16 天才②-2
アイルはヴィンダーだ。それも、ただのヴィンダーではない。御三家に並ぶほどの名家、ウィンディーズ家のヴィンダーなのだ。
だが、その後もアイルには魔法が使える気配が全くなかった。
五歳になった頃だろうか、アイルから笑顔が日に日に消えていった。前は、良く笑う子だったから、カローラもディルクも大変心を痛めた。
だが、こればかりは周りが手を出すことはできない。魔法が使えるように魔法をかけることは、どんなに天才と謳われるヴィンダーでも不可能なことだからだ。だが、逆は可能だ。ヴィンダーから魔力を奪うことは、失われた魔法ではあるが存在したらしい。
「どうして僕は、まほうをつかえないの?」
ユリアンがアイルに残した秘密の扉の先、一面に広がる緑の中、アイルは自分の手を太陽にかざしながら問う。
もう、五歳となればそれなりに魔法の制御もできるころだ。そろそろ自分の魔力に見合った杖も与えられる。十歳になったら、魔力の測定をし、マントがつくられるのだが、アイルからしてみれば、夢のような話だった。
「……飛び方を忘れた鳥はいねえよ」
「ぼくが、そのさいしょかも」
淡々とつむがれる言葉に感情は載っていない。
だが、その小さな体が張り裂けそうなほどの感情がアイルを苦しめているのだということは、手に取りようにわかった。
――どうすればいいんだよ。
ヴィンは、今は亡きユリアンに問う。せいぜいできることといえば、猫のふりをすることだけだった。
その後、ディルクが亡くなり、ウィンディーズ家の栄光は潰えたかのようにささやかれ始めた。
まだ、アイルが魔法を使えないことを公にはしていない。だが、口を閉ざせば噂は立つもので、世間ではすでに魔法の才能がないという、事実よりもまだマシなことがささやかれていた。
九歳になる少し前だったか。アイルが部屋に閉じこもったのは。
毎日部屋の前で声を上げるオレに、カローラは何も言わず首を左右に振った。放っておけというのか。そんなことできないから、こうして部屋の前にいるのだ。
ユリアンに頼まれたのだ。こんなところで潰してたまるか。
だが、アイルは姿を見せないばかりか、食事さえとらなくなった。痺れを切らして強行突破しようかと考えれば、カローラがそれを止める。そんな日々が続いた。
その日もアイルの閉じこもる扉の前で、尻尾で床を叩きながら、出てくるのを待っていた。
魔法が使えないヴィンダー、か。
たんたんと小刻みに床を叩きながら、ヴィンは思う。
今、ヴィンの主はウィンディーズという家であって一個人ではない。ユリアンは、アイルと再契約を望んでいたのだろうか。今となっては聞きたいことが多すぎる。まあ、もしそうだとしても、魔法が使えない者と契約なんざ、できはしないが。
そんなときだった。それまで開かずの扉だったアイルの部屋のドアが、ほんの数センチ空いたのは。
前足を使い、体が入るくらいの隙間を作り中に入れば、倒れているアイルの姿が目飛び込んできた。
「おい!」
前足で頬を叩く。
倒れていたことに驚いたヴィンだったが、近づいてさらに驚いた。
金糸のような髪は背中まで伸び、土で汚れ虫が絡まっているし、手足だけでなく顔も傷だらけ。服も襤褸切れのようで、骨が浮き出るほど痩せていた。
何があったんだ、と目を見開くヴィンはふと冷たい風を感じた。顔を上げれば草原へとつながる扉がわずかに開いていた。そこから流れ出す身も凍るような冷たい風。
もしかして、コイツ――。
ヴィンは、前足で叩くのを止めた。背筋の毛が逆立つ。体中の血が暴れ出したのかと思うくらいの胸の高鳴りは、数十年ぶりのことだった。
……面白い。
黒髪の女へと変化したヴィンは、アイルを抱えると約一年ぶりに部屋から連れ出した。
のちに聞いた話で、アイルはとある書物から身の危険を感じたとき魔法を発動したという一文から、ヴィンダーですら滅多に行かない辺境の地で過ごしていたのだという。
もしそれが嘘の記述だったらどうするのか、とはあえて聞かなかった。結果として、アイルはまだ赤子程度ではあるが魔法を使えるようになった。
同時に、武術の腕も上げることになったのだが。
そこから先のアイルの成長はめまぐるしかった。書物を読み漁り、実践を繰り返しては魔法に磨きをかける日々を送り続けた。
たまに、窓の外からアイルと同い年くらいの少年たちが楽しそうに駆けていくのを目にすると、仲間もつくらずただひたすらに魔法にかじりつくアイルを見て不安を感じた。
「なあ、アイル」
窓から飛び降り、床に着地したヴィンは言う。
「オレと手合せしないか?」
「……魔法で?」
何かに憑りつかれたような、生気のない目を受け止めつつ、ヴィンは首を左右に振った。
「剣で」
一度、本気のコイツと戦ってみたい。そんな思いがヴィンにはあった。だが――。
「いい」
アイルはそれだけ言って再びぶ厚い魔法専門書に目を落とした。
「どうして?」
たまには、魔法から解放されて別の事をしたっていいじゃないか。
「もう、僕は剣を持たない」
だが、アイルは淡々と言葉を返してきた。
「僕にはもう、剣はいらない」
ああ、とヴィンは思う。
もう、花の首を可憐に狩り、血のような赤いバラが降ることは二度とないのだと。
――笑顔が似合うあの幼子は死んだのだと悟った。
十歳になり、魔法学園で魔力の量を測定する日がやってきた。各々付添人を従えやってくる少年少女の顔は、緊張からかとても固い。
簡易契約ではあったが、正式にアイルの使い魔となったヴィンは、黒猫の姿のまま、式場にやってきた。
本来ならカローラが付き添うはずだったのだが、体調を崩してしまったのだから仕方がない。
人型になることも考えたが、カローラに止められた。確かに、変に目立ってしまうだろう。
この魔力の測定は、正式に一族のヴィンダーとして認められるための儀式も兼ねられている。
ゆえに、この式典は認定式と呼ばれ、家柄は関係なく十歳になる子供が一同に集まる。
上流家系から下流家系まで集まれば、いやでも注目されるのは上流系で、その中でも御三家と並ぶウィンディーズ家ともなると、視線の的になるのは当然の成り行きだった。
だが、視線だけならまだしも、こそこそとささやき声も聞こえれば、コバエが飛んでいるようにうっとうしい。
カローラがいないせいか、使い魔のみを連れているアイルはその的になった。
どうして使い魔だけなのか、魔法を苦手としているらしい、ウィンディーズ家もここまでだ……。
ささやかれるその声は、わざとアイルの耳に入るよう言っているとしか思えなかった。
「アイル」
肩に飛び乗って耳元で囁く。普通、使い魔は人前でしゃべらない。まあ、人語を操る魔物の方が圧倒的に少ないが。
「大人しくしてろ」
何を言おうとしているのかわかったのだろう。アイルは、何食わぬ顔でただ前だけ見つめる。
ここにいる誰よりも子供らしくない。その横顔を見ながら、ヴィンはそう思った。
大理石で作られた大聖堂は、職人の技術がふんだんに取り込まれた派手な聖堂だ。天窓にはステンドグラスが使われ、太陽の光を取り込みながら、七色の光が差し込む。窓枠の彫刻一つ一つが精巧につくられ、大聖堂は一種の芸術品そのものである。檀上側の壁には、このフィンシュテットを表す紋章の入った、厚い天幕が飾られている。
本来なら祭壇には何かしら物が置かれているはずなのだが、今は何もなかった。
広い舞台に七色の光が一点に注ぐ。
名を呼ばれた者はその舞台に上がり、魔力を測定される。ただそれだけ。簡単な儀式。だが、測定される者たちからしてみれば、今後の人生における分岐点だ。
――魔力の少ない者は、力のない者とみなされる。
強さは大きさに非ず――伝承に謳われているこの一文は、人を虐げてきた他の生物や環境を表し、強さとは力、つまり魔力だというのがヴィンダーの解釈だった。
そのせいか、ヴィンダーにとって魔力の量は、目で見えるその者の力でもあった。
そうこうしているうちに、認定式は始まった。名を呼ばれた者が壇上に上がる。一斉に集まる視線と重々しい静寂の中、泣くのを必死に耐えているのか、壇上に上がった子供の多くは、口をへの字に曲げる。
どのくらい時間が経たのか、どこからともなく黒いマントが姿を現すと、壇上に立つ子供の肩に乗った。そしてマントを羽織った子供は、くるりと背を向けた。そこには、一族の紋章とその子の魔力量を示す刺繍。壇上に注がれる光のせいか、それは神秘的に見えた。
魔力量の多いことを示す動物紋の刺繍が現れると、歓声が上がった。そうすると、まだ自分の魔力量を知らない子供の顔に、満面の笑みが広がった。
この場の雰囲気に呑まれた子は、早く自分の名を呼ばれないかと次第に落ち着きがなくなる。そこを付添人がなだめるのだが、アイルはただ一点を見つめるだけで、焦りも緊張も微塵も見せなかった。
こちらとしては、大助かりなのだが、どうせなら手のかかる方が躾甲斐がある。ふっと小さく息を吐くとその足元で丸くなった。
結局、アイルの名が呼ばれたのは最後だった。
さて、どうなることだか。
片目で壇上に上がるアイルを見守りながらヴィンは思う。カローラはどんな結果になろうが気にしないだろう。オレも、正直どうでもいい。だが、まわりはそうもいかない。
一生罵られる可能性だってある。後ろ指を指され、笑われることも。名家に憧れを持つ者は多いが、そこに生まれた者は辛い。
静寂が訪れた。
耳鳴りがする。
だが、どれだけ待っても、一向に現れる気配がない。
噂によれば、マントが現れるまでの時間が人によって違うのは、魔力の測定に関係しているという。
次第に囁き声が波紋のように広がり始めた。
静寂が裂かれたあとでも、アイルは焦ることなく、まっすぐ前を向きひたすらに待つ。
その姿が一瞬ユリアンに被って見えた。おそらく光のせいだろう。もう一度見たとき、そこにはくりっとした目の子供が立っていたのだから。落胆なのか安心なのか、鋭く息を吐いたそのときだった。唐突に現れたマントによって、再び静寂が生まれた。蝶が羽を休めるため停まったかのように、マントが肩に乗る。そして、風を切る翼のようにマントを舞い上げながら皆に背を向けたときだ。
先程とは比べ物にならないほど、恐ろしいほどの静寂がこの場を支配した。
が、そう長くも続かなかった。
止まっていた時が動き出したのかと思うくらいの驚きと歓声が聖堂内に響いた。
まるでそれは、何かを知らせる鐘のようだとヴィンは思った。
舞台上で動じることなく立つアイルの背にあるマント。そこには、ウィンディーズ家の紋である風。そしてアイル自身の魔力量を示す、紋。
――それは、ここ数百年ぶりに現れた幻獣の紋だった。
それからだ。アイルを見るまわりの目が変わり、天才ヴィンダーと呼ばれるようになったのは。
だが、ヴィンは言う。
アイルは、天才などではないと。




