19 見えてきたもの3
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老女に見送られ外に出た一同は、そのまま帰路についた。道草している場合ではないほど、丁重に扱わねばならない本なのだろうか。アイルは、その書物にどんな内容が書かれているのか、興味があった。だが、どんなに頼んでも見せてはくれないだろう。ランスは触らせてもくれない。
先程見た、おびただしい量の魔道書が脳裏をよぎる。魔道書なんか、魔力のないノーマーにとって、それこそ杖ほどいらないものだ――と思っていた。……ノーマーが、ヴィンダーの知らないことを知ろうとしている。それが、不気味だと思った。
レリックは、一体何をする気なんだ?
争いだけは避けたい。
ノーマーがヴィンダーに打ち勝つことなんて、想像すらできない。
――僕に、まだ魔力があれば。
アイルは、そっと自分の手のひらを見る。
そうすれば、この状況も少しは変わったかもしれない。
今まで鬱陶しいだけだった、ウィンディーズという権力が、これほどまで欲しいと望んだことは一度もなかった。
館に戻ったアイルは、ルーナと別れた直後にレリックに声をかけられた。どうやら待ち伏せをしていたらしい。レリックについて行くように書斎へと足を運んだ。
今の書斎は、前とは別の部屋ではあるにもかかわらず、前とあまり変わらない気がした。
「適当に座ってくれ」
そうレリックが言う前に、アイルは部屋の中央にあるソファーに座った。なんとなく、ゼアに呼び出された日のことを思い出す。ゼアの部屋の方が書類や書物に埋もれ汚かったのだが、纏う雰囲気が似ている。
「君とこうして顔を合わせるもの、久しぶりだね」
そんなアイルの気持ちを知ってか知らずか、レリックはティーカップを差し出してきた。
この匂いは、おそらくダージリンだろう。
あのときも、ゼアは同じものを出した。小人の人形が持ってきたのだ。
やめよう、過去のことだ。
アイルはあおるようにして、カップの中身を飲み干した。
「普段エミーリアに入れてもらっているから、もしかしたら味が濃いかもしれないけど。まあ、あまり気にしないでくれ」
何となく上機嫌なレリックを見て、漠然とした疑問を持つ。世間話をするためにわざわざ待ち伏せていたわけでもないだろう。
「君は、両親のことを覚えているかい?」
まるで、もういないことを知っているかのような口ぶりに、思わず眉間に皺が寄る。
まあ、アイルの素性など調べれば簡単にわかってしまうだろう。
覚えていない、と答えればレリックはそうか、と呟いた。
親の話はしたくもないし、訊きたくもない。窓の外にで飛ぶ鳥が目に入った。
「アイル、改めて自己紹介をするよ」
そういうとレリックは立ち上がった。
「私はレリック。レリック・タルナートだ」
途端、アイルは思わず持っていたカップを投げ出した。空になっていたカップは、高い音を立て転がった。
立ち上がり、目の前に座るレリックから数歩退いたアイルは、驚きのあまり目を見開いたまま何も言えなかった。
「――タルナート」
レリックの口から飛び出した氏に、思わず声が漏れた。タルナートは、フィンシュテットで言う御三家のような家で、こちらの統治を担う者の一人だ。もっとも、マグレーティは家重視社会ではなく、政治も他者からの推薦で選ばれた数人で行うというから、タルナート家が名家なのかは知らない。けど、アイルが唯一知るノーマーの姓でもある。
なぜなら――。
「君の父君と母君のことはよく知っている」
それはそうだろう。
タルナート家は、ウィンディーズ家が協定を手案した際、最初に同意を示した統治者だ。フィンシュテットがマグレーティとの協定を結べたのは、ディルクの粘り強さとまっすぐな心根だけでなく、こうして肯定的に考えてくれた者がいたから成立したことなのだ。
だが、結果からすればタルナート家のせいでマグレーティはさらに悪い状況に陥った。そして、タルナートの者からすれば、ウィンディーズ家に裏切られたと思うのが道理である。
「君は用心深いからな」
そう言ってレリックは引き出しの中から、タルナート家の紋が掘られた印鑑を見せた。
アイルは先程とは打って変わって、厳しい顔でレリックを睨む。その口から何が語られるのか、身構えた。
「アンタはすべてを知っていて僕を引き入れたのか?」
そう問えば、レリックは首を左右に振った。
「偶然だ。……君がウィンディーズを名乗るまではね」
「何が目的だ? まさか本当にヴィンダーに一矢報いてやろうとか思っているのか?」
「……私はそのつもりだけどね」
それなら、どうして僕を匿う?
「罪滅ぼしか?」
「それもある」
「それなら、僕を匿うこと自体、筋違いだ」
らしくない、と呼吸を整えレリックをまっすぐ見据えた。
「一つ、勘違いしないでほしい」
その目は、怒りや憎しみよりも憂いの色を宿していた。
「私はもちろん、タルナートは君たちウィンディーズの人間を恨んだことは一度もない。結果的には最悪の事態にはなっているが、もし君の御両親が健在だったらこんな事態には間違ってもなっていなかったことは、理解しているつもりだ」
ぎりっと奥歯が鳴る。口の中を噛んでしまったようで、鉄の味が広がった。
――そんなこと、僕だってよくわかっている。
そして同時に、自分がとても無力であることも。天才と呼ばれ、類稀なる者と謳われてもウィンディーズ家の当主として、何もできなかった。
「君はユリアン、お父さんにとてもよく似ている」
「似てれば、僕も皆に認められるようなことができるのか?」
ああ、反吐が出る。
所詮、この男も僕を通して先代の姿を見ているんだ。
……僕にはそんなことできないっていうのに。
「……僕は、先代じゃない。僕に期待するのは筋違いだ!」
祖父も先代も偉大な人物だったのは知っている。だからって僕も同じだと思われるのがわからない。
もう、魔力を失ったときからこんなことはないと思ってたのに。
また、何かが重く圧し掛かるような気がした。
強い風が吹いたのか、窓ガラスがガタガタと激しく音を立てた。
「そうか。君は知らないのか」
怒鳴るアイルに怯むことなく、レリックは穏やかな表情を浮かべ言う。
「何を知らない?」
アイルはレリックを睨んだ。
気に食わない、何もかも。
そんなアイルを見て、レリックはふと表情を和らげた。
「君のお母さん、ツィラは魔力のない人間だったんだ」
「は?」
思わず声を上げた。
「ユリアンは、ヴィンダーだよ。つまり、君はフィンスターニスなんだけど、今まで教えられていないようだね」
何だ、それ――。
レリックの言葉は、水面に広がる絵の具のようで。自分の話をしているのに、赤の他人のことのようにしか思えなかった。
「僕が、フィンスターニス……?」
思わず出た言葉さえ、滑稽以外の何もない。
『フィンスターニス』は所謂、混血者。ノーマーとヴィンダーの間に生まれた子の事だ。
忌子、呪われた子であるフィンスターニスは、差別されるだけでなく、時代によっては殺されたという記録もある。
アイルは、目の前が真っ白になった。
そんなこと、誰も教えてくれなかった。
一体どういうことなのか。
思わぬ事実に体中の力が抜け、すとん、と椅子の上に座りこんだ。
「本当に、申し訳ない」
いきなり頭を下げられ、アイルは目を瞬かせた。唐突に謝られても何について謝っているのかわからなければ、こちらも言える言葉はない。
レリックもそのことは、重々承知しているようだった。
「謝るならその理由を話すのが道理だろ」
先に謝罪しておけば、許されると思ったら大間違いだ。
冷たく言い放ったアイルの言葉に、レリックも納得したのか静かに頭を上げた。
「今、この状況を生み出してしまったのは君、いやウィンディーズ家だけの責任じゃない。……我々、正確にはタルナートにも非がある」
だが、レリックの言葉はアイルには届かない。そのことに気づいたのか、レリックは大きく息を吐くと静かに語り出した。
「まず最初に言っておくことがある」
そう言って、レリックは紅茶を飲んだ。
「私もフィンスターニスなんだ」
唖然とするアイルを前に、レリックは笑った。
「と言っても、僕の場合ヴィンダーの血は薄い。曾祖母がヴィンダーだったんだ」
最初から衝撃的すぎて、話がついて行けない。
「君も知っているように、混血者、つまりフィンスターニスはこの世界を破滅に導く者として忌み嫌われる。それは、こちらでもあちらでも変わらない」
この一点だけ同じなんて、変な話だとレリックは言う。
確かにその通りだ。もともと同じ生物なのに、どうして忌子となるのか理解できない。
導く者は暁と共にくる。だが、混血者はその光を侵食するといわれている。
「君の祖父と私の父が協定を結んだ裏の理由、それは、タルナート家がフィンスターニスだからだ。……このマグレーティでもフィンスターニスだと他の者に知られれば、火炙りにされかねない。それを隠して生きることに終止符を打つことが父の生きる目的だった」
だが、レリックの父は志半ばで病にかかり亡くなってしまう。ヴィンダーでも、症状を軽くすることはできても、怪我や病を治す魔法は知らない。
「君の祖父も年だったからね、自分の息子が後を継ぐっていうんで、紹介されたんだ。それが、私と君の父、ユリアンとの出会いだったよ」
そう語るレリックは、くすくすと小さく笑った。
「ユリアンは私より三つ年上なんだが、なんというかとても面白い奴で――おっと失礼。でも、彼とはすぐに打ち解けた」
おっちょこちょいで間抜けで、本当にこんな奴で大丈夫なのかと本気で心配したけどね、と言うレリックは、ヴィンダーというより友人のことを語っているようだった。
「彼はタルナート家の秘密を知っていて、それでも他の者と同じように接してくれた。ヴィンダーもノーマーも同じだって。だから、彼も彼の秘密を教えてくれた。それが、婚約者がこちらの人間であるという話だったんだ」
レリックは、視線を落とした。薄暗くなった部屋の中、闇が呑みこもうとしているように見えた。
「彼らはね、生まれてくる子供に自由を与えたいと言ったんだ。家柄はもちろん、その血に縛られることのない世界を築きたいって。そのためなら、命をかけてもいいと言っていた。だけど……」
二人は死んだ。それこそ命をかけた結果だ。
中途半端に終わった、そんな世界に取り残された僕は、半分自由で半分囚われたままフィンシュテットで生きた。
「君は両親にとても愛されていた。それだけは知っておいてほしい」
苦虫を噛み潰したようなレリックの表情を見てアイルは不思議に思う。どうしてレリックがそんな表情をするのか、と。
その日はそれで部屋を出た。
このままレリックの元にいるべきか否か考える時間が欲しかった。
フィンスターニスは、謎が多い。もしかしたら、フィンスターニスだったせいで、幼少期魔法が使えなかったり、今、唐突に魔力を失ったのかもしれない。そう思ったが、アイルにはどうしてもツィラを恨むことができなかった。
「もう一度、君に聞きたい」
空気が肌を刺すとは、こういうことか。
今では紅茶の薫りも匂わない。
「我々に協力してくれないか? もちろん、ユリアンではなくアイル、私は君にお願いしている」




