23 炎2
屋敷の中はいつもと違った。
あの人が飛び込んでいった後、周りにいた人は何度もどうしようと狼狽える言葉しか吐いていない。
あの人よりもずっと大人なのに、だ。
レリックもランスもエミーリアもまだ中にいるという。それに加えてあの人も中に入ってしまった。
だったら、私も追いかける。
そう決めて、赤色に染められている屋敷の中に入ろうとしたときだ。
「おい、何する気だ」
黒髪の女の人に腕を捕まれた。いつもあの人と一緒にいる女の人だ。
金の瞳が月のように輝いて見えた。
「わたしも――」
中に行く、そう言い切る前に女の人は黒髪をかきむしった。
「ああ、もう。仕方がねえな」
言葉は乱暴だが、優しい人だ。……目を見ればわかる。
「ほら、オレについてこい」
女の人は、そう言って先陣を切って燃えさかる屋敷の中に入っていった。
慌てて中に入れば、肌を焦がしそうな熱が襲ってきた。足が止まる。目も煙のせいでまともに見えない。
引き返しても誰もルーナを責めないだろう。それはわかった。でも、ルーナの中に戻るという選択肢はなかった。
ルーナにとって初めてできた守りたい居場所なのだ。それが炎の中にあるというのなら、飛び込んでまで行く。降りかかる火の粉で腕や頬が熱いし痛い。目を開けば、眼球が溶けそうだ。でも、ルーナはうすら目で前へと歩みを進めた。
ルーナがひとえに前に進めたのは、己の意志だけでなく、ヴィンの存在も大きかった。
口にはしなかったが、前を歩くヴィンが熱風や火の粉の盾になっていたことはルーナにもわかっていた。
すぐにあの人は見つかった。怪我もなさそうだ。ほっと安心するのもつかの間、ルーナの目が髪を振り乱し、せき込みながらも走るエミーリアの姿を捕らえた。
「エミーリア」
その姿を追いかける。いつもきっちりしているエミーリアがあそこまで取り乱しているのは見たことがない。煙でにじむ視界でもわかるほど頬も煤だらけで、着ているものも火の粉のせいか、ところどころ黒く焦げている。
エミーリアの後を追いかけるうちに、次第に向かっている先がわかった。
レリックの書斎だ。
熱さも煙たさも忘れ、一心に追いかければ、崩れ落ちるエミーリアの姿が目に入った。
「くそっ! なんで消えないんだ!」
駆け寄れば、ランスの声が耳に飛び込んできた。声のした方を見ると、レリックの書斎の中で顔をゆがめるランスがバケツを片手に立っている。
二人の無事を確認でき、ほっとしたのも束の間。ルーナは見た。
ランスの足下にある炎の塊。あれは……。
「レリック?」
窓ガラスが飛び散っているのはもちろん、窓枠も形を歪めその部屋だけが握りつぶされたのではないかと疑ってしまうほど、天井や床に亀裂が入っていた。
そんな書斎の前で顔を覆うエミーリア、怒鳴るランス。そして、炎に包まれる人影。
「エミー、水を! もっとたくさん!」
ランスが叫ぶが、エミーリアは顔を覆ったまま動かなかった。
「エミー!」
「水じゃ、水じゃあダメなのよ。 私たちじゃあレリックを助けられないのよ!」
エミーリアの叫びに、ランスは振り払うように頭を振った。
「まだ生きてるんだ! ここであきらめてたまるか!」
ランスが書斎を飛び出そうとしたときだ。
「いってぇ」
はち合わせたアイルとぶつかった。
「アイル……」
そしてランスは、アイルの背後に立つ女を見て目の色を変えると、つかみかかった。
「お前、魔法が使えるんだろ! 頼む! レリックを助けてくれ!」
必死な形相で迫るランス。それをヴィンはめんどくさそうにただ見ていた。それこそ、道端の石を見るように。
ヴィンは、ランスの言葉に返事を返さなかった。その意志がないことを察したのか、ランスはその場に崩れた。
泣き崩れるエミーリアとランス。外で消火活動をしているはずなのに、一向に消える気配のない炎。そして、そんな炎に包まれるレリック。
ああ、とルーナは思う。
また、暗く重いものがやってくる。そう思った。
ルーナは勉強中とはいえ、まだあまり多くの言葉を知らない。もし、知っていればこれを絶望と言い表しただろう。
いつもそうだ。暖かくてぽかぽかした気持ちはずっと続かない。何もかも黒に染める冷たい闇は、いつもどこかで息を潜め、その瞬間を狙っている。
でも、まだ冷たい闇に捕まってはいない。
ルーナは、意を決してヴィンに向かっていった。だが、それを止めたのはアイルだった。
「ヴィンに頼んでも無駄だ」
「仲良しなんでしょ?」
この人が頼めば、女の人も助けてくれる。ルーナでもそれだけはわかった。でも、アイルがそうしようとしない。――レリックを助けようとしない。
ルーナは眉間に皺を寄せた。
「……死んでもいいの?」
「そういう意味じゃない」
アイルは咳込むと言った。
「確かにヴィンは魔法が使えるし、レリックを助けられる。でも、ヴィンがいなかったら?」
どこかで炎が弾ける音がした。
いつの間にか、この人の言葉に全員が耳を傾けている。
「ヴィンダーに対抗しているんだ。ヴィンダーの力に頼ってどうする? 僕らはノーマーなんだ。ノーマーならノーマーなりの――」
「私たちは、ノーマーなんかじゃない!」
アイルの言葉を遮ったのは、エミーリアだった。
「……私たちはノーマーなんかじゃないのよ。――よ」
力なく呟かれた言葉は、途中燃えさかる炎にかき消された。表情を曇らせたアイルだが、それもすぐに消えた。
「とにかく、僕に任せてほしい」
そう言ってアイルはレリックの書斎に入ると、荒れ狂う炎の元まで行った。その中心にいるレリックは、うつ伏せの状態で倒れているため、表情まではわからない。でも、じっとレリックとその周りを見つめたアイルは、次の瞬間、自らその炎の中に入っていった。
「おい!」
慌てて駆けだした女の人は、あの人に向かって手を伸ばした。けれども、そんなのお構いなしにあの人も炎に包まれる。
なんで……。
足の力が抜けた。
その場に座り込んでしまえば、視界がにじんだ。でも、炎の熱ですぐに乾く。
体が重い。冷たい闇が飲み込もうとしている。
そのときだ。
「ランス。力を貸してくれ」
炎に包まれながら、アイルはレリックを担ぐと、重い足取りで一歩一歩前に進んでいる。
「この炎は幻覚の一種だ。本物じゃない」
そう言えば、ランスは風のごとくアイルの元まで駆けだした。レリックをランスに渡したアイルは、不機嫌そうな表情で睨むヴィンを見て、悪戯気に笑った。
「死んだと思ったか?」
にやりと笑えば、ヴィンはそっぽを向いた。
子供のようだとルーナは思った。
「大丈夫か?」
いつの間にか目の前にアイルが立っていた。差し出された手のひらは、自分のものとあまり変わらない。
「だいじょうぶ」
そう言ってその手を掴めば、さっきまでルーナを襲っていた感情は、消えてなくなった。
アイルに手を引かれながら、屋敷を出たルーナは、繋がれていないもう一方の自分の手を見て思う。
同じ手のひらなのに、どうしてこんなに違うんだろう、と。




