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アイル  作者: はるの そらと
3章
30/42

29 制圧

   ◇


「ルーナ、一つ聞いてもいいか?」

 フードを被ったアイルが問う。

「あの火事のとき、エミーリアがノーマーじゃないって言っていたが、他に呼び方があるのか?」

 その問いに、ルーナは頷いた。アルビーネの屋敷でマグレーティに関する本を読んだといっても、このことはどの書物にも載ってない。

 ヴィンダーが、「魔力のない人間」つまりノーマークから取った言葉がノーマー。そんな差別された言葉を進んで使う者はいない。

「マグレーティに住む人は、自分たちのことを――」

 ルーナが言葉が轟音によって途切れた。突如あがった入道雲のような煙。煙の臭いに混ざって火薬の臭いがした。

 叫び声が響きわたる。

「制圧だ!」

 誰かの声が、アイルとルーナの耳に飛び込んだ。

 

 どこにいたのかと驚くほど、たくさんの人々が押し寄せてきた。それと同時に、再び爆発音が鳴り響く。黒い煙があっという間に広がった。蔓延した煙のせいで、鼻を覆っていてもうまく息ができない。足音と悲鳴が聞こえる中、交じって聞こえるのは、罵声とケラケラと笑う声。……ヴィンダーのものであることはすぐにわかった。

 箒に乗って空から破壊を楽しんでいる。

 ――なんて下劣。

 なんとか、この場から逃げなければと思うのだが、酷使した足は思い通りに動かない。

「寄りかかって」

 そう言ってルーナはアイルの腕を掴むと、自分の肩に回した。

 皆、自分が生き残ることで必死だ。他人の事なんか気にかける余裕すらない。暴れ回る牛の群れの中に突っ込んだような喧騒の中、もみくちゃにされながらも二人は前を歩いた。

 だが、あらがえない力も存在する。

 人の波にのまれ、アイルとルーナは放れてしまった。

「ルーナッ」

 名を叫んだときだ。

 しまったと思ったときは、時すでに遅し。アイルは煙の外に出てしまったのだ。

 地面にシミのようにある黒い陰。顔を上げるまでもない。箒にまたがったヴィンダーだ。

「はい、アウトぉ」

 一人のヴィンダーが杖を振った。その先から出てきた球が、まっすぐアイルに向かって来る。

 動けず呆然とその様を見ていた時だった。

「アイルッ」

 腕を引かれ、倒れ込んだ先は、呼吸のし辛い煙の中だった。

「早く」

 ルーナの険しい顔が目に入る。煙で目を開けるものやっとだというのに、ルーナの顔はよく見えた。

「走って」

 そう言って、前を駆けるルーナの目は、強い光を湛えていた。

 煙を吸い過ぎて絶命していく者もいる。逃げ惑う人々の顔に諦めと絶望が浮かび始めている。

 何故か、この光景を知っているような気がした。

 逃げまどいながら、必死に生にしがみつこうともがき、他人を蹴落とす人々――。

 ああ、とアイルは視線を落とした。

 あのときに今の状況はひどく似ている。……僕が噴火を止めた、あの日と。

 ノーマーたちの姿が蘇る。

 それと当時に、アイルは思う。

 絶望とは、こんなにも恐ろしく人を狂わせるのか、と。

 為す術を失ってから知る、恐怖。

 おそらく、魔力を失わなければ知らなかった。

 僕はなんて傲慢なんだ。

 魔力があって当たり前――そう、いつの間にか思っている自分がいた。

 いつも、自分本位で物事を見ていた。

 それを突きつけられ、急に足が重くなった。自分が、情けない。

 駆けていた足が、ゆっくりと速度を落とし、完全に止まろうとしたときだ。

 バチン、と目の覚めるような音が、耳元から聞こえた。遅れて痛みと共に熱を感じる。

 叩かれたと気づいたときには、再び走り出していた。

 アイルの意思ではない。

「走って」

 喧騒の中、不思議なくらいはっきりと聞こえる声。自分の腕をしっかり掴み、引っ張るようにして走る、小さな姿。

「ルーナは強いな」

 思っただけの言葉は、どうやら無意識に口から出ていたらしい。ちらりと振り返ったルーナは、小さく頭を振った。

「強いんじゃない。あきらめたくないだけ」

 そう言って小さく笑って見せた。それを見て、アイルも笑った。

 確かに、こんなところで終わらせたくない。

「そうだな」

 そう返事をしたときだ。ヴィンダーの攻撃が、家を破壊し始めた。いくら土と木でできた家でも、下敷きになればひとたまりもない。

 大きな悲鳴が上がり、混乱はさらに大きくなった。

「ルーナッ」

 人の波に押し出され、再びルーナと引き裂かれてしまった。そのとき、再び轟音が鳴り響く。ルーナの頭上を見たアイルは必死でもがく。

 間一髪辿り着いたアイルは、力いっぱい押し出した。

「アイル!」

 膝つき、叫ぶルーナにアイルは微笑んで見せた。次の瞬間。目の前が真っ暗になった。


   ◇


「おやおや、こんなところにガキが残っているぜ」

 背後から聞こえた声に、ルーナは飛び上がった。まだ、この中にいるあの人を助けなければいけないというのに。

 きりっと奥歯を噛み締めれば、体が動かなくなった。

「……何、これ」

「魔法だよ。お前らノーマーじゃあ絶対に出来ない技だ」

 そう言った途端、目の前にいる男女数人のヴィンダーは嘲笑った。

「この瓦礫の下に母親でもいるのかしら?」

「もしかしたら、兄弟とかかもな。まあ、どちらにしろ、ぺっちゃんこだけどな!」

 そう言って、再び笑う。何が面白いのか、全然理解できない。ルーナには睨むことしかできなかった。

「……にげ、ろ」

 だから、声が聞こえたとき、心底驚いた。

「アイル?」

 ささやくように呟けば、荒い息が返ってきた。

「はや、く」

 だが、そうは言っても体は動かないし、もし動けたとしても、このまま見捨てて逃げることもできない。

「こいつ、どうする?」

 ヴィンダーたちが、何やら相談し始めた。

「使い魔使うのはどう?」

「それいいね! 決定!」

 殺し方を決めているんだとわかった瞬間、全身の血が落ちた気がした。

「じゃあ、こいつの方がいいな」

 そう言って若い男のヴィンダーが、指を鳴らした。その瞬間目の前に現れたものを見て、ルーナは小さく悲鳴を上げた。

 それは、人型に切り取られた白い紙のようだった。だが、ペラペラと風に靡くように動くその足取りは確かで、手と思われる部分には、家畜を殺すときに用いられる包丁が握られていた。

「一気に首落としちゃえ!」

 女のヴィンダーが楽しそうに声を上げる。

「そしたら、すぐに終わっちまうだろ」

 非難の声を上げたのは、この使い魔の主だった。

「徐々にいたぶれ。両手の指、両足の指、手首、足首、耳、鼻、目……どこまで耐えられるのか一回やってみたかったんだ」

 狂気の沙汰としか思えない男の口ぶりに、ルーナの心臓は激しく鳴る。全身の体温は下がる一方。おそらく、硬直魔法を解かれても、体が震えて走るどころか立つことさえ不可能だろう。それを察したのか、はたまた逃げても捕まえられる自信があったのか、ルーナの硬直は解かれた。

「ルー、ナ」

 アイルは言う。その声が少しだけ恐怖を取り除いた。

 この人を死なせない。

 中々屈しないルーナに痺れを切らしたのか、男が叫んだ。

「おい、ボコボコにしてやれ」

 妖魔は主の命には絶対逆らえない。紙にしか見えない妖魔は、にやっと口を開く。無数の鋭い歯が見えた。

 来ないで。

 ルーナは両手を前へのばした。

 その片方は、先ほど切った手のひらだった。とんと泥に近い感覚が手に伝わる。妖魔だと気づいたとき、とっさに自分の手を見た。

 もう、血は止まっていると思った手のひらは、まだわずかに深紅の粒ができている。

「何している! 早くやれ!」

 男がそう言ったにもかかわらず、使い魔は微動だにしなかった。

「おい、オレの命令がきけないのか!」

 怒鳴っても、動かない。様子がおかしい、そう気づいたとき、紙のような妖魔は、へなへなと崩れ落ちると、紙を握りつぶすときと同じ音を立て、しわしわに小さくなった。そして、みるみるうちに黒ずんでいき、破裂音と共に消えた。

「……一体何が」

 唖然とするヴィンダーたちを尻目に、ルーナは建物の下敷きになっているアイルを助け出そうと、瓦礫を動かし始めた。

「……逃げろ」

「嫌」

 指を切ったのか、両手は擦り傷だらけ。でも、ここから動く気はなかった。

「ほほー、これはラッキー」

 新たなヴィンダーの登場に、アイルが舌打ちしたのが聞こえた。

 箒に乗って現れたのは、自分より少し歳上の少女だった。

「早く、逃げろ」

 渾身の叫びが耳に届く。

「……あいつは、妖魔だ」

 この人を助ける。その前に自分が死んでしまっては元も子もない。冷静になったルーナは、アイルの言うとおりその場から駆け出そうとした瞬間だった。

 小さなうめき声が自分のものだとわかった途端、目の前が真っ白になった。



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