17 見えてきたもの
◇
行く手の安全を確保したヴィンとランスは、アイルとルーナのもとに戻ってきた。
「特に問題はなさそうだ。このまま一気に駆け抜ける」
ぐずぐずしてたら、すぐに見つかるだろう。
一同は、息を上げながら暗い道を駆ける。
ルーナの顔色が薄暗い中でもわかるほど悪くなった頃、ほっとしたのかランスは目じりに皺を寄せ言った。
「到着だ」
木製の扉の隙間から差し込む光に、目を細めた。扉をくぐった先はどこかの屋敷のようだ。次第に光になれた目が映しだしたのは、栗毛をまとめ上げた、上品な女と微笑を浮かべた男だった。
「ようこそ、屋敷へ。ささやかながら歓迎しよう」
そう言って差し出された手を、アイルは無視した。
◇
男はレリック、女はエミーリアと名乗った。
どうやらアイルがヴィンダーであったことも知っているらしい。それを踏まえて、匿うというのだから、何か裏があるのは明白だった。
それでも、疲労したアイルを休ませる場所があるだけまだよいと思おう。ヴィンの目には、今のアイルが魔法を使えるまで無茶をしたあの頃と重なって見えた。
「お前も、本当馬鹿だよな」
ユリアンもよく無茶をしていたから、仕方ないといえば仕方ないのだが。
まあ、アイルがまわりを巻き込むのはいつものことだ。だが、本人がここまで弱り切っているのは珍しい。
「ヴィン」
与えられた部屋のベッドに腰掛けたアイルは、背を向けたヴィンを呼びとめた。
やっぱ、言わなきゃ駄目か。
視線を落とす、美女の様子にアイルも察しているのだろう。翡翠の瞳は、水面のように静かにまっすぐヴィンを映す。
「で。フィンシュテットにいるはずのお前が、なんでここにいる?」
近くにあった椅子をアイルの前まで引きずると、ヴィンはそこに座った。痩せこけたアイルの顔をまっすぐ見ながら、ヴィンは答えた。
「カローラが死んだ」
そう言えば、アイルは一瞬目を見開いたが、本当に一瞬だけだった。泣くかと思ったが、ただ無表情で言葉の続きを待っている。
小さく息を吐いて、詳細を語った。
「病死だ。カローラは死に際だっていうのに、アイル、アイルってお前の心配ばかりしていたぜ」
「そうか」
吐き出すかのように呟かれたその一言に、すべてが含まれているようだった。
「お前に、カローラから預かっている物がある」
そう言って、ヴィンは懐から細長い包みを取り出した。無言でそれを受け取ったアイルは、包みを開きそこから現れた物を見て、目を丸くした。
カローラがアイルに遺したのは、あの日「分断の境」をくぐる前に没収された、ディルクの杖だった。
「はっ」
アイルは鼻で笑った。
「おばあ様、こんなものを僕に遺して、一体何がしたいんだ?」
そう言って、アイルは小さく笑った。だが、それも次第に大きくなり、最後は嗚咽へと変わった。
ぽたぽたと落ちる雫を、猫の姿に戻ってなめとれば、さらに降ってきた。ちょっと見ないうちに、背丈や顔立ちがユリアンに似てきた――そう思ったが、それでもアイルはまだ子供だ。
オレは、これからどうすればいい?
漆黒の毛に降る、しょっぱい雫を受けながらヴィンは無意識にユリアンに答えを求めていた。
カローラが亡くなったことにより、ウィンディーズ家もまた、その短い歴史に幕を閉ざした。
権力を持った一族としては、今までにないくらい短命な家系だった。
◇
「ランス、もう一度『材料』を集めてはくれないか?」
「それは構わないけど。でも、『小瓶』はどうするんだ?」
レリックの書斎にいるランスとエミーリアは、レリックの重々しい表情から、思わず身構えた。
こんなに深刻な顔をしているレリックを見たのは、随分久しぶりだった。
「『小瓶』は私が用意する。エミーリアは引き続き町の様子と情報収集を頼む」
「わかったわ」
何か、動き出す――そんな予感をランスとエミーリアは覚えた。
窓の外を見つめ、レリックは小さく息を吐いた。
黒煙が上がっている。また、憎しみと悲痛の涙が生まれる。
いつになったら、夜明けは来るのだろうか。
それは誰にもわからない。
ただ、一つだけわかっているのは、このまま指をくわえているだけでは、暁を迎えることはできないと言う事だけだ。
◇
――君は、復讐をしたいと思わないか。
椅子に座ったアイルは、沈みゆく太陽をじっと見つめていた。
呪いの言葉のように、頭の中で何度も繰り返される一言。
……馬鹿馬鹿しい。
「どうした? 苛立って」
猫の姿に戻ったヴィンは、アイルの膝に飛び乗るとその上で丸くなった。
「主の膝の上に座る使い魔なんて、お前くらいだろうな」
「正確には、今のお前は主でも何でもねえけどな」
確かにその通りである。アイルは今、ヴィンダーではないのだから。
「ヴィン」
アイルは使い魔、いや家族同然の黒猫の名を呼んだ。ヴィンは、その月のように静かな両目にアイルを映す。
「お前、どうしてまだここに居る?」
そう言えば、黒猫は鼻で笑った。その馬鹿にした態度が、気に食わない。髭を一本引っ張ってやれば、小さく飛び上がった。
相変わらず、面白い動きをする。
「もう、契約は切れているはずだろ? 強制的に、元の世界に戻るんじゃないのか」
そう言えば、黒猫はふんっと鼻を鳴らした。
「オレをそんじょそこらにいる雑魚と一緒にするな」
「なんだ、一緒じゃないのか?」
「……ったく、これだから若造は。いい機会だ!オレのしてきた伝説の数々、語って――」
「遠慮しとく。時間の無駄だ」
「おい!」
そう言って、アイルとヴィンは声を上げて笑った。あの頃に戻ったみたいで涙が滲んだ。
「なあ、アイル」
ひときしり笑ったあと、黒猫は真剣な面持ちでアイルを見据えた。
「……お前の方こそ忘れてねえか?」
力なく垂れていた尾が、ゆっくりと左右に動く。
「お前としたのは簡易契約。普通なら主となるヴィンダーの要件をオレらが呑むことで成立する契約だが、簡易契約だとそうじゃない。妖魔側も条件を呑むし、ヴィンダーだってオレらの出す条件を呑む」
まだお前、うまく魔法が使えなかったからなと、ヴィンは言う。
「オレは『契約の維持が困難だとみなしたとき、己の意思で行動する。命令には縛られない』と言った。……もちろん覚えているよな?」
意地悪そうなヴィンの声がアイルの耳に届いた。
◇
アイルが両足で立ち上がる前。いや、生まれる前からヴィンはアイルを見てきた。ヴィンはアイルの父、ユリアンと使い魔の契約をする際に言ったことをふと思い出した。
――オレはオレの認めた奴の命令しか聞かない。力のない奴はすぐに牙と爪の餌食としてやる。
今のような黒猫の姿ではない。見る者が怯み震え、恐怖する姿で牙をむき出しにし殺気の籠った目を向けてそう言った。けれども、ユリアンは笑った。アイルと同じ白髪に近い金色の髪が、漆黒の中、自ら輝いているように見えた。
そしてこう言ったのだ。
――君の言うことはとっても合理的だ、と。
アイルのことを認めているのかと問われれば、返答に困る。確かに魔力の量では、アイルの方がずっと多い。が、まだユリアンには遠く及ばない。
けど、アイルは今まで一度としてヴィンに「命令」をしたことはなかった。いつも「お願い」だ。
主と使い魔という関係ではない。それは、アイルも同じだ。使い魔はヴィンダーにとって、攻撃魔法の一種。道具として扱うのが当たり前なのだが、これまでの特殊な経緯からか、アイルもヴィンを使い魔として見ていない。
ふっとヴィンは口角を上げた。
目の離せないガキの行末を見たいのは、まあなんだ。仕方ねえことだろう。
――なあ、ユリアン。
黒猫は主の膝の上から飛び降りた。
これから先、どんなことが起こるのかはたとえヴィンダーであっても完全に予測することはできない。
この世界には、己の意思を持ち自由に行動できる生物が多くいるからだ。
だからこそ、思い通りにいかなくて……面白い。
◇
レリックは夜の街を窓辺から見下ろしながら、アイルという少年のことを考えていた。
まだ、大人とは言えない幼さの残る顔だが、目だけは強い意志を宿している。
ただ年を重ねただけの大人とは明らかに違うその目は、彼を子供ではなく大人に見せているのかもしれない。
髪色は白髪に近い金色。中性的な顔立ち。翡翠色の目。
はあ、と短く息を吐く。
瞳の色は違うが、癖っ毛なところと髪色には心当たりがあった。彼の姓を聞いたとき、まさかとは思ったが……。
「運命というものがあるとすれば、こういうことを言うんだろうなあ」
なあ、ユリアン。
吹いた風で窓ガラスが音を立てた。




