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アイル  作者: はるの そらと
3章
26/42

25 ヴィン

   ◇


 屋敷にあった書物のほとんどは、魔道書やヴィンダーに関するものだったという。今ではそのほとんどが炎で焼かれ、灰になった。

「こうして外に出るのは久々だな」

 ぐっと伸びをしたレリックは、大きく息を吸った。

「やはり外は気持ちがいい」

「……僕は中にいる方がずっといい」

 怪我もすっかり良くなったレリック。そのレリックに半ば強引に外に連れ出されたアイルは、目深くフードをかぶり、口元を隠すように顎を引いた。今回は、ヴィンの魔法もないため、小物や服装で変装しなければならない。

 レリックもヴィンダーに目を付けられているのだ。目立つ行動は避けるべきだと思うのだが……。

「さあ、行こうか」

 本人にその意思はまったくないようだ。

 わざと大きくため息を吐いた後、一歩前へ足を進めた。

 どこに行くのかと尋ねれば、例の老女のところだとすんなり答えた。

「あれは、私にとっては武器だから」

 あれとは、燃えてしまった書物のことだろう。

 マグレーティに置かれている現状をどうにかしたい。レリックはその信念で動いている。けれど、ノーマーのレリックがいくら策を講じてもヴィンダーには手も足も出ないだろう。聞く耳すらもたれないはずだ。いくら大量の魔道書を読み研究しても、意味がない。力の差がありすぎる。

「いくらヴィンダーについて知識を深めても、魔力がなきゃ、敵う相手じゃない」

 もっと頭を使うべきだ、そう言えばレリックは微笑んだ。

「自分にできる最善を尽くしているまでさ」

「それが望まない結果をもたらすとしても?」

「そのときはそのときさ」

 我々は、常に賭けをしている、とレリックは言う。

「そうでもしなければ、この状況から抜け出せる術はない。……このまま何もせず指をくわえたまま家畜にも奴隷にもなるつもりはないからね」

「……理解できない」

 レリックは笑った。

「理解しろとは言わないさ。ただ、これは我々の覚悟。どうしてもこのまま傍観していることができない、どうしようもない愚か者さ」

 けれど、それを後ろめたく思ってないという。

 老婆のもとについたレリックとアイルは、その部屋の中へ入ると、レリックと老婆だけが例の地下室へと向かった。一人残されたアイルは、誰もいなくなった途端、大きく仰け反った。

「……理解できない」

 先程のレリックの話を思い出してアイルは再び呟く。



「帰ろう」

 部屋に戻ってきたレリックはそう言うと、そのまま玄関まで歩いて行った。アイルも席を立つとその背中を追った。

 帰ろう、か。

 帰る場所は、あの屋敷でいいのだろうか。ふとそんなことが脳裏をよぎる。

 ――お帰り、アイル。

 カローラの声が頭の中で響いた。

 西日がこの地域の建物を明々と照らす。朱色に染まった町の中を、アイルとレリックは歩いた。

 そのとき、目の前が真っ白になった。

 攻撃を受けたと理解した瞬間、明らかな殺意を感じたアイルは、とっさに身を守れそうなものを探した。が、武器どころか身を隠せる場所もない。

 舌打ちを打てば、甲高い笑い声が砂煙の外から聞こえてきた。

「平和に害を成そうとする芽は、早く抜かなきゃね」

 まだ、年若い女の声が聞こえた。

 アイルの額に汗が光る。これほどまでに純粋な殺意を向けられ、かつこちらは丸腰ときた。

 死ぬかもしれない。

 つうっと汗が流れる。

 だけど、まだ死ねない。

 一瞬レリックの安否を気にするものの、それどころではないと気を入れ直した。体制を低くすると、アイルは声のした方へ飛び出した。武器はなくても女なら素手でなんとかなると踏んでのことだ。

 が、これが裏目に出た。

「まずは、一匹目ぇ」

 攻撃をしてきた者の姿を見たアイルは、大きく目を見開いた。

 それは、人ではなく七歳児くらいの大きさの怪鳥だった。

 妖魔だと気付いたときにはもう遅い。

 一気にけりをつける気で思いっきり踏み込んだため、急停止はもちろん方向転換もできない。

 妖魔は槍のように鋭く長いくちばしをアイルに向けたまま動かない。

 ここまでか。

 アイルは、鼻で笑った。なんて間抜けな最期だろう、と。

 だが、そのくちばしでアイルを串刺しにすることはできなかった。

「はっ! 本当お前は、ちょっと気を抜いた途端これだからなあ。だから、おちおち目が離せねえんだよ」

「な、なんで」

 衝撃を受け止めたのは、トラほどの大きさのある黒猫。金の双眸を見てアイルは叫んだ。

「どうしてお前がここにいるんだよ、ヴィン!」

 アイルを受け止めたのは、ここにいるはずのない黒猫だった。

「なんでって」

 ヴィンは、ちろっと舌を出すと目を細めた。

「あのくらいの籠で、オレが拘束されたと思う方がおかしいだろう」

 確かにそうかもしれない。けど、アイルは違和感を覚えた。それならどうして今、このタイミングで抜け出す?

 何となく感じた疑問を言葉にしようと、口を開いたときだ。

 鳥の姿をした妖魔が、飛び上がった。

「あの羽は飾りじゃなかったか」

 そう呟いたヴィンは、猫の大きさに戻るとアイルの肩に飛び乗った。

「あいつを使役している奴、かなりの手練れだぞ」

 耳元で囁くヴィンにアイルは返した。

「誰の使い魔かわかるか?」

 誰の魔力かわかるらしいヴィンに声をかけてはみたが……。

「バカか、お前。オレがいちいち興味もない奴のことなんか覚えるかよ」

 バカと言われる筋合いはない。今回の襲撃者がわかれば、こちらも動きやすいと思っただけだ。

「お前をあてにした僕が、バカだった」

 ぼそっと嫌味を言えば、はあ? とヴィンが怒った。正直、耳元で騒がないでほしい。鬱陶しい。

「さっき死にかけたガキがよく言うぜ」

「どうも」

「アイル」

 さっきとはうって変わって、低い声が耳元で囁かれた。

「あいつは、人語を操るほど能力の高い妖魔じゃねえ。おそらく、使役している奴がかけた魔法だ。しかも、ご丁寧に防御魔法までかけてある」

 仕留めたつもりだったんだがな、というからおそらく現れたのと同時に一撃を与えていたのだろう。

 さて、そうすると契約者の目的がわからない。 飛び上がった妖魔をじっと見つめていれば、風に乗って声が聞こえた。

 ……チチチチチチチチ。

 鳴き声か? と思ったが妖魔が向かう先に気づきアイルは顔色を変えた。

「ヴィン、この砂煙吹き飛ばしてくれ」

「あ? なんで?」

「いいから、早く!」

 狭い路地のためか、風が吹いても消えない砂埃は、ヴィンのおかげで一瞬にして消えた。

 アイルは思う。もし、この煙も相手のかけた魔法だったら、と。

 駆け出すアイルに、肩を爪で抑えるヴィンが問う。

「どうした?」

 ここからならそう距離もない。すぐに追いつく。アイルが向かったのは、レリックのもとだった。

「あいつの目的、正確には契約者の目的は僕じゃない」

「何故?」

「僕を殺すことを目的としているなら、今はノーマーなんだから、こんな手の込んだ真似をするのはおかしい」

「それも一理あるが……アイル、オレがいるんだぜ?」

 確かに、ヴィンがいるなら人語を操り、人型になれるよう力を添えるのもわからなくはない。

 だが――。

「ヴィン、今僕のところにお前がいることを他の奴らは知っているか?」

 闘技場で姿を現したとはいえ、ヴィンは人型を取っていた。それにヴィンダーたちの常識から考えて、契約の切れた使い魔が、まだアイルのもとにいるとは考えないだろう。

「それに、あれはさっき『チチチ』と鳴いた。鳥獣と同レベルの妖魔に契約者が魔法をかけると思うか?」

 ヴィンは黙ったまま何も答えなかった。

「さっきの鳴き声、あれは『血血血』と言ったとしたら?」

 アイルは駆ける。だが、どれだけ早く走っても、妖魔に追いつくことは叶わない。

「くっそ!」

 レリックはフィンスターニスだ。その血が何をもたらすのかアイルは知っている。それに、自分の魔力消失がもし、母の血のせいではなく、ヴィンダーによって故意に行われたものだとしたら?

 それに、ランスとエミーリア、そしてルーナには少なくともレリックが必要だ。

 ここで、レリックの血を奪われることも、死なすこともさせてはいけない。

 ちらりと両親を語ったレリックを思い出したが、別にそれはどうでもいい。

 肩にいるヴィンが鼻を鳴らした。

「……仕方ねえ」

 妖魔の鋭い爪が、横たわるレリックの心臓めがけて飛んでいく。ぎりっと奥歯を噛み締めたときだ。

 バリッと何かが砕ける音がした。

「……マズイ」

 見れば、さきほどまで肩にいたヴィンが、トラほどの大きさになり、目の前に立っている。その口は上下に動いていた。

「食ったのか?」

「ああ。クソ不味いけどな」

 牙をのぞかせ、ヴィンが答えた。

「だったら、食わなきゃよかったのに」

 仕留め方は無限にある。――そう、魔法が使える者なら。

 だが、ヴィンはペッとその残骸を吐き出すと、そっぽを向いた。

「別にオレの勝手だろ」

 確かにそうだが、そんな原始的な方法を取らなくてもいいはずだ。

「変な奴」

 そう言って、その手触りのいい漆黒の毛並を撫でた。そのときだ。

 ――チチチチチチチチチチ。

 一つだけじゃない。合唱のように無数に重なる声。上を見上げるまでもない。

「嘘だろ」

 そう呟く僕の横で、ヴィンは舌打ちを打った。

 ヴィンが噛み砕いたのと同じ妖魔が、黒い塊となって狭い空を覆っている。

 すぐ先にいるレリックを見れば、まだ気を失っているのか、倒れたままピクリとも動かない。走って逃げることもできないか……。

「アイル」

「どうした?」

 額から汗が流れる。剣とは言わない。せめて長物があれば……。

「アイル」

「どうしたんだよ、ヴィン!」

 何度も名を呼ぶ黒猫に、アイルは視線を向けた。するとどうだろう。いつもと打って変わって真剣な様子でこちらを見る二つの瞳に、思わず押し黙った。

「一度しか言わねえからな」

 よく耳立てて聞けよ、とヴィンは少しだけ牙を見せて言う。

「お前は、ユリアンと比べるとまだまだだし、すぐ油断するし、危なっかしいガキだ。それに、時々疑問に思った。あいつの子なのに、それをぶっ壊そうとしていた。だけどな、アイル」

 一方的に言われ、口を開きかけたアイルの瞳をヴィンはまっすぐ見据えて言った。

「オレは、信じてるぜ」

 きっと僕は呆けた顔をしていただろう。

「……どうしたんだよ、いきなり」

「これからどうなるかなんて、オレにはわからない。けどな、アイル。お前なら――大丈夫だろ」

 再び口を開くが、言葉が出てこない。

 何が言いたい? いや、この嫌な予感はどう言葉にすればいい?

 そんなアイルに、ヴィンは牙を見せて笑うとカッと威嚇した。するといきなり雷が槍のように降り注いできた。何匹かは黒く焦げ、灰となり風に舞っていったが、それでも全部ではない。

「まだまだ!」

 今度は、ひんやりと冷たい空気が辺りを支配した。途端、氷柱が雨のごとく降る。

 そういえば、ヴィンは本来いる世界では、雪と氷でできた高山と深淵の谷の主だと聞いたことがある。もちろん、本人に直接聞いたことはない。嘘か真かは知らない。

 ――これは、仮初の姿なんだからな。

 ヴィンが小麦粉まみれになり、白猫と化したときだ。カローラが、だったら白猫になればいいのにと言ったときだ。すかさず、ユリアンと同じことを言うな、と不機嫌になったことがあった。

 後で理由を聞いたとき、こっちでは白は氷原世界の色だからな、と言っていたのだが当時は意味がわからなかった。

 ヴィンはどうして白じゃなく、黒を選んだんだろうか。

 レリックのそばに立ち、その冷たくも美しい魔法を見ながら、アイルは思う。

 ヴィンは、人型を取り、手を振って魔法を使い始めた。派手さの中に、正確さがあるヴィンの魔法は、ことごとく妖魔の数を減らす。が、それでも全部じゃない。

 そのとき、いきなり視界から消えたと思い、慌てて視線を向ければ、ヴィンが片膝をついていた。

「ここまでか」

 肩で大きく呼吸をするヴィンに近づこうとすれば、ヴィンがそれを止めた。

「来るな」

「どうして?」

 そして気づいた。

 ヴィンの体が消えかかっていることに。

「ヴィン!」

 よくよく考えればわかったことだ。ほんの些細なことかもしれない。それでもヴィンの言動から察することは十分できた。それなのに――。

「何で言わなかった!」

 今のヴィンは、元使い魔。ヴィンダーではないアイルのそばにいるには、自分の魔力を使って留まるしかない。けど、妖魔の場合契約者がいなければ、使った分の魔力は戻らず、限界まで魔力を使えば、存在が消える。

「なんでお前に言わなきゃいけない? オレはオレの好きにさせてもらっているだけだ」

「でも!」

「アイル、今のうちに逃げろ」

「何言ってるんだよ」

 そんなこと言う暇あるんだったら、魔法を使うなよ……。

「いいから。早く」

 ――馬鹿野郎。

「お前も早く来いよ」

 そう言えば、ヴィンは大きく目を見開いた。そして、にやりと笑う。

「……たく、無茶を言う」

 アイルは未だに起きないレリックの腕を自分の肩に回すと、その体を支えながら立った。走ることは出来そうもない。でも、少しでもここから距離を取ることはできる。

 少しずつ前へ足を運ぶアイルの頬に、涙が伝った。


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