29 制圧
◇
「ルーナ、一つ聞いてもいいか?」
フードを被ったアイルが問う。
「あの火事のとき、エミーリアがノーマーじゃないって言っていたが、他に呼び方があるのか?」
その問いに、ルーナは頷いた。アルビーネの屋敷でマグレーティに関する本を読んだといっても、このことはどの書物にも載ってない。
ヴィンダーが、「魔力のない人間」つまりノーマークから取った言葉がノーマー。そんな差別された言葉を進んで使う者はいない。
「マグレーティに住む人は、自分たちのことを――」
ルーナが言葉が轟音によって途切れた。突如あがった入道雲のような煙。煙の臭いに混ざって火薬の臭いがした。
叫び声が響きわたる。
「制圧だ!」
誰かの声が、アイルとルーナの耳に飛び込んだ。
どこにいたのかと驚くほど、たくさんの人々が押し寄せてきた。それと同時に、再び爆発音が鳴り響く。黒い煙があっという間に広がった。蔓延した煙のせいで、鼻を覆っていてもうまく息ができない。足音と悲鳴が聞こえる中、交じって聞こえるのは、罵声とケラケラと笑う声。……ヴィンダーのものであることはすぐにわかった。
箒に乗って空から破壊を楽しんでいる。
――なんて下劣。
なんとか、この場から逃げなければと思うのだが、酷使した足は思い通りに動かない。
「寄りかかって」
そう言ってルーナはアイルの腕を掴むと、自分の肩に回した。
皆、自分が生き残ることで必死だ。他人の事なんか気にかける余裕すらない。暴れ回る牛の群れの中に突っ込んだような喧騒の中、もみくちゃにされながらも二人は前を歩いた。
だが、あらがえない力も存在する。
人の波にのまれ、アイルとルーナは放れてしまった。
「ルーナッ」
名を叫んだときだ。
しまったと思ったときは、時すでに遅し。アイルは煙の外に出てしまったのだ。
地面にシミのようにある黒い陰。顔を上げるまでもない。箒にまたがったヴィンダーだ。
「はい、アウトぉ」
一人のヴィンダーが杖を振った。その先から出てきた球が、まっすぐアイルに向かって来る。
動けず呆然とその様を見ていた時だった。
「アイルッ」
腕を引かれ、倒れ込んだ先は、呼吸のし辛い煙の中だった。
「早く」
ルーナの険しい顔が目に入る。煙で目を開けるものやっとだというのに、ルーナの顔はよく見えた。
「走って」
そう言って、前を駆けるルーナの目は、強い光を湛えていた。
煙を吸い過ぎて絶命していく者もいる。逃げ惑う人々の顔に諦めと絶望が浮かび始めている。
何故か、この光景を知っているような気がした。
逃げまどいながら、必死に生にしがみつこうともがき、他人を蹴落とす人々――。
ああ、とアイルは視線を落とした。
あのときに今の状況はひどく似ている。……僕が噴火を止めた、あの日と。
ノーマーたちの姿が蘇る。
それと当時に、アイルは思う。
絶望とは、こんなにも恐ろしく人を狂わせるのか、と。
為す術を失ってから知る、恐怖。
おそらく、魔力を失わなければ知らなかった。
僕はなんて傲慢なんだ。
魔力があって当たり前――そう、いつの間にか思っている自分がいた。
いつも、自分本位で物事を見ていた。
それを突きつけられ、急に足が重くなった。自分が、情けない。
駆けていた足が、ゆっくりと速度を落とし、完全に止まろうとしたときだ。
バチン、と目の覚めるような音が、耳元から聞こえた。遅れて痛みと共に熱を感じる。
叩かれたと気づいたときには、再び走り出していた。
アイルの意思ではない。
「走って」
喧騒の中、不思議なくらいはっきりと聞こえる声。自分の腕をしっかり掴み、引っ張るようにして走る、小さな姿。
「ルーナは強いな」
思っただけの言葉は、どうやら無意識に口から出ていたらしい。ちらりと振り返ったルーナは、小さく頭を振った。
「強いんじゃない。あきらめたくないだけ」
そう言って小さく笑って見せた。それを見て、アイルも笑った。
確かに、こんなところで終わらせたくない。
「そうだな」
そう返事をしたときだ。ヴィンダーの攻撃が、家を破壊し始めた。いくら土と木でできた家でも、下敷きになればひとたまりもない。
大きな悲鳴が上がり、混乱はさらに大きくなった。
「ルーナッ」
人の波に押し出され、再びルーナと引き裂かれてしまった。そのとき、再び轟音が鳴り響く。ルーナの頭上を見たアイルは必死でもがく。
間一髪辿り着いたアイルは、力いっぱい押し出した。
「アイル!」
膝つき、叫ぶルーナにアイルは微笑んで見せた。次の瞬間。目の前が真っ暗になった。
◇
「おやおや、こんなところにガキが残っているぜ」
背後から聞こえた声に、ルーナは飛び上がった。まだ、この中にいるあの人を助けなければいけないというのに。
きりっと奥歯を噛み締めれば、体が動かなくなった。
「……何、これ」
「魔法だよ。お前らノーマーじゃあ絶対に出来ない技だ」
そう言った途端、目の前にいる男女数人のヴィンダーは嘲笑った。
「この瓦礫の下に母親でもいるのかしら?」
「もしかしたら、兄弟とかかもな。まあ、どちらにしろ、ぺっちゃんこだけどな!」
そう言って、再び笑う。何が面白いのか、全然理解できない。ルーナには睨むことしかできなかった。
「……にげ、ろ」
だから、声が聞こえたとき、心底驚いた。
「アイル?」
ささやくように呟けば、荒い息が返ってきた。
「はや、く」
だが、そうは言っても体は動かないし、もし動けたとしても、このまま見捨てて逃げることもできない。
「こいつ、どうする?」
ヴィンダーたちが、何やら相談し始めた。
「使い魔使うのはどう?」
「それいいね! 決定!」
殺し方を決めているんだとわかった瞬間、全身の血が落ちた気がした。
「じゃあ、こいつの方がいいな」
そう言って若い男のヴィンダーが、指を鳴らした。その瞬間目の前に現れたものを見て、ルーナは小さく悲鳴を上げた。
それは、人型に切り取られた白い紙のようだった。だが、ペラペラと風に靡くように動くその足取りは確かで、手と思われる部分には、家畜を殺すときに用いられる包丁が握られていた。
「一気に首落としちゃえ!」
女のヴィンダーが楽しそうに声を上げる。
「そしたら、すぐに終わっちまうだろ」
非難の声を上げたのは、この使い魔の主だった。
「徐々にいたぶれ。両手の指、両足の指、手首、足首、耳、鼻、目……どこまで耐えられるのか一回やってみたかったんだ」
狂気の沙汰としか思えない男の口ぶりに、ルーナの心臓は激しく鳴る。全身の体温は下がる一方。おそらく、硬直魔法を解かれても、体が震えて走るどころか立つことさえ不可能だろう。それを察したのか、はたまた逃げても捕まえられる自信があったのか、ルーナの硬直は解かれた。
「ルー、ナ」
アイルは言う。その声が少しだけ恐怖を取り除いた。
この人を死なせない。
中々屈しないルーナに痺れを切らしたのか、男が叫んだ。
「おい、ボコボコにしてやれ」
妖魔は主の命には絶対逆らえない。紙にしか見えない妖魔は、にやっと口を開く。無数の鋭い歯が見えた。
来ないで。
ルーナは両手を前へのばした。
その片方は、先ほど切った手のひらだった。とんと泥に近い感覚が手に伝わる。妖魔だと気づいたとき、とっさに自分の手を見た。
もう、血は止まっていると思った手のひらは、まだわずかに深紅の粒ができている。
「何している! 早くやれ!」
男がそう言ったにもかかわらず、使い魔は微動だにしなかった。
「おい、オレの命令がきけないのか!」
怒鳴っても、動かない。様子がおかしい、そう気づいたとき、紙のような妖魔は、へなへなと崩れ落ちると、紙を握りつぶすときと同じ音を立て、しわしわに小さくなった。そして、みるみるうちに黒ずんでいき、破裂音と共に消えた。
「……一体何が」
唖然とするヴィンダーたちを尻目に、ルーナは建物の下敷きになっているアイルを助け出そうと、瓦礫を動かし始めた。
「……逃げろ」
「嫌」
指を切ったのか、両手は擦り傷だらけ。でも、ここから動く気はなかった。
「ほほー、これはラッキー」
新たなヴィンダーの登場に、アイルが舌打ちしたのが聞こえた。
箒に乗って現れたのは、自分より少し歳上の少女だった。
「早く、逃げろ」
渾身の叫びが耳に届く。
「……あいつは、妖魔だ」
この人を助ける。その前に自分が死んでしまっては元も子もない。冷静になったルーナは、アイルの言うとおりその場から駆け出そうとした瞬間だった。
小さなうめき声が自分のものだとわかった途端、目の前が真っ白になった。




