28 解決の鍵
その日は風が冷たい夜だった。
力のないちっぽけな存在であるノーマーからしてみれば、たくさん着込んで建物の中に身を忍ばせ、襲いかかる風が去るのを待つしかない。昼間は肌を刺すように暑かったのが嘘のように、今度は冷風が人を襲う。もしかしたら、フィンシュテットも本来は同じような気候なのかもしれない。ただ、魔法を使い何事もない空間を作りだしているのだ。
でも、ルーナは不思議と自然の猛威を防ぐ、フィンシュテットに行きたいと思わなかった。
温室でぬくぬくと何にも関心を示さず、己の都合のよいことばかりを聞き入れるのは、この世界で生きる者として正しいのだろうかと疑問に思う。
だが、今はそんなことはどうでもいい。
「早く、見つけないと」
それこそ死んでしまう。それだけは嫌だった。
でも、どこにいる?
途方に暮れかけたそのときだ。
鼻をくすぐる、どこまでもまっすぐな花の香り。透き通るその香りは、風の強いこんなときでもかき消されない。
この匂い、あの人にあげた――。
一縷の望みをこの糸のように続く匂いに賭け、ルーナは走り出した。
たどり着いた先は、意外にも大広場の前だった。この大広場は、マグレーティにおいて政策の決定を決める場所だ。もちろん、細かい事柄は役割を担った者たちが作る。だが、大まかな指針は皆で決めるのがマグレーティのやり方だ。いくらヴィンダーより人口が多いとはいえ、この大広場に集められる程度しかいないのだ。
この大広場は、他とは違いむき出しの地面ではなく、煉瓦で整備され、ところどころに街灯も建てられている。皆でこの先の行く末を決める、その気持ちを忘れることのないようにと気持ちを統一させるために、凝った作りをしているのだという。
そんな大広場の中心は、大人の背丈ほどの高さの壇が設けられている。そこは、数百人程度の人間が乗れるほど広い。その上でルーナは探し人の姿を見つけた。
何もない、壇の上。そこにぽつりとうずくまる塊にルーナは近づいた。
風で髪が乱れ、視界を幾度となく遮られる。そのときルーナは小首を傾げた。アイルにも風が当たっているはずなのに、当の本人の髪は少しも乱れていない。
そういえばあのとき、部屋の扉を開けた瞬間、物凄い風が吹いたから、てっきり窓が開いているものと思っていたが、窓は自分が開けるまで閉まったままだった。
あの風は何だったんだろう?
風だけじゃない。
ふと、その手にある杖を見て、ルーナは目を細めた。その木の枝にしか見えない杖先に、ルーナが渡した匂い袋が吊るさっている。
ルーナを導いた匂いは、この匂い袋だ。
でも、いくら匂い袋だからってここまで強い匂いを放っているものじゃない。
それに――。
ルーナは思う。
この人の杖は、私が奪って、そして誰かに奪われた。レリックの屋敷に住むようになってすぐ聞いた話だ。
私にお使いを頼んだおじさんは、杖を受け取ったあと襲われたのだという。「小瓶」と一緒に杖はなくなってしまった。
その「小瓶」が何なのかはわからない。話をしてくれたランスが、部屋に入ってきたエミーリアに怒られたから。
でも、どうしてだろう。
この人が手に持つ杖は、初めからこの人のものだったように見える。
そのとき、よりいっそう冷たい風が吹いた。
首をすくめたルーナは、寒さで震える声で言った。
「帰ろう」
「どこに?」
力のない声が聞こえた。アイルの言葉にルーナは眉をしかめる。
「家」
何故こんなことを聞くのだろう。ルーナは不思議でかなわない。レリックたちのいる屋敷の他に、帰る場所があるだろうか。
「……僕に帰る家なんて、もうどこにもない」
「何を言っているの? レリックもエミーリアも、それにランスだって貴方のこと心配して――」
「嘘だ!」
噛みつかんばかりに叫ぶアイルに、ルーナは肩を揺らした。
「もう、おばあ様もヴィンもいない。――それにあの屋敷は僕の帰る場所じゃない」
「どうして。どうしてそう言い切れるの?」
ルーナは一歩前に出て問う。
アイルは頭を抱え、叫んだ。
「レリックは僕を通して先代を見ているし、エミーリアは何を考えているかわからない。ランスは、ヴィンダーを――憎んでいる」
ああ、とルーナは察した。
この人は、たった一本の信用できる止まり木を失ってしまったのだと。他にも留まることができる枝があるのに、恐ろしくて降りられないのだ。
その肩に触れようと手を伸ばせば、てのひらに痛みが走った。見ると血が出ている。風がこの人を守っているようだとルーナは思った。
……負けない。
ルーナはその場にしゃがむと、ぱちんとアイルの頬を両手で思いっきり包んだ。
驚いた翡翠色の瞳が、ルーナを映す。
「少しは頼りなさい」
そう言って、ルーナはにっこりと微笑んだ。
「貴方は考えすぎなの」
皆が皆、頭の中がそればかりではないのだ。
「もっと、相手のことを知るの」
「……している」
「貴方は、ちょっと違う。遠くから眺めるだけじゃなくて、近づくの」
「……その方法は」
「説明できない」
でも、とルーナは続ける。
「私と会ったとき、貴方は近づいてきてくれた」
あとでレリックから聞いた。ヴィンダーにとって、杖とはかけがえのないものなのだと。その話を聞いたときから、ずっと胸の奥にくすぶっていた思いは真実へと変わった。
この人自身は気づいていないのかもしれない。でも、それでいいと思った。
この人は、とても心の優しい人なのだ。
「帰ろう」
立ち上がったルーナは、未だに座ったままのアイルに手を差し出した。
日が昇る。いつの間にか、風も収まっていた。
一緒に帰ってくれないのか――そう思い始めたときだ。
ルーナの小さなてのひらに温もりが伝わった。それをしっかり握ると、ルーナは力一杯引き上げた。
朝日がまぶしい。
アイルは足を引きずりながら、前へ進む。
重荷がすべて落ちた訳じゃない。でも、ルーナの言うことにも一理ある。
今の僕は――無力だ。
レリックの話の中に出てきた、蟻の話をを思い出す。確かに前は、一人でも大抵のことは何とかなった。生きていくことも可能だろう。でも、今は違う。魔力を失った今、一匹の蟻でしかない。だったら、蟻らしく生きてみてもいいんじゃないか、そう思う。
もしそれが性に合わなかったときは、そのとき考えればいい。
立て続けに失ったものは大きく、簡単に癒えそうもないが、少なくとも今は己の力で立って歩ける。
もしアルビーネの屋敷でこうなっていたらと考えると、鳥肌が立つ。人ではなく、愛玩動物として飼い殺されていただろう。
ふとルーナに尋ねた。
「強く生きるってどういうことだと思う?」
明確な答えを求めて問うたわけじゃない。ただ、まっすぐ自分に素直に生きるルーナに聞いてみたいと思った。
ルーナは、こてんと頭を傾げると微笑んだ。
「何度でも立ち上がれる人。この日陰に生える草みたいに、踏まれても太陽に当たらなくても、まっすぐ立ち上がる」
「そんな単純でいいのか?」
「いいの」
単純がたくさんあって、複雑になる。
そう言うルーナの言葉一つ一つがアイルにとっては、目から鱗なものばかりだ。
そんなに簡単なことなのだろうか、おばあ様が僕に伝えたかったことは。
そういえば、ヴィンも同じようなことを言っていたのを思い出した。
ふっとアイルは笑う。
案外、解決の鍵は近くにあるものだな。




