20 フィンスターニス
◇
最近、「分断の境」を越え、マグレーティに行く者が多いと言う。
今日の議会でそんな話を聴いた御三家当主たちは、特に気にも留めなかった。それよりもディルク・ウィンディーズの杖とウィンディーズ家の使い魔の行方を探すことの方が、重要だった。
ウィンディーズ家がなくなった今、その遺産の仕分けを御三家で行っているのだが、どうもこの二つが見つからない。一般的に杖はその持ち主が亡くなったとき、共に埋葬するのだがディルクはそうしなかった。
一種のまじないがかかっていると噂されるその杖は、家を出世させたディルクのものということもあり、導く者にふさわしい杖だと認識されている。
ヴィンダーは他人の杖を使いこなすことはできない。けど、象徴として持つことで威厳と尊厳を集めることは可能だ。
そしてもう一つ。ウィンディーズ家に仕えていた妖魔、ヴィン。もとの世界では氷雪の支配者であり、フィンシュテットに災厄をもたらす妖魔だった。使い魔としての契約が切れた今、儀式を行い、自らの家の使い魔にしようとしている者は多くいるのだが、現れたという報告がない。
「……一体どこにあるのやら」
誰かがぽつりと呟いた。
◇
三日後、書斎で魔道書に目を通していたレリックは、扉を叩く音で顔を上げた。
「どうぞ」
そう返事をすれば、入ってきたのはアイルだった。どこか憑物が落ちたような顔だと思ったのは、良い返事をもらいたいがための己の欲によるものかもしれない。
部屋に入ったアイルは、ソファーに座ることなく、まっすぐレリックの元までやってきた。
「この前の返事を伝えに来た」
ユリアンがあまりにも子供っぽかったせいか、容姿はかなり似ているし血も繋がった息子だというのに、あまり似ていない。
この子となら、まだ可能性があるかもしれない――そう思ったのは事実だ。けど、それは強制できることではない。
どんな答えであれ、レリックはそれを快く受け入れるつもりだ。
「正直、まだわからないんだ」
もう少し、時間が欲しいということだろうか。
口を挟まず、黙っていればアイルはレリックに視線を向けた。その目を見たレリックは、懐かしさを覚えた。
「僕は、血を流し解決する方法に手を貸したくない。レリックはどうやってこの状況を変えるつもりなのか、僕はそこを知ってから決める」
なるほど、と腕を組んだ。
確かに彼は、ユリアンとツィラの子だ。
「いいだろう。っとその前に」
そう言って、にこっと笑うと扉を指差した。
「ルーナが君を待っているみたいだ。この話はあとでもいいだろう」
アイルが部屋を出ていくと、足音が遠ざかって行った。ルーナから大体の話は聞いている。
魔力のない今でも、ヴィンダー相手にひるまず立ち向かえることを、一言で強い者と表すには、どうも違う。
願わくば、その気高さをいつまでも持っていてほしいと思う。
◇
今日は、行きたいところがあると言われ、やってきたのはあの老女のいる家だった。
どうしてまた、こんなところに……。玄関前で足を止めたアイルに構わず、ルーナは扉をノックした。
「おや、また来たのかい?」
老女はルーナを見てそう言うと、その後ろにいたアイルに目をやった。
「今日は連れもいるんだね。立ち話もなんだ、入れ入れ」
ルーナに手招きされ、渋々それに従った。
「今日は何をお探しだい?」
老女がルーナに尋ねる。いつの間にこんなに親しくなったのだろう。
「導く者の本」
「お前さんは、本当にそれが好きだねえ。たまには、このオババが選ぼう」
そう言って持ってきたのは、年季の入った一冊の本だった。背表紙に書かれたタイトルはもちろん、中もきちんと読めるか怪しい。
顔に出ていたのか、老女がケケケっと笑った。
「ここの本の番人をしている儂をなめんじゃないよ」
舐めたくはないな、と思いつつ触ったら崩れそうな表紙を恐る恐る捲った。するとどうだろう。中ページは思いのほか普通だ。あまり老化もしていない。
「驚いただろう?」
老女に言われ、アイルは頷いた。ルーナも目を瞬かせている。
「こういう朽ち逝く本を救うのが、儂のやりがいさ」
どういう方法で復元しているのかまでは教えてくれなかったが、おそらくあの老女は原本を読みそれを新たに映しているんだと思った。
そうでなきゃ、皺だらけのあの手にインクがあんなに染み込むはずがない。
中ページに書かれたタイトルを読み、アイルは眉をひそめた。
「『暁を食らうもの』?」
ルーナは首を傾げる。
「暁は、食べれない」
そう言えば、老女は軽快に笑った。
「お前さんは、本当に素直だ」
そして、老女はアイルに視線を投げる。アイルはそれを無視した。
「暁は導く者。そしてそれを喰らい阻止するものをフィンスターニスと呼ぶ」
「ふぃんすたーにす?」
「まあ、呪われた者たちの話だ。血生臭いが、これは事実としてあったこと。それを若い者に知ってほしいのさ」
アイルはそっとため息を吐いた。
ここ最近よく耳にする言葉を、今度は目にすることになるとは……。フィンスターニスという言葉自体、口に出すのを躊躇するものだというのに。
何の因果か、僕はもてあそばれているような気さえする。
上を見上げれば、老女の笑い声が耳に入った。
「儂はまだやらねばならないことがあるのでな。地下にいるから何かあったら呼んでくれ」
キイッと甲高い音を立て、古びた木製の扉をくぐって老女は姿を消した。
さて、せっかくの機会だ。フィンシュテットにいても目にしなかった貴重な本を読もうと、紙に手をかけたそのとき、ルーナがアイルの服を引っ張った。
「何?」
せっかく集中力が高まってきたのに、こう邪魔されては敵わない。不機嫌なのを感じたのか、申し訳なさそうに眉を下げるルーナを見て、小さくため息を吐いた。
「僕が悪かった。怒らないから、どうしたのか言って」
ルーナはあまりしゃべりたがらない。物心ついた頃にはもう路上で生活をしていたという。だからか、自分が話す言葉に自信がないという。
ああ、とアイルはルーナが服を引っ張ってきたわけがわかった。
「読んでほしいのか?」
途端、真っ赤になるルーナを見てアイルは微笑んだ。
「別に恥ずかしがることじゃないだろう」
赤くなった顔を隠すように俯くルーナは、小さな声でぽつりと言った。
「今、勉強中」
「誰に?」
聞かなくても何となく察することはできる。
「エミーとランス、あとガッド」
「ガッドって……」
「さっきのお婆ちゃん」
ああだからさっきあんなに親し気に話していたのか、と妙に納得した。
「勉強中なら、多少は読めるだろう」
そう言えば、ルーナはふるふるっと頭を振った。長い黒髪が揺れ動く。
「まだ、全然――」
「言葉っていうのは、使って初めてものになる。別に自分で読めって言っているわけじゃない。僕が先に読むから、読めそうなところはルーナが読んでよ」
間違えたら教えるから、そう言えば渋々頷いた。
フィンシュテットとマグレーティ。二つに分かれているのに、使う言葉はだいたい同じ。なのに、住む者は違う。
「ひねくれた生物だよな、人間って」
「アイル?」
「ああ、ごめん」
独り言と笑ってごまかせば、白い紙に落とされたインクを読み上げた。




