18 見えてきたもの2
◇
――君は、復讐をしたいと思わないか。
あのときレリックは、隠すことなく単刀直入にアイルを助けた理由を語った。
「我々に協力してほしい」
「どのように?」
僕はもうヴィンダーじゃない。
ただ、今の僕が役立つことができるとすれば――。
「……剣術か」
それで暗殺でもさせる気かと思ったが、レリックは首を左右に振った。
「そんな物騒なもの、君に持たせないよ。もし、私がそのつもりなら間違いなくエミーリアの拳が飛んでくるだろうしね」
そう言った途端、ニコニコ笑うレリックの隣にいたエミーリアは、微笑を浮かべたまま小さく頷いた。
目が笑っていないことから、レリックが冗談を言ったわけでもなさそうだ。
いまいち、ここの人間の力関係がわからない。
「我々に、あちら側の……フィンシュテットの内情を教えてほしいんだ」
背後から視線が刺さる。女に化けたヴィンが忠告しているのだ。
へたにしゃべるな、と。
わざわざそんなことしなくても、僕はまだそこまで落ちぶれちゃいない。
「あちらにいたとき、僕は一介のヴィンダーでそんなに大したことは話せない」
「いや、そんなことはないはずだ」
確信を持って話すレリックを見て、アイルもまた確信を持った。
この人は、フィンシュテットのことをそれなりに知っている、と。
「君は、アイルとだけ名乗り、氏は言わなかったが、私は尋ねたらすんなり答えてくれた。……ウィンディーズ。それはフィンシュテットの中でも中心にいる一族だ」
アイルは黙ったまま、ずっと笑みを浮かべる男を見た。ここに来るまでにランスが語った、クジャクの羽を持つ鷹という例えはあながち間違いではない。
「話を戻そう」
レリックは眼鏡をかけ直すと、もう一度アイルを見た。
「アイル。君は我々に協力してくれるかい?」
アイルは爽やかに笑うレリックの笑顔をただ見つめていた。
◇
「結局、どうするつもりなんだ?」
ヴィンにも部屋が与えられているというのに、黒猫の姿に戻ると甘えるように、膝の上にのった。
いつものヴィンなら、こんな真似はしない。
「……ここ最近、変だ」
「は? 何が?」
どうせ問うても答えてくれないのだ。それなら聞かない方がいい。
「それよりアイル、お前あいつの言いなりになるのか」
「さあ、どうだろう」
断る理由もないし、待遇はいいし、何より匿ってもらっている。これも、レリックたちのおかげなのだ。だったら、それに見合うことをするのが道理だろう。
それに、とアイルは思う。
この現状を御三家当主たちに知らせ、対策を練ってもらわなければならないだろう。
マグレーティ内でのヴィンダーがノーマーに対する態度は、あまりにもひどすぎる。
ただ――どうしてノーマーがヴィンダーの内情を詳しく知りたいのか、それを察せないほどアイルも愚かではない。
近いうち、人の歴史は禍根と犠牲を残すかもしれない。
血を地で拭う状況には、絶対させてはいけない。だがそう思うのは、生まれたときから植えつけられたウィンディーズ家の呪いか、はたまた自分の意思か――。
だけど、とアイルは思う。
もしかしたら、自分自身の存在がこの世界を裂く、元凶になるかもしれない、と。
◇
闘技場から逃走して、すでに数週間が経った。
ほとぼりも収まりつつあるが、完全に消えることはなかった。今でもアイルを血眼になって探すヴィンダーは多いという。
それなのに、アイルは屋敷の外にいた。
――オレと街に行かないか?
そうランスに誘われたアイルは、ヴィンとルーナと共にレリックの屋敷がある丘を下り、多くの人々で賑わうこの場所までやってきた。
口元を布で覆い、フードを深くかぶればすぐに気づかれることはないだろう。
それなのに、とアイルは視界に入った自分の髪を見て思わずため息を吐いた。
もしものために、とアイルはヴィンによって髪を伸ばされ、格好も男ではなく女の格好をしていた。
……なんで僕がこんな恰好をしなきゃいけないだ。
半分面白半分でやっただマントィンを一瞥すれば、目が笑っている。
あとで覚悟しておけよとアイルは心に誓い、じっくりと街中を観察して歩いた。
乾燥し、埃っぽい。それが最初に抱いた印象だ。道行く人々は、薄い生地の服に身を包み、暑さと日差し、そして乾燥から身を守っている。
家も一般的な住宅は、窓にガラスはなく木で骨組みを作りその上から土を塗った造りが多い。
正反対だ、とアイルは思った。
ヴィンダーは基本的に重ね着をし、家も石を使っているせいかしっかりしたものが多い。
土地柄というのも大きいのだろう。ここは、雨が少なく乾燥している。火事が起きればそれを納めるのも困難だ。
魔法があれば、火を消すことなんざ子供でもできるのに。
それが、ヴィンダーとノーマーの違い。
同じ人間。……だけど違う。
ノーマーの生活は、時間も手間もかかる。だけど、何故か今というこの瞬間も逃さないとばかりにすべてを輝かせているように見えた。
それは、この日このときが彼らにとってすべてなのだろう。今この瞬間を精一杯生きる彼らが、アイルの目には眩しく映った。
「今日はお使いだけだ」
そう言ってランスが向かったのは、大通りから外れた道沿いにある、店というより民家のような場所だった。コンコンと扉に付けられた金具を使い叩く。四人はその場に立ち、扉が開くのを待った。
留守なんじゃないかと思い始めたそのときだ。扉が鈍い音を立てながらゆっくり開いた。
「いらっしゃい」
中から現れたのは、目深くフードを被り腰がひどく曲がった老女だった。
「今日は随分賑やかじゃね」
ケケケと笑う老女は、痩せこけ今にも死にそうな鶏を連想させた。
「まあな。で、今日は新しいものが手に入ったって聞いたんだけど」
「そうそう急かさなくても、逃げやしないよ」
皺の刻まれた手が、石造りの扉を押す。
重そうに見えたそれは、簡単に隙間を作る。
「さあ、入った入った」
老女に急かされるように、ひんやりと空気の冷たい室内に入った。窓のない地下にある部屋のようで、ランプの明かりを失くした室内は不安になるほど真っ暗だった。
さっきまで手の届く範囲にみないたのだ。一人だけ取り残された気にさせられる。
「アイル」
名を呼ばれ振り返れば、満月が二つ、アイルの目に飛び込んできた。だが、ここは外でもなければまだ夜でもない。
満月だと思ったそれは、ヴィンの瞳だった。
まさか、本当に光るとは――。
アイルは、ヴィンの前でわざと大きなため息を吐いてやった。
「お前、目、光っているぞ?」
「まさか」
「本当」
どうやら今まで知らなかったらしい。
「やっぱ、完璧に化けることはできないか」
変身魔法は、どうあがいても変身でしかなく本物になりきることはできない。特に使い魔は。
「さあさあ、皆さん。どうぞこちらへ」
老女がランプを持ち、先頭を行く。急斜面の階段を一同はゆっくり下った。
螺旋に続く階段を下った先には、上から下まで本の壁が出来上がっていた。
「……すごい」
まるで本でできた鍾乳洞だとアイルは思った。
「気を付けな」
老婆は言う。
「崩れたら本に殺される」
そう言って、ヒヒッと引き攣った笑いをもらした。
ランスは、本を求めに来たのだろうか。
本のタイトルを読みたくても、灯りがないに等しいこの状況では、どんな本があるのかさえわからない。
「ほらよ」
そんなアイルの様子に気づいたのか。ヴィンは、髪を耳にかけたあとパチンと指を鳴らした。すると、人差し指の先に小さい光玉が現れた。
「見たいんだろ?」
にやりと笑うヴィンに、アイルはふんっと鼻を鳴らした。
光玉は、水滴ほどの大きさで形も水のようにゆらゆらうごめいた。少量の魔力を練ることで作ることができる光玉は、魔法を使う者にとって基礎中の基礎魔法である。光玉を変化させることで鉛玉のように強固な魔力弾を作り出すこともできれば、無数の棘が四方八方に伸びる攻撃魔法にすることもできる。
また光玉は、それを操る者によって蝋燭ほどの弱い光から太陽のように眩い光を作ることもできる。
「……これは」
思わず声を上げれば、ヴィンも面白そうに目を細めた。
「まさか、ここにあるすべてが魔法に関する書物だって言うのか」
学園の書物庫よりも多いんじゃ……。
その数に驚いたのももちろんだが、何より魔法とは無縁のノーマーの街の地下でこんな光景を見ることに胸騒ぎを覚えた。
「ほら、これじゃよ」
老婆は一冊の本をランスに手渡した。
「いつも悪いな」
そう言ってランスは、老婆に何か渡した。こちら側の通貨だろう。
「いいさ、いいさ」
老婆は、ケケケっと笑うと皺で覆われていた目をキッと見開いた。
「アルバ様のためなら、このおばば、身を粉にしても協力するぞ」
「それは、こちらとしても助かる」
アルバ――。アルビーネの屋敷にあった書物室で、ルーナと見た書物を思い出す。
「どうした? 浮かない顔して」
一人思いを巡らせていれば、ランスがそれに気付いた。さっきの老女の言葉について話せば、ランスは大きな声で笑った。
「そうか、お前は知らないのか」
実に愉快そうなのが、癪に障る。
「古い言い伝え、まあ歴史と予言みたいなものがあるだろ?」
それは知っているよな? と聞かれたのでアイルは頷いた。
「伝承ってのは抽象的だ。けど、そこには何かしらの意味が採れる」
ランスは頭をかきながら言う。
「後半に導く者の一文があるだろう? オレ達はヴィンダーが支配する世界からオレたちを救う者だと信じている。それで、レリックは一部の者からはアルバと呼ばれているんだ」
渾名みたいなものと思ってくれ、と言って笑うランスだったが、正直何が何だが一つもわからなかった。
レリックが、アルバ――?
ランスたちがレリックを筆頭に何かしでかそうとしていたのはわかる。
けど……。
ノーマーがヴィンダーを負かすことなんか、できるのか?
それこそ夢のまた夢のような話だとアイルは思った。




