「ルーナはフィンスターニスだった」

 まさか――。

 まっすぐこちらを見るアイルの翡翠色の瞳を、正面から受け止める。

 彼が嘘をついているとは、考えられなかった。

「……フィンスターニスが忌子として惨殺されたのは、ヴィンダーの魔力を破壊するからなのか?」

 そう言うアイルの瞳は、真実のみを求めていた。

 嘘は、つけないな。

 ついたら今この瞬間は凌げるかもしれない。だが、後々自分の首を絞めることになる。それは、ユリアンも同じだった。

 ふっと鋭く息を吐くと、背もたれに体を預けた。ぎいっと音を立て愛用の椅子がしなる。

「どこでそれを知ったんだい?」

「あの老婆が薦めてた本にあった」

 何となく、察することはできた。これを知るのは、あの書物を読む以外方法はない。

 あの老婆、やはり確信犯だったか。

 体中の空気が抜けるほど、大きなため息を吐いた。

「フィンスターニスが、ただの混血者で、我々とさほど変わらなければ、歴史が語る、殺戮の対象にはならなかっただろうな」

 そうであれば、タルナート家もウィンディーズ家と関わることはなかっただろう。いつでも大切な者と一緒に暮らせたはずだ。

「君が読んだ書物に載っていたその方法は、今では失われた記憶。決してヴィンダーに思い出させてはいけない事柄として伝わるものだ。おそらく、このことを知っているのは、私とレリック、ランス、そしてこの書物の管理者のガッドだけだろう。――我々はその方法を使って、ヴィンダーからマグレーティを取り戻すつもりだ」

「ヴィンダーから魔力を奪って?」

「そのつもりだ」

 それ以外、方法が思いつかなかった。あのときのように、ディルクのようなヴィンダーがいればまだ方法はあっただろう。だが、今は違う。

 ちらりと目の前に立つ少年を見て、レリックは気づかれないほど小さなため息を吐いた。

「一つ、聞きたいことがある」

 若木のようにしなやかに、まっすぐ生きる少年が問う。

「僕もフィンスターニスだ。なのに、どうしてマ魔力があったんだ?」

「それは、私にもわからない」

 フィンスターニスに関わることは、あまり多く残されていない。ただ、フィンスターニスが受けてきた血なまぐさい歴史、そしてその原因と言われるその血に隠された秘密、わかるのはただそれだけだ。

「君の魔力の出現、そして消失はもしかしたら君自身の血のせいかもしれないし、そうじゃないかもしれない。――フィンスターニスの存在には、謎が多いのも事実だから」

 その血がどうして魔力を奪う力を持っているのか、またフィンスターニスでも魔力を奪うのに必要な血の量は違うとレリックは言う。

 それなりに月日を要して得られた知識はそれだけだ。あと、もしかしたらヴィンダーに直接血を呑まさずとも、杖に血を浸すだけで魔力を奪えるかもしれないのだが……。それはまだ試していない。

「この世界はこれからどうなるんだろう」

 ぽつりと呟かれたアイルの一言は、重くのしかかる。確かに、一歩間違えれば血にまみれた歴史を作ることになる。

 それでも、やるしかない。

 自由を求めた結果、殺戮と憎悪にまみれた世界になろうと、このまま指をくわえたまま他者の思惑に踊らされるのはごめんだ。

 だが、レリックがその方法を使うことはなかった。

 マグレーティにいたヴィンダーが急激に姿を見せなくなったからだ。



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