21 いつも背後に
「少し休憩しよう」
そう言い出したのは、すでに半分読み終わった頃だ。
想像以上に血生臭い話の数々に、アイルよりルーナが参ってしまった。
フィンスターニスだと知られた者の末路は、あまりにも悲惨だった。火炙りはもちろん、斬首、串刺し、水攻め――挙げだしたらきりがない。そしてその一つ一つが、見世物のように行われたことも胸糞悪くなる。
だが、大衆を前に虐殺することでフィンスターニスという悪を許してはいけないことを投げかけているのだ。その成果もあってか、フィンスターニスは数を減らしたと、この書物には書かれている。だが、身を隠しているに過ぎない。悪は絶対に見逃すな、とことあるごとに書かれていれば、今度はアイル自身が肝を冷やす。
結局二人そろって本から目を放す時間が必要になった。
「ちょっと、外にいる」
そう言って出て行ったルーナを見送れば、一人っきりになった部屋で、重いため息を吐いた。
わかってはいたものの、まさかここまでの扱いを受けていたとは知らなかった。
タルナート家もそれは躍起になるわけだ、と考えを改めたとき、鋭い音と共に風が部屋を駆け抜けた。ルーナがきちんと扉を閉めてなかったようで、わずかに開いた隙間からヒュウヒュウと音が鳴る。扉を閉めようと立ち上がった瞬間、目に飛び込んできた言葉を見て、本から目が離せなくなった。
「なんだ、これ……」
さっき駆け抜けた風でページがめくれたのだろう。これから読むはずだったそこには、驚くべき言葉が綴られている。
「『力の強いフィンスターニスの血は、一滴ヴィンダーに呑ませるだけで、魔力を破壊できる。それで害のあるフィンスターニスを見つけ出した』だと?」
その方法だと、ヴィンダーを犠牲にしている。だがそれよりも、魔力を破壊されたヴィンダー……。もしかしたらそれは、自分も――。
目の前が真っ白になりかけたそのときだ。
「お気に召したかい?」
老婆、ガッドが気配もなく背後に立っていた。
気に召すもなにも……。
「信じられない」
そう言えば、老婆は皺枯れた声で笑った。
「いいだろう。この婆直々に説明してやる」
皺皺の手が、とあるページを指す。
「ヴィンダーにも時代時代に賢者が現れる。この方法は、今では失われたもの。あってはならない記憶なのじゃ。そして、そうしたのもヴィンダーじゃ。さて、小僧。何故だと思う?」
小僧呼ばわりはやめてほしいと思いつつ、アイルは答えた。
「仲間を犠牲にしているから」
「その通り」
お主、優しい奴じゃの、という言葉は無視した。優しさだけで空腹をしのげるのなら、皆優しくなるだろう。だが、あいにく僕は優しくなんかない。
「単純に考えればわかることだ」
「そう、単純に考えればわかる」
なんだ、褒めていたわけじゃないのか。
わかりにくいな、と思えばくわっと老婆が目を剥いた。
「この方法は、ヴィンダーという人種を簡単に滅ぼすのさ。一人の強力なフィンスターニスが現れたら、それこそ赤子の手をひねるように」
「……ノーマーによって滅ぼされるのを懸念したのか」
そう呟けば、老婆はケケケと笑った。
「そうとも限らんさ」
アイルは眉間に皺を寄せた。
ヴィンダーがヴィンダーの魔力を奪う? そんなまさか――。
「お主、魔力の正体は何だと思う?」
この老婆は何を言い出す?
魔力に正体も何もないだろうに。
「呆けたか?」
「寝言は寝て言え」
そう言われ、脛を杖で叩かれた。
この婆、馬鹿にしてはいけない。
涙目になりながらアイルは一つ学んだ。
「こちらとあちらでは、伝承が違うことは知っておるじゃろ?」
もちろん。アルビーネの屋敷にあった書庫で目にしている。
「同じようで違う、ということは儂らにも魔力はあってもよかったのではないか?」
何を言っているのか理解できない。
顔に出ていたのだろう、老婆は唸った。どう言葉にすればいいのか考えているらしい。
「つまりじゃ、我らもヴィンダーももともとは同じ人間。魔力のない生き物じゃった。それが一部の人間は魔力という力を持った。なら、儂らにも魔力の元のようなものがあるのではないのか?」
「婆、知らないのか?」
アイルは言う。
「魔力はイアというものが、与えた力だ。林檎が青に変わったような簡単な話じゃない」
「そうかの?」
ガッドは言う。
「それなら、どうしてヴィンダーによって魔力の量が異なる? どうして魔力の衰退時期が違う? どうして魔力はなくなる?」
与えられたものなら、髪や体力のように衰えるかい?
「ちょっ、近い」
興奮しているのか、老婆はくわっと目を見開いたままアイルに詰め寄ってきた。
「おお、すまん。すまん」
顔が離れ、ほっとする。だけど、老婆の言葉はアイルの胸をくすぶる。
「ここにいたのか」
考え込んだアイルを呼んだのは、美女の姿をしたヴィンだ。その後ろからルーナが顔を出す。
「そろそろ日も暮れる。戻るぞ」
そうだな、と立ち上がった。
「またいらっしゃい」
老婆がルーナに向かって言う。すると、こちらに顔を向けてきた。
「もちろん、お前さんもな」
◇
燃えるような赤い夕陽だ。
町中を赤く染めるそれは、少しずつ闇に呑まれていく。
「ここは埃っぽくて嫌だ」
わしゃわしゃと漆のような黒髪をかき乱しながらヴィンは言う。それもそうだろう。風が吹く度に砂煙がたつ場所もあるのだ。
毛に絡まって不愉快だと不満げに喚くヴィンを見て、アイルはニヤリと笑った。
「笑い事じゃあねえんだぞ」
今日も湯浴みじゃねえか、と苛立つヴィン。ヴィンは妖魔だというのに、猫同様、湯浴みが嫌いだ。だったら浴びなければいいのだが、乱れた毛並みはそれ以上に嫌だという。
今は人なのだから、そこまで気にする必要もないと思うのだが、アイルはあえて指摘しなかった。
風呂好きの女ということで、レリックの屋敷でも有名だ。
いい気味だ、とアイルは笑う。そういうアイルも外に出るときは女装させられている。
もともと中性的な顔立ちのため、女性陣からの評判はよいのだが、アイルは複雑だ。
「この前、男に腕を捕まれたぞ……」
ここでは普通のことなのか、と言えばランスは涙を浮かべるほど爆笑し、あろうことかレリックも口元を隠し必死に笑いを堪えているではないか。
「君はとても魅力があるから」
むすっと口を結べば、弁解しようとしたのかレリックが言う。だが、逆効果だった。
「レリック、それ普通に可愛いって言ってるようなもんだから」
ランスが言えば、ヴィンも口を挟んだ。
「なんだかんだ言って、ユリアンもツィラも見目麗しい類の人間だったからな」
「ヴィン!」
ぺろっと舌を出し口をつくんだ黒髪の美女だったが、ときすでに遅し。ランスとエミーリアが食いついてきた。
なんだかんだ言って、レリックに匿われて三週間が経とうとしているが、これといった事態も発生していない。このまま穏やかに時が流れればいい。だが、そうもいかなかった。




