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アイル  作者: はるの そらと
3章
27/42

26 いまだ暗闇の中

 妖魔に追われるこの場合、一番手っ取り早いのは撒いてしまうことなのだが、何分こちらの分が悪い。相手は空を飛べるのだ。地下に潜っても、今度は挟み撃ちにされる可能性がある。

 そして、ヴィンの遺してくれた時間も少なかった。

 これと言っていい妙案も浮かばないまま、アイルはチチチという声と姿を目にした。それは同時に、黒猫がもういないことを示していた。

 ぐっと奥歯を噛み締めたアイルは、レリックを壁に寄りかからせると、ある物をまっすぐ妖魔に向け立った。アイルが握るそれは、杖と変わらない長さの木の枝だった。

 絶対に、この状況を乗り切る。

 近いにも似た覚悟を嘲るように、妖魔は襲ってきた。もちろん、木の枝ではどうにもできない。あっという間に、レリックのもとまで妖魔は迫った。そしてその鋭いくちばしで腕や足を刺す。

「やめろ!」

 そう叫んでも、妖魔が退くこともない。

 行く手を阻まれ、必死にもがいても辿り着かない。伸ばした自分の手にある折れた木の枝。それは、杖が折れたようにも見えた。

 ――結局、僕は無力だ。

 視界が滲む。そのときだ。

 あたりを眩いほどの光が包む。肌を焦がすほどの暑さを感じつつ、実際に焼けているのは妖魔だけだ。

 魔法だと気付いたとき、アイルは期待した。ヴィンがまだいる、と。

 けど、現れたのは違う人物だった。

「ごきげんよう、アイル」

 箒から降りたち、アイルの目の前に立ったのは、ゆるく巻かれた黄金色の髪に猫のような蒼い目。髪に映える、赤いリボンの形をしたカチューシャ。

 ヘラ・フュリューリングその人だった。


   ◇


「間一髪でしたわね」

 指を鳴らし、箒を別の場所へ移せば、ヘラは地面に座りこむアイルに手を差し伸べた。にっこりほほ笑む少女の手をアイルは掴んだ。

「初めまして……とでも言うべきかな?」

 立ち上がりながらアイルはそんなことを言う。きょとんとするヘラは、何が何だかわからないといった様子だ。

「ノーマーの貴方に会うのが初めて、だからですか?」

「別に今更とぼけなくてもいいでしょ」

 砂埃を払うと、目深にフードを被る。早いところレリックを屋敷に連れて行かないと。

「今日僕は初めてヘラ自身に会った、ただそれだけだ」

 そう言えば、ヘラは口元を隠し小さく笑った。

「貴方、やっぱりノーマーになっても変わらないんですね」

「別に。そうすぐに変われるほど簡単じゃあないでしょ」

「いつからお気づきでしたの? ……フィンシュテットにいる私が偽物だって」

「つい最近です。学園の門にいるあなたを見かけるまでは。あれは使い魔に自分のふりをしてもらっているんでしょ?」

「どうして門にいたことで私じゃないと思ったんです?」

「魔力を使わないで済むからです。いくら使い魔と言っても、魔力に限りはありますからね。それに主の負担も少ない。……僕からも一つ聞きたいことがある」

 アイルは目を細め言った。

「レリック……そこの男の屋敷に火を放ったのは、貴方ですね?」

 さっき妖魔を焼き殺した炎。全身を包んだときの感じが、レリックの屋敷に放たれた炎と重なった。もちろん、確証はない。すべては勘だ。

「こうなることを予見していた。だとしたら、どうしてあんな回りくどいことをしたんです?」

 まあ、ヴィンダーから直接忠告を受けても、ノーマーがそれを素直に訊くとは思えない。むしろ罠だと勘違いされる場合もある。だが、それにしても――。

「こうなることがわかっていたと言う事は、この妖魔の操り主、見当がついているのでしょう?」

 ヘラを探るように見れば、ふっと笑われた。

「本当貴方って人は。侮ったら痛い目を見ますね」

「褒め言葉として受け取っておきます」

「どうしてあなたほどの方が、あの名家を立て直すことなく、落ちぶれ者と言われたのか私には理解できませんわ」

「……今度は嫌味ですか」

「そう受け取ったのならそれで結構です」

 では、私はこれで、と立ち去ろうとするヘラにアイルは呼びかけた。

 この妖魔を使役したヴィンダーの名を知りたい――そう口にしようとしたのだが、出てきた言葉は違った。

「……危ないところを助けてもらって、感謝している」

 そう言えば、ヘラは目を丸くした。

「貴方、なかなかいい方じゃないですか」

 ふふふと笑われ、アイルは顔を赤くした。

「また、ご縁があれば会いましょう」

 そう言ってヘラは箒に乗って飛び去った。けどアイルは思う。きっと近いうちにまた再会する、と。

「……ヴィン」

 呟いた途端、全身の力が抜けその場に崩れた。

 今だけ。

 誰もいないこの場所だから、アイルは顔を覆い声を殺して身を丸めた。

   ◇


 その日は星の綺麗な夜だった。

 そんな日は滅多にない。

 窓から眺めるだけじゃあ物足りない少女は、誰にも何も言わず、屋敷を飛び出した。

 少女が向かった先は、ここからそう遠くない小高い丘の上。わずかに生える草の上に寝ころべば、満天の星空が視界いっぱいに広がった。

 そんな夜空に向かって手を伸ばしてみる。届かないのはわかっている。けれどもどうにかして切り取って取っておきたいと思うが、いつもこうだ。自分はとてもちっぽけだから、手を伸ばしてもあの空には届かない。世界という袋に詰められた、一粒の小さな実でしかない。

 それでも好きなように生きることができるのなら、それでいいと思った。手の隙間から見える、満月と同じ名をもらうまでは。

 ルーナ。それは、アルバと同じ昔の言葉で月を表す言葉だ。どうして学も教養もない自分がこんなことを知っているのかわからない。けど、知っている。通たことのない細く複雑な道を実は昔通っていて体が勝手に覚えていた、そんな感じかもしれない。

 太陽と月は表裏一体だと酒好きの爺に聞いたことがある。それなら太陽ほど力はないけど、頑張っているみんなの助けに少しでもなれたらと思う。

 そんなことを思いつつ、ルーナはある一人の少年を思う。レリックが再び襲撃を受け怪我をしたその日から、アイルは部屋から一歩も出ていない。

 優しく降り注ぐ星々の光。今それを必要としている人の元へ届けたいとルーナは思った。


   ◇


「ここ最近は皆に心配かけてばかりだな」

 ベッドから起き上がったレリックは、心配そうに見つめるランスやエミーリアを始めとした面々に笑顔を向け言った。

「気絶魔法をかけられただけで、思いのほか外傷は浅かったからよかったものの。もう少し先導者としての自覚を持ってください」

 エミーリアの厳しい言葉にレリックは頭を下げた。

「申し訳ない。ところで私と一緒にいた少年は?」

 ランスとエミーリア以外の者もいたため、あえて名前は出さなかった。するとランスが苦虫を噛んだような顔でポツリと言った。

「部屋から出てこないんだ」

「何故? 私は生きているし、責任を感じることもないだろう」

 そうじゃない、とランスは頭を振る。エミーリアも眉を寄せていた。

「監禁していた黒髪の女がいただろう? あいつ、襲撃された時レリックたちを庇って、死んだらしい」

 その話を聴き、レリックは目を見開いた。

「監禁されていたのに、どうして助けに来れる? まさか、監視の目を欺いたというのか?」

「そのまさかみたいなのよ」

 せっかく私たちが今まで集めた情報と知識を合わせて作ったのにね、とエミーリアは肩を落とす。

「けど、結果的にレリックは助かった。……これでよかったのよ」

 本当に、これでよかったのだろうか。

 アイルに頼み、彼女を悪役に仕立てたというのに、結局はその行動をもって自らの潔白を示してしまった。我々は常に賭けをしている。その言葉に偽りはない。だからこそ、こういう局面にも立ち会う。ここからどうあがくかで、勝敗は決まる。

 とにもかくにも、ヴィンダーと言う恐ろしい支配者が闊歩し始めたマグレーティで、それに屈しない心を持つ同志が一人でも多くいなければ現状は変わらない。

 レリックは、窓の外を眺めた。ヴィンダーの目は、二つに非ず。魔法を使える時点で死角はないのだ。

 ――少し、派手に動きすぎたかもな。



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