22 炎
「なんか、焦げ臭い」
ルーナがぽつりと呟いた一言。確かに、言われてみれば焦げ臭いような気もする。
魚でも焼いているんじゃねえか、というヴィンを無視してアイルは顔を上げた。
家々が肩を並べるように隙間なく建てられているこの街の空は、とても狭い。その小さく縁取られた青色の中に鳥のように現れたそれは、紙切れだ。それも、火花をつけ赤色の。地に落ちる前にあっという間に灰に変わる。
気づけばアイルは走っていた。
今戻るべきアイルの場所。そこに近づけば近づくほど灯火のような紙切れが、花吹雪のように上空を飛んでいる。
臭いも強くなる。
一体、何が起きている?
町中を抜け、小高い丘の上にあるレリックの屋敷を見たアイルは、思わずその場に立ち止まった。
隣でルーナが小さく息を呑む音が聞こえた。
マグレーティでは珍しい白い壁の洋館。それが今、夕日に負けずと赤々と染められているではないか。
風に乗って火の粉が雪のように降る。
暁色の導き者――。
ふと伝承が頭をよぎる。だが、これは明らかにそれとは違う。黒い煙が、空に上る。それは光を食らう闇のように見えた。
「……ありゃあ、ただの火じゃないな」
となりでぼそりと呟くヴィンに、視線を投げれば短くため息を吐かれた。
「お前も薄々気づいているだろうが、あいつらはヴィンダーにとって邪魔な存在。まあ、反逆者だ。素直に言うことを聞かない家畜は、殺されるか食われるか、いずれにせよ鉄槌を受ける」
「だからってこんな仕打ちがあるか」
仮にもヴィンダーによるものなら、こんな低級生物のような、暴力で訴える真似をして恥ずかしくないのだろうか。
「魔力という絶対的な違いがある以上、同じ生物でも、差別されるのが当たり前。ましてや、魔力の量が強さを表す世界で、魔力の弱い者が力を得るには、魔力のないノーマーにその矛先が向くのは必然だろ」
そうなのだろうか。
魔力を与えられたヴィンダーは、魔力のないノーマーを保護しなければならない、そんな教えはもうないのだろうか。……伝承は無視されているのか。
お前にはわからないだろうがな、とヴィンは言うが、それは違う。
僕は、生まれたとき魔力がなかった。
ただ、眠っていただけだと言えば、聞こえはいい。けど、死に物狂いで求めなければ、今も名ばかりのヴィンダーだっただろう。
最弱のヴィンダーとして、あの世界にいたと考えるだけで寒気がする。
だからアイルは思う。
魔力の量が本当に強さを表しているのか、と。
確かに、ノーマーは弱い。火山の噴火から逃れられる術はもちろん、飢餓や災害ですぐに死ぬ。それに比べ、ヴィンダーはそれらをしのぐことも防ぐこともできる。だから、ヴィンダーは力を持つ者として、弱き者であるノーマーを庇わなければならない……そう、ヴィンダーは思っている。それは昔も今も変わらない。日中太陽が昇り、夜に月が現れることと同じくらいの常識だ。伝承にもそうある。
だけど、本当にそうなのか?
今では魔力と言う力を使い、ノーマーを保護するどころか自由を縛っている。保護と奴隷は違う。
それにあの地下室で見た、魔道書の山々。あれを見てなお、ノーマーは弱い者だと言えるのか?
「鼻を覆え」
突然放たれたヴィンの一言で、我に返ると袖で鼻と口を覆った。
途端、風向きが変わったのか、黒煙が呑み込むようにこちらに来た。
「この煙、あまり吸うな」
一気に視界も悪くなる。あまり吸うなと言われても、吸わなければ死ぬ。
「……無茶言うな」
おそらく、この煙の中にも何かしらの魔法がかけられているのだろう。何となくそんな気がした。
「仕方ねえか」
ヴィンは、小さくため息を吐くとパチンと指を鳴らした。すると、強烈な風が湧き上がり煙を吹き飛ばした。
「初めからそうしろよ」
そう言えば、ヴィンはふんと鼻を鳴らしそっぽを向いてしまった。まったく、自由気ままな妖魔である。
「行かなきゃ」
ルーナの一言にアイルは頷くと、緩やかな斜面を駆けた。轟々と燃える炎の熱気が、強くなる。肌に熱風が当たる度、三人の顔がよぎった。
別にどうでもいいはずだろ、あいつらなんて。
頭を強く左右に振れば、ヴィンがのぞき込んできた。
「煙でも目に入ったか?」
別に、と答えればヴィンもそれ以上は何も言わなかった。
火の粉を巻き上げ燃えさかる屋敷は、思った以上原型をとどめている。ヴィンの言うようにただの炎ではないのなら、これは一体誰が何のためにしたのか。
屋敷の外では、使用人を始め、この炎を見た街の人間か、それともレリックたちの組織の人間か、わからないが大声で名を叫ぶ者もいる。
右に左に揺れ動く炎はまるで生き物のようだ。灰にし尽くす獲物を狙い、徘徊している化け物だ。
ただ、アイルはどことなく違和感を覚えた。
火を起こし、建物や人に損害を与える目的なら、この炎の勢いだ、屋敷は倒壊しているはずだ。それに――。
「おい、アイル!?」
ヴィンの制止を振り切り、アイルは燃えさかる屋敷の中へと駆け込んだ。
中はひどい有様だった。
熱風がひどく、油断しているとのどや目が焼かれそうだ。煙も否応なしに襲いかかってくる。袖で鼻と口を覆うが、目にしみて涙が出てきた。だが、幸か不幸か、不思議なことに足場はとても綺麗だった。本当に炎だけが生き物のように建物の隅々まで徘徊しているようだ。ただ、家具などは灰になるまで燃えている。たくさんあった本も灰なり果てていた。
「まったく、命知らずなのもいい加減にしてくれ」
オレの身にもなれよ、と不満げに言う声の主は、自慢の毛並みの無事を確認している。
「待っていればよかったものを」
「そうはいかないさ」
月のような相貌がまっすぐアイルに向けられる。綺麗だなと思う。炎に照らされる金の瞳は、夕日に染まる稲穂畑を連想させた。
ついてきた相棒の姿に強ばっていた体がほぐれたのを感じたときだ。
「エミーリア」
そう言って、ヴィンの背後から駆けだしたルーナの姿を見て、アイルは目を見開いた。
「ヴィン! ルーナも連れてきたのか!」
「ああ? なわけないだろ。こいつが勝手についてきたんだ」
わざと大きくため息を吐くと、目元を手で押さえた。
いくら倒壊が進んでないからといって、安易に乗り込むのは浅はかすぎる。ただ、それは自分にもそのまま返ってくるので、言葉にはしなかったが。
「行こう」
アイルはルーナの後を追いかけた。




