13 闘技場2
「ランスは、闘技者なのか?」
翌日も顔を合わせたランスに、アイルは素朴な疑問をぶつけた。だが、ランスが首を振る。
「オレはたまたまここに来て、たまたまお前の試合を見て、虜になった。ただそれだけさ」
嘘だろうな。
アイルはランスを一瞥して思う。
おそらく、アイルが魔力を失ったヴィンダーだと知って近づいてきたのだろう。何か裏がある。そうじゃなきゃ、マグレーティでアイルに近づいてくる者はいない。
わかっているのに、体が引き裂かれる思いがした。
「闘技者」と言っても、闘技場で飼われる奴隷のようなもので、衣食住のすべてが闘技場の地下にある。アイルも例外なく他の闘技者たちと共同生活を強いられていた。
ほとんどが訳ありの中年男ばかりだ。
まあ、そうでなければ生き残れないというのもあるだろう。昨日話した相手が今日の敵、というのもない話ではないため、あまり関わりを持とうとしない者が多い。
そんな闘技者の中で、やはりアイルは浮いていた。一番歳が近そうな青年でも、二十代後半だと言っていたが、問題は年齢だけじゃない。
「おい、あれが――」
アイルの噂は瞬く間に広がった。
元、ヴィンダーの少年。ここには、罪人もいるが、ほとんど者が売買場で買われ、何もわからないまま放り込まれた。いわば、賭けの駒である。
ヴィンダーを恨まない方がおかしい。そんな集まりの中、放り込まれれば必然とどういうことが起きるのか、簡単に想像がつくだろう。アイルは奇異と憎悪の視線を一身に受けながら、何食わぬ顔でその場を通り過ぎた。
本当は、すぐにでも拳を振るい、武器庫の武器をアイルに振りかざしたいだろう。……例え、元ヴィンダーだろうが、関係なしに。だが、不思議と関わることを避けるだけで、収まっている。
もしかしたら、まだ魔法が使えるかもしれないと懸念しているのか?
独り、まわりから距離を取って座るアイルはそんなことを思った。
もし、そうだったらどれほどよかっただろう。
アイルは、魔力の感じない手のひらをぐっと握って思う。
フィンシュテットにいたときも、いたるところで視線の的であったが、ここのは――。
「……さすがにキツイ」
膝を抱え、頭を埋めると、そのまま眠った。
夢の中だけが、落ち着くことができた。
魔法だけではなく、武術の腕もある――それを知らしめたアイルの二戦目が、刻一刻と迫っていた。
今回も観客はもちろん、賭け金も前回の倍以上跳ね上がった。ただ、前回と違うのはアイルの勝利に賭ける者が大多数ということだ。
アイルはその日も一本の剣を選んだ。そして、場内に足を踏み入れた瞬間、どういうことか、体の自由がなくなった。
なんだ、これ。
ご丁寧に声も出なくなっている。これでは、物言わぬ人形と同じだ。
「さあ、今回の対戦相手は――」
何も知らない進行者の声が、蜘蛛の糸ほどの命綱に思えた。
動けず、声も出なければただ相手にいたぶられるだけだ。そして、進行者は今のアイルにとって死神にも近い相手の名前を叫ぶ。
「今回の対戦相手は……です!」
鮮血に似た毛色が、飛び込んできた。
赤狼は、広範囲で生息している危険害獣だ。この周辺地域以外、人の住める地域がないのは自然だけではなく、そこに住む生物も大いに関係している。
赤狼は、妖魔ではない。が、ヴィンダーでも命を落とす場合がある。馬ほどある大きさに加え、ネズミのように素早く、頭も切れる。口からはみ出る牙や長い爪には毒もあるため、かすり傷でも致命傷になる。そして何より厄介なのが、赤狼は集団行動をする獣だということだ。
ノーマーには無理でも、ヴィンダーなら難なく退けることができるだろう。が、それでも一頭が限界だ。集団で勝負をかけられたらひとたまりもない。
そんな相手を前に、アイルは体の自由をうばわれたまま、成す術もなく立ち尽くしていた。
アイルの硬直は、まだ解けない。
この無数にいる観客の中の誰かが、アイルに勝ってほしくないのだろう。
そんな、身勝手な理由で殺されてたまるか。
「さて今回は、皆さま注目の特別試合! ということで……」
嫌な予感がする。
解き放たれた一頭の赤狼は、相手の出方を見ているのか、一定の距離を保ったまま、アイルのまわりを回る。
アイルは、目の前をじっと見ながら、予感が当たらないことを祈った。
「もっともっと盛り上がっていただきたく、赤狼二頭との試合です!」
場内から野次が飛ぶ。同時にアイルは、死を覚悟した。
彼らの野次は決してアイルを憐れんで飛ばしているわけではない。今回の試合はアイルに賭けられた金額の方が圧倒的に多い。闘技場の運営側が、それを根こそぎ奪い取ろうとしているとしか思えない行動に、納得がいかないだけなのだ。
だが、歓喜している者もいることは事実だ。その証拠に、アイルの硬直が解けた。
赤狼二頭相手では、さすがにアイルが勝つことは無理だと踏んだのだろう。本来、闘技場内では魔法の使用は禁止されている。そうでないと、純粋に賭け試合ではなくなるからだ。
どこかに、その規則を破った者がいる。けれど、アイルにはどうでもいいことだった。
赤狼二頭を前に、静かに深呼吸をする。
これでまだ、生き残れる可能性は上がったわけだ。剣一本では心細いけど、まあ、仕方ない。
集団となった赤狼を前に、アイルは目を見開くと、飛びかかってくる一頭の赤狼とほぼ同時、いやほんの少し早くその刃を振りかざした。
二頭の赤狼にノーマーであるアイルは、成す術なく、遊ばれるように惨殺され、食い殺される。たとえ他より武術のセンスがあったとしても――それが観客及び運営側の見解だった。
ある者は怒り、ある者は歓喜し、ある者は嘆いた。
しかし、そんなさまざまな感情が渦巻く闘技場は、まだ試合中だというのに、音という音がなくなったのかと思える程、静まり返っていた。
聞こえるのは、地を蹴りあげる音、獣の唸り声、そして風を切る刃の音だけだ。
こんなことは、今まで一度もなかった。皆が食い入るように視線を送る場内には、一本の剣を握るアイルと赤狼――一頭。残りの一頭は、血だまりのように横たわってピクリとも動かなかった。
「……嘘だろ」
誰かが呟く。だが、目の前の光景は、何度見ても変わらない。
最初の一振りで、あの俊敏な赤狼を仕留めるなんて、誰が想像しただろう。
残り一頭となった赤狼も、アイルがただの獲物ではないことを感じたのか、さらに距離をあけ様子を窺いつつ、隙をみては鋭い爪を振りかざしてきた。
本来なら、それで決着がつくだろう。
たまたま運よく一頭倒せただけだ、と皆談笑しながら、今夜の酒の肴になるはずだった。
だが、アイルはそんな赤狼の攻撃をかわした。一度だけでなく、何度でも。まるで風に運ばれる羽のように、つかみどころなく。かと思えば、いきなり近づいたかと思うと、剣を突き出す。
するとどうだろう。思い描いていたとは真反対の試合。体中傷つけられ、体力を失いつつある赤狼に致命傷をつければ、鉄臭い地に立つのは、アイルただ一人だけだった。
剣にべっとりとついた血を振り落とし、アイルは大きく息を吐いた。
空は、憎いほど青かった。
「お前、本当に何者なんだ?」
誰もが近づかない中、唯一の例外、ランスが興奮気味に尋ねる。
「……僕だってそんなの知らない」
今じゃあ、自分が何者なのかわからない。――少し前ならウィンディーズ家当主と名乗れただろうが。
「ふうん。ならいいや」
以外にもランスはあっさり引いた。これ以上しつこかったら、無視してやろうと思ってたから、まあランスとしては良かったのかもしれない。
「それにしても」
顔を埋め座るアイルを余所に、ランスは言葉を続けた。
「規則破りのアホに妨害されたっていうのに、顔色一つ変えないで試合に臨む……。オレは感動した!」
何でもなさそうに言うその言葉に、アイルは驚きの表情を浮かべ、ランスを見た。
「……お前、気づいていたのか」
誰も知らないと思っていたのに。
「え? 試合直前のやつだろ? まあ、そりゃ気づくだろう。よく見ればわかる」
ただのバカだと思っていたが、訂正しよう。どうやらランスの洞察力は並外れているようだ。
「オレは、前にいろいろあったから……ヴィンダーという奴らが、憎い」
それは、僕にも向けられる言葉じゃあないか?
視線を背ければ、アイルの肩にランスの手が置かれた。顔を見れば、意地悪気に口角を上げている。
罵倒でもされるのかと身構えていれば、ランスはにかっと笑った。
「お前は、なのにあの赤狼二頭を倒した! オレ達をなめるなって、あいつ等に思い知らせてオレは最高に気分がいい!」
お前のおかげだ――そう言ってアイルの背中を強く叩きながら、豪快に笑うランスを見てアイルは悟った。
ランスは、アイルが元ヴィンダーであることを知らない、と。
何故か、体のだるさが少しだけよくなった気がした。




