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アイル  作者: はるの そらと
2章
15/42

14 闘技場3


 黒髪の美女が人探しをしている――そんな話をレリックが耳にしたのは、アイルが赤狼を倒した日から数日たった頃だった。

「どれほどの美女か、一度会ってみたいわ」

 そう言って、エミーリアは最近仲間に加わった少女の出す紅茶を飲みながら言う。

 言葉とは裏腹に、その目は爛々と輝いていた。

「翡翠色の目をした少年、か」

 人探しなんか、この地域では日常茶飯事に見られる光景だ。別に珍しいものではない。が、レリックは頬杖をつくと考えるようにどこか遠くを見つめた。

 街中を駆け巡る元ヴィンダーの存在、今闘技場を賑わす、少年。――たしか、二人ともこの地域では珍しい翡翠色の瞳をしているという。そこに新たに加わった、翡翠色の目をした少年を探す女。これらは一体、何を暗示している?

 そのときだ。いつものように、豪快に扉を開け、ランスが部屋に入ってきた。

 エミーリアが眉間に皺を寄せ、何か言おうと口を開きかけたが、それを制して言う。

「ランス、いきなりで申し訳ないのだが」

 きょとんと年相応な表情を浮かべ、ランスの首が傾く。

「最近、闘技場に現れた少年の名前を知っているかい?」

「本当、いきなりどうしたんです?」

「質問を質問で返さない」

 ぴしゃりとエミーリアに注意されたランスは、めんどくさげにエミーリアを一瞥した後、口を開いた。

「アイル」

 途端、カチャンとスプーンを落とす音が聞こえた。三人の視線が一人の少女に向かう。カップを片付け、部屋を出ようとしていた少女は、どうやら片付ける途中にスプーンを落としたらしい。――「アイル」という名を聞き驚きの表情を隠すことなく浮かべながら。

「君は、何か知っているみたいだね」

 レリックの一言に少女、ルーナは静かに頷いた。


 さすがに連戦はキツイ。

 ランスがアイルの名をレリックに告げる頃、アイルは立て続けに試合に駆り出された。

 今度は獣相手ではない。人間相手だ。

 一回目は、どうにか相手から戦意を奪うことができたが、こいつは違う。

 できることなら、殺したくない。

 アイルは相手の攻撃を防ぎながら、舌打ちをする。

 これだから、武器なんか持ちたくなかった。命を奪うことしかできないものに、関わりたくなかった。

 しかも悪いことに、今度はどちらかが死ぬまで勝負はつかないという。

 どうせなら、いっそうのこと武器を捨て相手に首を差し出せばそれで済む。だが、それだけはできなかった。

 カローラの言葉が、呪詛のようにアイルを縛る。

 こうなったら、とことん付き合うしかない。そう覚悟したときだ。一瞬だがアイルは硬直魔法をかけられた。その隙に、手に持つ剣が弾き飛ばされ空高く弧を描いた。

「オレの、勝ちだ」

 肩で大きく息をする大男は、満足そうに笑った。

 ああ。

 アイルは、視線をわずかにあげ、どこまでも広がる空を見て思う。

 結局僕は、籠の中の鳥だった、と。

 そんなアイルに、男は躊躇なく武器が振りかざした。

 そのときだ。

 一陣の風が、場内を駆け巡った。砂埃が観客を襲う。

「なんて間抜け面してんだ?」

 死を覚悟したアイルの目の前に現れたのは、黒髪をなびかせた美女――いつかの夢に出てきた女だった。

「……お前」

 あれは、夢じゃなかったのか?

 呆けた顔で突っ立ていれば、腕を掴まれ強く引き寄せられた。その拍子によろけたアイルは、体が宙に浮くのを感じた。

「おい」

 俗にいうお姫様抱っこをされたアイルは、不機嫌を表情に惜しみなく出すと、女を睨んだ。

「いやだ」

 女はふいっと顔を背けた。

「お前を下すわけにはいかない」

 何だ、この女。いや、それより――。

「……お前、誰だ?」

 そう言えば、悪戯気な視線をアイルに送ってきた。にやっと口角が上がる。

「お前、オレがわからないのか?」

 なんだろう……無性に腹が立つ。

 それと同時に、どことなく引っ掛かりを覚えた。女が向ける金の瞳――まさか。

 アイルは女の頬を引っ張った。

「お前……ヴィンか?」

 そう問えば、女は声を上げて笑った。会場内に響き渡る笑い声は、観客たちの恐怖をさらに煽るに違いない。小さく悲鳴も聞こえた。

 突風で巻き上げられた砂埃の嵐も、収まりつつある。開けてくる視界の中、観客たちも何が起きているのかわかってきたようだ。

「大正解」

 にやっと笑ったヴィンは、さすがオレの主だ、などと少し馬鹿にした様子で付け加えた。

「どうしたんだ、一体」

 使い魔に生物のような性別はない。そもそも人の形を取ることができる妖魔などそうそういない。

 ヴィンは妖魔の中でも特殊な方だと聞いていたが。

 ――ここまでとは知らなかった。

「別に男でもいいんだが、こっちの方が何かと便利だからな」

 確かに、誰もが振り返る絶世の美女ならば、男など容易いものだろう。

「それに」

 場内をぐるっと見回したヴィンは、ざわめき立つ観客を見て満足げな表情で言う。

「小さな主を見下せる」

 にやりと笑う美女の顔を見て、作り物のように美しいせいか、背筋が粟立った。

「……それなら、最初からその姿でいればよかっただろ」

 そう言えば、ヴィンは頭を横に振った。

「あの小さな箱庭でこの姿では目立ちすぎる。腕に収まるくらいがちょうどいい」

「勝手にしろ」

 アイルは、そっぽを向いた。そして、ふと思う。

 ――どうしてフィンシュテットでおばあ様といるはずのヴィンがここにいるのか、と。

「ヴィン」

 名を呼ばれ、腕にすっぽり収まったアイルに目を向ける。先程とは打って変わって、真剣な面持ちでアイルはもっとも信頼のおける使い魔の顔を見た。

「お前、おばあ様はどうした――?」

「……詳しい話は後だ。今はここから出ることだけを考えろ」

 話をあやふやにされ、アイルは不安で仕方なかった。だが、ヴィンのいうことにも一理ある。

 観客席にいるヴィンダーたちが次々に攻撃を仕掛けてきたからだ。

 本気で殺しに来ているわけではない。しかし、突然の侵入者に楽しみを奪われ、腹が立っているのが手に取るようにわかる。

「しっかり捕まっていろよ、御姫様」

「一言余計だ」

 ヴィンは、アイルを抱えると空高く飛んだ。

「お前、飛べるのか?」

「いいや、ただ跳ねているだけだ」

 まあ、飛ぼうと思えば飛べるけどな、というヴィンの顔はどことなく固い。風の抵抗を体で受けつつ、アイルはヴィンにすべてを任せた。

どうやらヴィンは、人とは思えないほどの跳躍を繰り返しながら、脱出できる箇所を探しているようだ。

 だが、思った以上にヴィンダーの数が多い。四方八方から休みなく攻撃が飛んでくる。

「防御魔法を使え」

 うまく魔法を使えば、どんなに数があろうと簡単に切り抜けられるだろう。アイルはそう思ていた。

「無理に決まってる」

 ヴィンは、吠えた。

「誰もがお前みたいだと思うなよ」

 褒め言葉なのか嫌味なのか、考えていれば体が大きく揺れた。ヴィンの舌打ちが耳に届く。

 どうやら、攻撃が当たったらしい。

「めんどくせえ……」

 呟かれた一言で、アイルは腹の底から寒気がした。金の瞳が刃のように鈍く光って見える。

 何となく嫌な予感がしたアイルは、とっさにヴィンの頬を抓った。

「ぼさっとするな! 早く逃げるんだろ?」

「そうだ。だが、数が多すぎる」

 雑魚の癖に――そういうヴィンをアイルは知らない。

「ヴィン!」

 名前を呼べば、はっとしたようにアイルを見た。まったく、世話が焼ける使い魔だ。

 だが、アイルにも策は浮かばない。こうして逃げ回るのも得策とは言えないだろう。

 ――魔法が使えたら。

 無力な自分の手のひらを見て、思う。武術がどれだけ優れていても、手に武器がなければ意味がない。ましてや、大多数を相手にすればひとたまりもない。

 自分がほとほと情けない。こう思うのは何度目だろう。

 嵐のように突風が渦巻き、騒音と爆発音が響き渡る中、アイルの耳には何も届かなかった。

 そのときだ。

 ただ、じっと己の手のひらを見つめていたアイルの視界に、懐かしい顔が飛び込んできた。

「……ルーナ」

 無事だったのか、と安堵すればその隣に立ち、こちらに腕を振るランスの姿も目に入った。

「ヴィン」

 アイルは、自分を抱える黒髪の美女に向かって声を上げた。

「あっちだ」

 そう言って指差せば、ヴィンにもわかったのだろう。人並み外れた跳躍で、ルーナたちのもとへ向かった。


 それにしても、この一連の偶然は運命だったのか、必然だったのか、あるいは誰かがかけた「魔法」だったのか。ランスにはわからない。けど、闘技場から脱出すべく、今は使われていない地下道をヴィンダーと走っているのが、とても不思議だった。

 ヴィンダーには憎悪しか抱かないランスも、まさかアイルが元ヴィンダーだと知ったときは、さすがに驚いたものの、不思議と憎悪の感情は湧かなかった。

 魔力を失い、ヴィンダーからただの人間に成り下がったからなのか、それとも形は違えど、虐げられた者同士、妙な仲間意識でも芽生えたのだろうか。

 でも、そのどちらでもないとランスは思う。

 闘技場地下にある地下道は、もともとヴィンダーとの争いの際につくられたものだ。マグレーティは水が少なく、地は乾き食物は育ちにくい。が、その反面堅く崩れにくい土地の性質を活かし、避難道として地下道を築いたのだ。暗くアリの巣のように複雑な形をした地下道は、ここの住人でなければ迷子になるだろう。

 ……まあ、魔法を使われてしまえば、どんな迷路だろうが成す術がないけどな。

 どうして人間は、二種類にわかれてしまったのだろう。

 ランスの頭に古くから伝わる伝承がよぎる。

 力は強さに非ず、求めるは己の手、か。

 まあ、考えても仕方がない。今は、逃げ切ることを優先しなければ。

 しばらく走ったあと、一同は開けた場所まで出た。ずっと二メートルほどのトンネル内を移動してきたため、まるで大広間のような空間に、空気が澄んでいるような気さえ思う。ここからは、四方八方に道が伸びている。今まで駆け抜けてきた道より開けたこの場所は、圧迫感から少しだけ解放してくれる。

「お前たちは、ちょっとここで休んでろ」

 この先、あいつらが待ち伏せしていないとも限らない。様子を見てくる間、しばし休憩だ。

 アイルは平気な顔をしているが、ルーナは肩を大きく上下に動かしている。場合によっては、負ぶって行かなきゃいけないかな、と考え肩を落とした。

 ついてこなくてもよかったのに。

 だが、ルーナはどんな手を使ってでもランスについてきただろう。エミーリア並に頑固だ。

「オレも行こう」

 その場を離れようとしたランスに声をかけたのは、褐色の肌に黒い髪、そして見る者を魅了する金色の瞳を持つ美女だった。

 この女、ただの人間じゃない。

 ランスは、闘技場でヴィンダーからの攻撃をかわす女を見ていた。

 おそらくヴィンダーだろう。だが、アイルを庇っていたことから敵ではないと思うが――。

 信用はできない。

「……残らなくていいのか?」

「問題ない」

 ここに残ってどこの馬の骨ともわからないオレを野放しにするより、見張っている方がいいってことか。

「……あっそ」

 ついてくるなら、ついて来ればいい。別に危害を与える気は微塵もないのだ。無論、相手に殺意がなければの話だが。


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