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アイル  作者: はるの そらと
2章
14/42

13 闘技場2


「ランスは、闘技者なのか?」

 翌日も顔を合わせたランスに、アイルは素朴な疑問をぶつけた。だが、ランスが首を振る。

「オレはたまたまここに来て、たまたまお前の試合を見て、虜になった。ただそれだけさ」

 嘘だろうな。

 アイルはランスを一瞥して思う。

 おそらく、アイルが魔力を失ったヴィンダーだと知って近づいてきたのだろう。何か裏がある。そうじゃなきゃ、マグレーティでアイルに近づいてくる者はいない。

 わかっているのに、体が引き裂かれる思いがした。


「闘技者」と言っても、闘技場で飼われる奴隷のようなもので、衣食住のすべてが闘技場の地下にある。アイルも例外なく他の闘技者たちと共同生活を強いられていた。

 ほとんどが訳ありの中年男ばかりだ。

 まあ、そうでなければ生き残れないというのもあるだろう。昨日話した相手が今日の敵、というのもない話ではないため、あまり関わりを持とうとしない者が多い。

 そんな闘技者の中で、やはりアイルは浮いていた。一番歳が近そうな青年でも、二十代後半だと言っていたが、問題は年齢だけじゃない。

「おい、あれが――」

 アイルの噂は瞬く間に広がった。

 元、ヴィンダーの少年。ここには、罪人もいるが、ほとんど者が売買場で買われ、何もわからないまま放り込まれた。いわば、賭けの駒である。

 ヴィンダーを恨まない方がおかしい。そんな集まりの中、放り込まれれば必然とどういうことが起きるのか、簡単に想像がつくだろう。アイルは奇異と憎悪の視線を一身に受けながら、何食わぬ顔でその場を通り過ぎた。

 本当は、すぐにでも拳を振るい、武器庫の武器をアイルに振りかざしたいだろう。……例え、元ヴィンダーだろうが、関係なしに。だが、不思議と関わることを避けるだけで、収まっている。

 もしかしたら、まだ魔法が使えるかもしれないと懸念しているのか?

 独り、まわりから距離を取って座るアイルはそんなことを思った。

 もし、そうだったらどれほどよかっただろう。

 アイルは、魔力の感じない手のひらをぐっと握って思う。

 フィンシュテットにいたときも、いたるところで視線の的であったが、ここのは――。

「……さすがにキツイ」

 膝を抱え、頭を埋めると、そのまま眠った。

 夢の中だけが、落ち着くことができた。


 魔法だけではなく、武術の腕もある――それを知らしめたアイルの二戦目が、刻一刻と迫っていた。

 今回も観客はもちろん、賭け金も前回の倍以上跳ね上がった。ただ、前回と違うのはアイルの勝利に賭ける者が大多数ということだ。

 アイルはその日も一本の剣を選んだ。そして、場内に足を踏み入れた瞬間、どういうことか、体の自由がなくなった。

 なんだ、これ。

 ご丁寧に声も出なくなっている。これでは、物言わぬ人形と同じだ。

「さあ、今回の対戦相手は――」

 何も知らない進行者の声が、蜘蛛の糸ほどの命綱に思えた。

 動けず、声も出なければただ相手にいたぶられるだけだ。そして、進行者は今のアイルにとって死神にも近い相手の名前を叫ぶ。

「今回の対戦相手は……です!」

 鮮血に似た毛色が、飛び込んできた。

 赤狼は、広範囲で生息している危険害獣だ。この周辺地域以外、人の住める地域がないのは自然だけではなく、そこに住む生物も大いに関係している。

 赤狼は、妖魔ではない。が、ヴィンダーでも命を落とす場合がある。馬ほどある大きさに加え、ネズミのように素早く、頭も切れる。口からはみ出る牙や長い爪には毒もあるため、かすり傷でも致命傷になる。そして何より厄介なのが、赤狼は集団行動をする獣だということだ。

 ノーマーには無理でも、ヴィンダーなら難なく退けることができるだろう。が、それでも一頭が限界だ。集団で勝負をかけられたらひとたまりもない。

 そんな相手を前に、アイルは体の自由をうばわれたまま、成す術もなく立ち尽くしていた。

 アイルの硬直は、まだ解けない。

 この無数にいる観客の中の誰かが、アイルに勝ってほしくないのだろう。

 そんな、身勝手な理由で殺されてたまるか。

「さて今回は、皆さま注目の特別試合! ということで……」

 嫌な予感がする。

 解き放たれた一頭の赤狼は、相手の出方を見ているのか、一定の距離を保ったまま、アイルのまわりを回る。

 アイルは、目の前をじっと見ながら、予感が当たらないことを祈った。

「もっともっと盛り上がっていただきたく、赤狼二頭との試合です!」

 場内から野次が飛ぶ。同時にアイルは、死を覚悟した。

 彼らの野次は決してアイルを憐れんで飛ばしているわけではない。今回の試合はアイルに賭けられた金額の方が圧倒的に多い。闘技場の運営側が、それを根こそぎ奪い取ろうとしているとしか思えない行動に、納得がいかないだけなのだ。

 だが、歓喜している者もいることは事実だ。その証拠に、アイルの硬直が解けた。

 赤狼二頭相手では、さすがにアイルが勝つことは無理だと踏んだのだろう。本来、闘技場内では魔法の使用は禁止されている。そうでないと、純粋に賭け試合ではなくなるからだ。

 どこかに、その規則を破った者がいる。けれど、アイルにはどうでもいいことだった。

 赤狼二頭を前に、静かに深呼吸をする。

 これでまだ、生き残れる可能性は上がったわけだ。剣一本では心細いけど、まあ、仕方ない。

 集団となった赤狼を前に、アイルは目を見開くと、飛びかかってくる一頭の赤狼とほぼ同時、いやほんの少し早くその刃を振りかざした。


 二頭の赤狼にノーマーであるアイルは、成す術なく、遊ばれるように惨殺され、食い殺される。たとえ他より武術のセンスがあったとしても――それが観客及び運営側の見解だった。

 ある者は怒り、ある者は歓喜し、ある者は嘆いた。

 しかし、そんなさまざまな感情が渦巻く闘技場は、まだ試合中だというのに、音という音がなくなったのかと思える程、静まり返っていた。

 聞こえるのは、地を蹴りあげる音、獣の唸り声、そして風を切る刃の音だけだ。

 こんなことは、今まで一度もなかった。皆が食い入るように視線を送る場内には、一本の剣を握るアイルと赤狼――一頭。残りの一頭は、血だまりのように横たわってピクリとも動かなかった。

「……嘘だろ」

 誰かが呟く。だが、目の前の光景は、何度見ても変わらない。

 最初の一振りで、あの俊敏な赤狼を仕留めるなんて、誰が想像しただろう。

 残り一頭となった赤狼も、アイルがただの獲物ではないことを感じたのか、さらに距離をあけ様子を窺いつつ、隙をみては鋭い爪を振りかざしてきた。

 本来なら、それで決着がつくだろう。

 たまたま運よく一頭倒せただけだ、と皆談笑しながら、今夜の酒の肴になるはずだった。

 だが、アイルはそんな赤狼の攻撃をかわした。一度だけでなく、何度でも。まるで風に運ばれる羽のように、つかみどころなく。かと思えば、いきなり近づいたかと思うと、剣を突き出す。

 するとどうだろう。思い描いていたとは真反対の試合。体中傷つけられ、体力を失いつつある赤狼に致命傷をつければ、鉄臭い地に立つのは、アイルただ一人だけだった。

 剣にべっとりとついた血を振り落とし、アイルは大きく息を吐いた。

 空は、憎いほど青かった。


「お前、本当に何者なんだ?」

 誰もが近づかない中、唯一の例外、ランスが興奮気味に尋ねる。

「……僕だってそんなの知らない」

 今じゃあ、自分が何者なのかわからない。――少し前ならウィンディーズ家当主と名乗れただろうが。

「ふうん。ならいいや」

 以外にもランスはあっさり引いた。これ以上しつこかったら、無視してやろうと思ってたから、まあランスとしては良かったのかもしれない。

「それにしても」

 顔を埋め座るアイルを余所に、ランスは言葉を続けた。

「規則破りのアホに妨害されたっていうのに、顔色一つ変えないで試合に臨む……。オレは感動した!」

 何でもなさそうに言うその言葉に、アイルは驚きの表情を浮かべ、ランスを見た。

「……お前、気づいていたのか」

 誰も知らないと思っていたのに。

「え? 試合直前のやつだろ? まあ、そりゃ気づくだろう。よく見ればわかる」

 ただのバカだと思っていたが、訂正しよう。どうやらランスの洞察力は並外れているようだ。

「オレは、前にいろいろあったから……ヴィンダーという奴らが、憎い」

 それは、僕にも向けられる言葉じゃあないか?

 視線を背ければ、アイルの肩にランスの手が置かれた。顔を見れば、意地悪気に口角を上げている。

 罵倒でもされるのかと身構えていれば、ランスはにかっと笑った。

「お前は、なのにあの赤狼二頭を倒した! オレ達をなめるなって、あいつ等に思い知らせてオレは最高に気分がいい!」

 お前のおかげだ――そう言ってアイルの背中を強く叩きながら、豪快に笑うランスを見てアイルは悟った。

 ランスは、アイルが元ヴィンダーであることを知らない、と。

 何故か、体のだるさが少しだけよくなった気がした。


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